もう欧米は「歴史のゴール」ではなくなったのか?『岩波講座 世界歴史 24巻』

世界史をやり直していると、「世界史のやり方」そのものが変わっているように見える。

かつては、「先進国」が先頭に立ち、他地域はいずれ欧米を見習って近代化を成し遂げ、自由民主主義へ収斂していく―――そんな単線的な歴史観が強かった。

しかし、冷戦後、特に21世紀に入ってから、中国、湾岸諸国、シンガポール、ロシア、インド、グローバルサウス、イスラーム圏を見ていると、欧米型自由民主主義を目指さなくとも、強大化&安定化できるという事例が大量に出てきている。

これは、かつての近代化論では説明できない。「蛙飛び」といった理屈を考えたり、例外として語ろうとしても、一部の後付け説明に過ぎぬ。

中国はその象徴だろう。

国家統制、一党支配、デジタル監視、国家資本主義を維持したまま、超大国化した。これは、単なる例外や後付け理屈ではなく、そもそも歴史の進行モデルそのものが間違っていたのでは?という疑問が生まれる。

そして、面白いのは、欧米自身も、この進歩史観を信じられなくなっているように見える振る舞いをしているところだ。

ブレグジットや格差社会、トランプ現象、ポピュリズム、移民の対立といった問題の形で噴出している現実を前に、「自由主義は最終形態である」という欧米の自信(信仰?)が崩れ始めたように見える。

30年くらい前、「歴史の終わり」としてイデオロギー競争の最終形態として自由民主主義の勝利宣言をしていた欧米自身が、その物語を維持できなくなったのかもしれぬ。

『岩波世界歴史24』は、「欧米中心史観を否定する」だけでは終わらない。むしろ、その史観をいったんカッコに入れたあと、世界をどう理解し直すのか――その方法そのものを模索しているように見える。

中国と世界

例えば、「中国と世界」という観点の論文がこれになる。

ニュースの断片で垣間見る中国ではなく、歴史の文脈に配置すると、どのような振る舞いをしているか、という考察になる。いわば、いま私たちが見聞している中国は、50年後の高校世界史の教科書にはどう書かれているか?という問いに答えるようなもの。

これには、2つのアプローチで解説されている。

一つ目は、「中国は『先進国』からどう見られているか?」になる。

本書では、中国のことを「米国への挑戦者」として位置付けている(米国政府は「競争者」という表現)。

中国は、国際秩序を再編しようとする意図においても、また経済的、外交的、軍事的、技術的などの面でそれを成し遂げようとする、急成長するパワーという点においても、唯一の競争者である。
(National Security Strategy Oct 2022より [URL]

かつて米国は、中国にインセンティブを与えながら既存の秩序の一員へと導こうとするエンゲージメント政策を展開してきた。中国を既存秩序へ組み込めば、いずれ自由主義化するという期待があったからだ。

だが、2021年代(バイデン時代)に大きく方針転換している。すなわち、「先進国」が主導してきた世界秩序への挑戦者だという位置づけだ。

ただし、中国は国連重視を謳っているため、既存の世界秩序の全てに「挑戦」している訳ではないという。国連への財政貢献や国連機関のポスト獲得、PKOへの人的派遣など、国連というバスケット内で存在感を高めている。

二つ目は、「中国は『先進国』をどう見ているか?」になる。

本書によると、中国は現在も自らを既存の秩序への挑戦者とは見做していないという。むしろ、西側先進国の秩序の方が、世界の現状に反しているとする

西側先進国の主導する秩序では世界の諸問題には対処できないと批判しているのだ。ただ、胡錦濤時代までの中国は、秩序を形成するのは先進国の責任であり、中国は発展途上国の代表としてそれを修正するとしていた。

しかし、習近平政権は自らを新たな秩序の形成主体だとしている。ただ、中国は国際連合には反対してはおらず、ただ西側の安全保障ネットワークや西側の価値観に反対する。
(『岩波講座 世界歴史 24巻』p.172より)

ここ数十年の間での出来事や衝突を削ぎ落していくと、こんな骨格が浮かび上がってくる。

安定した状況を作り出すため、米国を始めとする西側諸国との「衝突」を避けつつも、西側主導の世界秩序のやり方に疑義を表明していく。そして、国連や経済支援を通じて、この疑義に賛同する仲間を増やしていくことを怠りなく、時間をかけて進めている。

この、西側主導の世界秩序に疑義を唱える姿勢は、現在進行で揺らいでいる欧米中心史観と重なってくる。

中国の準備のマイルストーンは、2049年の「偉大なる復興の夢」になる。それが世界にどんな影響を与えるか分からないし、そもそも私が生きているかも分からないが、パラダイムが激変する潮目は見届けたい。

ポピュリズムの変化

めちゃくちゃ面白かったのが、ポピュリズムと権威主義の広がりを解説した論文。

よく言われているのが、「汚れなき市民 vs 腐敗したエリート」という枠組みで語られ、政治とは一般意志の表現であるべき、という「イデオロギー」だ。

これ、独裁や専制である権威主義へのカウンターとして有効じゃん!と諸手を上げて賛成する人がいる一方、ポピュリズムを唱えて選ばれた人が、権威主義化していく傾向が現実にあるという(「現代の民主主義の死は選挙からはじまる」といった議論は不謹慎ながら爆笑した)。

しかも、ポピュリズムは、主義主張が異なるはずの「右派」「左派」の両方ともに使っている点が面白い。

右派ポピュリスト政党は、外国人や移民・難民に対する批判としてポピュリズムを使う。そのターゲットは、移民の受け入れを重視し、多文化主義を推進するエリート層や、グローバリゼーションやヨーロッパ統合を重視して、国内の労働者を蔑ろにする指導層になる(いわゆる「リベラル・エリート」)。

一方、左派ポピュリズムは、社会格差の存在、特に一部エリート層への富の集中を批判し、再分配を訴える。ターゲットは、グローバリゼーションのメリットを利用して稼ぐ富裕層であり、また彼らと結託して利益擁護に走る政治家たちになる。

本来、政治的に真逆である右派と左派が、なぜかポピュリズムの旗の下に終結しているのがコミカルに見える。同床異夢どころか同床同夢してるやん。

おそらく、ポピュリズムは「イデオロギー」ではなく「方法」なのだろう。

これまでは、中道保守・中道左派といった二大勢力で、市場志向/福祉国家志向といった政策の力点は異なれど、代表制民主主義に対する信頼といった基本的な価値観は共有されていた。

ところが、そうした穏健な中道勢力では諸問題を解決できなくなってきている。二大勢力として「対立」してはいても、同じ20世紀型政治というゲーム盤で戦っていた。だが、そのゲーム盤自体が信用されなくなっているのだ。

先進国の屋台骨だった製造業は衰退し、国外に移転していく。国内産業の空洞化は、それをもたらしたグローバリゼーションを進めてきたエリート層への反発となる。ヨーロッパ統合を推進し、移民を受け入れる政策への不満が蓄積する。

こうした問題は、従来の左右対立とは異なる対立軸・争点が顕在化していると言える。

そうした不満の受け皿として有効なのが、ポピュリズム的方法なのだろう。

既存政党が仕切る「旧来の政治」を正面から批判し、政治の悪弊を一層する―――そうした革新者として、ポピュリストたちは振舞う。「普通の人々」の声を代弁し、「既得権益」を守ろうと汲々とするエリートたちの独占権力を打破する挑戦者として、位置付けるのだ。こうすることで、右とか左とか関係なく、無党派層・無組織層の支持を得ることができる。

喩えて言うなら、ポピュリズムは、主義主張というよりもむしろ、それを唱える拡声器なのかもしれぬ。

そしてポピュリストたちが取る方法は、SNSだ。既存勢力ほどの発信基盤を持たないため、普通の方法では注目されない。

そこでSNSで対立と感情を煽り、炎上させる。その炎上はニュースとしてマスメディアに取り上げられることで耳目を集め、勢力を拡大する(本書では「スピルオーバー現象」と呼んでいる)。

欧米中心史観、先進国による世界秩序、左右の政治ゲーム基盤など、既存の考え方に疑義を抱き、それを超克するような方法が立ち上がってきている。

50年後にはパラダイムシフトの一つとして扱われるこうした変化は、その先を見届けるまで生き延びられるかは分からないが、わりと楽しみにしている。

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人生を変えることもできるのは音楽かもしれない『楽園ノイズ』

過去記事の再公開(事情は[こちら]) 初出 2021年2月21日


激しいリズムにひるむ。叩きつける音圧に押される。急上昇するオクターブに持っていかれる。部屋は静かなのに、小説を読んでいるだけなのに、そこに描かれるセッションを、夢中になって聴いている。

彼女の想いは衝突を繰り返すサウンドの手応えではっきりと伝わってくる。そう、衝突だ。合わせるなんて馬鹿馬鹿しい。他のパートに合わせて叩くなんてドラムスじゃない。お互いに叩きつけ、傷つけ、貪り、奪い合いながらひとつになっていくのが音楽のほんとうの姿だ。

高校生の「僕」が弾いてるのはベース、荒々しいドラムスが後輩の女子、隣の部屋からは、同級生の子がピアノで圧倒する。3人が演(や)っているのは、レディオヘッドの『クリープ』だ。無防備な状態で歌の中にぶっ込まれ、沸き上がってくる激情のままに声を絞る。

そんな昔の知らないよ、というツッコミ上等。大丈夫、これ読んでると、かつて自分が聴いた曲を思い出すから。音楽に撃たれた経験があるなら、必ず思い出すから(わたしの場合、これ読んでるとき、ブルーハーツがずっと流れていた)。

恋と音楽と青春を一冊に圧縮した『楽園ノイズ』は、読むセッションだ。それも、肌が泡立つやつ。ヒリヒリする緊張感と、想いをぶちまける解放感が混ぜこぜになって、確かに昔に聴いた曲があふれ出す。



「僕」の趣味は音楽。

といっても、いわゆる「バンドマン」ではなく、薄暗い自室に閉じこもって画面をにらんでマウスで音符を切り貼りする。できた曲をYoutubeにアップロードして反応を待つ音楽オタクだった。

「だった」と過去形なのは、出来心で女装した動画をアップロードしたから。一部のマニアにウケて十万視聴を突破したのはいいけれど、よりにもよって音楽の先生にバレてしまう。で、授業の準備やら問題児の様子見やら、面倒を押し付けられるハメになる。

先生を通じて出会う女の子たちは、コンプレックスを抱えるピアニストや、複雑な家庭のドラマー、不登校のヴォーカリストだ。共通するのは、超一流の才能を持っていること。音楽オタクの僕には二重の意味で高嶺の花だ。

これが普通のラノベなら、彼女たちの厄介ごとを「僕」が解決しちゃうのだが、その辺リアルに出来ていて、彼は踏み込まない。

ただ、音楽が好きだからこそできる方法、つまり一緒にセッションすることで、彼女たちにあるきっかけをもたらす。そして、彼女たちは自分で変えてゆく。その様子を見ていると、人生を変えることもできるのは、音楽なのかも……と思えてくる。

10章に渡って駆け抜ける青春は、騒がしく悩ましく彩られた大切な時間だ。

アップテンポな会話で愉快にさせた後、急転直下でキツい展開へ。終盤で回収される伏線は、交響曲の後半で冒頭のフレーズが「戻ってくる」かのような既視感だし、クライマックスとなる第9章では、文字列から音圧が伝わってくる。

そして、最終章、めちゃくちゃ胸にクる。瞳から汗を、体中に涙を感じる。

熱っぽい余韻に浸りながら目次を読み返して、ハタと思い当たる。これ、章立てが一つのアルバムの構成となっている。この小説そのものが、一つのアルバムか、あるいは交響曲全体を意識して作られてる。

しかも、出てくる曲が懐かしすぎる。レディオヘッドの他に、ビリー・ホリディ、TOTOやWANDSなど、完全におっさんホイホイになっている。Youtubeで聴きながら読んでも楽しい。

落ち込んだとき、慰められたCDがあった。試練を目の前に、自分を鼓舞するために歌った歌があった。なにもかも忘れて「無」になるためにヘビロテした曲があった。そのどれも、今は聴いていないことに気づいた。

だが、この小説を読むと、それらが全部いっぺんに思い出してくる。音楽が、自分を支え、変えてきたことに気づく。

音楽の力を思い出す一冊。

 

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英文読解の思考プロセスに特化した『英文解体新書』

過去記事の再公開(事情は[こちら]) 初出 2021年2月27日


英語を読むのが苦手だ。

たとえばこれ。

That the guy survived the accident surprised everyone.

意味は分かる。難しい単語は無いから、単語だけをつなげばなんとなく分かる。でも、それじゃダメなんだ。

問題なのは、最初の That が何なのかを知るために、最後まで読む必要があるところ。

この That は、「あの」を意味するザットじゃなくって、「奴が事故を生き延びたこと」を指していて、なおかつ、この文全体の主語になっている。それに気づくために、全部読む必要がある(←ここがダメ)。

これ、短い文だからなんとかなってしまうけれど、ちょっと長くなると、たちまち問題が顕在化する。

Although almost everyone admits that social media has changed the way in which people live, whether it will remain as popular in the years to come as today remains to be seen.

最初が Although だから、前提とか条件なんだろうな……とかあたりを付けるんだけど、その中で主語や動詞が出てくるので、どこがどこに掛かっているのか迷子になる。

得意な人なら、that や in which、カンマを道しるべにして頭から読み解いていくのだろう。だが、それができない。いったん文章を最後まで読み、後戻りして意味を当てはめながら構造を考えている。

もちろん、そういう勘所は、普段から英語に慣れる環境を作り、多読多聴することで自然と身につくものなのだろう。だけど、そこまで英語を頑張るつもりはない。論文の概要や tweet をサクっと読めればそれでいい。

それも、なるべく少ない努力で、頭から構造が分かる(推理する)ことができるようになりたい。

英文読解の思考プロセスに特化した参考書

ムシが良すぎる目標だが、読書猿さんからお薦めされたのが『英文解体新書』だ。一言で述べるなら、英文を読むための思考プロセスに特化した参考書になる。

どこに着目し、どういう風に考えると、正しく読解できるかを体系化し、100語~200語程度の例題を実際に読むことで、その力を身につける。

たとえば、最初の例文だと、予測を立てて、英語の語順に従って選択肢を絞り込む方法を提示する。

  1. 最初の That を見た時点で、次の可能性を考える。

    A. That が代名詞として、文の主語となっている場合(That is great.)

    B. That が名詞を限定している場合(あの本の、「あの」のザット)

    C. That が接続詞として後に節を作り、that 節全体が文の主語となっている場合(That he passed the exam is ture.)

  2. 次の the guy を見た時点で、AとBの可能性は消える。なぜなら、Aだと、次に来るのは動詞だから。動詞に the は付かない。Bだと that guy ならあるけど、guy に既に the が付いている。

  3. Cなら接続詞で、文の最初だから主語だろうと予想して追っていくと、the accident とつながらない形で、surprised everyone と動詞と目的語に辿り着く。

こんな感じで、目だけは左から右に進めながら、予想を立て、可能性を排除しながら読んでいく。

当たり前だが、英語と日本語では構造が違う。その構造の英語らしさを押さえておくと、読み取りが各段に精確になる。

情報の流れを考える

腑に落ちたのが、受動態について。

学校で、受動態をあまり使わないようにと習った覚えはうっすらとある。だが、その理由は「主語が曖昧になるから」といった程度しか覚えていない。そして、受動態を使うべきタイミングは、まったく覚えていない。

だが、本書の「情報の流れと特殊構文」で腹落ちした。

まず、英語の基本的なルールとして、主語が文のトピックであり、動詞句が構成する述語部分は、そのトピックに対するコメントになる。言い換えるなら、トピックが変わらないのであれば、主語は変わらない。

The castle is one of the most beautiful buildings in the world. It was built in the Edo period and has since been a symbol of our country.

この文章は、The castle についての説明だ。一文目の主語は the castle で、文のトピックになる。そして、2文目に移っても、文のトピックは変わらない。

しかし、もし2文目で能動態の文を使おうとすると、「城を建てた人」という新しい情報を入れることになる。話者が伝えたいのは城がトピックなので、新しい情報は余分になる。こんな場合に、受動態が必要になる。

受動態は、主語が曖昧になるからダメというのではなく、情報を出す際に余分なものを省き、流れをコントロールする仕組みだということが分かった。

難関大学レベルの参考書

こんな感じで、英語を読む勘所を押さえていった。

情報の流れや文章の構造を考えながら、省略が起きたり、語順の入れ替わり、構文の擬態、破格的な構造が紹介される。難しさ的には難関大学の受験レベルになる。

例文となるものは、カズオ・イシグロの小説やオバマ大統領の演説、ジャレド・ダイアモンド、スティーヴン・キングなど、硬軟取り揃えている。

本来なら、沢山の記事や書籍を浴びるように読むことで身につけるポイントが、およそ250頁、2,200円で手に入る。[ここ] の技法で35日で読み切った。

結果、読解の苦手意識は完全に消えて、ムスカの「読める……読めるぞ!」状態になっている。コストパフォーマンス的には最高の一冊と言っていい。

ただし、一読して身についたとはとても言えぬ。周回を重ねて自分のモノにしよう(読書猿さんありがとう!)。

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ボーイズラブには葛藤があるべきか、「普通の」ラブストーリーとは何か、BLの主役はネコなのか、アニメ『同級生』をテーマに2時間語り合ったことを8000字ぐらいでまとめる

過去記事の再公開(事情は[こちら]) 初出 2021年3月6日


古今東西の傑作を俎上に、その面白さについて語り合うオンライン会が、「物語の探求」だ。

今回は、アニメ映画『同級生』をテーマに、その面白さや物語構造について語り合い、さらにBLとしての新しさがどこかについて考えた。

『同級生』は 中村明日美子のBLマンガが原作で、A-1 Picturesが制作したアニメーションだ。思春期に揺れる2人の、もどかしくてピュアで、ドキドキする感覚が、淡いタッチで丁寧に描かれている。



[公式サイト] からの紹介はこんな感じ……

思春期にゆれる少年たちの、

ピュア・ラブストーリー。

高校入試で全教科満点をとった秀才の佐条利人、

ライブ活動をして女子にも人気のバンドマン草壁光。

およそ交わらないであろう二人の男の子。

そんな「ジャンルが違う」彼らは、合唱祭の練習をきっかけに話すようになる。放課後の教室で、佐条に歌を教える草壁。音を感じ、声を聴き、ハーモニーを奏でるうちに、二人の心は響き合っていった。

ゆるやかに高まり、ふとした瞬間にはじける恋の感情。

お調子者だけどピュアで、まっすぐに思いを語る草壁光と、はねつけながらも少しずつ心を開いてゆく佐条利人。互いのこともよく知らず、おそらく自分のこともまだ分からない。そんな青いときのなかで、もがき、惑いつつも寄り添い合う二人。

やがて将来や進学を考える時期が訪れ、前に進もうとする彼らが見つけた思いとは……

(以下、『同級生』のネタバレがあります)


<目次>

  1. 男と男の、普通の、ラブストーリー
  2. 余白を上手く使った物語構造
  3. 「脚本」が無い理由
  4. 原作がある場合の脚本家の仕事とは
  5. BLにおける読者=壁?
  6. なぜ佐条が主役なのか?
  7. 「耳」を大事にした脚本
  8. 同性愛の葛藤があるべき?
  9. 普通の恋愛を丁寧に描く新しさ

 

1.  男と男の、普通の、ラブストーリー

タケハル:第一印象なんだけど、ボーイズ・ラブに慣れていない上に、そもそもこれがBLものだと知らずに観始めたので、チューニングに時間がかかりました。最初の感じから少女漫画かな? と思ったんだけど、いっこうに少女が出てこない。で、噴水の公園でキスするシーンで、頭が急回転したんです。

Dain:それはびっくりしたでしょ! でも、その恋愛は、あくまで普通のラブストーリーなんですよね。

タケハル:そうです、男と女がスポンと好きになるのといっしょ。あのまま佐条君を女の子にして歌を教えて公園でキスしても違和感がない。

スケザネ:ですよね。でもこれ、いまさら男女でやったら見てらんないかも。相合傘で一緒に帰るなんてベタすぎて。

恋愛物としてはベタで王道な展開が中心。男と男でやるから、異化効果的なもので目新しく新鮮に感じられたのかも。これが何年かたって、もう古いよということになったら、すごく素敵なことだろうな……

言い換えると、『同級生』が新鮮に見えるのは、まだLGBTへの認識が成熟していないことを表しているのかもしれません。男と女の恋も、男と男の恋も、いっしょなんだよね。

タケハル:十年後には、これがベタすぎるじゃねーか、というツッコミが普通になるってことね。

Dain:この作品を、見る人がどういう風に受け取るか、男同士の同性愛についてどういう意識を持っているかの試金石になるのかも。

2. 余白を上手く使った物語構造

スケザネ:僕の最初の印象は、「余白が多い」でしたね。物語の構造的に見ても、余白がうまい効果を上げていますね。

例えば、高校生を描くものなら、マクドナルドとかが出てくるけれど、具体的なものが出てこないのがいい。ここ、しっかり描き込まれてしまうと、古びるのも早いと思う。

純粋にテーマに絞り込まれて、コアなところ、要所要所が、ぽん、ぽんと描き込まれているけれど、その間のところで、彼らは何をして、何を想っているのかが無い。佐条くん目線も少ないので、これ、余白によっていろいろ掻き立てられるところがあるよね

Dain:同じこと考えていました。物語では語られない部分が、キャラの言動につながってくるところ。ハラセン(原先生)が佐条くんに迫るところあったでしょ、進路指導室のところ。でも佐条くん、抵抗しないよね。普通、抵抗するんじゃね?

ひょっとして、彼らの間で、描かれていない何かがあったんじゃないの? 草壁くんに向かって、「俺はあいつのこと1年のときから知ってた」なんて、思わせぶりやん原先生。

どうしても気になって、原作のコミック『同級生』を読んだんだけど、実は、あったんです、佐条くんとハラセンの過去が。各章の一覧表を書いてきたんだけど、これ。

【夏】Summer
【秋】Autumn
【はじめての人】 His first
【ばかと大馬鹿】 A complex fool and a simplex fool
【二度目の夏】 The second summer

映画もほぼ同じ構成なんだけど、この【はじめての人】の章が丸ごとカットされているの。これ、ハラセン目線で佐条くんとの出会い

スケザネ:1年のときに何かあったことが描かれるの?

Dain:ですです。1年のとき。カットされた部分も、ほんの数十分の、本当に短いこと。でも、その時間はものすごく濃いんです。

スケザネ:なんで削ったのだろう。削ったのは成功している? Dainさん目線で教えてほしいです。

Dain:レディ・プレイヤー1の対談」でスケザネさんが言ってた、情報密度の話からすると成功してる。短い時間に設定やキャラを詰め込みすぎると、観客が付いていけなくなるから、そういう意味で、ハラセンのエピソードはカットして正解かも。ハラセンの話を入れると、この2人のダブル主人公の物語の邪魔になる。好きな人は自分で補完してください、という感じで。

3. 「脚本」が無い理由

タケハル:クレジット見ると、面白いことが分かってくる。このアニメ、スタッフのほとんど、9割が女性なの。そして、「脚本」を担当している人がいない。これはすごい。脚本家ってのは、セリフを書くだけじゃなくって、物語の情報の整理も大事な仕事なので。

なぜだろう? 舞台なんかで女性スタッフが多い現場でたまに見かけるけれど、リーダー不在でもうまく回っていく、というのがある。女性ばかりだと、誰が決めたというわけじゃないのに、うまく分担して回っていく。

スケザネ:気がつかなかった!ということは、かなりの仕事を監督がやっているのかもしれない……

タケハル:ストーリーというより、キャラクターと絵が重要なんだろうね。確かに監督はいるけど、誰が作ったとは言えないような状況だったんじゃないかしらん。例えば噴水のキスシーンって、漫画だとどうなってる?

Dain:マンガと映画のセリフは、だいたい一緒だね。バストアップのシーンやカメラの構図も同じ。脚本とか演出にあたる部分は、原作のマンガで足りてる感じ。

タケハル:それだけマンガの完成度が高いのか!

4. 原作がある場合の脚本家の仕事とは

タケハル:原作があってそれをアニメや実写化してうまくいった場合、脚本家がいい仕事している場合が多いですね。逆もそうで、失敗した場合も脚本家に負うところが大きい。

スケザネ:それありますね、原作を生かすも殺すも脚本次第ですから。

タケハル:そうなんです! 例えばアニメ化された『ハチミツとクローバー』なんて象徴的なところがあって、日本を周ってきて、彼女に告白するシーンなんかがそれ。

美大生で、原作だと北海道で見た景色がキレイだったから、彼女にも見せたいんだっていうの、「景色を見せたい」ってね。

これがアニメだと、北海道で見た景色を、「『あなたの絵で』見たい」に変えてる。アニメで、ちょっと踏み込んで言わせてる。キャラクター性とか関係性は変えないで、でも原作を知っているお客さんの予想を越えることを言わせる

Dain:原作ラブの人は、そういう大事なシーンは読み込んでいるだろうから、変えたら噴き上がることありそう。原作の完成度が高ければ高いほどそうなりそう。

タケハル:脚本家がいると、そういうことやりたくなっちゃう。だいたいは失敗して、余計なことするな、って観客に怒られる。でもハチクロのこれは怒られない、確かにそれ言いそうなことだから。

スケザネ:鬼滅もそうだったなぁ……やれそうでやれないですよね。

タケハル:『岸辺露伴は動かない』にも似たようなところがあって、敵のスタンドと闘うんだけど、畳の縁(へり)を踏まないバトルになる。スタンドの能力を使って、縁を見えなくさせるの。んで、だまし討ちで敵に踏ませたときのセリフなんだけど、原作だと「ところでお前、縁踏んでるぞ」が、「ところでお前、足大丈夫か?」に変えている。

スケザネ&Dain:へえええええ!

タケハル:スパっと「踏んでるぞ」というより、さらに嫌味っぽく聞こえてて、いかにも言いそうなセリフになっているの。テーマは同じでも、きちんと進化させている。

これを下手にやったのが『美女と野獣』の実写版。

野獣の城から、ベルが家にいったん帰るところ。召使たちが「なんで帰すの? ここで真実の愛が見つかれば、人の姿に戻れるのに!」と残念がっているのに対し、ディズニーアニメだと野獣が「愛しているからだ」と答えている。

ところが実写だと、野獣は何も言わない。代わりにポット婦人が「あの娘を愛しているからよ」と答えさせている。

スケザネ&Dain:お前が言うんかよ!

タケハル:言ってる言葉は同じだけどね。アニメから実写にするとき、色々チューニングが出てくる。アニメだから耐えられるセリフと、そうじゃないセリフがある。そこを変えていく、表現方法を移すときのチューニング、プラグの役割を脚本家は担っているの

5. BLにおける読者=壁?

タケハル:根本的な話になるけれど、なんで女性作家がBLを描くの? 男の作家がBLを描くのもあるけれど、圧倒的に女性でしょ?

スケザネ:男がレズものを読むのは、芸術よりもリビドーとして求めているのではないかな。でも女性がBLを求めているのは、どうしてなのだろう?

Dain:僕の観測範囲だと、BLに女はいらないんじゃないか、と思ってる。

例えば男が百合モノを読むとき、その世界に男はいないほうがいい。可愛い女の子たちだけがキャッキャウフフするのを覗き見したい、という思いがある。そこでの男は邪魔なの。アキリの『ヴァンピアーズ』だと、男はモブか下僕だし、志村貴子の『青い花』なんて存在すらしていない。

それと同じように、女がBLを読むとき、その世界に女がいないほうがいい、と考えているのでは? BLの世界に女性が出てくると、女性の読者は女性性を意識してしまうから。美しい男と男が絡み合う様子を、自分という存在を消して、ただ見守っていたい。だから、壁になりたいと思っているはず

スケザネ&タケハル:壁になりたい!

Dain:twitterとかで呟いている人、いますよ。そこに「私という存在が見ている」となると、目線が気になってしまう。だから「私」を消すために、壁になりたい。

タケハル:不確定性原理のやつ!

Dain:それな! 観測によって結果が変わってしまうから、自分じゃなくて、壁として見たい、というか居たい。美しいものを美しいままで見るために、自分すら必要じゃないんじゃないの、というのがあるのかと。

タケハル:なるほど、女性キャラがいると、そこに感情移入してしまう。

Dain:そうそう。自分に近いキャラが出てくると、どうしてもそこに自己を投影しちゃうじゃないですか。それがイヤなんです。だから、ハナからそうさせないために、女性がいない、いても極めて少ない世界をつくる、というのはありだと思います。

美しいものを、そのままの姿でずっと眺めていたい……BLが美形キャラだらけなのは、そんな理由なのかも。現実はともかく、ボーイズ・ラブは美形だけで成り立ってる。

スケザネ:確かに! 文学なんかもそうで、『ヴェニスに死す』なんかも原作を映画化した時、ビョルン・アンドレセンとか美形キャラクターが起用されていた。古来から、男どうしだと美形キャラを出してくる。そういう風に思わせたいから。

タケハル:これは高等遊民マターだなw プラトンの『饗宴』とかあったなぁ

全員:www

6. なぜ佐条が主役なのか?

タケハル:キャスティングを見てて面白いのが、佐条くんが最初に出てくる。ふつう、キャスティングの最初は、主役になる。ということは、佐条くんが主役?

スケザネ:草壁くんじゃないんだ、もちろんダブル主人公だけど、映画のラストが草壁くんのナレーションだったから、すこし不思議な感じがする。

タケハル:ヒロインにあたるのが佐条くんだからなのかな?

スケザネ:でも、ヒロインを射止めようとする方が先にくるんじゃないの?

タケハル:ディズニープリンセスみたいに、白雪姫のヒロインは白雪姫みたいな感じで、ヒロインに佐条くんがくるのかも。

ちょっと余談だけど、ディズニープリンセスで、一人だけ人気のないキャラがいるんだけど、それは誰だと思う?

  • シンデレラ
  • 白雪姫
  • アリエル
  • ラプンツェル
  • ジャスミン

ヒントは、この中で一人だけ、違和感がある人になる。

スケザネ&Dain:うーーーーーーん?

タケハル:正解はジャスミン。彼女だけが主役じゃないから。プリンセスのストーリーとして、主役という存在は、「助けられるほう」になる。そう考えると、佐条くんが主役なのが納得できる。

たぶん、この場に女性がいたら、即答で「え?どう見たって佐条くんが主役じゃん」と言うんじゃないかな。

スケザネ:これは、ジェンダーの深いところにかかわってきそうですね。

7. 「耳」を大事にした脚本

スケザネ:会話のリアルさにしびれましたね。すごい印象的なのが、草壁君がライブに誘うところ。「そんな大袈裟なもんじゃないんだけど・・・ヨソのガッコ―のやつなんだけど、中学んときの友ダチなんだけど」と、言う。「だけど、だけど、だけど」と3回続いている。アニメは字幕ありで観たんだけど、文字だと違和感ありつつも、会話だったら絶対言うわこれって。

Dain:いまマンガの原作を見ているけれど、全く一緒ですね。脚本は、そのまま原作を持ってきているね。

スケザネ:ふつう、マンガとか小説だと、「だけど」を何度も続けるのは避けちゃいますよね、気持ち悪いから。だから、これをやれるのは凄い。

タケハル:この感覚は敵わない。ちゃんと聞いた言葉を、ちゃんと表現している。これはすごく耳を大事にしているからできてる

僕がやろうとすると、理性が働いちゃう。会話として耳で聞くとそうだなーと思うけれど、物語を作る中で文字にしようとすると、出てこない。

これをちゃんと言っている神谷浩史もすごい。下手にやると、「だけど」の連続に気づかれちゃう。

タケハル:あと、道具の使い方が上手いなぁ。噴水でNUDAがこぼれて炭酸水が広がるところ。ペットボトルを拾おうとして思わずキスする流れのところ。あの広がっていく白い水、精液を思わせる感じがしたなぁ……

Dain:言われてみると……いま原作のマンガ見返しても、そう見えますね。

タケハル:2008年、あの頃NUDAよく飲んでたんで、知ってます。地面に転がっても透明なものが広がるだけで、あんな色にはならない。

8. 同性愛の葛藤があるべき?

Dain:僕は、僕自身に偏見というか思い込みがあったことに気づかされましたね。「BLの登場人物は、同性愛に思い悩むべきだ」という偏見です。

なんでこんな偏見ができたのか? フォースターの小説の影響かも。BLの元祖ともいうべき小説で、『モーリス』というのがあるのですが、主人公のモーリスが性的嗜好に苦悶するんです。

スケザネ:生前は発表されなかった作品ですね。

Dain:そう、フォースター自身が同性愛者ということもあって、秘密にされていました。100年前のイギリスなので、同性愛は犯罪扱いされていた時代です。

タケハル:オスカーワイルドなんかもそうですね。

Dain:はい、ワイルドもそういう目で見られてました。『モーリス』の中では同性愛のことを、「ワイルドの病気」みたいな言い方をされてました。同性愛を描こうとすると、社会からおかしな存在だと思い悩むもの同士が、共犯者として扱われる。それを読者が「覗く」という構造になっています。

でも、『同級生』は苦悶しない。それはちょっとは悩むことはあるけれど、極端なことは考えない。普通の、自然の恋愛として描かれてます。

タケハル:ラストなんて、普通に公園でキスしてましたよね。

Dain:そーそー、人目を気にしながら。だから、これを新鮮に思う、ということ自体が、僕の同性愛に対する規範化された偏見の裏返しなんだろな、と思ったのです。

スケザネ:何年か後には、もうあたりまえになっているかも。そうあるようにがんばりたいですね。

9. 普通の恋愛を丁寧に描く新しさ

Dain:『同級生』の、ベタな展開が新鮮に見えました。これぞ青春ってのが、「走る」こと。いたたまれなくなって逃げ出したり、それを走って追いかけたり、原作をチェックしたら、5章の全て、草壁くんと佐条くん、必ず走ってます。

あと、相合傘もそうだし、なんでもないすれ違いで喧嘩するとか、進路どうするとか、そいういうありがち展開を、丁寧に、忠実に再現する。

これ観てて、『月がきれい』の既視感を覚えました。

中学生の男の子と女の子が出会い、恋に落ちるプロセスを、丁寧に、忠実に描いたアニメ。いろんなラブストーリーを食い散らかしてきた僕には、めちゃくちゃ深いところまで刺さりました。

スケザネ:普通が新鮮なのは面白いですね。

ただ、物語としてはどうなんでしょう? リアルに寄せたビジュアルで、普通の恋愛をベタベタに描くことで、面白い物語になっているかが気になります。

Dain:誰しも思い当たるような、普通の恋愛のハードルを、一つ一つ越えていく話なんだけど、それを説明してもなぁ……全12話にサブタイトルがついていて、そのサブタイトルが、手がかりになると思います。

第1話のサブタイトルが「春と修羅」、第2話が「一握の砂」、次が「月に吠える」……

スケザネ&タケハル:

Dain:5話なんて「こころ」だし、6話は「走れメロス」と続きます。

スケザネ&タケハル:www

Dain:そうなんです、文芸作品のタイトルが、サブタイトルになっているんです。

スケザネ:そーか、「月がきれい」もそこから来ているんだ!

Dain:そーです。漱石が、“I Love You” を「月がきれいですね」と訳したのは都市伝説と言われていますが、みんなそれを承知の上で、「月がきれい」を “I Love You” だと思っているじゃないですか。それを、ちゃんと、やるんです、男の子が。「月がきれいだね」って言おうとするんです、でも、「つき……」で止まってしまう。

けどそれって、漱石のネタを知っている人にしか伝わらないですよね。男の子は趣味で小説を書いているので、知っているんです。

でも、言われた女の子は知らないんですよ。部活で陸上やってて、走るの大好き少女で。でも男の子のことは気になってて……

で、知らないから、普通に返すんですよ、「つき、きれいだね」ってすごくいい笑顔で。

これを、このすれ違いを、「美しい」と思える人にはめちゃくちゃ刺さるんです。そういうアニメなんです、これは。第1話は Youtube で視聴できます

スケザネ:あ、これ観たい。

タケハル:ビジュアル的に女の子のほうが文学少女っぽく見えるけれど、実はそうでもないんですね。

Dain:普通なのに新しい、と思えるのは、僕自身が物語モンスターだからかも。

この物語は、どうやって僕を感動させてくれるのだろう? どんな過去の因縁があるの? どんな能力があるの? どこから転生してきたの? もっと、もっと頂戴って、物語を食べるモンスターなんです、僕は。そんな物語モンスターからすると、生々しい「普通の」ラブストーリーは、すごく眩しく見えるんです。

【了】


今回の対談も、たいへん勉強になりましたな。BLは質も量も大きすぎて、ほとんど知らない世界だったけれど、『同級生』という素晴らしい作品に出会えたのは、物語の探求読書会のおかげ。

その作品をどのように味わうかで、自分がどんな考えを持っており、どういった感性が反応しているかが炙り出されてくる……この自分自身の暴き立てが面白い。これは、一人で観る/読むには限界があり、対話によって発見していくものなのかも。

さて、次回は、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』をテーマに語り合う予定。本が禁制品となった未来を舞台にした名作SFやね。場所はスケザネさんが検討中なので、そのうち告知されるかも?

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東大教養学部の集中講義『歴史学の思考法』

過去記事の再公開(事情は[こちら]) 初出 2021年3月20日


高校日本史の教科書で、鉄砲伝来の記述として正しいのはどちらか?

  1. 1543(天文12)年、ポルトガル人の乗った船が、九州南部の種子島に漂着した。
  2. 1543(天文12)年、ポルトガル人を乗せた中国人倭寇の船が、九州南部の種子島に漂着した。

答えは、どちらも正しい。Aは、1980年代の記述で、Bは近年のものになる。

だが、イメージが違ってくる。Aだと、ポルトガル人を乗せた西洋の船が漂着した、と想起されるが、Bの場合だと、橋渡し役として倭寇が登場する(※)。

なぜ、記述が変わったのか? 新たな史料が発見されたのか?

新しい史料が発見されたわけではない。南浦文之『鉄砲記』とガルヴァン『新旧発見記』とで、漂着した年に差はあるが、根拠となる史料は変わっていない。

同じ史料に基づいているにもかかわらず、昔の教科書では「中国人倭寇の船に乗って」いなかったのはなぜか?

史料を読み取る側の変化

東大教授陣の『歴史学の思考法』によると、変わったのは、史料を読み取るわれわれの側になる。

潮目は、1990年の前後。

それまでは、歴史学者の間で「国家の枠組みを前提とした歴史」が主流だった。だが、戦後体制の崩壊やグローバル化の世界情勢の中で、「国家の枠組み」の限界が強く意識されるようになったという。

そして、国境をまたぐ「東アジア海域」全体の歴史像をとらえようとする研究視角が生まれ、この視角からの研究が盛んになる。そこでは、倭寇を単なる「荒くれもの」とせず、地域間の交流や商業を担っていたという側面に目が向けられるようになる。

教科書の記述が変わったのは、こうした背景による。

新たな視角による歴史像の再解釈のなかで、今まで注目されていなかった事実(ポルトガル人は中国人倭寇の船に乗ってきた)の重要性がクローズアップされた結果だというのだ。

歴史とは現在と過去との対話

歴史は過去を扱うから、歴史学は「確定したもの」に対する学問だと思っていた。新たな史料が出てこない限り、「確定したもの」は変わらないと考えていた。だが、この考え方は違っていたようだ。

本書p.27にこうある。

歴史学の営みが行われるのは、現在(いま)である。現在を生きる人間が、その時代の価値観や情勢を背景に、ある問題について関心を持ち、そこから過去に対する問いを立てる。その意味では、歴史学は現在がなければ存在しない、現在と不可分の学問なのだ。

そして、現在の情勢はゆるやかに、時に急速に変わってゆく。そうなると、その時点から、「現在」は過去になるため、過去はさらに問い直されることになる。

「ポルトガル人が鉄砲をもたらした」という史実は変わらないが、それをどう評価するかは、現在のわたしたちの価値観によって変わる。変わるたびに過去は問いなおされ、フィードバックされるのだ。E.H.カー「現在と過去との尽きることを知らぬ対話」という言葉は、まさにこれを指しているのだろう。

世界史 ≠ 各国史の総和

自分の盲点に気づいたのが、「各国を合わせると世界になるが、世界史は各国の歴史の総和ではない」という点だ。

たとえば地図帳を開くと、国別に色分けされた世界地図が目に入る。現代の世界は国家を単位として構成されているから、世界とは各国の総和だという考えは自然に思える。

だが、この思考法に基づいて世界史を思い描くことは、問題だという。

では、どのような問題があるか。

もし、「世界史=各国史の総和」だとすると、このように構成できるだろう。

世界史 東洋史 東アジア史 日本史
中国史
朝鮮史……
東南アジア史 ベトナム史
タイ史
フィリピン史……
西洋史 ヨーロッパ史 イギリス史
フランス史
ドイツ史……
アメリカ史 アメリカ合衆国史
カナダ史……

だが、上記のように構成させると、様々な問題が出てくる。

まず、各国の歴史が孤立的、単線的に扱われてしまうという。各国に閉じた中で、互いに影響しあうことなく、個別が展開していくという、ありえない歴史像になるという。

次に、歴史的に見て、「国家」という政治単位は、特定の時期に形成されたものであるにもかかわらず、固定的にとらえてしまうおそれがあるという。そして、固定的な見方から遡及して、過去を切り取ってしまうことになる。

その結果、現在の「国家」によって歴史を分断したり、現在「国家」でないものを切り捨てることになる。たとえばチベットは、固有の言語、文字、信仰をもつ独自のまとまりをなしてきたにもかかわらず、現在国家をもちえないために、抜け落ちてしまう。

さらに、「国家」の内実の重層性をすくいきれなくなるという。ある空間における住民と言語、文化、風俗習慣との組み合わせや重なりは多様なはずで、ピッタリとは重ならない。この重層性・多層性の見え方が抜け落ちてしまう。

たとえば、かつてユーゴスラビアと呼ばれた「国家」は、7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持っていた。それぞれが絡み合い、分断されていた。坂口尚のコミック『石の花』でユーゴスラビアの複雑な状況を知ったが、上記の構成では、どこにも記載できないだろう。

あるいは、アニメ映画『もののけ姫』では、「国家」から分断された人々が登場する。大和に敗れた蝦夷の末裔であるアシタカの民や、城塞都市のごとき自治組織で、製鉄・加工プラントを運営するタタラの人々がそうだ。もちろん『もののけ姫』は物語だが、そのモデルとなった人々は実在した。そうした人たちを無視した歴史を記述しようとすると、「日本」の多層性・重層性は抜け落ちてしまうだろう。

歴史学の思考法

むしろ、これらの問題を逆転させると、歴史学の思考法が見えてくる。

すなわち、各国は互いに影響を及ぼしながら歴史は展開してゆくものであり、現在(いま)目に見える国家で過去を遡及的に切り取ることは危うい。

さらに、空間における人、言語、文化の組み合わせの「ずれ」にこそ、目を向ける必要がある……これが、歴史学の思考法になるのだ。

他にも様々な方法で、歴史学の思考法がどんなものであるか、学ぶことができる。12講座12章のテーマで、特に気になったのがこれ。

  • 気象変動と歴史(歴史は人間が作るといわれるが、気象変動にも多大な影響を受けてきたことを、海水準変動から説明する)
  • 「帝国」の見直し(均質性を求める国民国家より、多様性を認める帝国を再評価する動き)
  • サバルタン(権力構造から疎外された人々)の歴史は語ることができるかを追求する
  • 文学として歴史学のテクストを書くこで、実用的な過去としての歴史学を追求する。歴史の書法(エクリチュール)の可能性

東大駒場の教養学部で行われる連続講義をまとめた一冊。

※『歴史学の思考法』では「倭寇」と表現されているが、「密貿易商」という表現もある。下記参照。

鉄砲を伝えたとされるポルトガル人は、おそらく1542(天文11)年、シャム(タイ)から中国人密貿易商の王直の船に乗って種子島に着いたものとみられる。
山川新日本史 改訂版(2017文部省検定済)p.143

ちなみに、日本で宣教を行ったフランシスコ・ザビエルも、倭寇の船で来日したとのこと。

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「ジャンプ最高のマンガ」がバラバラになる理由『好き嫌い 行動科学最大の謎』

過去記事の再公開(事情は[こちら]) 初出 2021年3月28日


「週刊少年ジャンプで最高のマンガは?」

この答えは、必ずといっていいほど割れる

気持ち的にスラムダンクを推したいが、やはりドラゴンボールだろうか。だが、ワンピこそ最高という人、完結さえすればH×Hだという人、売上的にも鬼滅という人、様々だ。

面白いことに、学生時代の友人だと被るのに、若者と話すと違ってくる。たしかに呪術やヒロアカは凄いけど、それを「ジャンプ最高傑作」と言われると違う気がする。

老害承知で「ドラゴンボールって知ってる?」と尋ねると、「知ってはいますが、読んでません」とにべもない。さらに、「あれ好きな人って、マンガだけでなく、ゲームやアニメで何度も目にしているから好きなんでしょ?」と畳みかけられる。

ううむ、確かに……

ドラゴンボールがジャンプ最高傑作である理由

私のモヤモヤは、『好き嫌い 行動科学最大の謎』で解消される。

何度も目にしたキャラや、あちこちで耳にした音楽が好きになる。これは、単純接触効果という名前がついている。くりかえし触れることで、そのキャラや音楽を学習し、認知が容易になるためだという。

つまり、認知処理が容易であれば心地よく、それが刺激そのものに対する感情に移し替えられるというのだ。なるほど、「オレンジ色の道着」というだけで想起できるぐらい、わたしの認知処理は馴染んでいるのかもしれぬ。

ただし、何度も接触すれば好きになるかというと、そうではない。

これは、テレビのCMやネット広告でよくある。何度も触れているうちに、キライになる場合もある。

なぜか? この疑問にも、本書は答えている。

ポイントは、最初に意識された印象によるという。特に肯定的でも否定的でもなく、単に目新しい、という条件であれば、接触を繰り返すことで好みを高める。

だが、初めの感情がわずかでも否定的だった場合、接触が繰り返されることで、キライが積み重なっていく場合があるという(※1)。

「第一印象が最悪だったけれど、会っていくうち好きになっていく」というラブコメの王道パターンは、ファンタジーなのかもしれないね。

「ジャンプ最高傑作」が割れる理由

そうはいっても、接触効果だけで説明がつくのだろうか?

よく売れていて、馴染みがあるものが、自動的に一番になるのだろうか。ほんとうに、「売れてるものが一番なら、世界で一番おいしいラーメンはカップ麺だ」なのだろうか?

本書では、その秘密にもメスを入れる。

ホルブルックとシンドラーの研究によると、人は、23.5歳のときに聴いた音楽を、最も好む傾向がある(※2)。この時期は、人生で最高感度の臨界期であり、コンラート・ローレンツの「刷り込み」のように、ここで聴いた音楽が長く耳に残るというのである。

これの傾向は、レミニセンスピーク(レミニセンスバンプ/Reminiscence bump)という言葉でも説明される(※3)。

記憶に残るほど衝撃を受ける出来事や変化は、青年期~若年成人期に起こるというのだ。この頃に聴いた音楽は、記憶の中に残りやすいことになる。

Lifespan Retrieval Curve.jpg
Reminiscence bump より引用(Public Domain, Link

過去の「良い」と感じた音楽だけが、記憶の中で残り続ける。だが、現在は、「良い」と感じた音楽も、そうでない音楽も耳に入ってくる。過去だけが、自分の良いと感じたものを再生できるというのだ。

記憶とは、自分の聴きたい曲だけを流すラジオ局のようなものだ。好きな音楽のことを考えて多くの時間をすごしたなら、その音楽を聴けばいまでもすぐに思い出があふれてきて、快感をくすぐられるのは当然なのである。

なるほど、私がスラムダンクやドラゴンボールを最高だと思うのは、それを若いころに読んだからだということになる。フライングで買えるコンビニまで30分自転車こいだ記憶や、深夜のテンションで友だちと回し読みした思い出も込みで、「最高」と感じているのかもしれぬ。

そして、自分が若いころに読んだ/聴いた作品がスペシャルになるが故に、「ジャンプ最高」は割れるのだろう。

他にも、作品が賞を受賞すると、Amazonの★評価が大きく下がる理由や、フィギュアスケートや音楽コンテストで、後の演者の方が得点が高くなる理由など、興味深いトピックが紹介されている。

行動科学の観点から「好き/嫌い」を探ることで、自分の「好き」がいかに不確かでバイアスにまみれているかが明らかにされる。

本書は、骨しゃぶりさんのお薦めで出会うことができた。骨しゃぶりさん、ありがとう!


※1 Richard J Crisp and Bryony Young “When mere exposure leads to less liking”

https://www.researchgate.net/publication/5308635_When_mere_exposure_leads_to_less_liking_The_incremental_threat_effect_in_intergroup_contexts

※2 「モリス・ホルブルックとロバート・シンドラーの研究」とあるが、論文名は原注がないため特定できず(『好き嫌い』p.171)

※3 Howard Schuman and Jacqueline Scott “Generations and Collective Memories” American Sociological Review Vol. 54, No. 3 (Jun., 1989), pp. 359-381 (23 pages)

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コンピュータは創造性を持てるか?『レンブラントの身震い』

過去記事の再公開(事情は[こちら]) 初出 2021年4月4日


「コンピュータは創造性を持てるか?」という問いを目にするたびに、この「俳句」を思い出す。

かかかかかかかかかかかかかかかかか

俳句は五・七・五の定型詩だから、十七音になる。濁音などもあるが、日本語を五十音とすると、俳句の全ては50^17(50の17乗)首になる。

その解は、7.62939453×10^28という途方もない数字である。字余り・足らず・自由律も考えるとさらに膨大になるが、組み合わせはコンピュータの得意技だろう。一つ一つ見てゆくと、膨大なデタラメの中に、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」だってある。冒頭の「俳句」は膨大な中の一首だ。

問題は、「かかかかか」から「法隆寺」を選び取ることにある。そしてそれは、人にしかできない。

もちろん、優れたコードであれば、季語を判断したり、言葉として成立している組み合わせに絞れるかもしれない(実際ある※1)。

だが、そこから、創造的な、良い句を選び取ることは、最終的に人になる。AIが詩を書いたとか、絵を描いたというニュースを目にするたびに、傍らに控えている人に目が行く。

コード自ら創発的なアウトプットを出せるのではなく、人が介在して初めて、創造的に振舞っているように見えるのだ。

人工知能がレンブラントの「新作」を創る

マーカス・デュ・ソートイの『レンブラントの身震い』は、このテーマに真っ向から斬り込む。

もし、AIがレンブラントの作品を学習したならば、レンブラントが描いたであろう次の作品(Next Rembrandt※2)を創ることができるか? その「新作」は見るものを感動させることができるのか?

まず、レンブラントの肖像画346作品をスキャニングし、モデルの性別、年齢、顔の向き、顔のポイントとなる幾何学的分析する。

次に、レンブラントが次に描いたであろう典型的な人物のモデルを設定し、特徴的な光の使い方や目鼻、口を描く際のアプローチを踏襲していく。油絵のため、立体的な絵具の重ね方や凹凸もデータとして取り込み、学習していく。

死後347年の時を経て、AIが描いたレンブラントの「新作」はこれになる。

美術評論家は「味気なく、無神経で、魂のない茶番」と酷評で、レンブラントの作品に向き合ったときに人が感じる、「レンブラントの身震い」は引き出せなかったという。

貧困や老齢といった、レンブラントをレンブラントたらしめ、その芸術をかくあらしめた人間的な出来事を経験すべきだと断じている。だが、そうした経験が彼の作風にどのような影響を及ぼしているか、パラメータやタグとして定義できない限り、コードにすることは不可能だろう。

AIは「創造」ができるか

絵画、音楽、数学、文学、そして囲碁など、さまざまな角度から、この問題に迫ってゆく。

単なる模倣と組み合わせではなく、人が驚き、素晴らしいと感じられるような作品を創りだせるか?数多くの事例から面白そうなものをピックアップしてみた。

分野 名称 創造的なポイント 評価・感想など
絵画

アーロン
AARON

模倣や分解ではないアルゴリズムで抽象画を描く。色や線を選び取る意思決定プロセスに乱数を入れることで、自立的な振る舞いに見せる。 なぜこの配置のほうが別の配置よりも面白いのか、という選択は行われない。出力されたものを取捨選択するのは人。
絵画 ペインティング・フール ギャラリーを訪れた人の肖像画を描くプログラム。当日の新聞記事の単語から「気分」を決め、それに沿ったスタイルで描く。 「創造的」というものは存在せず、創造的なふるまいをするという方針。悲観的な記事が描かれた場合、意気消沈して絵を描かずに来訪者を追い払うことも。
絵画

ネクスト・レンブラント

レンブラントの絵画をスキャンし、タッチや色使い、レイアウトの特徴などをAIに学習させ、レンブラントの「新作」を再現する。 美術評論家の評「味気なく、無神経で、魂のない茶番」。レンブラントの作品に向き合ったときに人が感じる、「レンブラントの身震い」は引き出せなかった。
音楽
ディープバッハ バッハが作曲した352曲の讃美歌のハーモニーを学習し、バッハのスタイルで讃美歌を生成する。テストとして、実際にバッハの曲か、ディープバッハが作ったものか、判別してもらう。 被験者の半数が、ディープバッハの作品を、バッハの真作だと判断した。ただし著者は、「これじゃない」と異を唱える。
音楽

コンティニュエイター

ジャズ演奏者のリフを学習させ、ある音を加えたときの次の音の確率をマルコフ連鎖を用いて計算し、演奏を続けていく(コンティニューしていく:continuator) ジャズ・ミュージシャン「私が自分で演奏したはずのアイデア、といってもそれを思いつくのに何年もかかったはずのアイデアを見せてくれる。私の何年も先を行っていて、それでいて、これが演奏するすべてが紛れもなく私のものなんだ
音楽 Jukedeck(現在はサービス終了) キーワードや選択肢からAIが音楽を自動生成

「まぁまぁ」「ひどくはない、まぁ聞ける」「安価・大量にあるのがよい」など。著者は、「モーツァルトのサイコロ遊びのようなもの」。

数学 ミザール数学図書館 数学の証明を検証するプログラム。数学の証明の図書館を作成することを目的とする。人間が一切関わらなくて済んだ証明が全体の56%を占めている。ディープマインドは図書館のデータを用いて機械学習に訓練させ、新たな定理証明アルゴリズムを作成 人間が関わらなくて済む証明の割合を、56%から59%に拡張した(コンピュータだけで辿り着ける証明が3%増えた)。著者曰く、「だから何なのか。その3%に、息をのむような証明が含まれているのか。数学をするうえでのポイントを外している
文学 イライザELIZA 人と会話するセラピストプログラム。相手のキーワードを判断し、それに応じた反応を示すオウム返し 広がりに欠けていて柔軟性が乏しく、それまでの会話を覚えていない可能性もある。
文学

サイバネティックポエット

シェリーやT・S・エリオットの完成された詩人の作品から、言葉の一部を入れ替え、換骨奪胎することで新しい詩を生成する。 チューリングテストで、人間の判定者たちをほぼだましおおせた。著者曰く、出力結果の解釈をヒトに任せたから、多少謎めいていても、人が書いた作品として通用した。
文学

ボットニック

ハリポタ全巻学習させて、使われている単語や言い回し、筋書きを入れ替えることで、新しいハリーポッターを創造する。

著者曰く、プロットに欠け、3ページ以上ドラマを展開できるとは思えない。

文学

シェヘラザードIF

ジョージア工科大学によって開発された、既存の物語から学習して、読み手とインタラクティブに対応しながら新たな物語を作成するプログラム。

初期プロットから選択肢が示され、選ばれた選択肢からさらに別のストーリーが生成される。いわゆるアドベンチャーブックの自動生成版。優れた物語を見つけるのは至難の業

囲碁

AlphaGo

Google DeepMindによって開発されたコンピュータ囲碁プログラム。プロ棋士を打ち破ったことは世界に衝撃をもたらした。

囲碁韓国チャンピオンのイ・セドルとの第2局目の黒37手は、それまでの囲碁の慣例を覆した「創造的」な一手とする。AlphaGoにより、全く新しい戦略が研究されるようになった。

面白いことに、「AIは創造性を持てるか?」という切り口で眺めると、「創造性とは何か?」と問われているように感じられる。

創造性とは何であるかが定義できるのであれば、そいつを引数にコードにしたり、タグづけして学習させるデータセットを用意できる。だが、事実、そうでないからこそ、この問いに立ち返ってくるのだ。

「創造性がある」と言わしめるためには、人をあっと驚かせ、既存とは違う印象を与えるだけでなく、それを「良い」「素晴らしい」と感じさせる必要がある。そこには、必ず人のフィードバックを必要とする。なぜなら、「良い」は予め定義できないから。

フィードバックが早いほど創造的になれる

音楽のAI「コンティニュエイター」が良い証拠だ。

ピアノやギターであるリフを弾くと、そのその演奏を学び、次のフレーズを返すAIだ。ただ返すだけでなく、新たな領域を探りながら即興で創りあげ、演奏を続けていく(continuator)。

例えば、子どもがデタラメに鍵盤を叩けば、AIもデタラメに(でもちょっと違った風に)返してくる。プロのギタリストが即興で速弾きすると、負けじと素早いフレーズで追いかけてくる。

AIのインタラクトにはマルコフ連鎖が用いられていると解説されるが、聞いているほうにとってみれば、「もう一人のプレイヤーが応えて弾いている」ように見える。

コンテンポラリー・ジャズを専門とするベルナール・リュパは、コンティニュエイターを試した後、大いに感銘を受け、作曲スタイルを変えたという。

私が自分で演奏したはずのアイデア、といってもそれを思いつくのに何年もかかったはずのアイデアを見せてくれる。私の何年も先を行っていて、それでいて、これが演奏するすべてが紛れもなく私のものなんだ。

AIは「自分が弾いたかもしれないリフ」を提案し、それに沿って行くか、それとも異なる方向に変えていくかを、人がフィードバックする。文字通りの「セッション」を重ねていくことで、プレイヤーにとっての「良い」を学習していくことができる。

本書を通して読む限り、AIが創造的に見えるとしても、「選ぶ」という行為は人に残り続ける。なぜなら、何をもって「良い」とするかは、時代や文化により違ってくるから。


※1 「AI一茶くん」というプロジェクトで、既存の俳句と適切な風景画像の組み合わせを学習させ、任意の風景画に対して新たな俳句を出力させる。

https://www.s-ail.org/works/aihaiku/

※2 「ネクスト・レンブラント」というプロジェクトで、ディープラーニングでレンブラントの作品の特徴を分析し、3Dプリンターを使って“レンブラントらしさ”を再現する。

https://www.nextrembrandt.com/

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無料で米国の有識者にリサーチしてもらう方法

過去記事の再公開(事情は[こちら]) 初出 2021年10月9日


知りたいことの「検索」には限界がある。

問いが漠然としていたり、不案内な分野だったりすると、そもそもキーワードを何にするか分からない。膨大な結果をどうやって絞り込めば良いか分からない。

日本語圏の場合

そういう時は、品川図書館のレファレンスサービスを利用している。メールで問い合わせすると、2週間くらいで返事がくる(大量の参考文献つきで)。無料だし、品川に住んでなくても大丈夫。ちなみに私は、こんな質問をしたぞ。

  • 「最近の若者は……」という愚痴は、いつから?
  • 沢山の翻訳書があるが、高校の現代国語には無いの?
  • 女子大は男性差別であり、男女平等に反する?

得られた回答を元に記事にしたのがこれ。

英語圏の場合

では、知りたいことが英語圏なら?

Google検索の設定画面で、言語を英語にしたり、検索の際のパラメータに「?gl=us&hl=en」を追加することで、英語圏に限定して検索できる。

だが、英語圏の場合だと、より大変だ。適切なキーワードが分からないし、結果も膨大になるだろう。そもそも得られた情報が確かかどうかも分からない。

そういう時は、ニューヨーク公共図書館(NYPL)のレファレンスサービスをお薦めする。メールで問い合わせすると、2週間くらいで返事がくる。英作文が苦手? DeepLに突っ込めばいい。無料だし、ニューヨークに住んでなくても大丈夫

Ask NYPL: Email

https://www.nypl.org/get-help/contact-us/email

あるいは、英語に自信があるなら、チャットや電話でも受け付けている。いまアマプラでやってる映画「ニューヨーク公共図書館」の最初のあたりで、電話での応対がある。

「ニューヨーク公共図書館」youtube予告編

https://youtu.be/CpnBQrD_U68

「ニューヨーク公共図書館」Amazon

https://amzn.to/3ABKjod

米国に「読書猿」っているの?

ちなみに私は、「米国に読書猿っているの?」という質問をした。

NYPLの中の人(Nickさん)は、読書猿さんを「“Autodidact” 、つまり ”自分で自分を教育する人だね” 」と仮置きして、こんな紹介をしてくれた。

Susan Bauer

https://susanwisebauer.com

編集者、大学教員、著述家。著書は教育から歴史と幅広い

著書 ”the Well-Trained Mind: A Complete Course for Young Writers, Aspiring Rhetoricians, and Anyone Else Who Needs to Understand How English Works”(未邦訳)

Tansel Ali

https://tanselali.com

記憶術のエキスパート、オーストラリア暗記選手権のチャンピオン

著書 “How to learn almost anything in 48 hours : shortcuts and brain hacks for learning new skills fast” (未邦訳)

あと、独学に役立つとして、2冊紹介してもらった。

“The independent scholar’s handbook” Ronald Gross,Addison-Wesley Pub., 1982.

“The Paideia proposal : an educational manifesto” Mortimer Jerome Adler, Macmillan, 1982

今になって気づいたんだけど、この Mortimer Jerome Adler って読書論の古典とも言える『本を読む本』を書いた人じゃねーか!

パレスチナ問題は英米の教科書でどう扱われている?

ただし、質問によっては直接の回答を避けるものもある。

政治的な話や、医療、宗教、金銭がからみそうなものだ。この場合、直接回答ではなく、「ここを参照すると、あなたの知りたいことがあるかも」という導線を示してくれる(むしろ、この方がライブラリアンに近い姿勢だ)。

私が質問したのがこれ。

  • イスラエルとパレスチナの争いの原因の一つに、イギリスの三枚舌外交がある
  • イギリスの責任について、世界史の教科書で、どう説明されているか
  • 日本の高校の教科書では、「マクマホン=フセイン書簡」や「バルフォア宣言」といったキーワードで説明されている
  • この問題について、英国や米国の教科書では、どのように説明されているのか?

NYPLは、直接的なことは回答せず、データベースの入口やリサーチガイドに留まっている。要するに「自分で調べろ」だね。

これ、妥当な回答だと思う。ある特定の資料や人物を紹介すると、その資料や人物の主張を支持していると思われかねないから。

それでも、「パレスチナ問題を扱う教科書への批判調査」というレポートを紹介してもらえた。これは大きい。

A Critical Survey of Textbooks on the Arab-Israeli and Israeli-Palestinian Conflict

The MDC for Middle Eastern and African Studies,2017

https://din-online.info/pdf/mdc1.pdf

このレポートは、米国の高校生・大学生が読む歴史の教科書・指定図書を俎上に、事実関係やバイアス、透明性をレビューしたものだ。「著者が自分の偏見を自覚しているか?」や「イスラエルとパレスチナの両方のバランスが取れているか?」といった観点で批判されている。

オックスフォード大学出版の "A Very Short Introduction" (日本だと「一冊でわかる」シリーズ)がめった斬りにされているのが興味深い。

人に頼ろう

私が一人で「検索」してただけでは辿り着けなかった。「Googleさえあれば何でも分かる」という狭い場所にいる限り、絶対に見えない世界やね。使わないともったいない。

よいリファレンスで、よい人生を。

以下、私の質問文と、NYPLの回答を貼っておく。誰かの参考になれば幸いかと。

Q.「読書猿」って米国いる?

Hello!

I am looking for blogs of people who are studying alone and do not belong to a university. I am looking for someone who can teach me how to learn about what I want to know.

For example, when you search on the Internet, you get many answers, but what do you do when you can not find the words to search in the first place?

What kind of books should a university first grader read in order to learn culture and education?

How do I write a script based on a story idea?

Before I ask someone for each of these questions, I am looking for someone to find out what to do if I want to find out for myself.

In Japan, there is a blogger called "Reading Monkey". In the English-speaking world, I want to know what kind of people there are. Add a reading monkey blog to the URL (in Japanese).

https://readingmonkey.blog.fc2.com/

A.自分で自分を教育する人だね!

Thank you for your interesting question!

“Autodidact” is defined as, “a self-taught person” (https://www.merriam-webster.com/dictionary/autodidact).

While not an authoritative source on the topic, you might find this Wikipedia entry on “autodidacticism” to be interesting and inspired (and it’s well sourced):

https://en.wikipedia.org/wiki/Autodidacticism

In NYPL’s catalog (https://catalog.nypl.org) you can find a number of books that should help you with your efforts to teach yourself, including:

https://catalog.nypl.org/record=b21055447~S1

Author Ali, Tansel, author.

Title How to learn almost anything in 48 hours : shortcuts and brain hacks for learning new skills fast.

Publisher Richmond, Victoria Hardie Grant Books, 2015.

https://catalog.nypl.org/record=b15799947~S1

Author Bauer, Susan Wise.

Title The well-educated mind : a guide to the classical education you never had / Susan Wise Bauer.

Imprint New York ; London : W.W. Norton & Co., c2003.

https://catalog.nypl.org/record=b10998139~S1

Author Gross, Ronald.

Title The independent scholar’s handbook / Ronald Gross.

Imprint Reading, Mass. : Addison-Wesley Pub., 1982.

https://catalog.nypl.org/record=b10794353~S1

Author Adler, Mortimer Jerome, 1902-2001.

Title The Paideia proposal : an educational manifesto.

Imprint New York : Macmillan, 1982.

CALL # 808.2 S

AUTHOR Straczynski, J. Michael, 1954-

TITLE The complete book of scriptwriting / J. Michael Straczynski.

PUBLISHER Cincinnati, Ohio : Writer’s Digest Books, 2002, c1996.

CALL # 808.22 W

AUTHOR Willis, Edgar E.

TITLE Writing scripts for television, radio, and film / Edgar E. Willis, Camille D’Arienzo.

PUBLISHER Fort Worth, Tex. : Harcourt, Brace, Jovanovich, c1993.

Online, Library Thing offers a bibliography on the topic of “autodidactism”:

https://www.librarything.com/tag/autodidactism

We hope this helps!

Q.パレスチナ問題は、英米の教科書でどう説明されてる?

Hello.

I like to look for the causes of modern problems in world history.

I would like to know about the UK's responsibility in the Palestinian issue.

It is said that the British government is one of the causes of the conflict

between Israel and Palestine.

However, the British government is not present at the talks for a solution,

and instead, the United States seems to be mediating between Israel and

Palestine.

Israeli–Palestinian conflict

https://en.wikipedia.org/wiki/Israeli%E2%80%93Palestinian_conflict

So, I have two questions.

First.

What does the UK think about this issue? Is it going to remain silent and try

to avoid its responsibility?

Or is it making excuses or dodging responsibility?

Secondly.

Japanese high school students are learning about this issue in their world

history textbooks using the following key words.

McMahon-Hussein Correspondence

https://en.wikipedia.org/wiki/McMahon%E2%80%93Hussein_Correspondence

Balfour Declaration

https://en.wikipedia.org/wiki/Balfour_Declaration

It is said that the British lied to both Arabs and Jews and used them to

their advantage. What do high school students in the UK and the US learn

about this issue in their history textbooks?

A.入口はここ、自分で調べてね

Thanks for your interesting questions.

While we're not able to research on your behalf, you can find resources on the topic via our online catalog:

https://legacycatalog.nypl.org

One location to visit for your research is the General Research Division:

https://www.nypl.org/locations/divisions/general-research-division

The Stephen A. Schwarzman Building, Room 315

476 Fifth Avenue [at 42nd Street]

New York, NY 10018-2788

generalresearch@nypl.org

Information about the collection and access policies, and links to research guides can be found here:

https://www.nypl.org/about/divisions/general-research-division/access

The New York Public Library (NYPL) subscribes to a large number of databases that can be accessed at our various library locations (http://www.nypl.org/locations). Using these you may search for newspaper, magazine, journal articles:

http://www.nypl.org/databases

An overview of NYPL's databases (including instructions) can be found here:

https://libguides.nypl.org/eresources

With a 14-digit NYPL library card number (not a temporary card number), and four-digit PIN you can access many of these databases (noted by the house symbol) remotely from school, home or office, unless there is a firewall blocking access:

http://www.nypl.org/collections/articles-databases/alpha%3D%26subject%3D0%26location%3D0%26audience%3D0%26language%3D0%26keyword%3D%26limit%3D1

Online, one source that offers a description of textbook coverage is this study titled, "A Critical Survey of Textbooks on the

Arab-Israeli and Israeli-Palestinian Conflict":

https://din-online.info/pdf/mdc1.pdf

We hope this helps and wish you all the best with your research.



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原文で読むからこそ味わえるヘミングウェイの文章の味『ヘミングウェイで学ぶ英文法』

過去記事の再公開(事情は[こちら]) 初出 2021年4月18日


正直に告白すると、ヘミングウェイは苦手だった。

簡潔で、説明不足で、ぶっきらぼうな文体だったから。

しかし、この本を読んで、考えが変わった。

例えば、”Cat in the rain” における、雨宿りをしている子猫を見かけた妻が、夫に告げるシーンだ。

I’m going down and get that kitty,” the American wife said.

I’ll do it,” her husband offered from the bed.

“No, I’ll get it. The poor kitty out trying to keep dry under a table.”

本書の解説で、「現在進行形(I’m going)と will の違いが分かりますか」と問いかけられる。

え? be going ~って、結局、『~するつもり』だから、will と一緒でしょ……と思うのだが、実は違う。この、妻の be going と、夫の will の違いこそが重要なのだ。

どちらも未来にすることを指すが、現在進行形は、「もうその行為や状態に向かいつつある」という意味になるという。つまり、妻の気持ち的には、「猫を捕まえにいく」という行為は既に始まっているのだ。

対して夫の “I’ll do it,” は、話し手の意志を示す。「僕がするつもり」なのだが、ベッドの中から(from the bed)答えている。「するつもり」と言ってるだけの可能性が高く、とても信頼できない。

だから妻は、“No, I’ll get it.” と、夫の提案を拒絶し、「どうせやらないから私がやる」とハッキリ告げているというのだ。

ヘミングウェイは形容詞を使わない

わずか3行で、夫婦のすれ違いが浮き彫りにされている。

ここに限らず、あちこちで会話がかみ合っていない。別に罵り合っているわけではないが、何かがズレている。読み進むうち、「この2人、何かわだかまりを抱えているのではないか……?」と不穏に思えてくる。

しかし、ヘミングウェイは「険悪な空気」とか「妻は怒った」と書かない。猫を欲しがる妻と、ベッドで読書をする夫の会話が続くだけ。さらっと読むと、なんてことなく、2人が何を考えているのか、分からなくなる。形容詞や感情を示す言葉がないのだ、ヘミングウェイには。

『ヘミングウェイで学ぶ英文法』では、英語学の専門家とつきっきりで、原文を読み込む。要所に下線を引き、「なぜその文型なのか」「どうしてその冠詞なのか」と問いかけてくる。

作品を英語で味わうのが目的だから、最初に全訳を読んで、ストーリーを把握できる。その上で、原文→解説の順になっているのが嬉しい(いきなり原文だとハードルが高いからね)。

そして解説に導かれ、原文を生(き)のままで読み直すうち、登場人物の感情が浮かび上がってくる。

そこには、目に見える会話や行動とは別に、水面下で別の感情が渦まいており、それらが時に暴発し、物語にさざ波をもたらす。わたしは、水面だけを眺めて、「たいしたことが起こらない」とか、「何を考えているか分からない」で片づけていたのだ。

何気ない一言や、ほんとうに些細な行動を、わざわざ書き記しているといことに、意味があるんだ。見えている部分から、見えていない物語を推察し、両義的な世界を感じる―――これが、ヘミングウェイがやりたかったことなのかもしれない。

文章は形容詞から腐る

「文章は形容詞から腐る」と言ったのは開高健か。

描写対象をデコレートし、書き手が伝えたい「情報」を与え、意味づけを行う―――それが形容詞だ。生き物に喩えるなら、まず眼や内臓や花弁、つまり最も美味な箇所から腐ってゆくように、小説も飾った場所から衰え、腐り、崩れてゆく。

そして、完全に腐り落ちたあと、残るのは骨だ。ヘミングウェイが時代を経て評価されているのは、そうした骨のある文章だからといえるだろう。

形容詞を排し、動作と会話だけで構成された小説は、極めて少ない。

わたしの知る限り、ヘミングウェイの衣鉢を継ぐのは、コーマック・マッカーシーや、ジョン・ウィリアムズだろう。かくも美しくも残酷な物語を、「美しい」も「残酷」も使わずに表現してくれる。「悲しい」と書かずに悲しさを伝えてくれる作家だ(『ストーナー』はいいぞ)。

おそらく、マッカーシーもウィリアムズも、生(き)で読むと、もっと面白いに違いない(”Augustus” あたり読めるだろうか?)。読めるようになりたい……

本書は、読書猿さんのお薦めで出会った。ありがとう、読書猿さん。

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「30秒で描いた絵に100万ドルは高すぎる」と非難されたピカソは何と答えたか?

過去記事の再公開(事情は[こちら]) 初出 2021年4月25日


「ピカソの30秒」という小話がある。

ピカソが市場を歩いていると、ある婦人が呼び止めた。彼女はピカソの大ファンで、絵を描いて欲しいという。

快諾したピカソは、さらさらと絵を描き上げた。婦人は喜び、いくらなら絵を譲ってもらえるか尋ねた。ピカソはこう言った。

「このスケッチは100万ドルです」

婦人は驚き、高すぎると言った。たった30秒で描いた絵が、どうして100万ドルもするのか尋ねた。するとピカソはこう答えた。

「いいえ、30秒ではありません。私は、これまでに30年もの研鑽を積んできました。だから、この絵を描くのにかかった時間は、30年と30秒なのです」

「30年」が「40年」だったり、「100万ドル」が「5,000フラン」だったり、様々なバージョンがあるが、出所が見当たらない。都市伝説みたいなものだと思っていたが、出典を見つけた。

ただしピカソではない。

ピカソの30秒の元ネタ

該当の絵はこれだ。ホイッスラーの「ノクターン」(1877年)になる。

James McNeill Whistler - Nocturne en bleu et or.jpg

Wikipedia:James McNeill Whistler より

ホイッスラーはこの絵に200ギニー(およそ1,000万円)という値段をつけた。

ところが、批評家のジョン・ラスキンは「この絵に200ギニーを要求するとは、実にあきれた話だ」と盛大にこき下ろした。ホイッスラーは名誉毀損で訴え、裁判となった。

法廷の反対尋問にて、「たった2日間だけの仕事」に対して、どうしてあんな途方もない額を要求しているのか、と追求された。ホイッスラーはこう答えた。

「とんでもない。生涯をかけた研究成果に対して200ギニーを要求しているのです」

このエピソードの出所は、E.H.ゴンブリッチ『美術の物語』(PHAIDON出版、ポケット版) p.406 になる。

(画像は河出書房新社版)

ドラゴンクエスト「序曲」の作曲にかかった時間

同様のことを、すぎやまこういち氏が述べている。ドラゴンクエストの「序曲」のメロディを作ったときのことを、こう語る(※1)。

「序曲」のメロディに関しては出来上がるまでに5分かからなかったかな。

30年前の曲で、今再び人気の「亜麻色の髪の乙女」のメロディは車で運転中に急に浮かんだメロディなのです。それでよく著作権に関して「たった5分で出来た曲にしては、ずいぶん稼げていいね。」と言われるのですが、これは5分ではないのです。

ドラゴンクエストの「序曲」を作ったとき、僕は54歳の時です。ですから、「序曲」が出来上がるまでには「5分+54年」と考えてください。つまり、僕の54年間の人生が無ければ、あの「序曲」は出来なかったわけです。

クリエイター界隈で、「降りてくる」と表現される現象がある。作品のコアになるアイデアを思いつき、形を成す瞬間のことを指す。「序曲」が降りてくるのは、5分だったのかもしれない。

だが、そのメロディが降りてくる状態になるためにかかった時間は、54年になるのだ。

5万ドルのチョーク代

これらは、絵や音楽に限らず、何かを創造する人には必ずついて回る話だろう。

プロフェッショナルが楽々とこなす仕事は、そこに至るまでの勉強と経験の積み重ねの上に成り立っているのであり、目に見えているその場限りのものではない。この、「退職したエンジニア」のエピソードが象徴的だ。

ある優秀なエンジニアがいた。給料で折り合いがつかず、会社を辞めてフリーランスになった。

数年後、もといた会社から依頼がきた。数億ドルする機械が動かなくなったという。いろいろと手を尽くしたものの修復できず、彼に頼ってきたのだ。

彼は丸1日かけて機械を調べあげた後、ある部品にチョークで✕印を付け、そこを交換せよと指示した。その部品を交換すると、機械は正常に動作するようになった。

後日、彼は5万ドルを請求した。

会社は高すぎるとクレームをつけ、たかがチョークに5万ドルはおかしいと、料金明細を要求した。

彼が提示した明細は、次の通り。

チョーク代 1ドル
どこに✕印するか知っていること 49,999ドル

料金は全額支払われたという(※2)。


※1 やさしい著作権のお話:すぎやまこういちを囲む会にて

※2 コンピュータージョーク:エンジニアを理解しよう

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