文学は本当に「割に合う」のか?教養と給与のあやしい相関を考える『文学は割に合う!』
むかし検索いまAI、教養主義なんて流行らない。知識と教養と名刺が武器になったのは大昔のこと。文学なんて役に立たない最たるもの―――そんな世相にドロップキックをかますのが本書だ。
普通このテの本だと、教養主義の没落を嘆き、本を読まなくなった若者を批判するのだが、さすがフランスの文学部教授、どこまで本気でどこから皮肉か分からない。高慢すれすれにも読める自虐ギャグと、エスプリの効いた書きっぷりが楽しめる。
「文学」不要論と「統計学」不要論
例えば、文学不要論に対し、統計学不要論を持ち出してくる。
30年ほど前、大学改革の一環で、コロンビア大学において統計学科の廃止が検討されていたという。
統計学科を廃止するなんて、もってのほかだ。統計学は、様々な学問領域―――経済学、社会学、心理学、生物学、物理学、工学など、どの分野でも必須だから。
そして、必須だからこそ、それぞれの学問領域で自前の統計学者を育成している。経済学には計量経済学の専門家が育成される。物理学には統計力学の、工学部には数理統計学の、経営学にはオペレーションズ・リサーチの専門家が育成される。
その結果、統計学科には、純粋な統計理論や確率論の研究者ばかりが残ることになり、現実問題よりも、統計学そのものの理論研究に特化した集団が出来上がる。そんなガラパゴス化した統計学科は、基礎研究だけに絞って数学科に統合したという。
この議論は、学問における文学にも似ているという。
文学が長年蓄積してきた人間理解や思考実験、コミュニケーションの技法、ストーリーテリングといった知見は、他のあらゆる学問領域で用いられる。なぜならあらゆる学問領域は、言葉を用いるからだ。言葉を用いる限り、文学研究の成果から逃れることができない。
人間の知的活動のほとんどにおいて、語る力や創作する力が不可欠だということを大学は理解しています。つまり、語る力や創作する力は、職業的であろうと趣味的であろうと、あらゆる分野でパフォーマンスを向上させることに同意しているのです。
そして、こうした語る力・創作する力を体現する文学リテラシーを、古フランス語の「レトリュール(lettrure)」と呼び、そこから育まれる言語感覚こそ重要だと説く。
なるほどーと思う一方で、それ文学部でやる必要ある?というツッコミが待っている。それぞれの学問領域で、リーディング/ライティングのスキルは育成されることになるから。著者が礼賛するプルーストやスタンダールである必然性は無かろう。
統計学科と同様に、よりエッセンシャルな理論研究に絞られ、どこかに統合される運命が待っている。
文学を取り入れた医療
本書で謳われている「文学」は、かなり幅広い。いわゆる小説・詩・戯曲だけではなく、物語論、メタファーを通じて、哲学、美術、映画、画面上の芸術的なコンテンツまで広げていく。
その顕著な例としては、医療分野におけるナラティブ・メディスン(物語に基づく医療)だ(『ナラティブ・メディスン』の書評)。
「病気」という現象だけで捉えるのではなく、患者の身に起きたことを、目的と筋書きを備えたストーリーとしてみなす。対話を通じて患者の物語を紡ぎ出し、全人的な診療を行うため、物語的な視点を取り入れる。
例えば、ステージIVの乳がんの患者に対し、医者は「病気がどのようにして(how)起きたのか」については答えられるが、「なぜ(why)病気になったのか」に答えられる人はいない。
過去の罪に対する罰と考えるか、不幸な偶然と見なすかによって、病の体験は全く違ったものになる。彼女は、病も含めて自分の人生を生き続けなければならない。そのために、人生におけるこの病の意味を見出さなければならない。
このとき、彼女に寄り添い、彼女自身の言葉を聞き、病を解釈するために、物語が必要になる。出来事を順序だてて、起きたことを隠喩や修辞で意味づける。文学の手法を取り入れた、れっきとした臨床医療だ。
文学はどこにでもある
あるいは、他の分野で生まれてくる概念は、文学的・詩的なものがほとんどだという。学術領域における概念や理論が社会に浸透するとき、文学的な表現を必要としているからだと説く。
本書では、経済学ではブラックスワン、フリーライダー、社会学では割れ窓の寓話、予言の自己成就、セレンディピティ、数学ではフラクタル、物理学ではシュレディンガーの猫、ブラックホールなどが挙げられている。
例えば、経済学における「ブラックスワン」は、マーケットにおける事象で、予測不能で発生確率は極めて低いものの、起きた場合の影響が甚大なものを指す。だが、わたしたちが思い浮かべるのは、「黒い白鳥」という矛盾したイメージから、「ほとんどめったにない」という意味合いだろう。
あるいは、物理学でいう「ブラックホール」は、大質量の星が重力崩壊した後に生じる、重力が極端に強く、光さえ脱出できない時空領域になる。だが、この言葉からわたしたちは、「何もかも飲みこむ暗黒の穴」を思い浮かべる。そしてそのイメージから「財政のブラックホール」といった新しいメタファーを思いつく。
専門分野で発見された概念は、社会に広まるとき、数式ではなく物語やメタファーになる。学問は概念を生み出すが、わたしたちはそれを比喩として理解する。そしてその比喩を扱う技術こそが、文学の領域になるというのだ。
文学は「割に合う」のか?
教養や芸術まで領域展開しているが、「文学」は割に合うのだろうか?
割に合う!とタイトル通り宣言する。
まず著者自身がそうだという。理系のエリート大学を卒業した後に文転し、パリ・ソルボンヌ大学教授を経て、プルースト研究の第一人者となり、アカデミー・フランセーズの会員に選出されたという実績を示す。
さらに、司法官や行政官などで、素早く昇進し、高給取りになっているのは、高い教養のおかげだと言う。文学は、職業訓練校のように、すぐには役に立たないかもしれない。だが、長期的に見るならば、割に合う投資だというのだ。
本当?
「教養と給与」って、韻は似ているけど因果というより相関の気がする。
教養がある「から」高い役職に就いているというより、そういうポストに近づくと教養を身に着けようとするように見える。ケンカしないから金持ちになるのではなく、金持ちだから争いごとのリスクを下げようとする感覚。
もう少し具体化して、「読書と収入」で語るならエビデンス付きで語れる。
詳しくは『読書効果の科学』の書評にまとめたが、読書すると高収入になる因果は無く、ある程度の収入が得られるようになると、読書するようになる。これは、本を買って読むという金銭的・時間的なゆとりが生まれるからだと思われる。
もちろん、乏しい小遣いをやりくりしている私のような少数派もいる。著者に言わせると、私の教養が足りないか、プルーストが足りないのかもしれないがねw
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コメント
自分メモ。
フランスの取り組みから見える「本の価値」
・書籍に軽減税率(付加価値税(VAT)は通常20%だが、書籍では5.5%)
・本の無料配送を禁止(反アマゾン法/ダルコス法。2014年成立)
・書籍の経済支援策とし2024年で5070万ユーロ(93億7950万円)計上
・独立系書店の認証制度
・カルチャーパス(若者の文化活動を支援する制度)
・ブックスタート(0歳児に絵本をプレゼント)
https://x.com/shueisha_imidas/status/2062791176512753794
投稿: Dain | 2026.06.07 13:33