「面白い!」と感じるとき脳で何が起きているのか『ストーリーテリングの科学』
「人はなぜ物語を求めるのか」という問いは、しばしば「なぜ映画や小説やマンガが求められるのか」と言い換えられる。
そして、その答えもだいたい決まっている。「都合よくいかない現実の辛さをまぎらわすため」とか「予定調和の世界に癒されるため」なんて語られる。
だが、この本はその前提ごとひっくり返す。
物語は娯楽でもないし、逃避でもない。
むしろ逆で、「物語が無ければ、人は現実を理解することすらできない」と言い切る。さらには、「人を人たらしめているのは物語だ」とまで踏み込む。
大胆だけど、荒唐無稽なものではない。というのも、本書は、映画や小説のワンシーンを膨大に引きながら、脳科学の研究成果と接続し、この主張に理論的な足場を与えていく。
変化を検知するための認知システム
まず、人の認知そのものが、限定されたものだという。
例えば、眼によって認識できるものは、光のスペクトルの10兆分の1にも満たない。現実世界に色は無いが、人が見ている「色」は眼球内の錐体のブレンド結果だという。
「痛み」や「音」など、人が現実だと思っているものは、生き延びるために仕込まれた知覚の範囲の電気パルスに過ぎないという。
確かに、私が見ている海の色は、他の人にどう見えているか分からない。
熟した果実を見分けるため「色」を判別できるようになったと言われているが、人よりも錐体の多い鳥やシャコには、もっと”カラフル”に見えているかもしれぬ。錯覚やバイアスの実験結果を見せられると、人の認知はあてにならないことが分かる。
限定された現実の中で、知覚は変化の検知に敏感だという。
人の知覚システムは、基本的に検知すべき「変化」が無い限り機能しない。しかし、ひとたび変化を検知すると、その事象はすぐさま神経活動の急増として認識されるというのだ。草原のパターンから捕食者よりも先に認知してきた結果だとすれば、分かりやすい。
物語=感情の変化
そして、物語とは、変化の検知を体現したものだと言える。
その例として、大規模テキスト分析による研究では、物語とは感情の上下パターンだとする研究がある(※1)。
プロジェクト・グーテンベルクで公開されている1,700作品を元にした研究だ。物語は「出来事」ではなく「感情の変化」として捉え、時間軸に沿った感情の上昇・下降としてパターン化すると、6つの型に収束すると述べている。
この「感情」は、単語ごとに付与された幸福度(happiness score)を文章単位に平均化することで、物語の感情の流れを数値化している。例えば、happy や love だとポジティブ、pain とか death だとネガティブとして判別し、読み手が受け取る「テキストの感情の雰囲気」をスコア化するのだ。
The emotional arcs of stories are dominated by six basic shapes ,Figure4より
つまり、「何が起きたか」ではなく「読み手がどういうトーンの感情を受けているか」を見えるようにすると、成功譚、悲劇、逆転劇、成長譚など、6つのパターンに収束する。
もちろん、「何も起きない物語」もある。カフカの『城』やベケットの『ゴドーを待ちながら』など、出来事はあるが、意味を蓄積させないような作品だ(ただし、そういうものは「不条理劇」としてレッテルが貼られる)。めちゃくちゃ身に詰まされるが、【物語としては】異端扱いなのだろう。
「変化」を仕込む
では、人の認知システムに対し、物語はどのように「変化」を与えるのか?
簡単なやつだと、どん底の主人公が立身出世したり、幸福の絶頂のキャラクターが堕落するプロットにすればいい。
だが、優れた物語は、こうしたストーリーラインに加え、もっと巧妙に仕込む。本書では、様々な例が紹介されている。例えば、『ハリー・ポッターと賢者の石』の冒頭だ。
プリベット通り四番地の住人ダーズリー夫妻は、「おかげさまで、私どもはどこからみてもまともな人間です」と言うのが自慢だった。
(J・K・ローリング『ハリー・ポッターと賢者の石』)
青文字にしたのは私。読み慣れた人なら、ここで引っ掛かるかもしれない。「どこから見てもまとも」じゃなくなる展開が飛びこんでくることを予感する(実際そうなるのだが)。
ジェイン・オースティンも上手にこの仕込みを行っている。
エマ・ウッドハウスは、美人で、頭が良くて、お金持ちで、明るい性格と温かい家庭にも恵まれ、この世の幸せを一身に集めたような女性だった。もうすぐ二十一歳になるが、人生の悲しみや苦しみをほとんど知らずに生きてきた。
(ジェイン・オースティン『エマ』)
賢明な読者なら、エマが巻き込まれる運命が、あんまり良いものではないと察知するに違いない。「人生の悲しみや苦しみ」をどんな風に味わうのだろうかという期待を抱かせることに成功している。
好奇心は、「欠けている」から生じる
そして、「どこから見てもまとも」じゃなくなったり、「人生の悲しみや苦しみ」を味わうことになると、人の変化を察知する認知システムが起動する。何が起きているのか、なぜ起きているのかが気になりだす。
これに対し、ローウェンスタインの「好奇心の心理学」の論文にて、情報ギャップ理論が紹介されている。「どのくらい知らない状態だと、最も知りたくなるか」というテーマで行われた一連の実験を元に、人間の好奇心を定義している。
人は、知らないことに気づくと、知的欠乏による不快感を感じる。それを解消するために情報を求めようとする。このとき、完全に未知のものではなく、「少しだけ知っている」対象に最も強く欲望が生じるという。
面白いのは、好奇心は何か楽しいもの「ではない」、としている点だ。好奇心とは一種の緊張状態であり、追加情報によって一時的に満たされるものの、次の情報や他の対象を求めるようになる。
そして、好奇心を誘発させる4つの方法を紹介している。
- 疑問や謎を提示する
- 解決策は予想できるが判明していない一連の事象に触れさせる
- 見込みがはずれ、説明を求めたいという気持ちを触発する
- 「他の誰かが情報を持っている」ことを知らせる
これ、ミステリや推理小説の定番パターンと一緒になる。ミステリの作法として「まず死体を転がせ」と言われる。いきなり「変化」を叩き込むことで、読み手の認知システムを強制的に作動させる。
すると、「何が起きたのか」「なぜ起きたのか」「誰がやったのか」といった情報ギャップが一気に生まれる。そんな疑問に少しずつ答えながら引っ張っていき、答えのいくつかを途中で裏切り、誰か(犯人や探偵や目撃者)を示唆する。
面白い物語の王道パターンが、認知科学の論文に出てくるのは不思議ではない。王道パターンとは、結局のところ、人の認知システムの脆弱性を衝くよう、長い年月を経て練られてきたのだから。
物語は、世界を分かりやすくする。
混沌とした現実に因果関係を与え、善悪で判断できるようにし、意味を与える。私たちはそれによって安心するし、納得するし、ときには救われる。
だが、その「分かりやすさ」は、どこから来ているのか。
変化に敏感な認知システムに、感情の上下を与え、情報ギャップを仕込み、都合よく因果をつなぎ合わせる。これって、私たちが物語を理解しているというよりも、物語によって現実の理解の仕方を適応させられているといえるのではないか、と思えてくる。
「面白い!」と感じるとき、何が起きているのか。
それは、世界を理解しているのではなく、世界を単純化された「物語」に変換してしまう、認知システムが作動している瞬間なのかもしれぬ。
※1 “The emotional arcs of stories are dominated by six basic shapes”,
Andrew J. Reagan, Lewis Mitchell, Dilan Kiley, Christopher M.Danforth & Peter Sheridan Dodds, EPJ Data Science 5, 4 November 2016, Article number: 31. [URL]
※2 "The Psychology of Curiosity”', George Lowenstein, Psychological Bulletin 116(1), 1994, pp. 75-98. [URL]
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