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なぜ人は物語に引き込まれるのか?『ストーリー・ジーニアス』が示すシンプルすぎる答え

読者はなぜ、架空の人物の運命に、自分の人生のように反応してしまうのか?

作家や編集者、脚本家が探し求めてきたこの問いに、本書は一つの明快な答えを提示する。

シナリオライティングのハウツー本は沢山あるが、『ストーリー・ジーニアス』がユニークなのは、「なぜ、”それ”が読者の心を揺さぶるのか」という理由にまで踏み込んでいる点にある。

本書の主張はシンプルだが、その単純さゆえに、それで小説の全てを語られると、モヤるところもある。

とはいえ、作品の良し悪しを見極める「軸」を与えてくれる点で、本書はかなり有用だ。私を含め、何かしらの物語を書いた人/書こうとした人には使えるツールになるだろう。

人は物語で考える

本書は、「人の脳には物語が組み込まれている」という。

ここで言う物語は、いわゆる小説や映画のストーリーに限らない。

私たちの身の周りの、この「現実」というやつからやってくる情報は膨大だ。視聴触味嗅覚のみならず、身体内奥からの感覚も含めると、とてつもない量になる。

さらに、そうした感覚的なものから、頭で活性化された概念や記憶も併せて判断の根拠になる。粒度も精度も種々雑多な情報を取捨選択し、理解・判断していかなければならない。

もちろん、ほとんどの情報はパターン化されており、無意識に処理されているものの、それでも判断が必要なものがあり、一説によると、人が一日に直面している判断は、およそ3万5千にも及ぶという。

しかし、そのパターンが崩れ、新しい場面に直面するとき、どうしてそうなっているのか? 何かに似ていないか? といった理由や類似を探し、筋道立てて理解しようとする(パターンへの渇望と呼ばれている)。

脳とは、投げ込まれた情報からたえず意味を引き出そうとし、因果を見出そうとする装置だという。

そして、物語とは、人間が現実を理解し、生き残るために獲得した、最古のバーチャル・リアリティだというのだ。

物語の本質

本書に言わせると、人が物語を求める理由も明快になる。

ただでさえ情報量が多く、目まぐるしく変化するこの現実を、ぶっつけ本番で向き合う前に、物語で準備する。自分自身や他の人間の行動を理解し、予測できるように物語で予習する。

現実から逃げるために物語を読むのではなく、現実でうまくやっていくために物語を読むのだという。

では、そうした現実でうまくやっていくための物語とは何か? 本書ではこう述べる。

物語とは困難なゴールを追い求めている誰かに対し、起きている出来事がどう影響するか、そしてその結果、その人物がどう内面的な変化をとげるか、なのだ。
『ストーリー・ジーニアス』p.30 リサ・クロン

よく、「物語とはプロットだ」という人がいるが、これは間違いだという。

プロットとは、物語の中で起きる表面的な出来事のことで、物語の本質とは異なる。プロット上で起きている出来事が、主人公を揺さぶり、内面を変えていく。出来事の意味を理解し、出来事に取り組み、評価し、主人公にとって何が重要かを決定し、行動を進めていく。

その結果、望んだ出来事になるかもしれないし、反面、意に添わぬ出来事に陥るかもしれない。

物語とは主人公の内面的な変化であり、プロットは外面的な出来事になる。両者が互いに影響し合いながら循環していくパワーが、読者を物語に引き込む力になるという。

最初に主人公をつくる

理屈は分かった。

では、どうすれば良いのか?

本書の指針は明確だ。

プロットを考える「前」に、まず主人公を作れ。どんな過去を持ち、どんな思い込みに縛られ、何を恐れ、何を願っているのか。主人公の内面を徹底的に掘り下げよと説く。その内面がどのように揺さぶられ、変わっていくのかが、最初に考える青写真になる。

プロットは、その結果として生まれる。出来事は、主人公の内面を揺さぶり、葛藤させるために存在する。物語で起きたことが、主人公にとってどんな意味を持つのか。どう感じ、どう動くのか。それを知りたくて、読者はページを繰るのだから。

では次は?

主人公の青写真はできた。プロットはどう作るのか?

出来事が主人公に行動を強要し、もはや動くほかなくなる状況を作り出す。望むものを手に入れるのか、あるいは恐怖から逃れるのか――先送りできない局面を作る。これがプロットの本質だという。

人は本来、変化を嫌う生き物だ。

だからこそ物語は、登場人物を強制的に状況へと巻き込み、変化を迫る。

その人物は抗うかもしれないし、受け入れるかもしれない。いずれにせよ、その選択の「理由」を追いかけることで、読み手は現実を理解するための新たな因果のパターンを手に入れることになる。

読者が知りたくてたまらないもの

「プロットよりも、主人公の内面の変化を優先せよ」という原則、一般論で語るよりも、「親友からの電話の話」のほうが、しっくりくるかも。親友は運転中で、電波状態がよくないところから電話している状況での会話だ。

彼女はこう言う「私の上司が怒鳴るたびに、私がどれだけ黙って耐えてきたか、知ってるよね? あのね、今日その上司が……」

そこで言葉が途切れ途切れになり、あなたは彼女の車が通話圏外を走っていることに気づく。あなたはしばらく「ごめん、聞こえない」と何度か言う。

ようやく声が戻ってくる。「......そのとき私は気づいたの、自分はちゃんとした人間だし、あんなふうに怒鳴る権利は誰にもないって。だから辞めてきてやったわ」。ちょっと待ってよ、とあなたは思うだろう。何があって急に悟りをひらいたわけ?

あなたの読者が知りたくてたまらないのもその部分だ。それこそが、あなたの主人公が本当はどんな人間なのかを伝えてくれる部分だからだ。そして、読者が自分を知る機会にもつながることもしばしばある。だから読者は物語を読むのだ。人間の性質、自分の性質について理解し、世界をもっとうまく渡り歩くために。

おそらく、上司が「トドメの一言」を言い放ったのだろう。

もちろん、その言葉自体も気になる。だが、それ以上に知りたいのは、それがなぜ、彼女の行動につながったのか、という理由だ。その理由を知ることで、私たちは、自分が似たような状況に置かれたときどう振る舞うかを理解しようとする。

人は、そのために物語を読むというのだ。

『ストーリー・ジーニアス』の射程圏

物語とは「困難なゴールを追い求める誰かに対し、起きている出来事がどう影響するか、その結果、その人物がどのような内面的な変化をするか」なのだという。

そして、作品をこの形に近づけるために、物語は、主人公の内面的な変化と、外面的な出来事のプロットが循環しながら拡大していくものにするための様々な技法やチェックポイントを紹介する。

本書の方法に従えば、「出来事が羅列されただけの作品」や、「次に何を書けばよいか分からなくなる」といった行き詰まりは、かなり避けられるだろう。

ただし、この理論には見過ごせない前提がある。

『ストーリー・ジーニアス』で述べられている「物語」や「小説」の概念は普遍的なものというより、特定の形式に限定されているのではないか。

それは、ハリウッド映画や、テレビドラマ、ベストセラー小説に典型的に見られる形式だ。

そこには、困難なゴールがあり、そこに至る障害があり、それを乗り越えるための内面の変化があり、出来事は因果として連鎖し、最終的に何かしらの意味へと回収される。みんなが大好きな、行きて帰りし物語や貴種流離譚、ビルドゥングスロマン、ヒーローズジャーニーになる。

だが、この構造にハマらない作品が好きな私には、「これこそが物語だ!」と言い切られると、違和感が拭えない。

例えば、因果が曖昧でゴールが不明確で、変化が循環的だと言えるマジックリアリズムがこれにあたる。『ストーリー・ジーニアス』の定義に従うなら、ガルシア=マルケス『百年の孤独』は、小説や物語ですらなくなる。

あるいは、理解不可能な因果のもとで、意味が回収されない作品を書いた、フランツ・カフカを代表とする不条理系も同様だ。ゴールや成長が描かれないことが多い私小説、あるいはゴールや障害はあるものの、変化や葛藤が起きているのは主人公ではなく、むしろ世界の方だと言える俺TUEEE系や異世界転生モノは、この枠組みからこぼれ落ちるだろう。

そう考えると、「内面の変化」×「変化を促す出来事」というモデルは、物語の一類型を明解に説明する一方で、それだけでは捉えきれない領域が確かに存在するように思える。



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