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ダメな人生は何度やってもダメか?―――6人で2時間語り合った『セールスマンの死』読書会(ネタバレあり)

ピュリッツァー賞受賞作の戯曲『セールスマンの死』読書会が、濃厚だった。

かつては敏腕セールスマンだったが、今では落ち目のウィリーが主人公だ。家のローン、保険、車の修理費、定職につかない息子、夢に破れ、すべてに行き詰まったウィリーが、ある選択を迫られるのだが――という話を、参加者6人で2時間かけて語り合った。

皆さんの第一印象はこんなん。

  • しんどい、冷静に読めない
  • 他人事(ひとごと)じゃない
  • 「私の話じゃない」と言い聞かせながら読んだ

確かにそう。ローンのために働いているウィリーに、自分が重なる。日常を維持していくために、ラットレースのように走り続けなければならない絶望が描かれている。

かつての、あったかもしれない成功へのチャンスは、ただの幻なのに、その夢想が現実を侵食する。「こんなはずじゃない」と思うのは自由だが、それを声に出し、暴れる姿には、読んでるこっちがヒリヒリしてくる( [アマプラ]を見ると胸が痛くなるはずだ)。

父の「嘘」を信じる家族

ウィリーは、妻子の前だけでも「稼ぐお父さん」「特別な存在」「みんなの人気者」を演じ続けようとする。セールスマンは歩合制だから、売上が無ければ給料は無い。どうしても打ち明けられないウィリーは、叔父から借りたカネを給料と称して妻に渡す。

妻のリンダは、ウィリーの嘘に気づいている。

だが、知らないフリをして「給料」を受け取り、家計が大変な妻の役を続けようとする。少なくともニューヨークに庭付きの一軒家を持ち、冷蔵庫や車など、物質的に豊かな生活は続けていけるから。

この態度について、肯定派と否定派に分かれた。

ウィリーの嘘を暴いたところで、どうすることもできない。だから、なんとか日々をしのいでいく。そうするうちに、風向きが変わってくるかもしれない。そう前向きにとらえる意見があった。

一方、それは単に上辺だけを取り繕っているにすぎないとする意見もあった。リンダの「あなたは疲れているのよ」というセリフは、一時的な痛み止めのように繰り返される。お金が無いことを知っていたのなら、「無理しないで、暮らしをささやかにすればいい」と言うことだってできたはずだ。だが、上辺の幸福を守るため、ウィリーの嘘に付き合い続けた。

肯定派と否定派、どちらの解釈も分かるし、どっちが正しいと一概に言えぬ。

ただ、どちらの立場でも、一致する点があった。それは、この家族は共依存に陥っているという指摘だ。

ウィリーの嘘を信じることで、家庭の平穏が守られ、ウィリーのプライドも保たれる。ウィリーは(嘘がバレているかもしれないと薄々感じながらも)、自分のプライドを守り続けることができる。

さらに、「この物語に悪人はいない」という指摘も鋭かった。

悪い人は出てこない。ウィリーは嘘をついたが、死ななければならないような嘘ではない。妻リンダは上辺の幸せを守ろうとしただけだし、長男のビルは盗癖があるものの、罪を償おうとする。次男のハッピーは、父と兄を仲直りさせようと奔走した。

それぞれが懸命に生きようとし、誰も悪くないのに、破滅へ向かうのを止められない。因果が玉突き事故のように連鎖して、「どうしてこうなった」というラストへ向かう。

そこで出てきたのは、「もし、やり直すとしたらどうすればよかったか?」という問いだ。

確かにウィリーはどこかで間違えた。

馘を言い渡される前に、プライドを引っ込め、頭を下げていれば、仕事を続けられていたかもしれない。

出張先での浮気が息子にバレた夜、腹を割ってよく話し合っていれば、息子は落第しなくて済んでいたかもしれない。

手遅れになる前に、カネを稼げなくなったこと、精神的に不安定なことを正直に打ち明け、家を手放し、引退してささやかな生活にするといった未来だって選べたかもしれない。

やり直すポイントは、いくらでもあった。

ダメな人生はやり直してもダメ?

読書会での主な意見は、「繰り返しても同じ破滅だろう」になる。

頭を下げる。話し合う。打ち明ける……上手くいかなかった人生を振り返り、変化もたらす諸々の行動を、拒絶したのがウィリーだ。

確かに、ウィリーは息子と抱擁し、後悔の涙を流した。

だが、最後はウィリーのプライドが勝った。人生の負けを認めることができず、変化を拒絶し、夢の世界へ逃げきるために死を選んだ。

だから、ウィリーの人生はどこでやり直したとしても、「プライドが勝つ」人生となっただろう。

一方、ウィリーの墓前で、リンダはすすり泣きながらこう言う。

ねえ、ウィリー、どうすればいいの、あたしは泣けないんですよ。まるで、またお仕事でおでかけになった時みたい。お帰りを待っているのよ。なぜ、あんなことをなさったの?考えて、考えて、考えぬきました。でも、わからない、どうしても。

家の最後の払いは、今日すませました。今日ですよ。でも、もう住む人はいない。借りも払いも、なくなったのよ。これで、自由になったのよ。

胸がぎゅっと締め付けられるラストだが、リンダは、この期に及んでも、ウィリーの死を受け入れられず、出張に行ったかのようにしたいと思っている。ショックのあまり受け入れられないという解釈もできるが、死を表面化させないようにしているとも取れる。

死亡保険でローンが完済した一軒家で、リンダはこの繰り言を唱えながら、残りの人生をひっそりと生きていくことが示唆される。

リンダもまた、人生を繰り返したとしても、変化を受け入れられず、表面を取り繕った態度を取り続けるだろう。

やり直せる=変化を受け入れられる

しかし、仮にやり直しができるとする人生があるとするなら、それは長男のビフだ。

なぜなら、ビフだけが、嘘から抜け出そうとしてたから。物語の後半、「俺は特別じゃない」と告白し、嘘の人生を認めていたから。それは、「特別になれなかったら負け」という父の教えと真っ向対立する。

大学進学を棒に振ったのは、落第したから。落第したのは追試を受けなかったから。追試を受けなかったのは、泥棒して警察に捕まっていたから。さらに、新しい職を求め、面接したけれどダメで、いつもの手癖で万年筆を盗んでしまったことを告白する。

盗み癖があること、腰を据えた仕事ができないこと、誰かに指図されるのが嫌なことを正直に認める。そんな自分がたまらなく嫌で、自分を変えたいともがく。「お父さんに認めてもらおう」とするあまり、偽りの自分を作り上げてきた人生を変えようとする。

物語の中で、何かしらの変化があるのはビフだけだ。ウィリーやリンダと違い、ビフだけが嘘を認め、偽りを否定し、変化を受け入れようとする。だから、もしも、やり直しができるのなら、それはビフの人生になる。

もっとも、盗癖は治っていないため、悪の道に踏み入るというやり直しかもしれないが。

みなとシェア読書会の主催者さま、参加者の皆さま、濃ゆい時間をありがとうございました。より深く多様に、この物語を堪能できました。



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