ピンチョン『重力の虹』の「主要」登場人物122人の相関図を作ってみた
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イメージの濁流に呑み込まれ、もみくちゃにされ、ヨロヨロと頁を繰り、茫然としながら叩きのめされる読書、それがピンチョン。
ラーメンに例えるなら「全部入り」の百科全書なり。
第2次大戦末期のヨーロッパを舞台に、神話や歴史に始まって文学、数学、化学に物理学、冒険と暴力と陰謀とパラノイア、ガチ怖ホラー、泣かせるメロドラマ、エロス100%の恋愛モノ、スカトロSM満載で、果てしなく続く洒落とギャグと注釈と二重解釈と地文と話者の逆転とクローズアップとフラッシュフォワードに翻弄され、読解不能。
どれくらいもみくちゃにされるかというと、人物の相関図でイメージが湧くかもしれぬ。「主要」登場人物は122人で、関係図を作ってみた。
Gravity's Rainbow / Character Network (interactive)
丸い奴は人物で、〇の大きさが(私が考える)重要度、〇の色が陣営(家族や組織、国家、企業など)を示している。マウスオーバーして出てくる説明書きは、索引を参考にした。関係の強いものを線でつないだけれど、自分でも分けわからんくなった(笑)。
まれに、「読んだ」「面白かった」という方がいらっしゃるが、どうやって【読んだ】のだろう(あやかりたい)。私の場合、とてもじゃないが、1回目では「読んだ」とは言えず、最後のページにたどり着いたというのが正直なところ。
ただし、1行1行目で追って、頭の中で作り上げ、メモやノートを取り、辞書を引きネットで調べ、ページを繰り戻し、あるいは索引と首っ引きになって、行ったり来たりしているうちに、ふいに、脳汁が溢れ出す。これは映画や漫画ではなく、小説でしか味わえない快楽なり。
そして、読んで確信したことは、1回目より2回目、2回目より3回目の方が、さらに強烈な快楽物質が出るということ。
というのも、膨大な注釈と合わせて読んでいくうちに、小説全体の構造がおぼろげながら見えてくる。怒涛の展開につながる伏線が張り巡らされていたり、意外すぎる人物が噛み合っていたり、それぞれの目的やら運命が二重露光のように写り込んでいることが分かる。
1回だけじゃ嚙みきれず、呑み込めず、何度も読み込んで解き砕いていくうちに、さらに旨味が溢れ出す、そういう小説なのだろう。
なのでここでは、ネタバレ全開で、2回目を読む私のために、この人物相関図を使って『重力の虹』の構造を解体してみよう。
<以下ネタバレ。ただし、ネタが割れたところで、の面白さや謎は微塵も揺るがない>
翻訳者・佐藤良明の解説にもあったが、『重力の虹』は複数の物語が入れ子のように複雑に絡み合っている。絡み合う物語を解きほぐすと、作品1~5までの、5つの物語に解体することができるという。
相関図では、それぞれの作品で焦点となる人物をピックアップし、見つけ出せるようにした(右上の「作品」のチェックボックス)。以下の画像は、焦点人物を炙り出した図となる。
作品1:ナチの新型ロケットを巡るパラノイア戦
テクノロジーと権力が、どのように人間を狂わせるかを描く。
<ゾーン>を主舞台に、ナチスドイツが開発した新型ロケットの打ち上げを巡る心理戦をメインとする。ロケット工学(素材、流体、制御技術)を人間ドラマにしたもの。
<ゾーン>とは、ナチス政権崩壊後に生じた権威が空白状態となった空間であり、連合国が分割統治するまでの間、存続が許された地帯になる(地上だけでなく、地下、上空、海上も含む)。
メインキャラはヴァイスマン。ナチスのロケット開発の中枢にいるSS将校で、ロケットを単なる兵器ではなく、混濁する世界から天へ至る「システム」として信仰する。「科学+神秘主義+美学+暴力=ロケット」という狂気の方程式。
出てくる全員が狂ってて好き。ペクラーが開発する新物質、アハトファーデンの流体力学、ネリッシュの自動制御をナチズム批判に落とし込むのは容易いが、完璧な信仰は完璧な狂気に通じる。ペクラーの慰問のため、愛娘を演じる少女をあてがわれる話に勃起しながら泣いた。
作品2:暴力を正当化する帝国主義&テクノロジー
帝国主義やテクノロジーが生き物のように描かれる。
メインキャラは、ロシアのロケット技術諜報員・チチェーリン。異母兄弟のエンツィアンが対位法的に配置され、北が南を征服する制圧の歴史として描かれる。ドイツによる南西アフリカの暴虐はここで初めて知った。そしてジェノサイドをドイツが認めたのは、2021年であることは、この記事を書いてて知った[URL]。
そして、ドイツという国家が崩壊したゾーンで、遺棄されたロケットを軸に新しい権力構造が再編されてゆく。第2次大戦の「戦勝国」などおらず、単に、ナチの技術に群がる集団が跋扈するのみ。
米国はフォン・ブラウンら技術者を、ソ連は鹵獲したV2を回収し、それぞれ新しい大陸間弾道ミサイルを「開発」する。最初は、国家による技術泥棒(しかも火事場泥棒)だと思っていたが、「効率的に人を殺すシステム」そのものが、崩壊したナチスを離脱して、大国に乗り換えたように見える。
作品3:ㄘんㄘん&ドラッグでだいたい解決
ジャンル混交ハチャメチャなヤツがこれ。
『重力の虹』の主人公であるタイロン・スロースロップが焦点キャラなので、メインストーリーとして扱われている。
「セックスした場所にロケットが着弾する」という摩訶不思議な謎を背負う一方、精力絶倫&いいオンナが寄ってくる運命に翻弄される。ミステリでありSFでありファンタジーであり、冒険あり神話あり、ホラーもサスペンスも純度100%のラブストーリーも盛り込み、魔法少女や幽霊、ロリ&エロ&グロなんでもありの全部入り。
このスロースロップという男、不自然なくらいめちゃくちゃモテるのだが、「主人公だから仕方ないか」で済まされているような気がするw 大抵トンでもない目に遭うのだけれど、だいたいセックスするか、ドラッグをキめるかすると解決する。弾丸は全て当たらない(主人公だから)。迷ったり行き詰まると救いの手が偶然にも差し伸べられる(主人公だから)。
いかにもピンチョンらしく、読んでて楽しいのがこれ。なんでもありだから、どこへ連れていかれるかも分からない。物語が進むにつれ、地の文に紛れ込み、小説自体へと同化していく過程が面白い(というか怖い)。ゾイレとボーディーンが好き。
作品4:合理を突き詰めると狂気になる
科学的合理性を人格化したようなポインツマン、こいつがめちゃくちゃ面白い。
スロースロップを追いかける科学者という役回りのポインツマンを主役にすると、また別の作品となる。
人は条件反射によって完全に把握・コントロールできると信じている。ホワイト・ビジテーションに集う科学者を統括し、スロースロップの勃起の謎を解き明かそうとする。
重要なのは、狂人として描かれていない点だ。作品1〜3は、皆が皆、どこか狂っているか、完全に狂っているかのどちらかだ。だが、ポインツマンは違う。学識があり、研究実績があり、体制側から「正しい科学者」として扱われる。近代科学が人格を持ったらこうなるだろうと想像がつくキャラなのだ。
世界の全ては因果律で支配されており、理解することは支配することだと考えるポインツマン。彼にとって唯一、目障りなのがスロースロップになる。だって「セックスした場所にロケットが落ちる」なんて、因果律を無視したありえない話だから。
だからポインツマンは死に物狂いで追いかけて、自らが信じる科学的合理性の中に回収しようとする。その「回収」も度が過ぎて、マーヴィ少佐の受難につながるのだが……ここは抱腹絶倒&気の毒すぎて、黒い笑いが止まらなかった。
合理の名の下に行われる暴力ほど、救いがない。
作品5:主役はロケット
特定のキャラがいるわけではなく、無理やり言うなら、ロケットという概念がしゃべっているようなシーンがある。
沈黙の別世界から表面を突き破って、ヴァイオレントに(ジェットエンジンが音の壁に衝突する、将来には宇宙船が光の壁を破壊するだろう)憶エテオケヨ、今週ノ<ゾーン>のバスワードは FASTER THAN THE SPEED OF LIGHT、光ヨリモ速クだ、キミラの声も指数関数的にスピードアップさせるのだ―――
(下巻 p.632 )
この辺りはカタカナ交じりで分かりやすい。地の文の中に、ナレーションでもなく作者でもなくキャラの誰かの独白でもない、明らかに別者(別物?)のセリフが入ってくる。このセリフは、物語と独立している訳ではない。例えばこの「FASTER THAN THE SPEED OF LIGHT」は物語の中で、実際に合言葉のパスワードとして用いられる。
一人称で、時制は現在形で、誰に向けてかも分からず、物語の外側から語りかける。
こいつ、一体誰だろう?といぶかしんでいたが、解説で腑に落ちた。確かにロケットという存在(概念?あるいはロケットを飛ばすシステムそのもの?)が人格を持ち、未来から現在(まさに私が読んでいる今)に向けて語り掛けているのだろう。
これ、作品2の「テクノロジーが覇権組織を乗り換える」にも呼応する。
覇権国家がテクノロジーを奪い合う構図ではなく、連合/枢軸、資本/共産関係なく、その暴力をより洗練させてくれる組織に乗り換える(憑依する?)のだ。水が低きに流れるように、テクノロジーはより高度に集積させてくれる処に寄ってくる。
Vロケットの標的は、冒頭ではロンドンだった。だが、ラストは未来そのもの(いま読んでいる私含む)を狙ったかのようにも読み取れる。
なお、作品1~5への分解は、ボラーニョ『2666』を思い出す。5つの独立した物語がサンタテレサの虐殺を指し示す構造となっている。元々、5冊の本として刊行予定だったものを合体させたため、別々の「部」として分かれており、(800頁だけど)読みやすい。
あるいは、メルヴィル『白鯨』を引き合いにする人もいるかもしれぬ。400頁×上中下巻で百科全書的に 「鯨」を描いたところは似ているものの、分解すれば、劇(Drama)と物語(Narrative)と鯨学(Cetology)のモザイク構造になる(岩波赤の下巻の解説に、どの章がどのパートに当たるかのマッピング図が分かりやすい)。ドラマの視点は「わたし」の一人称なので、そこだけ読むと素直な小説になる。
しかし、ピンチョンの『重力の虹』は、700頁×上下巻のボリュームで、それぞれの物語が捩じりあい絡まり合う。『白鯨』に喩えるなら、劇/物語/ロケット学が同じ章・同じ文に入り混じるようなもの。
複数の話者、人称を使い分け、誰が誰に話しているのかも解きほぐしが必要なくらい混交しており、リニアに読むと頭がヘンになる。博覧狂気がフルパワーで楽しませてやろうと意気込んだ鈍器本がこれだ(ただし、読み手の方もある種の狂気が必要)。
ピンチョンは「面白い」のか?
「そんなん読んで面白いの?」と聞かれることがある。
これまで、以下の作品を読んできたけれど、「読んだ」というより「殴られた」「打ちのめされた」が近い。
『ヴァインランド』
『メイスン&ディクスン』
『逆光』
『ブリーディング・エッジ』
小説に小突き回され、物語に蹂躙される歪んだヨロコビを堪能するために、頁を繰ったという感じ。展開の因果や人物の関係性が分かりやすく描写されていないため、話のつかみどころが少なく、素直に読もうとすると爆死する。
ところどころ「面白い!」と感じる瞬間が激烈で、そのためにガマンするような読書になる(ピンチョン・マゾヒズムという)。
じゃぁ、その面白いと感じるところだけをスキミングすれば良いかというと、そうでもない。緻密に読んでおかないと見落とすどころか、そもそも何がどうなったかさえ分からないことになる。
例を挙げる。
「ノー・・・」中腰の構えで前へ進むと、何やら吊るされた物体があった。濡れた絹布に包まれた、凍りついた太もも。それがグラーンと揺れて彼の顔面にぶち当たる。海が匂う。顔をそむけると、今度は長い濡れた髪の鞭に頬を打たれた。逃げられない、あちらからもこちらからも・・・冷たい乳首・・・尻の深い裂け目、香水と糞と海水の入りまじった匂い ・・・そして、何なんだ・・・この匂いは・・・
(下巻p.257)
作品3のスロースロップの話だ。陽キャのイケイケ話から突然ホラーになるところ。沈みかかった船から、「あるもの」を取りに行かされるときに、彼が目にしたものの描写だ。
どうやら、殺されて吊るされた女の死体らしい。逃げ出したいのだが、唯一の出口にはこわーいおっさん(シュプリンガー)が待っている。既にシュプリンガーにボコボコに蹴られているので、行くしかない。
でも、この女は誰?
この女の名前は出てこない。女の乳首も、尻の裂け目も、確かに知っているのだが、スロースロップは気づかない。
実は、赤文字にした「絹布」がキーワードになる。スロースロップはこの直前にこの「タフタ地」に触れている。そして、「タフタ地」が出てくるのは、100頁ほど戻ったここだ。
「うーん、そこのファスナー、お願い・・・」ファスナーを引き下げると、身をくねらせて服を脱ぎ落とすビアンカ。赤いタフタ地の服がさらりと落ちて現れた、完璧な形の、クリームのように滑らかなお尻に一つふたつ、紫色の志が見える。
(下巻p.140)
スロースロップのお楽しみシーンだ。ビアンカの白く未熟な身体をまさぐり、唇のルージュの中にペニスを含ませ、喉の奥を堪能するところ。彼女の汗や性器の匂いを味わった100頁後に、香水と糞の入り混じった匂いをかぐことになる。このギャップがえげつない。
だけど、読者は100頁も前に女が着ていた服を覚えているわけねぇww 吊るされた女がビアンカだということは、この「赤いタフタ」しか手がかりがない。そういう、緻密な読み方と記憶力を強いるのがピンチョンなり。
これ、読者にめちゃくちゃ不親切なのだが、安心してほしい。訳者である佐藤良明が膨大な注釈で補ってくれる。作品1~5の構造的な読みと、「赤いタフタ」のミクロな読みの両方を必要とする。再読必至で、「ピンチョンは3回読むと分かる」と言われているのはこのせいだ。
だから、「読書とは知識や情報を得るもの」と考える人にとっては耐えがたいものになる。意味なんてないかもしれない。「作者のメッセージや意図」なんて分からないままかもしれない。「1つのまとまったストーリー」なんて無い。そういうものを求める人にとっては、混乱とノイズと不整合だらけで、読書は苦行以外の何物にもならないだろう。
かつての私がそうだった。
実は『重力の虹』、高校生のときに手を出して火傷してから、何度も挑戦→撤退を繰り返してきた。ピンチョンの最高傑作と名高いこの作品は、若さに任せて読み干すくらいの勢いが必要だ。もう若くなくなったいま、読書会をきっかけに、いま読まないといつ読むの? と自分を追い込みつつ、ようやく完走できた。読んでる途中に作品の構造が見え、点と線がつながるときの脳汁ブッシャー感はハンパなかった。いったんハマれば、中毒性の高い作品といえる。
いろいろな「読み」があるだろうから、読書会が楽しみすぎる。それに加えて、何よりも再読がもっと楽しみなり。分解したスロースロップの行く末とか、00001号の運命とか、いまとは全く別の読解になるはず。
相関図も、さらに「厚く」なるだろう。これ、「主要」登場人物の122人だけで、脇役も入れると倍になる。しかも、フィクションのキャラの関係性を描いているだけで、歴史に実在した人や、素材や物質や無生物や概念の中で重要なものは、ごっそり抜け落ちている。これらを重ねていくと、さらに重層な相関になるに違いない。
ピンチョンは再読からが本番だ。
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コメント
相関図最高!
わたしも一読してぽかーんなので、これはいいですね!
投稿: 美崎薫 | 2026.01.11 21:47
>>美崎薫さん
ありがとうございます!再読ではこれを充実させていきます。人物だけでなく、イミポレックスG等の物質や実在人物、事件も織り交ぜて構成図を作っていきたいです。
投稿: Dain | 2026.01.12 10:17