« 正気が侵食される毒書――劇薬小説『夜のみだらな鳥』三度目の報告書 | トップページ | 劇薬小説『夜のみだらな鳥』を味わう読書会レポート »

「本」にする必要性と「本」である必然性―――仲俣暁生・finalvent 座談会

書きたいから書いている。だが、それなりの物量を「本」にする必要性はあるのだろうか? あるいは書いたものが「本」にならざるを得ない必然性はどこから来るのだろうか?

糊口をしのぐ、評価を得るなど、現実的な理由は多々あるが、ブログや動画でやれるし、コスパ的にはそっちの方がよさそうだ。それでもなお、「本」(特に紙の本)にしたくなるのはなぜか。

まず、形として残すためにある。

小説であれ批評であれ、一連の思考をFIXさせる必要性から、「本」という完成品になる。これがブログや電子書籍だと、消える。サ終により丸ごと消える電子本は、諸行無常の響きしかない(このブログも一緒やね)。だが、紙媒体なら物として存在することができる。

そして、物体としてあるから、手渡すことができる。

いくらでも改訂できるファイルではなく、印刷して確定した一冊を、パッケージとして渡すことができる。拡散は電子の方が効率的かもしれないが、「モノ」として誰かに手渡すことができるのは大きい(Kindleだとこうはいかない)。書棚のあそこにあるブツとして、未来の自分にも渡せる。

そんなことを考えさせられる座談会だった。

仲俣暁生・finalvent・坂田散文の鼎談形式で、「軽出版から考える 本を作ること・売ることの未来」というお題だったのだが、出版業界の未来そっちのけで語り倒すのが印象的だった。

Photo_20251221111401

上図は、仲俣さんが投影した図をメモったものになる。電子との掛け合わせでも考える必要があるが、数字は紙媒体の部数になる。産業として見た場合、出版の未来は限定的なもので、稼ぐならマンガ市場になるという。

前提を聞き逃していた可能性があるが、おそらく、「紙媒体としての出版」のことを語ろうとしていたのだと考える。電子書籍にがっかりしている様子や、「自費出版と比べて一桁低い金額で~」といった発言から、紙媒体の未来を模索しているのだと推察した。

そして、モノ書きが紙の本でやっていくなら、軽出版という新しいフィールドを目指せというメッセージを受け取った。

ここにうまくハマるのが、finalventさんが上梓した『新しい「古典」を読む』になる。

N/A

村上春樹や開高健、星新一、橋本治をはじめ、『寄生獣』『めぞん一刻』『のだめカンタービレ』などを採りあげ、「新しい古典」として読み直し、書評形式で文芸批評をする。

全4巻、Kindleアンリミで無料で読めるが、紙の本という形でも手にすることができる。商業出版社を通さず、著者自身が出版できるセルフパブリッシングという形態だ。編集や校正は自分でやる必要はあるものの、印税率は高いという。

読む方の立場だと、選択肢が増えるのは嬉しい。

Kindleで読んで、紙版を購入したのだが、オンデマンドプリントのため、紙質が若干異なる(ちょい厚め)。電子はいつかは無くなる。情報として参照するだけでなく、手元に「本」として置きたいという欲望を叶えるにはうってつけだろう。

書く方の立場なら、finalventさんのメッセージが響いた。

  • 届かないとか金にならないとかは度外視して、本を書くべき
  • youtubeやブログやnoteでは限界があり、自分が生まれて生きたということが本になる
  • 生きて苦しんできた青春の決着をつけるためにも「本」にする必要がある
  • 書いたものが残るかどうかはどうてもいい、それでも書く・残そうとするのがロマン

ネットのコンテンツは、運営が居なくなったら丸ごと消える(こことは別の場所でブログを書いていたが、キレイさっぱり無くなっててワロタ)。あんなに課金したネトゲも、サービス終了したら跡形もなく消える。思い出す者がいなくなれば、思い出の中にすら残らない。

デジタルデータは永遠だと無邪気に思ってた時代もあった。CDやDVDに焼いて、タイムカプセルに入れたら、遠い先の未来でも再生できると思っていた(およそ5~10年で劣化して読めなくなる)。

「自分の遺伝子を残したい」「傷痕でもいいから業界に残したい」など、様々な欲望があり、そのうちの一つに、「書いたものを残したい」という欲があるのかもしれぬ。「青春の落とし前を付ける」と言っていたが、まさにそうかもしれぬ。



このエントリーをはてなブックマークに追加

|

« 正気が侵食される毒書――劇薬小説『夜のみだらな鳥』三度目の報告書 | トップページ | 劇薬小説『夜のみだらな鳥』を味わう読書会レポート »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 正気が侵食される毒書――劇薬小説『夜のみだらな鳥』三度目の報告書 | トップページ | 劇薬小説『夜のみだらな鳥』を味わう読書会レポート »