【閲覧注意】 針、視線、高所、血、集合体、臭気、嘔吐、老い、電話、無限、毛髪、汚物……「恐怖心展」を見てきた
何に怖がるか――それは単なる刺激への生理的反応ではなく、その人の経験や知識、こだわり、信じるものの蓄積が現れる、「私の痕跡」なのかもしれない。
たとえば、「針」が怖い人は、過去の注射の痛みだけでなく、「自分の体内に異物が入ってくる」という境界感覚に敏感なのかもしれない。
あるいは、「着ぐるみ」が怖い人は、見えない「中の人」への不信や、他者の意図が読めないことへの不安が強いのかもしれない。
あるいは、「集合体」が苦手な人には、秩序だった反復や過密なものへの不快感、すなわち強迫的秩序に対する拒否感が透け見える。
「恐怖心展」は、そうした“怖さの正体”をただ提示するのではなく、その裏にある「あなたという人の構造」に問いかけてくる。
生理的に感じる恐れや不安=「恐怖心」をテーマに、日常に潜む様々な恐怖心を、空間、音、映像、触覚、臭いのインスタレーションで表現する。ホラー映画のジャンプスケアのような驚かせる演出ではなく、合理的でない恐怖やジワジワと来る不安と向き合うのが目的の展覧会だ。
「視線」が怖い
例えば視線への恐怖心(Scopophobia)。視線を意識することで、自分が値踏みされ、自分が他人にどう見られているのか不安になる。他者の眼差しが、自分の中に侵入してくるような感覚だ。
自己の意識が強く、他者の評価が気になる人や、できるだけ目立たないように過ごしたい人には、特段に「刺さる」恐怖心だろう。
「視線」がテーマの動画が展示されている。些細なことがきっかけで、人に見られていることが怖くなった大学生がとった行動がヒヤリとさせられる。皆から一斉に見つめられるシーンは、TVドラマ『世にも奇妙な物語』を思い出すかもしれない(2023年特別編「視線」や1990年「大注目の男」)。
「音」が怖い
怖いというより「嫌」なものが、音に対する恐怖心(Misophonia)だ。いわゆる聴覚過敏というものとは異なり、トリガーとなる音があり、そこから過去の出来事や嫌な気分が覚醒する。
咀嚼音だったりフォークで引っ掻くような音があるが、極めつけがこれ。
ベビーベッドが展示されており、ヘッドフォンが掛かっている。
聴いてみると、赤ン坊の泣いている声だ。
赤ちゃんの泣き声は、人の耳に敏感に反応する高周波域の音にあり、アラームやサイレンのように設計されている。これは、周囲の大人に「早く助けなければ」と即時の反応を促すための、進化的適応としての警報音になる。
しかもこれ、音の設計が巧妙だ。
最初は少し離れたところ―――ちょうどベビーベッドを見下ろしている位置から聞こえてくる。それが急に左の耳元で大きく聞こえるようになる―――ちょうど左腕で抱っこしているように。それでも声は泣き止まず、無力感を搔き立ててくる。
そのあと突然、音は遠ざかる。赤ちゃんが泣き止んだのではなく、ベビーベッドに放ったかのように引き離される。火のついたように泣いているにもかかわらず、そこから立ち去っているかのように、次第に音源から離れてゆく。
「捨てること」が怖い
強烈なのがこれ。文字通りのゴミの山だ。冷房がガンガンに効いているにも関わらず、すえた様な臭いが微かにしている。
ある女子大生のワンルームアパートから搬出された、大量のゴミの一部だという。チルドの食品パック、飲みかけの缶、衣類、書類、ペットボトルが、彼女のルールに則って整然と(?)積み上げられていた。
彼女の主張では、それらの品々はベッドを起点にして、「よく使う順」に配置されていたものになる。食べ終わったコンビニ弁当のトレイも、不燃ゴミではなく、「よく使う順の最後の方の物品」として扱っていた。その結果、理論上その部屋から「廃棄物」が出ることは、年単位で無かったという。
彼女の引っ越しに伴い、部屋の清掃と処分が必要になったため、運び出された廃棄物の一部が(彼女本人の許可のもと)この展覧会に提供されたという。
いわゆる汚部屋に住む人は、「片づけられない人」と思っていたが、そうではなく、「モノを捨てるのが怖い人」(Disposophobia)も中に入るのかもしれぬ。アイデンティティとモノの結びつきに執着しているとも言える。
自分の恐怖心と向き合う
ベーシックな恐怖症から特異なやつまで、様々だ。
蓮コラやダム穴など、「あるある!」と共感できる恐怖心もあれば、電話の着信音や巨大風船など、「なぜこれが?」と首をかしげるものもある(説明書きを読むと腑に落ちる)。何を怖いと思うかは人それぞれで、人の想像力の極限を見ているかのようだ。
見ていくうちに、展示会のコンセプトが伝わってくる。いわゆる映画や小説のような「恐怖を消費する」ものではない。様々な「恐怖心」を示すことで、「あなたに刺さるもの」を自問させようとしているのだ。
なので、怖がろうとして行ってもピンと来ないだろう。
代わりに、自分の内側にある「恐怖心」と呼応するものがあるか? という目で眺めると、封印していたトラウマ級の過去を思い出してしまったり、全く新しい嫌悪感を見つけてしまうかもしれない。それは決して嬉しいことではないだろうが、あなたを知るための新しい発見と言っていい。
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