« 2025年6月 | トップページ | 2025年8月 »

【閲覧注意】 針、視線、高所、血、集合体、臭気、嘔吐、老い、電話、無限、毛髪、汚物……「恐怖心展」を見てきた

Photo_20250706092601

何に怖がるか――それは単なる刺激への生理的反応ではなく、その人の経験や知識、こだわり、信じるものの蓄積が現れる、「私の痕跡」なのかもしれない。

たとえば、「針」が怖い人は、過去の注射の痛みだけでなく、「自分の体内に異物が入ってくる」という境界感覚に敏感なのかもしれない。

あるいは、「着ぐるみ」が怖い人は、見えない「中の人」への不信や、他者の意図が読めないことへの不安が強いのかもしれない。

あるいは、「集合体」が苦手な人には、秩序だった反復や過密なものへの不快感、すなわち強迫的秩序に対する拒否感が透け見える。

「恐怖心展」は、そうした“怖さの正体”をただ提示するのではなく、その裏にある「あなたという人の構造」に問いかけてくる。

生理的に感じる恐れや不安=「恐怖心」をテーマに、日常に潜む様々な恐怖心を、空間、音、映像、触覚、臭いのインスタレーションで表現する。ホラー映画のジャンプスケアのような驚かせる演出ではなく、合理的でない恐怖やジワジワと来る不安と向き合うのが目的の展覧会だ。

「視線」が怖い

例えば視線への恐怖心(Scopophobia)。視線を意識することで、自分が値踏みされ、自分が他人にどう見られているのか不安になる。他者の眼差しが、自分の中に侵入してくるような感覚だ。

自己の意識が強く、他者の評価が気になる人や、できるだけ目立たないように過ごしたい人には、特段に「刺さる」恐怖心だろう。

__20250726223301

「視線」がテーマの動画が展示されている。些細なことがきっかけで、人に見られていることが怖くなった大学生がとった行動がヒヤリとさせられる。皆から一斉に見つめられるシーンは、TVドラマ『世にも奇妙な物語』を思い出すかもしれない(2023年特別編「視線」や1990年「大注目の男」)。

「音」が怖い

怖いというより「嫌」なものが、音に対する恐怖心(Misophonia)だ。いわゆる聴覚過敏というものとは異なり、トリガーとなる音があり、そこから過去の出来事や嫌な気分が覚醒する。

咀嚼音だったりフォークで引っ掻くような音があるが、極めつけがこれ。

__20250726223401

ベビーベッドが展示されており、ヘッドフォンが掛かっている。

聴いてみると、赤ン坊の泣いている声だ。

赤ちゃんの泣き声は、人の耳に敏感に反応する高周波域の音にあり、アラームやサイレンのように設計されている。これは、周囲の大人に「早く助けなければ」と即時の反応を促すための、進化的適応としての警報音になる。

しかもこれ、音の設計が巧妙だ。

最初は少し離れたところ―――ちょうどベビーベッドを見下ろしている位置から聞こえてくる。それが急に左の耳元で大きく聞こえるようになる―――ちょうど左腕で抱っこしているように。それでも声は泣き止まず、無力感を搔き立ててくる。

そのあと突然、音は遠ざかる。赤ちゃんが泣き止んだのではなく、ベビーベッドに放ったかのように引き離される。火のついたように泣いているにもかかわらず、そこから立ち去っているかのように、次第に音源から離れてゆく。

「捨てること」が怖い

強烈なのがこれ。文字通りのゴミの山だ。冷房がガンガンに効いているにも関わらず、すえた様な臭いが微かにしている。

__20250726223402

ある女子大生のワンルームアパートから搬出された、大量のゴミの一部だという。チルドの食品パック、飲みかけの缶、衣類、書類、ペットボトルが、彼女のルールに則って整然と(?)積み上げられていた。

彼女の主張では、それらの品々はベッドを起点にして、「よく使う順」に配置されていたものになる。食べ終わったコンビニ弁当のトレイも、不燃ゴミではなく、「よく使う順の最後の方の物品」として扱っていた。その結果、理論上その部屋から「廃棄物」が出ることは、年単位で無かったという。

彼女の引っ越しに伴い、部屋の清掃と処分が必要になったため、運び出された廃棄物の一部が(彼女本人の許可のもと)この展覧会に提供されたという。

いわゆる汚部屋に住む人は、「片づけられない人」と思っていたが、そうではなく、「モノを捨てるのが怖い人」(Disposophobia)も中に入るのかもしれぬ。アイデンティティとモノの結びつきに執着しているとも言える。

自分の恐怖心と向き合う

ベーシックな恐怖症から特異なやつまで、様々だ。

蓮コラやダム穴など、「あるある!」と共感できる恐怖心もあれば、電話の着信音や巨大風船など、「なぜこれが?」と首をかしげるものもある(説明書きを読むと腑に落ちる)。何を怖いと思うかは人それぞれで、人の想像力の極限を見ているかのようだ。

見ていくうちに、展示会のコンセプトが伝わってくる。いわゆる映画や小説のような「恐怖を消費する」ものではない。様々な「恐怖心」を示すことで、「あなたに刺さるもの」を自問させようとしているのだ。

なので、怖がろうとして行ってもピンと来ないだろう。

代わりに、自分の内側にある「恐怖心」と呼応するものがあるか? という目で眺めると、封印していたトラウマ級の過去を思い出してしまったり、全く新しい嫌悪感を見つけてしまうかもしれない。それは決して嬉しいことではないだろうが、あなたを知るための新しい発見と言っていい。

| | コメント (0)

『アポカリプスホテル』制作スタッフのトークショー「アポトーーク!」が面白すぎた(ネタバレあり)

 あーお客さまーお客さまー
 忘れものはーございませんかー?

    『ございません!』

 忘れもののー
 保存期間はー

    『3ヶ月!』

 でもお客さまーのことはー

    『一・生・忘れ・ナイッ!』
    『パーリィーナイッ!!!』

 銀河・銀河・銀河・ギンガ・ギンガ・ギンガ………銀河楼?
 ギンガ・ギンガ・ギンガ・銀河・銀河・銀河………銀河楼!

 よいしょ~~!!

銀河楼コールで始まった飲み会?じゃなくトークショー、めちゃくちゃ面白かった。

Photo_20250720004001

制作陣の裏話が最高過ぎる

『アポカリプスホテル』の制作スタッフのトークショーを見てきた。作るのに苦労したところや、こだわって凝ったところ、「ここだけは見て欲しい」というポイントや、「これだけは言えない」というヒミツまで、色々と仕込ませてもらった。もう一度見るとき、さらに濃厚に楽しめるだろう。

春藤佳奈(監督)
村越繁(シリーズ構成・脚本)
和田崇太郎(脚本)
竹中信広(制作統括)
上内健太(プロデューサー)

会場はLOFT9渋谷、150人くらいが集まってた。おっさん率高くて、最年少は俺の娘だろう。「竹本泉先生ファンの人~」という呼びかけに、結構な人数(俺含む)が手を挙げていたので、後は推して知るべし。

すごく贅沢なのは、アニメを一緒に観ながら、振り返り会に参加できたこと。もちろん全12話を全部流すわけにはいかないので、スタッフが思い入れのある回を倍速で流してもらい、それを肴に語り合うという流れ。

「正解」がないオリジナル

 原作がないので、キャラもプロットもすべてゼロから。正解がわからないまま手探りで模索するスリルと恐怖。バクチのように突き進み、後戻りはできない……のだが、結果、これだけの作品を生み出せたのは全スタッフの執念の賜物だといえる。

というのも、皆さんの会話は全てネタの宝庫だったから。「人類の帰還を待ち続けるロボット」という設定から、奇妙なアニメになることは分かっていた。でも、どうすれば面白くなるかは、プロットとキャラに懸かっている。トークショーでは、削られたネタ集だった。

私が見るのは、「結果」だけど、そこに至るまでの紆余曲折と削りに削ったものは、普通、見えない。本編の話よりも、「何が削られたか」に焦点を当てると、そっちの方が面白く、「それを見たかった」というものばかり。

例えば、9話の「結婚式&葬式」の回。ポン子の結婚式と、ムジナお祖母ちゃんのお葬式を同時にやるというのがチャレンジングで、かつ、お祖母ちゃんの遺体を使って切断マジック(切れてない)をするのも凄い。

だが、ボツネタでは、「ヤチヨがお祖母ちゃんの棺桶にバズーカ砲を撃ちこみ、棺桶は木っ端みじんになるけれど、お祖母ちゃんの遺体だけはポン子たちの後ろに瞬間移動する」というやつ。なにそれ見たいw

あと、ムジナのビデオレターはポン子だけに宛てたものだけど、本当は家族全員に一人一人語り掛けるシーンがあったという。いずれも尺にハマらないため泣く泣く削ったという。

ボツエピソードとして、丸々一話使って、「ヤチヨが夢を見る」というアイデアもあったという。様々なこと(猿の惑星的な?)が起きて、最終的には自由の女神か涅槃像になるんだけど、夢だったという回。アンドロイドは電気羊の夢を見るかのヤチヨ版といったところか。

昭和おじさんホイホイ

「ベントラー・ベントラー・スペースピープル」って今どきの若者は絶対に知らんやろ(俺は『うる星やつら』のメガネ君で知った、それくらい古い)。そういう、オッサン心を刺激するならば、せんだみつおゲームが没ネタだったという。

せんだみつおゲーム?

昭和おじさんホイホイ

「ららら無人くん」なんて、消費者金融の審査ルームなんて、今では無人遠隔審査が当たり前だけど、当時(1998年くらい)は画期的だったね。

さておき、おっさん心をくすぐるオマージュだらけなのがいい。トレマーズ(1990)、ハリーの災難(1955)、悪魔のいけにえ(1974)、ゼロ・グラビティ(2013)、インターステラー(2014)、シャイニング(1980)、宇宙刑事ギャバン(1982)あたり、どう見ても意図的にやってるとしか思えぬ(でもそれがいい)。

ポン子ぜったいこれやろw

銀河楼時間の歪み

質問コーナーも面白かった。

ヤバかったのが、「時間」の話。「人類が地球を去ってから〇〇年」とか「宇宙人のお客さまが初めて訪れてから〇〇年」など、折に触れて、物語世界でどのくらい時間が経過したのかが語られる。でも、年表を作ると、時間の流れがおかしくない?と尋ねてくる観客がいた。

ネットで白熱している議論によると、ポン子は狸星人だからヒトの1年とは違うので、計算にズレが出ているとか、ヤチヨさんがバグっていたとか、色々あったが、監督の自白によると、年表の計算間違いだったからだという(会場爆笑)。

鬼門なのが10話。10話についての質問には答えられないという(死体を隠す話ね)。そもそもなぜ死んだのかといった疑問だったのだが、スタッフ一同、墓まで持っていく秘密らしい。私&娘は、あの陶芸のうわ薬か何かが毒だったんじゃね?と予想しているのだが、陶芸エピソードは全く関係ないという。

ただし、本編には表現してあるので、見る人が見れば、分かるらしい(あと、「タイミング的に言いづらい」と言っているのがヒントなのかも)。

2期はあるのか?という質問には、「円盤が死ぬほど売れるか、アラブの石油王に見染められたら」とのこと。

秋ぐらいに設定集とか出るらしいからそれまでは竹本先生のコミック版(ただしプロットは別)を楽しむべし。

N/A

 

| | コメント (0)

科学と美学で読み解く美的体験のメカニズム『なぜ脳はアートがわかるのか』

N/A

「アートがわかる」とはどういうことかが分かる一冊。

著者はノーベル賞(医学・生理学)を受賞したエリック・R・カンデル。神経科学の教科書『カンデル神経科学』やブルーバックス『記憶のしくみ』の著者と言えば早いかも。

『なぜ脳はアートがわかるのか』は、お堅い教科書ではなく、現代アートを俎上に、認知科学、大脳生理学、医学から、美術史、美学、哲学まで、さまざまな知を総動員して、美的体験のメカニズムを解き明かしたもの。

ジャクソン・ポロックやアンディ・ウォーホルなど、アート作品が掲載されているのがいい。読み手は実際にそれを見ながら、還元主義的なアプローチで自分の美的体験を追検証できるような仕組みになっている。これから触れるアートにも適用できるので、いわゆる「応用が利く」やつ(この手法、『ブルーピリオド』の矢口八虎に紹介したい)。

フランシス・ベーコンの「顔」

この手法を、フランシス・ベーコンの作品を見たときの<私>の美的体験にあてはめてみる。

Three Studies for the Portrait of Henrietta Moraes.jpg
Fair use, Link

Three Studies for the Portrait of Henrietta Moraes [Wikipediaより]

パッと見た第一印象は、「顔」らしいと感じる程度だ。

とはいえ、輪郭は歪み、身体もねじれていて、かろうじて顔らしいと感じる程度だ。視覚刺激から目・鼻・輪郭の位置関係を抽出し、視覚システムのFFA(Fusiform Face Area)が「顔」として認識する(ボトムアップ)。同時に「これは人の顔だ」という前提のもと、既知の顔のイメージと照合しようとする(トップダウン)。

もっと抽象化して

(^_^) 

と書くだけでも、私は顔だと認識できる(パレイドリア作用)。これにより、著しく崩れていても「顔」と判断しようとするのだ。

しかし、パーツの一部で「顔」だと認識しようとしても、他の箇所が捻じれているため、違和感が生じる。ボトムアップで知覚された顔の可能性と、トップダウンで補おうとする唇や輪郭が一致せず、認知不協和が生じる。「不気味だけど目が離せない」といった感想は、この不協和から来る。

さらに、顔としての原型を留めていない箇所(例えば口)に注意を向けるのだが、口らしき部分は暴力的に抽象化され、何が描かれているのか、見れば見るほど分からないようになっている。

そこで<私>は、抽象的に描かれた口や輪郭の筆致や色彩から読み取れるもの―――例えば感情の奔流―――を想像する。

それも、私自身の記憶や経験から引き出せるものと、つなげようとする。怒りのあまり、大切な人を、酷い言葉で刺してしまった瞬間と、その直後に訪れた激しい後悔を思い出す。20年くらい前だけど、あのときのヒリヒリする疚しさは、痛いくらいに感じ取れる。

ベーコンの作品は、口が写実的に描かれていないものが多い。口の代わりに捻くれたぐちゃぐちゃの色がある。絵そのものは静かなのに(あたりまえだ)、まるで叫んでいるかのように見える。そういう感情の暴力を、<私>の中に生じさせる効果が、この絵にはある。

このプロセスそのものが、カンデルの言う「アートがわかる」という体験の一端なのだ。

「アートが分かる」とは何か

『なぜ脳はアートがわかるのか』では、人間の認知システムを、写実主義と抽象芸術で解き明かす。

人は、進化の過程で、具体的な対象を処理する能力に特化してきた。例えば、顔や身体、輪郭や色彩といった要素は、視覚システムに備わったボトムアップによって素早く処理される。

網膜に映った光のパターンから線や輪郭を抽出し、低次野で処理しながら「これは顔だ」「これはリンゴだ」と判断する能力は、生存に直結するため、極めて重要なものになる。「見たものをありのままに」描こうとする写実主義は、このボトムアップ処理から発達してきたものになる。

一方、抽象芸術はこのボトムアップ処理だけでは十分に理解できない。そこでは現実世界の具体的な形や遠近感が意図的に解体され、色・線・フォルムといった構成要素に還元されているためだという。

トップダウン処理では、蓄積された記憶や経験、知識を引き出しながら、あいまいな刺激に意味を与える。パレイドリアに代表されるように、人間の脳は「何か」を見つけようとする性質がある。

写実的に描かれたベーコンの「目」を手がかりに、「顔」だと認識できるのは、ボトムアップ処理のおかげだが、抽象的な「口」を見ようとすると、視覚システムは手がかりを失い、トップダウン処理になる。そして、これがハマると、鑑賞者は画面に「自分だけの物語」や「感情の奔流」を感じ取ることができる。

「アートが分かる」とは、作品をきっかけとし、ボトムアップやトップダウンのアプローチにより、<私>の中に新しい意味や感情を生成することに他ならない。

著者エリック・カンデルは、アートと科学の還元主義的アプローチに注目する。科学者が複雑な現象を要素に分解し、そこから全体像を再構築するように、アーティストもまた形象を分解し、<私>に再構築を委ねる。そこには、アートと科学の還元主義的アプローチの交差がある。

アートと科学の間に立つ一冊。

| | コメント (0)

読んだら手遅れ『かわいそ笑』

N/A

読んだり聞いたり、そのお話に触れることで呪われる―――そんな物語がある。

例えば『リング』や『残穢』が有名だ。ビデオを観たり、そのお話を知ろうとする行為そのものが不幸を招くストーリー。

だから、『リング』や『残穢』を観たり読んだりした人は、そのストーリーに触れることで、伝染するのじゃないのかしら、と怯える。おしゃべりするときの飛沫や、空気感染のように、物語を媒介して、ウィルスがべっとりと付いている(憑いている?)ように感じられる。

『かわいそ笑』は、この汚される感覚を何倍にもして味わわせてくれる。

ただ、注意してほしい。これは「ホラー」と一言で済ませられる作品ではない。語られるのは呪いの恐怖譚ではなく、その物語のすぐ傍にいる人の悪意に焦点が当たっている。そしてこの悪意は読んでいる私自身に向けられている。

最初のページを開くとこれ。

Photo_20250706093201

「本ページに限り無断複製、転載を認可します」とある。行ってみると分かるが、この先で私もこの悪意に参加できる仕掛けが施されている。そして、最後のページを読んだら最後、このQRコードの先に生きたくなること請け合う。いわば、読者参加型怪談かもしれぬ。

あるいはメタ怪談、いや、メタ・メタ怪談といえばいいのだろうか。

元ネタはネットに落ちてた怪談だ。かなり古びており、コピペにコピペ、伝聞に伝聞を重ね、原形を留めていないほど改変された書き込みだ。

それに触れた人たちのインタビュー、匿名メール、心霊写真、ワードのメモ帳、……バラバラの断片を著者がつなぎあわせるたび、浮かび上がってくるのは、あまりにもたちの悪い悪意だ。いわゆる自己責任系怪談―――「読んだ人が呪われる話」よりも、もっとおぞましい。読まなければよかった、一刻も早くこの本を手放したい、この禍々しさを擦りつけたい、そういう気にさせてくれる。

著者がクリエイターとして参加している「恐怖心展」が、この夏、渋谷で開かれる。

Photo_20250706092601

[恐怖心展] より

「先端」「閉所」「視線」といった、
様々なものに対して抱く「恐怖心」を
テーマに、展示を行います。
そこで展示される様々なものを通して、
あなたの恐怖心に向き合うきっかけに
なれば幸いです。

私は、7/25(金)16:00 17:00 に入場するつもり。よろしければ、ご一緒しましょう(twitterで@メンションしてください)。



| | コメント (3)

« 2025年6月 | トップページ | 2025年8月 »