読書会に参加すると「問い」が増える―――『イギリス人の患者』読書会
『イギリス人の患者』の読書会に参加した。
戦争で人生を破壊された四人の男女の物語を、詩的でイメージ豊かに描いた傑作だ。人生で3度読み、いまは原書に取り組んでいる。ブッカー賞受賞。
読書会では、予想を完全に裏切られたのが面白かった。何度も読んだので、答え合わせのつもりで参加したのだが、違う意見・異なる「読み」が飛び交い、たいへん刺激的だった。
それだけでなく、議論が白熱し、話をつなげていくうちに、私の中から新しい読み方が生まれたことに驚いた。一種の仮説に近いが、おそらく、この「読み」は新しい正解なのだろう。
作品をどう読もうと、それは読者の勝手だ。だが、より面白い読みや、さらに小説世界を深める読みの方が、「正解」なのだと思う。つまり小説の「正解」とは、その作品を面白くする視点の数だけある、と考える。
この記事では、読書会で得られた/気づいた「正解」を、問いの形でまとめてみる。なぜなら、これらの「正解」たちの裏付けは、これから私が読んで確かめる仮説にすぎないのだから。ネタバレを回避するよう、可能な限り配慮する。
「イギリス人の患者」とは誰なのか?
この謎が、読者を宙吊りにさせ、先を読ませる仕掛けになっている。
燃える飛行機の中から救出され、全身を火傷し、モルヒネのおかげで痛みをしのぐことができる状態の男だ。周りからは「イギリス人」とだけ呼ばれており、自分以外のあらゆることを知っている。
「あらゆること」とは、銃器や爆弾や航空機について、サハラ砂漠に棲む動植物について、トスカーナ地方のワインについて、何を問うても、即座に、明晰に答えてくれる。しかし、自分の名前や出自、過去については一切答えようとしない。
イギリス人を看護するハナ、彼女のおじさんであるカラバッジョ、爆弾処理にやってきた工兵のキップとの交流によって、現在と過去とが絡み合い、次第に明らかになってゆく。
初読時に私が抱いた印象は、「自分の過去を隠している」だった。身の危険を及ぼすことになるワケアリの立場のため、自分が誰であり、何を知っているのかを隠し、記憶喪失のフリをしているのではないか……そういう考え方だ。
もう一つ、「自分の過去を封印している」という考えだ。自分の愛が(結果的に)招いたことになる悲しすぎる出来事を、二度と思い出したくないがために、周囲からも自分からも心を閉ざしているのではないか……読書会では主流の意見だった。
それが、ハナやカラバッジョ、キップたちとのやり取りによって、次第に心を開いてゆく。最終的なトドメとなるのは、カラバッジョの「おまえ、分かっていたはずだ」という指摘だ。自分が隠していたこと、封印していたことが、実はそうではなく、筒抜けだったこと―――それを知らされたことがきっかけとなって、最後の告白になる。そういう物語構造だ。
とても納得感があるのだが、読書会で熱く語っているうちに、一つの仮説を思いついた。
「イギリス人」が誰か?この謎は、もちろん読者は知らない。だが、それだけでなく、「イギリス人」と呼ばれた男も、知らないのではないか?物語が進行していくにつれ、過去が断片的に描写されてゆくことで、男は、自分が誰なのかを思い出していく。同時に読者も、彼が誰なのかを知ってゆく。
死期を悟った男が「死ねば三人称になる」とカラバッジョに告げるのは、過去の中での自分を三人称で呼べる(名前で呼べる)ようになった、即ち、自分の名前を取り戻したからなのかもしれぬ。
この作品の裏テーマは、実は「記憶」であり、イギリス人の患者の「記憶」と、読者の「物語を読む」ことで知ることになる「記憶」を同期させる構造が仕込まれているのではないだろうか?
他にも、様々な問いがある。
ハナの恋愛
若く、美しい女としての一番の季節を、血と包帯と膿に費やしたハナ。ハナは、なぜ「イギリス人の患者」に惹かれたのか?
読書会で出した私の答えは、「名前が無いから」だ。死んでいく兵士たちを名前で呼んでやるのに精いっぱいだった日々を過ごすことによって、親しくなった人たちは皆死んでしまうことに打ちのめされる。それくらいなら、最初から名前の無い存在としての「イギリス人の患者」の傍らに居たほうが、心を痛めなくて済む……そう考えたのではないか。
しかし、この仮説だとハナがキップに惹かれる理由が必要になる。キップは健康な男だからと考えていたが、そこは、もう一度読む中で探してみよう。
物語に登場するオンダーチェ
読書会での指摘で気づいたのだが、作中に作者が出てくる。
地の文で明らかに作者としか見えないような形でコメントが為される。『ドン・キホーテ』のセルバンテスみたいに作者を自称してこないが、はっきり物言いをする。
語られている内容と語り手の知識にズレが生じるとき(イギリス人の患者が知らないはずの過去が語られるとき)、オンダーチェが語っていることが分かる。ここを鍵に、再読してみる。
ラストのキップの衝動的な行動にも、オンダーチェの「手つき」が透けて見える。戦争によって破壊された人生を、この上もなく美しく描くことで、戦争の醜さ、狡さ、邪なところを浮き彫りにしよとする「目つき」も見える(サハラ砂漠に引かれた戦線を獲りあうヨーロッパ諸国と、易々と交易するベドウィンたちの対照描写)。「物語への介入」とまでは言わないが、探すほど、作者の手つき・目つきが垣間見える。
何度も読んだはずの作品に、さらに「問い」が生まれることになった。4度目の読みで、これを確かめてみよう。これは読書会のおかげ。ちいさな読書部さん、ありがとうございました。

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