「色とは何か」を歴史、科学、芸術から解析する『色の歴史図鑑』
「色は、実在しない」という、刺激的な一文から始まる。
え? そこらじゅうに「色」あるじゃない? むしろ色が無いなんてものは存在しない。色は常に実在し、たとえ私がいなくても、ずっと存続し続けるように思える。
ところが、これは誤解だという。私たちが知覚している色は、私たちの頭の中以外には存在しない。色は、いわば光のトリックであり、生物がそれを見て初めて現れるものだと言うのだ。
では、色とは何か?
この難題に対し、物理学、美術史、心理学、文化人類学など、様々な分野から光を当て、浮かび上がらせたのが本書になる。さらには、宗教や絵画、食品・医療における配色の応用や、コマーシャリズムにおける色の役割にも踏み込む。
色は主観か客観か
様々な人が「色とは何か」の問題に取り組んできたのだが、中でも面白かったのが、ゲーテとニュートンだ。
色とは、客観的に測定できる光の性質に過ぎないとするニュートンと、色は見る人の主観的な存在だとするゲーテの主張が対決調で描かれる。
まずは、アイザック・ニュートン。17世紀の科学者に言わせると、色は、光そのものの中にあるという。
光をプリズムで分光する実験を通して、色とは白色光に含まれる物理的な性質だとし、客観的に測定可能なものだとした。例えば、プリズムで分光した「赤」は、さらにプリズムを通したとしても赤色のままになる(赤はそれ以上に分けられない)。
彼にとって、赤や青といった色は光の波長に対応付けされた自然の事実であり、見る人の感覚とは関係なく存在するものだとした。
次は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。19世紀の文学者に言わせると、色は我々の見るまなざしの中にこそ宿るという。
たとえば、白い壁にある赤い丸をしばらく見つめたあと、目を逸らすと、うっすらとした青緑が現れる。赤色を見続けると「赤」への感応度が下がり、その直後に白を見ると、赤が欠落した色(=赤の反対の色相の色)が残像として見える。
補色残像という現象は、物理的な光の性質だけでは説明がつかない。ゲーテは、色とは感覚であり、私たちが世界と出会う経験の一部だとする主観的な現象だとした。
実はこれ、どちらも正しい。というか、主観 or 客観という二分的なものではない。物理学(光学)はニュートンの理論をベースにしながらも、色覚理論や認知科学はゲーテの主張に支えられている。
私たちが「赤」を感じるとき、それはニュートンの言う物理現象でありながら、ゲーテの言う見るという行為の結果でもあるのだ。
色覚理論を応用したゴッホ
「色は、我々の見るまなざしの中に宿る」という観点を絵画に応用した画家の一人に、ゴッホがいる。本書では、「包帯をしてパイプをくわえた自画像」がその応用例として紹介されている。
画像:Wikimedia Commons より(出典)
ライセンス:パブリックドメイン
この作品では、衣服の青緑と背景のオレンジが補色の関係(色相環の反対の色の組み合わせ)になっており、並べることで双方がより鮮やかに見える効果が生まれている。
人間の眼には、それぞれ特定の色に反応する細胞がある。ある色を長く見続けると、その細胞が疲労し、脳はその色に「対応する反対側の色」を補って知覚しようとする(ゲーテが観察していた「補色残像」の現象も、まさにこの仕組み)。
したがって、補色の組み合わせは、単に視覚的な対比を生むだけでなく、生理的にも脳が“補完的な色”を足すことで、色が一層強く感じられることになる(味覚でたとえるならば、お汁粉にひとつまみの塩を加えると、甘さが際立つやつ)。
本書ではこの自画像が取り上げられているが、より強烈な青とオレンジの対比として、私は「星月夜」や「夜のカフェテラス」を思い出す。どちらも、空の濃い群青~コバルトブルーに浮かび上がる、赤みがかった黄~オレンジの対比があまりにも鮮やかで、色が発光しているかのように感じられる。
……というか、私の中のゴッホ像は、ほとんど「オレンジとブルーの画家」だと言ってもいい。この組み合わせで、デヴィッド・マレルの『苦悩のオレンジ、狂気のブルー』を思い出したので、再読しよう(傑作ですぞ)。
ゴッホは、自力で色覚理論に到達したわけではない。
色覚理論の元を辿ると、19世紀のタペストリーの織工場におけるトラブルになる。
現場の作業員から「指定された色の通りに織っているのに、出来上がったタペストリーの色がくすんでいる」という申告が上がっていた。フランスの科学者ミシェル・シュヴルールは調査と実験をくり返し、染料や繊維の問題ではなく、人の認知が起こす錯覚によるものだと突き止める。
シュヴルールはこの知見をまとめ、一種の科学的な声明として出版する。万人の視覚に共通する、再現性のある現象として広く普及したという。「色が何であるか」というよりも、「色がどう見えるか」という考え方は、染織工や建築家、画家に影響を与えたという(印象派なんてまさにこれ)。これが巡り巡って、ゴッホの目に留まったという寸法だ。
科学が芸術に与えた影響は計り知れないが、「色」を切り口にすると、より鮮やかに見ることができる。
他にも、「紫が高貴な色とされたのは、染料を抽出するプロセスに莫大な費用がかかったから」という身も蓋も無い話や、「晩餐会のコースの最中に、青色の照明に切り替える実験」といった迷惑な話など、色にまつわる様々なネタが詰め込まれている。
また、古今東西の「色の図鑑」が収められているのも嬉しい。自然科学者、職工、デザイナー、医師、冒険家、料理人など、それぞれの立場に裏打ちされたカラーチャート、色見本、カラーグルーピングがこれでもかと紹介されている。ユザワヤの色見本のサンプルが好きな人にはたまらないだろう(私だ)。
「色は、実在しない」からスタートして、人類が色をどのように理解していったのかの歴史を辿る―――本書は、いわば色の世界史と言えるだろう。

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コメント
色は興味深いですね。鏡も面白いけど、色の広さは格別です。
あまりに興味深いので、いま調色の仕事をしています。
まだとりかかったばかりですが、ほんとにおもしろいです。
構造色とか虹とか日本の「青と緑」とか。
投稿: 美崎薫 | 2025.05.25 18:01
>>美崎薫さん
そういえば、本書には構造色の話はあまり取り上げられていませんでした。歴史を振り返るとき、どうしても文献に頼ることにあり、はっきりと識別できる色に焦点があたっていたからかな……と思います。
日本の「青と緑」は面白いですよね(青菜とか青信号は緑色なのに)。この辺りの話も無かったです。おそらく、色のネタは掘れば掘るほど出てきそう!
投稿: Dain | 2025.05.26 09:23