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映像美に酔うか、読む悦びに徹するか―――映画『イングリッシュ・ペイシェント』と原作『イギリス人の患者』のあいだ

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映画『イングリッシュ・ペイシェント』を観た。長年の思い込みを改めることになった。

実はこれ、公開時にも観たので、28年ぶりに再会したことになる。

当時は、原作『イギリス人の患者』を読んだばかり。記憶と感情がもつれあうような感覚が印象的だった。アカデミー賞やゴールデングローブ賞を総ナメした前評判は上々で、間違いなかろうという判断の下、お付き合いしていた女の子を誘ってゴールデンウイークに観に行ったのが運の尽きだった。

ストーリーは大幅に改変(?)というよりも、背景だけ拝借しただけで、原作とはまるで違う装いだった。人生を破壊された4人の生き様を重ね合わせた原作とは異なり、主人公の愛と喪失だけに焦点を絞ったラブストーリーになっていた。

登場人物の設定も別物で、メインキャラの関係性を捻じ曲げ、まるで別の役割を与えたため、キャラの行動原理がペラペラになっていた。特に、私のお気に入りのインド人の工兵がモブみたいになっていたのが残念だった。

映像美はさすがに素晴らしかったものの、映画音楽が煩わしく、「ほら、ここが感動する場面ですよ」と言わんばかりに弦楽器を奏でるのが耳障りだった。

そんなわけで、映画館から出る頃にはすっかり不機嫌になっていた。酷評する私の横を歩いていた彼女の感想は「可もなく不可もなく?」と当り障りのないもので、さんざんなデートだったことを覚えている。

昨年、原作を再読し、昨日、映画を改めて観たのだが、この2つは別の世界線の物語だと思う方が、より堪能できることが分かった。

『イギリス人の患者』の読みどころ

まず原作の『イギリス人の患者』。

著者のマイケル・オンダーチェは詩人でもあり、比喩や象徴に満ちた文章となっている。さらに、エピソードは直線的ではなく、断片的な記憶やトラウマに沿って行ったり来たりしながら浮かび上がっていく形式のため、「何が起きたのか」を読み手が解きほぐすしかない。

普通の小説とは一線を画し、「誰が何をしているのか」は、読み進めないと分かるような仕掛けにしている。これ、一歩間違えると「分からない」と投げ出す読者が続出するだろう。だが、タイトルにもなっている「イギリス人の患者」とは誰なのか? という謎が、読み手の心を掴んで離さない。

この謎に導かれて、彼とその周囲の人たちの記憶をまさぐり、想像し、確かめていくことで、読者自身が物語を編みなおすような読書体験ができる。読者は、登場人物の記憶の深いところで重なっているため、その心情の揺れがダイレクトにシンクロする。

ここが、この小説を唯一無二にしている点だ(感想は [ここ] )。

『イングリッシュ・ペイシェント』の見どころ

次に映画化された『イングリッシュ・ペイシェント』。

監督のアンソニー・ミンゲラは、構図や光の使い方が叙情的で、風景が感情を語るような作風だ。『イングリッシュ・ペイシェント』では廃墟や砂漠を、『コールドマウンテン』では雪景色と南部の風土を、絵画のように映し出す。

なので、とにかく絵がきれいだ。カメラワークや色彩設計をはじめ、俳優の演技や音楽ですら、「あれは美しい物語だった」というインパクトを観客に与えるという一点に集中している。

そのため、物語の時間軸は整理され、映画のストーリーの流れが明確になっている。ラブロマンスだけを中心に据え、他のものはカットして、単線的に映像美を目指している。そこにミステリー的な要素はなく、原作の謎である「イギリス人の患者とは誰なのか?」は、パッケージに描かれている。

王道のラブストーリーを、ひたすら美しく哀しく描いたのがこれだ。「小説とは別物」という姿勢で、もう一度観たら、きちんと胸を揺さぶられた。

観てから読むか、読んでから観るか

小説と映画、どっちが先かと言うならば、『イングリッシュ・ペイシェント』が先になる。

一般に、映画は感情の直接的な共鳴を求めるメディアだ。そのため、詩的で抽象的な小説の語りは、そのままでは伝わりづらい。観る人に訴える力を最大化するために、様々なエピソードを削ぎ落し、設定を変えている。それでもいい、まずは直接的に感動してほしい。

その上で小説を読むと、登場人物が霧に包まれたように「見えなく」なるだろう。それぞれのモノローグを通じて、各人の行動原理を改めて探し出すことを、煩わしく感じるかもしれない。でもそれこそが、記憶を手繰るという小説の悦びにつながる。

映画は、「何を失ったか」を美しく描くことで、観る人の心に直接届くように仕立てられている。小説は、「失ったものをどう記憶するか」を多層的に描くことで、読む人の心を深く沈めるように書かれている。

28年ぶりに観て(読んで)ようやく腑に落ちた。『イギリス人の患者』と『イングリッシュ・ペイシェント』は、同じ素材からまったく異なる物語が紡がれた、いわば”別の世界線”の作品なのだ。

などと感動している私の隣にいる嫁様の感想は、「可もなく不可もなく!」だったと申し添えておく。

なお、『イングリッシュ・ペイシェント(吹替版)』はアマゾンプライムで観ることができる。



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