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耐久性のある漫画の作り方『マンガの原理』

N/A

何度も読み返す漫画がある。

例えば、こうの史代『長い道』と森薫『乙嫁語り』がそれ。筋もオチも味わい尽くしているのに、気づくと読み返して、噛みしめる度に良さを感じている(読んでる時間が好きなのだ)。こういう「しみじみと好き」な漫画は、インパクト重視のキャラは出てこないし、ド派手な演出は少ない。

では、地味(?)だけど滋味があり、何度も噛みしめたくなるような作品は、どう違うのか?

『マンガの原理』(大場渉、森薫、入江亜季)によると、耐久性を重視した作品だという。読み捨てられるような作品ではなく、心に残り続けるためには、どのようなセオリーがあるか。漫画を読む体験を心地よく感じてもらうには、どんな技法があり、それは具体的にどの作品のどこに反映されているか。

漫画は技術

こうし原理原則を、4つの章と68の技法に分解して紹介している。

 1. コマ割りと視線誘導の原理
 2. 絵の原理
 3. フキダシとセリフの原理
 4. キャラ・ネタ・ストーリーの原理

本書は「漫画は技術だ」と言い切る。「センス」というふわっとした表現ではなく、技術だから言語化できるし、努力によって身に着けることもできる。「漫画のセンスがいい」とはどういう技術に裏打ちされたものかが説明されている。

技法と適用例により、「何がマンガを面白くさせているのか」という根本的なところが見えてくる。私が無意識のうちに「好き」とか「楽しい」と感じていたことが、どういう技術によって支えられていたのかが、言葉と例(実際の漫画の引用)で見える。

N/A

マンガを描く人にとってのバイブル本としては、『マンガの創り方』がある。こちらは「今のネタを面白いネームに落とし込む方法」に特化したものになる。『マンガの原理』は、これに加えて、具体的な視線誘導やセリフ回し、キャラの立て方など、ネームの先まで指南してくれる。

例えば、視線誘導の原理。

「何かある」と読者に予見させ→それをキめるコマを配置する「フリとウケ」や、右ページ左下から、左ページ右上のコマへ視線を「跳ね上げる」技術、次のページをめくらせるために読み手の意識を途切れさせない方法など、読者を最後のページまで連れていくための、様々な視線誘導の技法が紹介されている。

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『マンガの原理』p.33より

こうしたテクニックに共通しているのは、「読むコストを下げる」だろう。スムーズに読んでもらい、読み手の期待を上げて受け止め、目を留めてほしいコマを凝視してもらう―――これらの技法は全て、より少ない読者のコスト(=集中力や意識)でもって、ストレスなく物語に没入してもらうためにある。

ジャンプの漫画講義録(松井優征)で、「防御力をつければ勝率も上がる」という記事があるが、あれの実践編といっていい。

種明かしされても読みたくなる

一番驚いたのが、『乙嫁語り』の解説だ。

何度も読み返していたまさにそのシーンが俎上に上がっており、「なぜこのように描かれているのか」が徹底的に説明されている。作品を解剖することで種明かしをしてしまうと、面白さは半減しそうかと思いきや、むしろ逆で、舐めるように味読した。

例えば、「見せ場では絵とセリフは別のコマに」という技術がある。大事なセリフを言わせる時のコマは、「セリフを印象的に見せるための構図」で描かれるべきだという。さらに、そのセリフの結果としての表情やリアクションは、「表情やリアクションを見せるのに最適な構図」で描けとアドバイスする。

その例として『乙嫁語り』の第66話「馬を見に」のシーンが紹介されている(以下に引用する)。12歳で結婚し、大人の男になり切れず、自信を失っている少年カルククに、妻のアミルがまっすぐな思いを伝えるところだ。

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乙嫁語り 10巻より

アミルの「私が好きなのはカルククさんです」というセリフは、まっすぐ目を見ている構図で描かれているし、「信じられませんか?」のリアクションは、セリフ無しの3コマを使って(しかも「跳ね上げ」の箇所で)、描かれる。

まさにセオリー通りなのだが、本当に重要なシーンは、この次の見開きページになる。

『乙嫁語り』の10巻では、第62~65話を使って、「強い男になるために努力するけれど、まだ成長途中のカルクク」が描かれる。大人でない、男らしくないと感じている様子が、彼の言葉や態度の端々で4話かけて伝わってくる。それを跳ね飛ばし、ストレートに好きだと伝えるアミルの思いと、それを受け止めるカルククの感情が一気に広がるのが、この次の見開きなのだ。

にもかかわらず、この次の見開きのページは、『マンガの原理』では引用されていない。ずりぃwwwとは思いながらも、本書を読む人は当然『乙嫁語り』も読んでるだろうし、この次のシーンも、もう一度読むでしょ(ニッコリ)という、編集者の目くばせなのかもしれぬ。

ワンピースのネームは手抜き?

「なるほど!」と思う一方で、「ホント?」と半信半疑になる技法もある。

例えば、1段分を1コマにする「ヨコ1コマは原則禁止」のルール。これは、作者がラクできる一方で、コマ割りの技術が身につかなくなるからダメだという。あるいは、「変形ゴマは必要なし」という指摘。変形ゴマとは台形だったり斜めのコマで、映画の中でレンズが見えてしまうようなメタ表現による雑味が出てしまうという。他にも「汗と照れ線はNG」といったルールがあるが、その真偽はともかく、作者の持ち味だったりするので、一概にNGでは無いような気がする。

さらに、私では判別つかなかったのが、『ONE PIECE』のネームについて。

毎週一定のページを描かねばならない週刊誌での連載は過酷です。『ONE PIECE』(尾田栄一郎)みたいにちゃんとコマを割る方が正しいし人気が出ると分かっていても、ネームがずるずる遅れる担当作家に対して「このままだと原稿が落ちちゃいそうだから、今回は大ゴマを多くして、少ないコマ数で締め切りに間に合わせよう」と言ってしまう編集者はたしかに存在します。

これ、オブラート(?)に包みつつ、言ってることは「ONE PIECEは大ゴマが多くて少ないコマ数で間に合わせている」ということなのだろうか。

私自身、ほとんど『ONE PIECE』を読んでいないので、是か否か分からないが、その後の指摘で「清書が間に合わないのは目立つが、ネームで手を抜くのはバレにくい」「ヨコ1コマばっかり並ぶ、単調な漫画ができあがる」と述べている。

GPT御大に調べてもらったところ、「(アラバスタ編と比較して)1話あたりの情報量が低下し、コマ割りや構成の不自然さが目立つ」という否定的な意見と、「(ある意味斬新な)演出上の工夫であり、手抜きではない」という意見と両方あるという。この辺、マンガを沢山読んでいる人の意見を伺いたいものだ。

激しく同意するコメントもあるし、気づかなかった指摘もある。その一方で、ちょっとヘンかも?と感じる主張もある。本書への意見が賛否両論なのも分かる。

でもこれって、それだけマンガが多様な証拠なのではないだろうか。

もし「マンガの原理」なるものが統一的で画一的であるならば、誰もがそれを学んでマネした結果、単調で画一的な作品だらけになるだろう。でもそうではなく、「原理」とはいえど、あるジャンルや特定の条件で発動するルールであるならば、例外も起きうるのだから。

こんな感じで、頷いたり反発したりする、忙しい読書と相成った。マンガを描く人・創る人向けのバイブル本だが、読む人にも発見がある、マンガライフを充実させる一冊。

 

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コメント

>『ONE PIECE』(尾田栄一郎)みたいにちゃんとコマを割る方が正しいし人気が出ると分かっていても、ネームがずるずる遅れる担当作家〜〜
>これ、オブラート(?)に包みつつ、言ってることは「ONE PIECEは大ゴマが多くて少ないコマ数で間に合わせている」ということなのだろうか。

私の解釈では、この場合ワンピースみたいにちゃんとコマを割るのが正しい。
それが「出来ると」人気が出る。という文脈かなと感じました。
近年のワンピースは、むしろ細かいコマが多いためです。
おそらくブリーチなどがわかりやすい大ゴマなのかなと思ってます。
こういった書籍で、バイネームでトップ漫画を貶めることもないかと思いますので…。

投稿: | 2025.04.28 16:08

>>名無しさん@2025.04.28 16:08

ご教示ありがとうございます。
おっしゃる通り「ちゃんとコマを割る」は、『ONE PIECE』に掛かっていると読むほうが自然ですよね。
すると、ネームで手抜きする作品として、何を念頭に置いた発言かは気になりますね。ちなみに、この後は以下のような発言が続いています。

「実は、読者は鋭いので、その漫画がつまらなくなっていることには、すぐ気が付きます。それでも、過去の面白さが再び復活することを信じて付いてきてくれているのです。手を抜いても人気が急落しない理由は、ここにあります。……しかしどこかの段階で、『ああ、もう復活することはないのだな』と判断した読者は去っていき、もう戻ってくることはありません」

投稿: Dain | 2025.04.29 21:29

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