「悪の美学」――魅力的な悪役の作り方『荒木飛呂彦の新・漫画術』
「悪役が物語を面白くする。魅力的な悪役がいることは名作に欠かせない条件だ」―――累計発行部数で1億2千万部を超える『ジョジョの奇妙な冒険』の作者・荒木飛呂彦は、こう喝破する。
優れた知性やカリスマ、才能と意志の強さ、あるいは独自の哲学を持つ悪役は、単なる「倒されるべき存在」ではない。バットマンに対するジョーカー、ルークにとってのダースベイダーのように、主人公との対立構造をよりドラマティックに仕立て上げ、物語の魅力を大きく引き上げる肝と言える。
しかも、悪役は人である必要はない。荒木先生に言わせると、あらゆる物語は「主人公 vs. 悪役」の構造になっている。主人公の目的や望みを阻むものであれば、なんであれ「悪役」とすることができる。ドキュメンタリーなどでは、社会システムや法制度が「敵」になることだってありうる。
なぜ「悪役」か?
悪役とは、主人公がぶつかり、対峙し、乗り越えるべき困難を体現している存在であり、その障壁が巨大で強大であればあるほど、作品は面白くなる。そのためにも悪役は徹底的に「悪」で「強い」という設定にするのが基本になるという。
僕は『ジョーズ』(1975)が大好きなのですが、何度観ても「素晴らしい!」と思えるのは、海の王者としてのサメを凶悪な殺人兵器のように描き、その圧倒的な恐怖を「これでもか」とばかりに表現しているからだと思います。
確かに!信じられないほど巨大かつ凶暴で、人肉の味を覚えてしまったホオジロザメが、ひたすら怖かった。ただデカいだけではなく、用心深く狡猾で、人間が仕掛ける罠を見抜くほど頭がいい。
『ジョーズ』は、鮫のパニック映画というのでは不十分で、圧倒的に勝てない状況で悪意を持った怪物と対峙する恐怖を描いた物語といえる(最初に見た時、沈みゆくオルカ号のシーンで絶対に勝てないと絶望した)。最近なら『ゴジラ -1.0』で、その絶望を踏まえた上でさらに絶望を上書きする仕掛けになっている。
悪役は、単に強いだけでなく賢く狡猾でなければならない。必ず主人公とセットで考えて、主人公の一歩も二歩も先を行き、読者や観客を「どうやって勝つんだこんなヤツに……」と絶望させなければならない。
悪役が強くて賢く圧倒的であればあるほど、それを乗り越える主人公が輝く。絶望的な状況を逆転するカタルシスに読み手は歓喜する。物語を面白くする要素や仕掛けは多々あれど、「良い」悪役こそが人気の要だ―――『ジョジョ』に登場する強烈な悪役であるディオ・ブランド―や吉良吉影を生み出した荒木先生が言うと、説得力が増す。
ディオ・ブランド―の作り方
では、この「良い」悪役は、どうやったら作ることができるのか?『荒木飛呂彦の新・漫画術』は、悪役の作り方を中心に、面白い漫画やストーリーの秘密を開陳する。
本書を唯一無二にしているのは、ディオ・ブランド―や吉良吉影をどうやって作ったのかを、具体的かつ実践的に解説している点だ。「いわば企業秘密を公開するに等しい」と言われている理由はここにある。
まず、悪役は、主役とセットで考えろという。悪役を魅力的にするために、主人公をどういうキャラクターにするのかが軸になるという。『ジョジョ』第一部では、主人公はジョナサン・ジョースターになる。
そして、必ずしも「善と悪」を拮抗させる必要はないという。ディオのように強烈なキャラにすることもできたが、そうしてしまうと、読者との乖離ができてしまう。
だから、平凡な役回りで、ホームズにおけるワトスンのような「基準点」という位置にしたという。『ジョジョ』第四部の康一くんのような、読者と同じ常識を持っているキャラクターという「ゼロ地点」があるからこそ、そこに悪とのギャップの激しさが浮き彫りになるという。
そうした上で、主人公には絶対に勝てないような強さ、美しさ、カッコよさ、知性、才能を対比させていったという。作品には表現しない可能性があるが、家族関係や生い立ちも考えたという。
そうしたキャラのバックグランドを「身上調査書」としてまとめる。身上調査書とは、キャラの特徴をまとめたもので、名前や身長・体重、出身・経歴といった属性から、性格や生い立ち、将来の夢、何を恐れているのかといった思想的なものまで考える。いわばそのキャラクターの世界観を一貫したものにするペーパーだ。
当時の身上調査書は失われているらしいが、記憶で再現してもらったものがこれになる。
身上調査書を記入していくことで、ディオ・ブランド―の存在が浮かび上がっていくという。「性格」の欄を埋めていくと「嘘と虚飾」「支配」「排除」といった言葉が並んでいく。
要するにディオはパラサイトなんです。自分の本心を隠してジョースター家という貴族に寄生し、奪えるものを奪いながら、乗っ取っていく。そのときジョナサンが邪魔なので、排除しようとすわけです。そこから、ジョナサンとディオの戦いが始まっていきます。
ディオの悪役がハマっていくことで、「吸血鬼」のアイデアとつながっていったという。当時の『少年ジャンプ』に連載されていたのは、『ドラゴンボール』『キン肉マン』『シティハンター』といった名作&傑作揃いで、その中で自分の個性を出していくためには、ジャンプで誰もやっていないダークな世界につなげる存在が必要だと考えたそうだ。
当時の編集部は、時代を反映してか、もっと明るくイケイケの世界を描くようアドバイスがあったという。しかし、身上調査書のディオとのキャラとは合わないため、自分の意志を貫き、最終的に「吸血鬼」になった。もし、編集部の圧に負けていたら、おそらくジョジョはこれほどメジャーにはならなかっただろうし、本書も無かったと思うと感慨深い。
こんな風に、ディオ・ブランド―を始め、吉良吉影、ファニー・ヴァレンタイン大統領といったジョジョの歴代悪役の身上調査書を公開しながら、どのように悪役を作っていったかを解説する。
悪役の哲学
面白いと思ったのは、悪役を作るときは、その時代時代の価値観が反映されている点だ。
例えば、吉良吉影のデザインには、バブル経済が終わり、「アゲアゲのキャラクターはちょっと違う」という感覚が反映されている。ディオのような最強のカリスマといった、ある意味分かりやすい敵とは一線を画し、日常の中に潜んでいるヤバい悪を目指したという。
これは、猟奇的殺人鬼レクター博士が登場する『羊たちの沈黙』(1991年)や、コリン・ウィルソン『殺人百科』のシリアルキラーが該当する。どこにでもいる普通で目立たずに生きながらも、残虐な罪を犯す存在こそが、時代に相応しい悪役になる。
そして、ジョジョに限らず、その作品が生まれた時代ならではの、カルチャー的な「悪」に目を向けよという。
本書で紹介されているのは、大英帝国の時代を生きたアガサ・クリスティーやコナン・ドイルの作品になる。注意深く読むと、謎やトリックの話を書いているように見えて、その背後には帝国主義が生み出した闇が存在しているという。
それは、ひたすら利益追求を目指すイギリス商人の強欲さだったり、彼らに蹂躙された新大陸の呪いだったりする。そういう時代の影のようなものまでも描くことができるのであれば悪のキャラクターに深みが出てくるという。
このように、悪役には「悪とは何か」という問いに対する、作者の哲学が反映されているというのだ。正しさに相対する悪をとことん考えることによって、「良い」悪役を生み出す―――これが、悪役の作り方の基本になるという。
この考え方は面白い。私は作品を享受する側だが、悪役を通じて作品の価値観のベースラインを伺い知ることはある。
一般に、正義というものは、普遍的な価値観として語られることが多く、一貫性を求められるために画一的で変化に乏しく、いわゆる「お約束」になりがちだ。
一方、「悪」というものは、その時代や社会の価値観に応じて形を変え、個性的な存在として描かれることが多い。怪物的な存在だったり、退廃的で道徳的な側面がクローズアップされたり、あるいは、社会的な格差や構造そのものを「悪」とすることだってできる。
悪には、その時代時代において抑圧された欲望を体現する自由がある。昔は「家父長制」から「ジェンダー優位」「多様性の尊重」まで、それぞれの時代の「お約束」を守らなければならない正義とは異なり、「悪」は計算高く変化し、社会の不条理を衝くことができる。
例えば、「女が自由に生きること」が抑圧されていた19世紀では、若い女を誘惑する吸血鬼は、伝統的な家父長制を揺るがす「悪」として機能していた。あるいは、消費社会において飼い馴らされた男性性を暴力で破壊する『ファイト・クラブ』のタイラー・ダーデンは、「良い」悪役と言えるだろう。
正義という秩序の外側に悪を相対させ、その葛藤が物語を動かす。立ち位置の象徴が、主人公と悪役であり、両者の乖離が激しく、悪が絶対的であるほど、その時代に生きる私たちは、物語を面白く感じるのかもしれない。

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コメント
「悪役の作り方」は、僕の教科書です。ワンピースを読んで、ストーリーの立て方を学んでいた時でさえ、ドン・キホーテ=ドフラミンゴ(イトイトの実の能力者)の存在に憧れていました。「対立」が無いと物語が作れない。どのような「対立」が書けるのか?そこがキーポイントになるのです。物語を創っている時の高揚感は、得にも言えない快感があります。自分の頭の中でひとつの映画が組まれていく。その映画を紙に書くのですが、僕は、その作業で一苦労です。(絵が上手くないから)創作家として駆け出しですが、夢を掴もうと努力しています。
もし、「若林直樹」という名前を見かけたら、一読してみて下さい。ひとりの人生というストーリーには決して敵わないけど。
投稿: 若林直樹 | 2025.03.04 21:35
>>若林直樹さん
コメントありがとうございます。確かにこれ、教科書代わりに咀嚼することで、一つの手法が手に入りますね。楽しみにしています。なお、同姓同名なのかもしれませんが、京都大学の教授に「若林直樹」さんがいらっしゃるようです。
投稿: Dain | 2025.03.06 18:22