脳は不確実性を最小化する推論エンジンだ『脳の本質』
まず結論、脳の本質は「予測」になる。
脳とは、過去・現在・未来に生じる不確実性を最小化する推論エンジンというのが、本書の主旨だ。
私たちは、感覚データそのものを見たり感じたりすることはできない。知覚できるものは、知識(生成モデル)に基づき「予測」した世界になる。身体の外だけでなく、身体内部の環境を予測するため、感覚データと予測との間に生じる誤差(予測誤差)を最小化するサイクルが稼働している。
私たちはよく、「現在の状態から未来を推論する」というが、その現在ですらリアルタイムに把握しているわけではなく、過去の推論に拠るものだ。刻々と変化する環境において、脳は、ひたすら予測と後付け(予測の上書き)を続ける。「現在」とはそこにあるものではなく、私たち一人ひとりの脳により決定されたものなのだという。
ベースは、神経科学者カール・フリストンの「自由エネルギー原理(Free Energy Principle)」だ。脳の機能をベイズ的推論として捉え、生物の知能を統一的に説明することを目指している。
これまでの研究成果と、そこから生じる疑問をあまりに上手く説明してくれるので、手品のタネを見るような読書となった。
「見る」とは何か
「見る」という行為の説明が面白かった。
私たちが「見る」とき、カメラで撮影した画像を解析しているかのように「見て」いると思っていた。だが単純に画像データを分析して、線や面や光の当たり具合を判別して、そこに写っている対象を認知しているわけではなく、もっと複雑なことをしているようだ。
脳は直接外界を「見る」ことはできない。一方、網膜に写った映像から得られるものは感覚データだ。脳はこのデータを元に、外界の状態を知覚するのだが、ここにベイズ推論が行われている。
脳はあらかじめ「このような状況であれば、こういうものが見えるはず」という事前分布を持っていて、そこに感覚データが入ってくると、それに基づいて「今、何が見えているのか?」という事後分布を推定する。これはまさにベイズ推定の枠組みであり、脳は確率的な推論装置として働いているとも言える。
このとき脳は、「予測(=事前分布)」と「感覚入力」の差(予測誤差)をできるだけ小さくしようとする。この差異を最小にするように内部モデルを更新していく働きが、自由エネルギー理論における「自由エネルギー最小化」と呼ばれる原理である。
私たちが「見る」とき、見る対象といきなり対峙するのではなく、その場所や身体の向き、光源や視覚の状況から「こういうものが見えるはず」が分かっている。一方で、見る対象の一部が何かで覆われていたり、本来の色や形でないことがある。それでも見たものを認知することができる。
例えば、白熱電球に照らされると、白いものはオレンジ色がかっている。しかし私たちは、(オレンジ色に見えてても)白いものだと分かる。あたかもカメラのホワイトバランス調整がされたように認識できるのはなぜか。
それは、脳が「この照明のもとでは、白いものがオレンジがかって見える」という環境モデルをすでに持っているからである。そのため、網膜にオレンジ色の刺激が届いていても、脳は「これは白熱電球のせいだ」と判断し、“本来の色”として白を知覚する。
これは感覚入力をそのまま受け取っているのではなく、脳が状況を加味して予測誤差を修正している結果だ。この一連のプロセスは瞬時に行われるため、普通、私たちは意識の上にすら上ってこない。
優れたバッターは「未来」を打つ
バッティング経験が豊富な打者の例も面白かった。
打者の瞳に映ったボールが視覚野に入力されるまでに0.1秒かかる。さらに、脳からの信号によって筋肉が収縮するまでに0.1秒。つまり、打者が「見た」と思ってから実際に体が反応するまでに、合計0.2秒のタイムラグが存在する。
マウンドとバッターボックスの距離は18.44m。時速150km(=約41.7m/s)のストレートなら、およそ0.44秒でキャッチャーミットに到達する。
つまり、見てから判断して振るならば、わずか0.2秒ちょっとのあいだに、ストレートなのか変化球なのか、どんなコースに来るのか見極めなければならない。人間の処理能力としてはほとんど限界に近く、実際には「見てから判断する」だけでは間に合わない。
にもかかわらず、経験を積んだバッターは、ボールを「見て」いると言う。投手のモーション、肩や肘の角度、指先のリリースの仕方、ボールの初期回転など、わずかな情報を総動員して、球種や軌道を瞬時に「予測」している。いわば、打者の脳は、ほんの一瞬の映像から、未来のボールの位置を計算している。
加えて、打者の体は、運動を先取りするように準備を始めている。構えた状態からの体幹のひねり、バットの角度、手首の使い方、スイングの速度や加速度——それらを実現するための指令は、脳の運動野から発せられ、少し先の未来である「ミートの瞬間」を想定して、筋肉に伝わる。
このとき脳が目指しているのは、「未来の筋感覚」、つまりまだ来ていないはずの感覚を先取りして打ちにいくことだ。これが自己受容感覚(筋感覚)としての「予測」であり、打者の内部モデルがもたらす運動の設計図である。
一方で、打者の腕や体幹の筋肉から脊髄を通って脳へと送られる信号は、現在の身体の状態に関する情報だ。
現在の感覚信号と予測信号の差が予測誤差になる。これがゼロになるように、脊髄の運動ニューロンはリアルタイムで修正を加えながら、わずか数十ミリ秒先の未来に向けてスイングを完成させる。
バッターに限らず、私たちの脳は、身体を動かす前に、未来の筋感覚を予測した信号を発する。運動ニューロンは、筋肉の収縮度合いだけでなく、関節の曲がり具合や曲がる測度、加速度まで符号化している。
これは、実際に身体を動かさなくても、スイングしている人を見た場合や(ミラーニューロン)、自分でイメージする場合でも発せられるという。運動は期待の自己実現といわれるが、私たちは脳だけでなく、身体によっても認知を行っているのだ。
「怒り」の正体
推論エンジンとしての脳は、運動だけでなく、感情についても同じように説明できる。
「感情は伝染する」と言われるが、怒り狂う人を見ていると、こちらも不快な気分になり、怒りっぽくなる。また、呼吸や脈拍など、内臓の状態にも左右されることが多いという。
スタンリーとシンガーによる研究で、被験者にアドレナリンを投与する実験があった。あるグループには、投与される薬剤は血圧や心拍数を上げる作用があるという説明があり、別のグループには何の説明もなかった。
被験者の中にはサクラがいて、投与後の効果を測定する部屋で、わざと皆を怒らせるような言動をする。被験者は自分の感情や生理的興奮度を報告する……といった実験だ。
予想通り、薬剤の説明があったグループの人は冷静だった一方で、説明の無かったグループでは、サクラに振り回され、一緒に怒る人が多かったという。
心臓はドキドキするのだが、その理由が分かっているならば、怒りという感情に至らず、身体に生じていることの理由が不確実である場合は、感情に振り回される。
私たちが感情を言い表す際、「腸が煮えくり返る」「心臓をワシづかみにされる」「肝を冷やす」など、内臓を使う表現が多い。内臓と感情は結びつきがある証左ともいえる。
だが、脳からすれば、直接内臓を把握することができない。血圧や脈拍や感覚データから判断するしかないという点では、身体の外の認知と同様だ。脳は、身体に生じているデータ(内受容信号)から原因を推定しようとする。その予測の差が小さければ何も生じないが、差が大きく、不確実であるほどネガティブな感情―――例えば怒りが生じるというのだ。
実際には、不確実性が増した場合、そのときの感情価(快不快)と覚醒度によって、喜びや恐れ、怒りといった感情につながるという。
脳の推測が期待したものに添わないほど不確実性が増し、ネガティブになるという理屈は、私の感覚にも合う。また、これを逆手に取るならば、怒りが生じたとき(生じそうになったとき)、原因をできるだけ早く突き止めるだけで、怒りを治めることができるかもしれないという考えにも同意できる。
この怒りを観察するという姿勢は、仏教の「正見(しょうけん)」に通じるものがあって面白い([恐怖なしに生きる]に書いた)。
私たちは、絶えず変化する環境に対し、モデルを学習する。このモデルは現在を推論するだけでなく、未来を予測するためにもある。世界を探索し、適応的で予測可能な知識を用いることで、「こうしたらどうなる?」という疑問に答える能力を鍛えている。
予測誤差が生じた場合、モデルを書き換え、記憶し、知識を更新する。それは、過去・現在・未来に起こりうる、推測と現実の差を最小化することで、私たちの究極の目的―――生き延びる―――を実現するというのだ。

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コメント
Kurzgesagtのチャンネルにも最近似た様なものを議論していました。参考になるかと、こちらになります。
https://www.youtube.com/watch?v=wo_e0EvEZn8
投稿: ハル | 2025.03.31 22:17
>> ハルさん
ありがとうございます!見てみますね。
「『現実』というものは再構成されたものだ」というお話みたいですね、面白そう。
投稿: Dain | 2025.04.01 22:13