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「なぜ小説を読むのか」という問いへの応答としての『小説』

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なぜ小説を読むのか?

面白いから?

現実を忘れられるから?

主人公から勇気を、物語から興奮をもらえるから?

「この物語」について誰かと話し、あふれ出る気持ちを伝えたいから?自分の意見を代弁させる作品を声高に叫びたいから?

小説を読むことで、物語中の誰かとなり、別の時代、別の場所に生き、見たことのない景色、感じたことのない経験をして、戻ってくる。読む前の「私」と違う存在となる。

単なる娯楽とするならば、映画やゲームや音楽など、他のメディアでも得られる。文字だけで世界を構築することで語彙力を増やし、想像力と創造性を高め、キャラクターへの共感性や描写への感受性を向上させる。

そういう「実利」のために、小説を読むのか?

読むことで得られる「なにか」のために、読むのか?

受け取るだけなのか?

小説から貰えるものを貰えるだけもらって、何も返さないのか?

読んでいるあいだ、物語の中にいる間だけは、形を保っていられる。なぜなら、自分は空っぽであって、中には何もないからだ。代わりに物語が、キャラが、描写が、そこから得られる感情が詰め込まれている。だから、読んでいないときはぐにゃぐにゃで、泥のような存在となる。

だから読む。

読んだもの、自分の中に取り入れたものは、返さない。

ただ読むだけ。

ただ読むだけではダメなのか?

こうした諸々の疑問に対し、一つの小説の形で応答したのが、野崎まどの『小説』だ。念を押すが、『小説』というタイトルの小説だ。

物語が無かったころ、人生は一度きりだった。「もうああだったならば」「こう生きることもできた」という数々の後悔への反発であり、貴族としても犯罪者としても生きる可能性を示し、遠い未来の外宇宙も旅することもできるし、戦国時代の将として活躍することだってできる。男でも女でも人間以外にもなれる。

小説は人生の一回性に対する抗議として書かれたともいえる。小説のおかげで一生が二生にも三生にもなった。現実の、「運命」で片づけられる現象への反抗として、不完全で儚いヒトの記憶への対抗として、小説は書かれ、読まれた。

そういう可能性を、見事な形で小説にしたのが『小説』だ。

あらすじは野暮というもの。

前情報を抜きにして、直接、向き合ってみてほしい。

まさに、私のために書かれた小説が『小説』だ、と強烈に感じるだろう。

本書を手にしたのは、Asylum Pieceさんのこのtweetのおかげ(ありがとうございます!素晴らしい体験でした)。

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