高橋留美子先生を絶句させた短編から大長編『カラマーゾフの兄弟』『失われた時を求めて』を気軽に楽しむ方法、今井美樹『PRIDE』が全く違う曲に聴こえるエピソードまで、「愛と憎しみ」をテーマにした読書会「スゴ本オフ」のレポート
好きな本を持ち寄って、まったり熱く語り合う読書会、それがスゴ本オフ。本を介して人を知り、人を介して本に出会う読書会だ。
本に限らず、映画や音楽、ゲームや動画、なんでもあり。なぜ好きか、どう好きか、その作品が自分をどんな風に変えたのか、気のすむまで語り尽くす。
今回は「愛と憎しみ」のテーマで、皆さんの推し作品が集まった。知らないけれど気になる作品と出会うだけでなく、プレゼンの熱に当てられて読み返したくなる作品にも再会できた。
皆さんの「このテーマでその作品を語るのか!!」という着眼点が素晴らしく、その眼力と発想に恐れ入る。何を選ぶかも自由だし、選んだものをどう解釈するかも自由だ。その感性がシンクロするときが、とてつもなく嬉しい。
読書は孤独ではないとして「同じ本を読む人は遠くにいる」という言葉がある(by 読書猿)。オフ会をやると、同じ本を読む人は割と近くにいることに気づいて嬉しくなる。
愛のために始まり、憎しみによって終わるドラマ『ブレイキング・バッド』
私が紹介したのは、テレビドラマ『Breaking Bad』。
高校で化学を教える冴えないおっさんが主人公だ。身ごもった妻と高校生の子どもを養い、ローンの返済に追われる毎日なのだが、ある日、肺がんで余命宣告されてしまう。このままだと借金を残すことになり、家族がバラバラになってしまう。そこで持ち前の化学の知識を生かし、超高純度のドラッグを精製して売りさばくという、人生最大の賭けに出る。
ドラッグの品質はダントツで、人気が出るのだが、他の売人やマフィアが黙っちゃいない。そうした連中に巻き込まれていくうち、このおっさん、どんどん悪くなっていく。最初は愛する妻子のためにお金を稼ぐのだが、カネがカネを呼び、愛が憎しみを呼び、引き返せないところまで疾走していく。
その経緯を、ときにコメディタッチ、ときに残虐に、あますことなくつぶさに見させられるのだが、「どうしてこうなった」という言葉しかでてこない。第1話にすべてが込められており、1話を見ると2話を、2話を見ると次々と観たくなる、麻薬のようなドラマだ。
愛によって始まった物語が憎しみによって完結する、そういう傑作が『Breaking Bad』。これを超えるようなすごいドラマがあったら教えて欲しい(ただしゲーム・オブ・スローンズを除く)。
高橋留美子先生を絶句させた傑作短編『半神』
確かにこれは「愛と憎しみ」だ!と膝を打ったのが、ナリナリさんが推しの萩尾望都『半神』。短編集『半神』の冒頭に収録されている、わずか16ページの短いマンガだ。あの高橋留美子先生をして、「あれは・・16ページ・・16ページであれを・・」とバグらせたといういわくつきの神作だ。
萩尾望都『半神』より
ナリナリさんの圧のあるコメントを引用する。
オススメの理由は、物語の内容と形式がここまで見事に調和した作品が存在することを誰かに知ってもらいたいから。要約すると「結合双生児の妹に姉が愛憎を抱く話」となるでしょうか。
しかし、この要約では本作の良さは伝わりません。漫画という視覚メディアによって、容貌も含めて容赦なく描き出される”姉と妹”の視覚的な対比があってはじめて凄みが生まれる作品です。
本作に出会ったことで、物語にはその内容に適した形式があり、それに則って語られたときにいっとう輝くことを知りました。
一度読んだら一生忘れられなくなる傑作を、わずか16ページで描き切るだけでも凄いのに、漫画という媒体のビジュアルに乗せて「愛と憎しみ」を畳みかけてくるのも凄い。そう、まさにこれこそ「愛と憎しみ」がテーマの作品と言える。
愛の歌がまるで違って聴こえる「PRIDE」
びっくりしたのが、ミムラさんご紹介の今井美樹『PRIDE』。
ん?
「私はいま~」で始まるやつでしょ? 愛する人への思いを「やさしさとは、許し合うことを知る」とか「わがままさえ、愛しく思えたら」といった歌に込めた、やさしさに溢れる良いバラッドじゃん。おっさんホイホイの名曲だと思う。
確かにこれは「愛」なんだけど、「憎しみ」は? と思っていたら、この曲が作られた時代と、作った人―――布袋寅泰の話になる。時系列で言うと、こんな感じになる。
1986 布袋寅泰と山下久美子が結婚
★
1997 布袋寅泰と山下久美子が離婚
1999 布袋寅泰と今井美樹が結婚
山下久美子との結婚当初、布袋寅泰のネームバリューはそれほど無かったという。ヒットメーカーである妻とすれ違いがちになるのだが、そこで現れたのが今井美樹。音楽活動を通じて接近したと言われるのだが、当時は「略奪愛」だのバッシングがあったという。
私「PRIDE」が発表されたのは★のタイミング。ちょうど不倫のドロドロ三角関係があったという時期に重なる。
このゴシップ、私は知らなかったのだが、知ってしまった今、同じ歌がまるで違うものに聞こえる。これを作詞作曲し、どういう思いで今井美樹に歌ってもらったのかと考えると、味わい深いものになる。美しい歌詞の裏には、愛だけでなく様々な感情が込められているのかもしれぬ。
王道を音読する『失われた時を求めて』
王道なのが、よしおかさん推しのプルースト『失われた時を求めて』だ。
フランス文学、いや20世紀の文学を代表する全14巻の大長編で、「私」という語り手が幼少期から成人するまでの人生を振り返る形で進み、貴族社会の衰退とブルジョワの台頭を背景に、記憶や時間、愛、芸術といったテーマを考察したもの。
よしおかさんは、音声SNSであるClubhouse(クラブハウス)で音読会をしながらゆっくり読んでいるとのこと。岩波文庫版を読んでいるのだけれど、メリットは注釈が非常に充実している点だという。
それも、「その時点での」注釈であるところが素晴らしい。例えば、ある登場人物に注が付いており、それを読むと、どこで登場したかが事細かに書いてあり、長い小説にありがちな「こいつ誰だっけ」を解決してくれる。
注釈だけでなく、場面索引というのもある。最初は、こんなの付けてどうすんだと思ってたけれど、音読しているうちに、場面を思い出して「そういえばこんなんだっけ」という気にさせてくれるという。
フランスの歴史や地名を知らなくても、注が付いているので安心すればいい。どんどん読んで、どんどん忘れてしまっても、ちゃんと注釈が補ってくれる。
お薦めの読み方は、14巻の中から、目をつぶって1冊抜き取り、そこから読むというやり方。注釈がしっかりしており、ストーリーらしいストーリーはなく、情景描写の累積だからなせる読み方だという。伏線がどうかとか、心理描写と場面のここがつながっているといった考察も研究がなされており、注釈に反映してある親切設計。
基本的に、主人公の「私」とそのガールフレンドだけ見ていればいい。「私」のガールフレンドへの想いは、まさにラブ&ヘイトになる。主人公に1ミリも共感できず、バカなやつだなぁと思うのだが、そういう、人の人生を淡々と眺めるような読み方ができる。
私の場合、1巻だけ読んで、貴族もブルジョワもひっくるめ、鼻もちならないフランス的なマウンティング合戦にウンザリして投げたことがある。ヘンに構えず、元気なうちに読んでみようという気になった。
王道をオーディブルで『カラマーゾフの兄弟』
もう一つの王道が、ズバピタさん推しのドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』だ。
ドストエフスキー最高傑作の一つとされる長編小説で、メインストーリーは、父親殺しの謎を軸に、兄弟が異なる思想や感情に翻弄される姿が描かれている。その根底に流れるものは、人間と人間同士の「愛と憎しみ」という相反する感情のせめぎ合いだ。極端な感情のぶつかり合いを描きつつ、それでもなお人間が「救済」や「赦し」を求める姿が浮かび上がってくる。
愛憎劇の決定版ともいえるカラ兄なんだけど、ズバピタさんは面白い取り組み方をしている。本ではなくオーディブル版を堪能しているという。ナレーターの演じ分けが素晴らしく、思わず引き込まれてしまうとのこと。
父フョードルと長男ディミトリーが、ひとりの女性を奪い合う近親憎悪のエグさが真に迫る感じで、ラジオドラマを聴くようにドストエフスキーの世界に浸れる。まだ2巻までしかないのが悩みどころという。
カラ兄は何度も読んで、今も読み返しているのだけれど、ラジオドラマのように聴けるのは知らなかった。2巻は、ゾシマ長老のところに兄弟たちが集まる場面が収録されているみたいだが、カラ兄の中で2番目に笑えるところなので聴きたいwww(一番笑えるのは、チキチキ!絶対に笑ってはいけないゾシマさんのお葬式)。
「愛と憎しみ」の作品リスト
テレビドラマ、マンガ、音楽、小説、オーディブルと、お薦めされた作品を紹介した。
他にも、ガチのホラーから、子ども向けの絵本の朗読、ミステリー、ファンタジー、SFなど、今回もたくさん集まった。「愛と憎しみ」というテーマ、最初は難しいと思ったけれど、皆さんのお話を伺っているうちに、どんどん芋づる式に出てくるのが嬉しい。
愛と憎しみは反意語のように扱われるが、けっこう近いところにいる。愛の反対は憎しみではなく無関心だとマザーテレサが言ったとか言わなかったとか。一方、憎しみの反対も愛ではなく無関心だろう。愛も憎しみもアドレナリンを放出し、強い感情でドライブする。
物語をドライブするのは愛憎にまつわる感情や行動だ。そういう意味で、物語になりやすい要素とも言える。このテーマに合うものは、源氏物語や聖書を持ってこなきゃダメかと思っていたけれど、もっと気軽に眺めるなら、そこら中にあるものなのかもしれぬ。
『モンテ・クリスト伯』アレクサンドル・デュマ(岩波文庫)
『ヴィンランド・サガ』幸村誠(講談社)
『Breaking Bad』(AMCテレビドラマ)
『からくりサーカス』藤田和日郎(小学館)
『ムーンフラッシュ』パトリシア・マキリップ(早川書房)
『ポルトガル短編小説傑作選』ルイ・ズィンク(現代企画室)
『マレー素描集』アルフィアン・サアット(書肆侃侃房)
『血ぬられた光源氏』藤本泉(アドレナライズ)
『春にして君を離れ』アガサ・クリスティ(ハヤカワ文庫)
『重力ピエロ』伊坂幸太郎(新潮社)
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』アンディ・ウィアー(早川書房 )
『悪魔の手毬唄』横溝正史(角川文庫)
『償いの雪が降る』アレン・エスケンス(創元文庫)
『異端の肖像』より「生きていたシャルリュス男爵」澁澤龍彦(河出文庫)
『八ケ嶽の魔神』国枝史郎(講談社)
『ウェン王子とトラ』チャンジエンホン(徳間書店)
『失われた時を求めて』プルースト(岩波書店)
『哀れなるものたち』(エマストーン主演映画)
『フランケンシュタイン』メアリ・シェリー(光文社古典新訳文庫)
『偶然の確率』アミール・D・アクゼル(アーティストハウス)
『数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活 病院や裁判で統計にだまされないために』ゲルト・ギーゲレンツァー(早川書房)
『子どものための哲学』永井 均(講談社現代新書)
『半神』萩尾望都(小学館)
『夜は一緒に散歩しよ』黒史郎(メディアファクトリー)
『PRIDE』今井美樹
『冗談』ミラン・クンデラ(岩波文庫)
『Under the Rose』船戸明里(幻冬舎コミックス)
『カラマーゾフの兄弟』フョードル・ドストエフスキー(オーディブル版)
オフ会の告知はここでしているので、気になる方はどうぞー
facebook:スゴ本オフ

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コメント
>愛によって始まった物語が憎しみによって完結する、そういう傑作が『Breaking Bad』。これを超えるようなすごいドラマがあったら教えて欲しい(ただしゲーム・オブ・スローンズを除く)。
私もブレイキング・バッド、ベーター・コール・ソウル(これはリアルタイムで毎週ドキドキしながら)を見ました。「『Breaking Bad』。これを超えるようなすごいドラマがあったら教えて欲しい」と言われると中々難問。
私はすぐに「ザ・ホワイトハウス(The West Wing 1999-2006)」と答えますが、Dainさんの賛同を得れる自身はないですが。こればかりは趣味ですよね。
ただ、この作品の、ほんの一部分だけ言います。
「不法入国者は即刻国外追放」「1セント硬貨は廃止」「アメリカの公用語は英語にする」などを1エピソードで費やしました。2000年代のドラマです。今のなんか今の何たら政権の話?って思いませんか?最終回は2006年です。このドラマの結論は「議会の承諾が得られない」でしたが、議会は承諾してますかね?
愛によって始まった物語が憎しみによって完結するドラマでブレイキング・バッドを超える作品は私はわかりませんが、ブレイキング・バッドというのは、私はザ・ホワイトハウスがエミー賞作品賞四年連続受賞した後の作品として、新たな路線を築いた作品として評価してます。
以前書かれた「Bosch」もそうですし、アメリカドラマは色々あって面白いですよ!Dainさんが面白いドラマみたいなら、いろんなドラマ見るしかないですよ!私はそうでした!新しいドラマを見るたびに「これが面白い!」ってなりますから!
投稿: 関西人 | 2025.03.07 00:40
あと、大変申し訳ありませんが、ブレイキング・バッドはNetflixではなくてAMCです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/AMC_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E5%B1%80)
強調した理由は、AMCは地上波ではなかったので、規制にとらわれずに政策で来たんですよね。
Dainさんがどの程度、アメリカドラマを見られたかわかりませんが、地上波とCATV・ネット配信ではやっぱり作りが違います。規制された中での自由、規制れされないうえでの自由、それで見方が違ってきます。
エミー賞は、地上波・それ以外を区別せずに選んでるからShogunが賞を取りましたが、本当、最近のアメリカドラマはすごいですよ
投稿: | 2025.03.07 00:50
>>関西人さん
諸々ありがとうございます!
映画であれドラマであれ、玉石混交の大量の作品のうち、海を越えて翻訳されて日本で紹介されるという時点で、一定のクオリティに達していると思います。なので、見るたびに「これが面白い!」というのは確かにそうかもしれませんね。
あと、ブレイキング・バッドはAMC製作なんですね、教えていただきありがとうございます。アメリカドラマは自分では積極的に観ないので、皆さんのお薦めをつまみ食いする程度です。
投稿: Dain | 2025.03.09 18:50
>Dainさん
記事の本旨とはかけ離れた、まことに失礼なコメントを連投したと、投稿後に後悔しました。それなのに、丁寧なご返信ありがとうございます。
ブレイキング・バッドの画像を見た瞬間、嬉しさから反射的に書いてしまい、自分のエゴを押し付けるようなことを書いてしまいました。これからは数分置いて、冷静になってから記事を読み、不要なコメントはしないと誓います。申し訳ありませんでしたm(__)m
(返信不要です。すみません)
投稿: 関西人 | 2025.03.09 21:22
>>関西人さん
返信不要とのことですが返信します。
記事内容との関連性は気にしなくて大丈夫です!
昔の「掲示板」みたいなものが無いので、コメント欄がその代わりとなっているようなものです。
なので、お気になさらず思ったことを書いていただければ幸いです。
私も、気が向いたら返信するし、そうでないものはスルーします(一部、明らかにスパムなのはこっそり消していますがw)
投稿: Dain | 2025.03.14 09:05