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不安障害に『このすば!』、抑うつ状態に『ワンパンマン』、グリーフケアに『葬送のフリーレン』、パーソナリティー障害に『チェンソーマン』、処方箋としての物語『実践・アニメ療法』

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Bさんは30代前半の女性会社員。真面目一筋の完璧主義者で、勤務先の評価も高く、最近昇進したばかり。業務だけでなく責任が増え、仕事のチェックを任されるが、時間的余裕はなく、焦燥感とイライラがつのるようになる。会議の席でミスを指摘されたのをきっかけに、自分を許せなくなり、動悸、冷や汗、めまいの日々が続くようになり、ついに通勤電車で動けなくなる。

精神科医は、まず抗不安薬と休職を処方し、不安障害の急性期を乗り越えた後、アニメ療法を提案する。Bさんと相談し、『この素晴らしい世界に祝福を!』(このすば!)を用いてセラピーを開始する……

アニメ療法?

聞きなれない言葉だが、物語療法の一つとして、有力視されているという。受診者の体験や考え方を「物語」として捉え、それを見直し、再構築することで、心の負担を軽減するカウンセリングだ。

アニメ療法とは

アニメ療法は、アニメを活用して精神的・心理的なケアを行う新しいアプローチのこと。もともとは、「物語療法」が出自となる。

私たちは、生きていく上で何らかの信念を抱えている。この信念は人生を形成するテーゼとなり、周囲の人間関係や世界観を形作っている。通常なら自身を肯定するこの信念が、何らかの失敗体験をきっかけとして、自分を否定するようなものに変わったらどうなるか?

そんな経験は、皆さんもあるかもしれない。成績がふるわないとか、受験や就職に失敗したとか、仕事が上手くいかない、上司や同僚とのそりが合わない等、上手くいかないことが多々ある。

そうした失敗体験を「自分のせいだ」としてしまうことがあるかもしれぬ。自分の努力が足りないとか、性格が悪いからと、自分こそが問題の原因だと決め付けてしまう。この認識が次の失敗を招き、自己否定を強化するという悪循環に陥ってしまう。

このスパイラルから抜け出すためには、まず「自分=問題」という支配の物語から脱出する必要がある。カウンセラーは受診者との対話を通じて、支配の物語の元となっているものを探ると同時に、「自分」と「問題」を切り離して考えるように促す(これを外在化と呼ぶ)。

物語療法は、この脱出の手助けとなる。

いまの悪循環を直接書き換えるのではなく、まず、代替となる人生を、物語の形で提示する。受診者は、物語と比較しながら、自身の体験や考え方を「物語」として捉え、見直し、再構築することができる。

カウンセラーは、物語への感情移入を促し、キャラとの類似性を考えてもらい、キャラを通じて、受診者が抱えている問題の外在化を図る。自分の人生と直接向き合うのではなく、物語やキャラとの比較をしながら、自分と問題とは別物であり、問題には解決方法があることに気づくのだ。

物語療法は、元は小説や映画で用いられていた。このブログでも、以下のガイドブックを紹介している。

文学の手法を取り入れた医療『ナラティブ・メディスン』

鬱に効く映画『シネマ・セラピー』

アニメ療法は、この物語療法の流れを汲む。アニメの場合、一つのお話が30分と短く、小説を読むよりも手軽でエネルギーを使わなくて済む。デフォルメされたキャラや背景は、映画よりも情報量が少なく、物語に没入することができるという。

さらに、アニメであれば何でもよいというわけではないという。受診者と相談しながら作品を選ぶのだが、ポイントとしては「抑圧と葛藤で自己表現ができない主人公」が「何かをきっかけとして変身し、自分も含め環境を変えていく」ストーリーが含まれるものを挙げている。本書で紹介されている作品を見る限り、いわゆる「日常系」は入らなさそうだ。

『このすば!』によるカウンセリング

カウンセリングは、1回につき数十分から1時間程度、全部で7セッションに渡る。

セッションの序盤は、いきなり受診者に焦点を当てるのではなく、「物語の意義」がメインとなる。どんなお話だったか、好きなキャラと嫌いなキャラ、気に入ったセリフや、キャラの行動に賛成/反対するところを、自由に語ってもらう。

中盤になると、キャラの性格や行動と、受診者との共通点を探ることになる。「なぜ好き/嫌いなのか」「どうしてそう思ったのか」といった質問を投げかけ、自分の悩みと似ている点を、自身の言葉で語ってもらう(ただし、焦点は作品に当てる)。

さらにセッションが進むと、キャラがどのように問題を解決していったかに焦点を当てる。どのように悩み、葛藤し、克服していったかを参考にし、自身の悩みの軽減策を探っていく。どんな小さい例でも良いから、キャラの問題解決と似た出来事を思い起こしてもらう。

『このすば!』は、異世界転生モノの先駆けになる。運だけは強い主人公カズマと、いろいろと残念な女神アクア、Mっ気のある変態クルセイダーのダクネス、爆裂魔法を一日に一発しか撃てない魔法使いのめぐみんたちが織りなす、おバカでちょっとHなギャグアニメなり。

異世界ファンタジーだから、その世界での使命なり冒険が待っているもの。だがカズマはその日暮らしに明け暮れる。「魔王討伐」という分かりやすいミッションがあるのだが、ガン無視する。で、行き当たりばったりでなんとかなってしまうお気楽さと、ノー天気なスタンスが好き。

Bさんもカズマの「深刻に考えすぎない性格」や「失敗しても前向きに受け止める楽観的なところ」を評価する。構えず、気軽に人と話せるところを、自分には無いものとして受け止めている。

カウンセラーは、「物語でのカズマたちの失敗」と、Bさんが「現実の自分において失敗だと感じていること」の違いに注意を向ける。そこでBさんは、失敗という出来事ではなく、失敗の感じ方がカズマと違うことに気づく。

「カズマは自分のことを笑えるんですよね、皮肉屋さんだから。悲しい出来事も茶化したりして、アクアは他人の間違いを許せることがすごいと思います。他人の不完全なところを受け入れられるのが。 自分の間違いだけではなく、他人の起こしたトラブルに巻き込まれても受け入れて……」

出来事そのものが決定的なのではなく、その反応を変えることができたなら、カズマのように深刻に考えずに済むのではないか、と考えられるようになる。

さらにセッションを重ね、物語の出来事を話し合ううちに、『このすば!』は、魔王討伐というメインクエストから外れて、サブクエストだけで構成されており、「脱線してもいいし、そっちの方が楽しいよ」というメッセージが込められていることに気づく。

そして「頑張らなくてもいい」というスタンスになるためにどうすればよいかを、カズマが解決してきたクエストと、自分の現実とを比較しながら考えるようになる。

アニメ療法の例

カウンセラーは、物語にあるテーマや教訓を押し付けるのではなく、「その物語からどう感じたか」について、受診者と一緒になって考える。

  • 目標を見失って無気力になっている学生と、どんな敵でもワンパンで倒せるが故にヒーローとしてのモチベーションを喪失しているサイタマとの共通点を考える
  • 最愛のペットを失って日常生活に支障をきたすほど悲しむ女性と、「なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」と嘆く魔法使いフリーレンの気持ちを考える
  • 切り詰めた生活からイライラが募り攻撃的になっている男性と、「なぜデンジがこれほどまでに騙されやすいのか」を考える

私がアニメを見るのは、「面白いから」というだけかもしれない。だが、こうした事例を通じて考えると、私のどこかでアニメに救われているものがあるのではないか?と感じられる。

私自身、『このすば!』のノー天気さに爆笑して「頑張らなくてもいい」と思えた瞬間がある。あるいは、フリーレンの嘆きを自分に当てはめて、「後悔だけはしないように」と考えるようになっている(ちなみに、フリーレンを観た後、意識して妻様との会話の時間を長くするようになった。おそらく私もしくは妻様が死ぬとき、「なぜもっと一緒の時間を過ごさなかったのだろう」と嘆くだろうから)。

アニメ療法は良いことだらけのように見えるが、課題もあるという。

まず、アニメの選定が難しいこと。メンタルがやられると、アニメを30分見るということすら難しくなる(ましてや1クール見るのは大変すぎる)。この場合、短いアニメにするか、受診者が過去に見た作品にするといった対策があるという。

さらに選んだアニメで失敗する場合もある。いじめによるトラウマがある受診者に『聲の形』を紹介したり、うつ病を患っている人に『宝石の国』を薦める例が出てくるが、むしろ悪化しないか心配になる。

また、保険診療の対象になっておらず、自費診療なのが現状になる。アニメ療法の有効性を示すエビデンスが十分に確立されておらず、標準的なプロトコルや医療行為としての法的枠組みもできていない状況だ。

課題はあるが、アニメならではの親しみやすさや、既存の物語療法との親和性など、メリットもある。VRやAIと組み合わせてインタラクティブ性を持たせ、オンラインカウンセリングにも応用できるだろう。

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コメント

外国人が「ワンパンマンチャレンジ」と言って、毎日10キロランニング・腕立て伏せ腹筋スクワット100回した実験をしたと聞いた時、外国人もやっぱりワンパンマンで救われたんだ……と思いました。

投稿: | 2025.02.17 18:42

>>名無し@2025.02.17 18:42 さん

おっしゃる通りだと思います。
本書の著者のパントー・フランチェスコさんもその一人かもしれません。イタリア出身で、イタリアと日本の医師免許を取得した方です。
『名探偵コナン』で日本語を覚えたという猛者ですが、アニメによって救われる思いがしたと述べています。

投稿: Dain | 2025.02.18 19:58

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