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高橋留美子先生を絶句させた短編から大長編『カラマーゾフの兄弟』『失われた時を求めて』を気軽に楽しむ方法、今井美樹『PRIDE』が全く違う曲に聴こえるエピソードまで、「愛と憎しみ」をテーマにした読書会「スゴ本オフ」のレポート

好きな本を持ち寄って、まったり熱く語り合う読書会、それがスゴ本オフ。本を介して人を知り、人を介して本に出会う読書会だ。

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本に限らず、映画や音楽、ゲームや動画、なんでもあり。なぜ好きか、どう好きか、その作品が自分をどんな風に変えたのか、気のすむまで語り尽くす。

今回は「愛と憎しみ」のテーマで、皆さんの推し作品が集まった。知らないけれど気になる作品と出会うだけでなく、プレゼンの熱に当てられて読み返したくなる作品にも再会できた。

皆さんの「このテーマでその作品を語るのか!!」という着眼点が素晴らしく、その眼力と発想に恐れ入る。何を選ぶかも自由だし、選んだものをどう解釈するかも自由だ。その感性がシンクロするときが、とてつもなく嬉しい。

読書は孤独ではないとして「同じ本を読む人は遠くにいる」という言葉がある(by 読書猿)。オフ会をやると、同じ本を読む人は割と近くにいることに気づいて嬉しくなる。

愛のために始まり、憎しみによって終わるドラマ『ブレイキング・バッド』

★ブレイキング・バッド

私が紹介したのは、テレビドラマ『Breaking Bad』

高校で化学を教える冴えないおっさんが主人公だ。身ごもった妻と高校生の子どもを養い、ローンの返済に追われる毎日なのだが、ある日、肺がんで余命宣告されてしまう。このままだと借金を残すことになり、家族がバラバラになってしまう。そこで持ち前の化学の知識を生かし、超高純度のドラッグを精製して売りさばくという、人生最大の賭けに出る。

ドラッグの品質はダントツで、人気が出るのだが、他の売人やマフィアが黙っちゃいない。そうした連中に巻き込まれていくうち、このおっさん、どんどん悪くなっていく。最初は愛する妻子のためにお金を稼ぐのだが、カネがカネを呼び、愛が憎しみを呼び、引き返せないところまで疾走していく。

その経緯を、ときにコメディタッチ、ときに残虐に、あますことなくつぶさに見させられるのだが、「どうしてこうなった」という言葉しかでてこない。第1話にすべてが込められており、1話を見ると2話を、2話を見ると次々と観たくなる、麻薬のようなドラマだ。

愛によって始まった物語が憎しみによって完結する、そういう傑作が『Breaking Bad』。これを超えるようなすごいドラマがあったら教えて欲しい(ただしゲーム・オブ・スローンズを除く)。

高橋留美子先生を絶句させた傑作短編『半神』

★半神

確かにこれは「愛と憎しみ」だ!と膝を打ったのが、ナリナリさんが推しの萩尾望都『半神』。短編集『半神』の冒頭に収録されている、わずか16ページの短いマンガだ。あの高橋留美子先生をして、「あれは・・16ページ・・16ページであれを・・」とバグらせたといういわくつきの神作だ。

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萩尾望都『半神』より

ナリナリさんの圧のあるコメントを引用する。

オススメの理由は、物語の内容と形式がここまで見事に調和した作品が存在することを誰かに知ってもらいたいから。要約すると「結合双生児の妹に姉が愛憎を抱く話」となるでしょうか。

しかし、この要約では本作の良さは伝わりません。漫画という視覚メディアによって、容貌も含めて容赦なく描き出される”姉と妹”の視覚的な対比があってはじめて凄みが生まれる作品です。

本作に出会ったことで、物語にはその内容に適した形式があり、それに則って語られたときにいっとう輝くことを知りました。

一度読んだら一生忘れられなくなる傑作を、わずか16ページで描き切るだけでも凄いのに、漫画という媒体のビジュアルに乗せて「愛と憎しみ」を畳みかけてくるのも凄い。そう、まさにこれこそ「愛と憎しみ」がテーマの作品と言える。

愛の歌がまるで違って聴こえる「PRIDE」

今井美樹 -「PRIDE」Music Video

びっくりしたのが、ミムラさんご紹介の今井美樹『PRIDE』

ん?

「私はいま~」で始まるやつでしょ? 愛する人への思いを「やさしさとは、許し合うことを知る」とか「わがままさえ、愛しく思えたら」といった歌に込めた、やさしさに溢れる良いバラッドじゃん。おっさんホイホイの名曲だと思う。

確かにこれは「愛」なんだけど、「憎しみ」は? と思っていたら、この曲が作られた時代と、作った人―――布袋寅泰の話になる。時系列で言うと、こんな感じになる。

 1986 布袋寅泰と山下久美子が結婚
        ★
 1997 布袋寅泰と山下久美子が離婚
 1999 布袋寅泰と今井美樹が結婚

山下久美子との結婚当初、布袋寅泰のネームバリューはそれほど無かったという。ヒットメーカーである妻とすれ違いがちになるのだが、そこで現れたのが今井美樹。音楽活動を通じて接近したと言われるのだが、当時は「略奪愛」だのバッシングがあったという。

私「PRIDE」が発表されたのは★のタイミング。ちょうど不倫のドロドロ三角関係があったという時期に重なる。

このゴシップ、私は知らなかったのだが、知ってしまった今、同じ歌がまるで違うものに聞こえる。これを作詞作曲し、どういう思いで今井美樹に歌ってもらったのかと考えると、味わい深いものになる。美しい歌詞の裏には、愛だけでなく様々な感情が込められているのかもしれぬ。

王道を音読する『失われた時を求めて』

★失われた時を求めて

王道なのが、よしおかさん推しのプルースト『失われた時を求めて』だ。

フランス文学、いや20世紀の文学を代表する全14巻の大長編で、「私」という語り手が幼少期から成人するまでの人生を振り返る形で進み、貴族社会の衰退とブルジョワの台頭を背景に、記憶や時間、愛、芸術といったテーマを考察したもの。

よしおかさんは、音声SNSであるClubhouse(クラブハウス)で音読会をしながらゆっくり読んでいるとのこと。岩波文庫版を読んでいるのだけれど、メリットは注釈が非常に充実している点だという。

それも、「その時点での」注釈であるところが素晴らしい。例えば、ある登場人物に注が付いており、それを読むと、どこで登場したかが事細かに書いてあり、長い小説にありがちな「こいつ誰だっけ」を解決してくれる。

注釈だけでなく、場面索引というのもある。最初は、こんなの付けてどうすんだと思ってたけれど、音読しているうちに、場面を思い出して「そういえばこんなんだっけ」という気にさせてくれるという。

フランスの歴史や地名を知らなくても、注が付いているので安心すればいい。どんどん読んで、どんどん忘れてしまっても、ちゃんと注釈が補ってくれる。

お薦めの読み方は、14巻の中から、目をつぶって1冊抜き取り、そこから読むというやり方。注釈がしっかりしており、ストーリーらしいストーリーはなく、情景描写の累積だからなせる読み方だという。伏線がどうかとか、心理描写と場面のここがつながっているといった考察も研究がなされており、注釈に反映してある親切設計。

基本的に、主人公の「私」とそのガールフレンドだけ見ていればいい。「私」のガールフレンドへの想いは、まさにラブ&ヘイトになる。主人公に1ミリも共感できず、バカなやつだなぁと思うのだが、そういう、人の人生を淡々と眺めるような読み方ができる。

私の場合、1巻だけ読んで、貴族もブルジョワもひっくるめ、鼻もちならないフランス的なマウンティング合戦にウンザリして投げたことがある。ヘンに構えず、元気なうちに読んでみようという気になった。

王道をオーディブルで『カラマーゾフの兄弟』

もう一つの王道が、ズバピタさん推しのドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』だ。

★カラマーゾフの兄弟

ドストエフスキー最高傑作の一つとされる長編小説で、メインストーリーは、父親殺しの謎を軸に、兄弟が異なる思想や感情に翻弄される姿が描かれている。その根底に流れるものは、人間と人間同士の「愛と憎しみ」という相反する感情のせめぎ合いだ。極端な感情のぶつかり合いを描きつつ、それでもなお人間が「救済」や「赦し」を求める姿が浮かび上がってくる。

愛憎劇の決定版ともいえるカラ兄なんだけど、ズバピタさんは面白い取り組み方をしている。本ではなくオーディブル版を堪能しているという。ナレーターの演じ分けが素晴らしく、思わず引き込まれてしまうとのこと。

父フョードルと長男ディミトリーが、ひとりの女性を奪い合う近親憎悪のエグさが真に迫る感じで、ラジオドラマを聴くようにドストエフスキーの世界に浸れる。まだ2巻までしかないのが悩みどころという。

カラ兄は何度も読んで、今も読み返しているのだけれど、ラジオドラマのように聴けるのは知らなかった。2巻は、ゾシマ長老のところに兄弟たちが集まる場面が収録されているみたいだが、カラ兄の中で2番目に笑えるところなので聴きたいwww(一番笑えるのは、チキチキ!絶対に笑ってはいけないゾシマさんのお葬式)。

「愛と憎しみ」の作品リスト

テレビドラマ、マンガ、音楽、小説、オーディブルと、お薦めされた作品を紹介した。

他にも、ガチのホラーから、子ども向けの絵本の朗読、ミステリー、ファンタジー、SFなど、今回もたくさん集まった。「愛と憎しみ」というテーマ、最初は難しいと思ったけれど、皆さんのお話を伺っているうちに、どんどん芋づる式に出てくるのが嬉しい。

愛と憎しみは反意語のように扱われるが、けっこう近いところにいる。愛の反対は憎しみではなく無関心だとマザーテレサが言ったとか言わなかったとか。一方、憎しみの反対も愛ではなく無関心だろう。愛も憎しみもアドレナリンを放出し、強い感情でドライブする。

物語をドライブするのは愛憎にまつわる感情や行動だ。そういう意味で、物語になりやすい要素とも言える。このテーマに合うものは、源氏物語や聖書を持ってこなきゃダメかと思っていたけれど、もっと気軽に眺めるなら、そこら中にあるものなのかもしれぬ。

『モンテ・クリスト伯』アレクサンドル・デュマ(岩波文庫)
『ヴィンランド・サガ』幸村誠(講談社)
『Breaking Bad』(AMCテレビドラマ)
『からくりサーカス』藤田和日郎(小学館)
『ムーンフラッシュ』パトリシア・マキリップ(早川書房)
『ポルトガル短編小説傑作選』ルイ・ズィンク(現代企画室)
『マレー素描集』アルフィアン・サアット(書肆侃侃房)
『血ぬられた光源氏』藤本泉(アドレナライズ)
『春にして君を離れ』アガサ・クリスティ(ハヤカワ文庫)
『重力ピエロ』伊坂幸太郎(新潮社)
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』アンディ・ウィアー(早川書房 )
『悪魔の手毬唄』横溝正史(角川文庫)
『償いの雪が降る』アレン・エスケンス(創元文庫)
『異端の肖像』より「生きていたシャルリュス男爵」澁澤龍彦(河出文庫)
『八ケ嶽の魔神』国枝史郎(講談社)
『ウェン王子とトラ』チャンジエンホン(徳間書店)
『失われた時を求めて』プルースト(岩波書店)
『哀れなるものたち』(エマストーン主演映画)
『フランケンシュタイン』メアリ・シェリー(光文社古典新訳文庫)
『偶然の確率』アミール・D・アクゼル(アーティストハウス)
『数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活 病院や裁判で統計にだまされないために』ゲルト・ギーゲレンツァー(早川書房)
『子どものための哲学』永井 均(講談社現代新書)
『半神』萩尾望都(小学館)
『夜は一緒に散歩しよ』黒史郎(メディアファクトリー)
『PRIDE』今井美樹
『冗談』ミラン・クンデラ(岩波文庫)
『Under the Rose』船戸明里(幻冬舎コミックス)
『カラマーゾフの兄弟』フョードル・ドストエフスキー(オーディブル版)

 

オフ会の告知はここでしているので、気になる方はどうぞー
facebook:スゴ本オフ

 

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不安障害に『このすば!』、抑うつ状態に『ワンパンマン』、グリーフケアに『葬送のフリーレン』、パーソナリティー障害に『チェンソーマン』、処方箋としての物語『実践・アニメ療法』

★実践・アニメ療法

Bさんは30代前半の女性会社員。真面目一筋の完璧主義者で、勤務先の評価も高く、最近昇進したばかり。業務だけでなく責任が増え、仕事のチェックを任されるが、時間的余裕はなく、焦燥感とイライラがつのるようになる。会議の席でミスを指摘されたのをきっかけに、自分を許せなくなり、動悸、冷や汗、めまいの日々が続くようになり、ついに通勤電車で動けなくなる。

精神科医は、まず抗不安薬と休職を処方し、不安障害の急性期を乗り越えた後、アニメ療法を提案する。Bさんと相談し、『この素晴らしい世界に祝福を!』(このすば!)を用いてセラピーを開始する……

アニメ療法?

聞きなれない言葉だが、物語療法の一つとして、有力視されているという。受診者の体験や考え方を「物語」として捉え、それを見直し、再構築することで、心の負担を軽減するカウンセリングだ。

アニメ療法とは

アニメ療法は、アニメを活用して精神的・心理的なケアを行う新しいアプローチのこと。もともとは、「物語療法」が出自となる。

私たちは、生きていく上で何らかの信念を抱えている。この信念は人生を形成するテーゼとなり、周囲の人間関係や世界観を形作っている。通常なら自身を肯定するこの信念が、何らかの失敗体験をきっかけとして、自分を否定するようなものに変わったらどうなるか?

そんな経験は、皆さんもあるかもしれない。成績がふるわないとか、受験や就職に失敗したとか、仕事が上手くいかない、上司や同僚とのそりが合わない等、上手くいかないことが多々ある。

そうした失敗体験を「自分のせいだ」としてしまうことがあるかもしれぬ。自分の努力が足りないとか、性格が悪いからと、自分こそが問題の原因だと決め付けてしまう。この認識が次の失敗を招き、自己否定を強化するという悪循環に陥ってしまう。

このスパイラルから抜け出すためには、まず「自分=問題」という支配の物語から脱出する必要がある。カウンセラーは受診者との対話を通じて、支配の物語の元となっているものを探ると同時に、「自分」と「問題」を切り離して考えるように促す(これを外在化と呼ぶ)。

物語療法は、この脱出の手助けとなる。

いまの悪循環を直接書き換えるのではなく、まず、代替となる人生を、物語の形で提示する。受診者は、物語と比較しながら、自身の体験や考え方を「物語」として捉え、見直し、再構築することができる。

カウンセラーは、物語への感情移入を促し、キャラとの類似性を考えてもらい、キャラを通じて、受診者が抱えている問題の外在化を図る。自分の人生と直接向き合うのではなく、物語やキャラとの比較をしながら、自分と問題とは別物であり、問題には解決方法があることに気づくのだ。

物語療法は、元は小説や映画で用いられていた。このブログでも、以下のガイドブックを紹介している。

文学の手法を取り入れた医療『ナラティブ・メディスン』

鬱に効く映画『シネマ・セラピー』

アニメ療法は、この物語療法の流れを汲む。アニメの場合、一つのお話が30分と短く、小説を読むよりも手軽でエネルギーを使わなくて済む。デフォルメされたキャラや背景は、映画よりも情報量が少なく、物語に没入することができるという。

さらに、アニメであれば何でもよいというわけではないという。受診者と相談しながら作品を選ぶのだが、ポイントとしては「抑圧と葛藤で自己表現ができない主人公」が「何かをきっかけとして変身し、自分も含め環境を変えていく」ストーリーが含まれるものを挙げている。本書で紹介されている作品を見る限り、いわゆる「日常系」は入らなさそうだ。

『このすば!』によるカウンセリング

カウンセリングは、1回につき数十分から1時間程度、全部で7セッションに渡る。

セッションの序盤は、いきなり受診者に焦点を当てるのではなく、「物語の意義」がメインとなる。どんなお話だったか、好きなキャラと嫌いなキャラ、気に入ったセリフや、キャラの行動に賛成/反対するところを、自由に語ってもらう。

中盤になると、キャラの性格や行動と、受診者との共通点を探ることになる。「なぜ好き/嫌いなのか」「どうしてそう思ったのか」といった質問を投げかけ、自分の悩みと似ている点を、自身の言葉で語ってもらう(ただし、焦点は作品に当てる)。

さらにセッションが進むと、キャラがどのように問題を解決していったかに焦点を当てる。どのように悩み、葛藤し、克服していったかを参考にし、自身の悩みの軽減策を探っていく。どんな小さい例でも良いから、キャラの問題解決と似た出来事を思い起こしてもらう。

『このすば!』は、異世界転生モノの先駆けになる。運だけは強い主人公カズマと、いろいろと残念な女神アクア、Mっ気のある変態クルセイダーのダクネス、爆裂魔法を一日に一発しか撃てない魔法使いのめぐみんたちが織りなす、おバカでちょっとHなギャグアニメなり。

異世界ファンタジーだから、その世界での使命なり冒険が待っているもの。だがカズマはその日暮らしに明け暮れる。「魔王討伐」という分かりやすいミッションがあるのだが、ガン無視する。で、行き当たりばったりでなんとかなってしまうお気楽さと、ノー天気なスタンスが好き。

Bさんもカズマの「深刻に考えすぎない性格」や「失敗しても前向きに受け止める楽観的なところ」を評価する。構えず、気軽に人と話せるところを、自分には無いものとして受け止めている。

カウンセラーは、「物語でのカズマたちの失敗」と、Bさんが「現実の自分において失敗だと感じていること」の違いに注意を向ける。そこでBさんは、失敗という出来事ではなく、失敗の感じ方がカズマと違うことに気づく。

「カズマは自分のことを笑えるんですよね、皮肉屋さんだから。悲しい出来事も茶化したりして、アクアは他人の間違いを許せることがすごいと思います。他人の不完全なところを受け入れられるのが。 自分の間違いだけではなく、他人の起こしたトラブルに巻き込まれても受け入れて……」

出来事そのものが決定的なのではなく、その反応を変えることができたなら、カズマのように深刻に考えずに済むのではないか、と考えられるようになる。

さらにセッションを重ね、物語の出来事を話し合ううちに、『このすば!』は、魔王討伐というメインクエストから外れて、サブクエストだけで構成されており、「脱線してもいいし、そっちの方が楽しいよ」というメッセージが込められていることに気づく。

そして「頑張らなくてもいい」というスタンスになるためにどうすればよいかを、カズマが解決してきたクエストと、自分の現実とを比較しながら考えるようになる。

アニメ療法の例

カウンセラーは、物語にあるテーマや教訓を押し付けるのではなく、「その物語からどう感じたか」について、受診者と一緒になって考える。

  • 目標を見失って無気力になっている学生と、どんな敵でもワンパンで倒せるが故にヒーローとしてのモチベーションを喪失しているサイタマとの共通点を考える
  • 最愛のペットを失って日常生活に支障をきたすほど悲しむ女性と、「なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」と嘆く魔法使いフリーレンの気持ちを考える
  • 切り詰めた生活からイライラが募り攻撃的になっている男性と、「なぜデンジがこれほどまでに騙されやすいのか」を考える

私がアニメを見るのは、「面白いから」というだけかもしれない。だが、こうした事例を通じて考えると、私のどこかでアニメに救われているものがあるのではないか?と感じられる。

私自身、『このすば!』のノー天気さに爆笑して「頑張らなくてもいい」と思えた瞬間がある。あるいは、フリーレンの嘆きを自分に当てはめて、「後悔だけはしないように」と考えるようになっている(ちなみに、フリーレンを観た後、意識して妻様との会話の時間を長くするようになった。おそらく私もしくは妻様が死ぬとき、「なぜもっと一緒の時間を過ごさなかったのだろう」と嘆くだろうから)。

アニメ療法は良いことだらけのように見えるが、課題もあるという。

まず、アニメの選定が難しいこと。メンタルがやられると、アニメを30分見るということすら難しくなる(ましてや1クール見るのは大変すぎる)。この場合、短いアニメにするか、受診者が過去に見た作品にするといった対策があるという。

さらに選んだアニメで失敗する場合もある。いじめによるトラウマがある受診者に『聲の形』を紹介したり、うつ病を患っている人に『宝石の国』を薦める例が出てくるが、むしろ悪化しないか心配になる。

また、保険診療の対象になっておらず、自費診療なのが現状になる。アニメ療法の有効性を示すエビデンスが十分に確立されておらず、標準的なプロトコルや医療行為としての法的枠組みもできていない状況だ。

課題はあるが、アニメならではの親しみやすさや、既存の物語療法との親和性など、メリットもある。VRやAIと組み合わせてインタラクティブ性を持たせ、オンラインカウンセリングにも応用できるだろう。

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「なぜ小説を読むのか」という問いへの応答としての『小説』

★小説

なぜ小説を読むのか?

面白いから?

現実を忘れられるから?

主人公から勇気を、物語から興奮をもらえるから?

「この物語」について誰かと話し、あふれ出る気持ちを伝えたいから?自分の意見を代弁させる作品を声高に叫びたいから?

小説を読むことで、物語中の誰かとなり、別の時代、別の場所に生き、見たことのない景色、感じたことのない経験をして、戻ってくる。読む前の「私」と違う存在となる。

単なる娯楽とするならば、映画やゲームや音楽など、他のメディアでも得られる。文字だけで世界を構築することで語彙力を増やし、想像力と創造性を高め、キャラクターへの共感性や描写への感受性を向上させる。

そういう「実利」のために、小説を読むのか?

読むことで得られる「なにか」のために、読むのか?

受け取るだけなのか?

小説から貰えるものを貰えるだけもらって、何も返さないのか?

読んでいるあいだ、物語の中にいる間だけは、形を保っていられる。なぜなら、自分は空っぽであって、中には何もないからだ。代わりに物語が、キャラが、描写が、そこから得られる感情が詰め込まれている。だから、読んでいないときはぐにゃぐにゃで、泥のような存在となる。

だから読む。

読んだもの、自分の中に取り入れたものは、返さない。

ただ読むだけ。

ただ読むだけではダメなのか?

こうした諸々の疑問に対し、一つの小説の形で応答したのが、野崎まどの『小説』だ。念を押すが、『小説』というタイトルの小説だ。

物語が無かったころ、人生は一度きりだった。「もうああだったならば」「こう生きることもできた」という数々の後悔への反発であり、貴族としても犯罪者としても生きる可能性を示し、遠い未来の外宇宙も旅することもできるし、戦国時代の将として活躍することだってできる。男でも女でも人間以外にもなれる。

小説は人生の一回性に対する抗議として書かれたともいえる。小説のおかげで一生が二生にも三生にもなった。現実の、「運命」で片づけられる現象への反抗として、不完全で儚いヒトの記憶への対抗として、小説は書かれ、読まれた。

そういう可能性を、見事な形で小説にしたのが『小説』だ。

あらすじは野暮というもの。

前情報を抜きにして、直接、向き合ってみてほしい。

まさに、私のために書かれた小説が『小説』だ、と強烈に感じるだろう。

本書を手にしたのは、Asylum Pieceさんのこのtweetのおかげ(ありがとうございます!素晴らしい体験でした)。

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めちゃくちゃ笑った後で「美とは何か?」「ホンモノとは?」と悩まされる『モナ・リザのニスを剥ぐ』

★モナ・リザのニスを剥ぐ

「チェーホフの銃」という小説技法があるが、これは大砲だった。

「序盤で銃を出したら、それは発砲されなければならぬ。さもなくば最初から出すな」というお約束だ。ストーリーの早い段階で導入された要素は、後々になってその意味なり重要性が明らかになるというやつ。

そういう意味では、この作品は銃だらけだ。

「モナ・リザ」のニスを剥ぐという、ルーブル美術館始まって以来の歴史的なプロジェクトが物語の主軸となる。ただし、そこに集まってくる人たちが癖だらけでなかなかに危うい。

カネの亡者でビジネスチャンスとする館長、巧緻の限りに世論操作に奔走するマッキンゼー&カンパニーの面々、カリスマ天才修復士と美人妻(2名)、モナ・リザにガチ恋してしまった清掃員など、どいつもこいつもヤバい奴らだ。

でも、「モナ・リザ」のニスを剥ぐとはどういうことか?

実は、「モナ・リザ」には何層ものニスが塗られている。作品を保護するためなのだが、同時に、色鮮やかにする効果もある。だが、長い時間の経過により、ニスが変質して作品を緑がかった暗い色にしてしまっている。ニスの上塗りで発色は良くなるのだが、一時的なものだ。

だから、繰り返し塗られたニスの層により、私たちが見ている「モナ・リザ」は暗い霧の奥にいる。

これを救い出そうとする試みは何度も検討されてきた。だが、経年劣化でひび割れだらけのポプラ板や、顔料層を傷づけるリスクが大いにあった。歴史的・文化的な価値が極めて高く、現実のルーブル美術館は、修復を避け、温湿度が管理された特殊なケースの中での保存を優先している。

だが、フィクションのルーブル美術館長は、カネ儲けの為に、主任学芸員オレリアンに命じる「やれ」と。古きよきものを愛する彼だけがまともに見えるのだが、いささか心もとない。修復に反対する世論、返還の要求をし始めるイタリア、政府や国家を巻き込んだ騒動に巻き込まれ、絶対に失敗してはいけないプロジェクトを任される。

この「絶対に失敗してはいけないプロジェクト」というのがミソで、こんなん、小説作品として描かれるなら、「押すなよ、絶対に押すなよ!」に決まってるじゃん。登場してくる連中はほぼ全員どこか変だし、なにかやらかしてくれる予感しかしない。

そういう意味でチェーホフの銃だらけなんだけど、すごい意味で裏切られてよかった。銃じゃなくて大砲に撃たれ、息できなくなるくらい笑って涙で読めなくなった。

これ読む人へのアドバイス。手元にスマホがあるといいかも。

「なぜスマホ?」といぶかる方もいるかもしれないが、要所要所に美術作品が散りばめられており、検索したくなるはずだから。

カネの亡者の館長はユレヒトの「リューベックの若き女性の肖像」になぞられ、文化省の官僚に呼び出されて行く先にはピュランの円柱が立ち並ぶ。ポンピドゥーセンターの醜悪さのネタは何度も擦られ、メッシーナの「受胎告知」のポーズがハマるシーンもあれば、『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンのサングラスも出てくる。著者によるオマージュやトリビュートの遊びだけれど、検索して見ると、小説内描写と不思議とピタリとハマるだろう。

スマホの小さな画面にスクロールされる膨大なコンテンツがある。youtubeのまとめ動画と、ルーブル美術館に展示されている名画が、同じサイズのサムネイルで並んでいる。その中で「モナ・リザ」はどのように位置付けられるのか。ルーブル美術館やダ・ヴィンチの業績といった歴史的文脈から切り離され、視覚の洪水の中でアイコンとして見える「モナ・リザ」は、あの笑顔でなければならない―――そう感じるかもしれぬ。

同時に、私はなぜ「モナ・リザ」が好きなんだろう?「モナ・リザ」の何を美しいと感じているのだろう?とマジ考えさせられた―――本書をラストまで読めば、答えはすぐに思い至るのだけれど、それって本当に「美」なのだろうか?という恐ろしい疑問が待っている。




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