問題領域の重なる人を探す『宇宙・動物・資本主義──稲葉振一郎対話集』
- 新自由主義って何十年も「新」って言い続けてるよね
- 物理学が発生するようなローカルな環境を研究するのが物理学の正体
- ピンカー『暴力の人類史』は過去の暴力を過大に見積もりすぎ
- カズオ・イシグロ作品につきまとうのは、人の主観性の有限性
- ナウシカ「風の谷」と未来少年コナン「ハイハーバー」とシン・エヴァ「第3村」を比較する
上のリストはほんの一例。実に様々なことが語られており、ハッとさせられたり、思わず爆笑したり、忙しい読書だった。第一線で活躍する研究者や批評家、作家と、稲葉振一郎氏の対談を500頁超に詰め込んだ鈍器本がこれだ。
『宇宙・動物・資本主義』という奇妙なタイトルが物語っており、なんのこっちゃと首をかしげていた。だが、読み終わったら分かった。確かにこれは、宇宙・動物・資本主義といわざるを得ない。この3語で網羅しているのではなく、この3語ぐらい離れたテーマが飛び交いつつも、混ざりあっている。
本書は、自分と問題領域が重なる人を探し、その人のアイデアを自分で拡張していくといった読み方をすると、最高に楽しくなる。
第1部 人間像・社会像の転換
- 新世紀の社会像とは?(×大屋雄裕)
- 〈人間〉の未来/未来の〈人間〉(×吉川浩満)
- 社会学はどこまで行くのか?(×岸政彦)
第2部 動物・ロボット・AIの倫理
- 動物倫理学はいま何を考えるべきか?(×田上孝一)
- AI「が」創る倫理──SFが幻視するもの(×飛浩隆×八代嘉美×小山田和仁)
第3部 SF的想像力の可能性
- 学問をSFする――新たな知の可能性?(×大澤博隆×柴田勝家×松崎有理×大庭弘継)
- SFと倫理(×長谷敏司×八代嘉美)
- 思想は宇宙を目指せるか(×三浦俊彦)
第4部 文化・政治・資本主義
- ポップカルチャーを社会的に読解する──ジェンダー、資本主義、労働(×河野真太郎)
- 「新自由主義」議論の先を見据えて(×金子良事)
- 中国・村上春樹・『進撃の巨人』(×梶谷懐)
- どうしてわれわれはなんでもかんでも「新自由主義」のせいにしてしまうのか?(×荒木優太×矢野利裕)
物理学の正体を暴く人間原理
驚いたのは、発想の柔軟なところ。言い換えると、私のアタマの堅さなのだが、例えば物理学だ。稲葉振一郎著の『宇宙倫理学入門』についての、三浦俊彦氏の発言なのだが、こうある。
私がかねてから興味を持って追いかけている「人間原理」は、理論物理学は物理学が存在する宇宙だけを研究している、あるいは物理学が発生するようなローカルな環境を研究するのが物理学の正体である、という実態を暴いたことに重要さがありました。
(p.329 第8章「思想は宇宙を目指せるか」より三浦発言)
このテーマについて、物理学の限界=その時代の技術の限界 『物理学は世界をどこまで解明できるか』などで考えたことがある。かいつまむと、物理学の限界は、観測する機械の発達に制限されるだけでなく、それを理解できる人間という限界と重なるという話だ。
ただし、お二人の対談は、あっという間にこの話を抜き去り、地球外生命体の探索の話からネオ・ダーヴィニズム、フランク・ティプラーの仮説、シンギュラリティ、神の恩寵説、系外惑星の発見が人間主義をリライトする可能性へと、次々と繰り出してくる。
そして、探査機を飛ばすのではなく、宇宙へ人間を送り込むためには人間自体を改変していく必要性の議論、さらにはレム『ソラリス』やストルガツキー『ストーカー』を引きながら、「異質な知性体」のテーマに斬り込む。
しかしよく考えれば「人間にとって異質で理解不可能な存在(AIや知的生命体)」という概念自体が、そもそも自己矛盾を犯しているのではないか、という疑問も浮上します。哲学的に言えばドナルド・デイヴィッドソンの「根源的解釈」以降の合理性を巡る議論に通じる論点ですね。つまり、我々にとって理解不可能なものが存在していたとして、果たしてそれは知性と呼ぶべきものなのかという。
(p.329 第8章「思想は宇宙を目指せるか」より稲葉発言)
「知性がある」という時点で、「人間にとって理解できる範囲で、なおかつ、人間のモノサシで知的と評価できる」ことになる。先ほどの、「物理学が発生するようなローカルな環境を研究するのが物理学の正体」にもつながる。
たかだか数頁の対話の中に、沢山の仮説や議論や作品を突っ込んでくる。そのテーマの一番おいしいところを切り取って、手際よく見せてくれる。対話する相手の知性がお互いに分かり合っているので、こんなにポンポンやり取りできるんだろうな……
同じ議論が、レムの短編「GOLEM XIV」で展開されている。「GOLEM XIV」は自己学習できるAIで、人間を超えた知性を有しているとみなされている。彼(?)はこう語り掛ける。
諸君の一員でない者はすべて、それが人間化している程度に応じてのみ、諸君にとって了解可能なのだ。種の標準の中に封じ込められた「知性」の非普遍性は煉獄をなしているが、その壁が無限の中にあるという点が風変わりである。
スタニスワフ・レム「GOLEM XIV」
人が「知性」を評価する基準は、我々自身の限られた経験や認知の範囲に依存している。「知的だ」とみなす行為や考え方は、我々自身の文化や歴史によって形成された評価基準に基づいている。
こんな風に、ディスカッションを通じて話題や発想がどんどん飛び出てくると、読んでるこっちにも、そのアイデアの回転率が伝わってくる。発言が呼び水になって、以前に考えてたこと、読んでた本に接続されてくるのが心地よい。
BOTが社会を変える可能性
一方で、新たなストーリーが生まれそうな呼び水もある。
この点で最近気になっているのは、こうしたフィクショナルなキャラクター、エージェントと、ソーシャルネットワーク上の活動を分析する計算社会科学という分野との融合です。Twitterのbotによって政治的な傾向が偏ってしまう、という研究が代表的ですが、人間ではないものが人間社会に影響を与えてしまい、民主主義のようなわれわれが今まで運営してきたブラットフォームのセキュリティホールになってしまう事例が多々見られます。
(p.259「学問をSFする」より大澤発言)
「学問とSF」という一見相反するようなテーマを俎上に、イノベーションを促したSFや、確率薬理学、計算社会学、伝説や童話をSFで解釈するなど、おもちゃ箱をひっくり返したようなお話がひしめいている。「全ての学問はAIに関する」なんて、確かにそうだなぁと思わせる発言も出てくる。
ポイントは「人間ではないものが人間社会に影響を与えてしまう」という点だ。twitterのエコーチェンバーが有名だが、「その人に興味があると思われる」トピックを自動的に集約していくうちに、より強い言葉に触れる機会が増え、より感情を刺激するネタが投下されていくうちに、思想がどんどん過激になる。
少し強い言葉をSNSに投げ込んだら、思いのほか「いいね」を貰えて、その反響に気をよくして、さらに強い言葉、キツい言い回しと、承認欲求を求めるあまり、極端に走る人がいる。最終的には「つぶやく」だけでなく、物理的な阻止や、訴訟など、実際の行動に出る。
これは個人に焦点を当てた話だが、社会集団にも同じ現象が見られる。
誰かを傷つける酷い言葉や、感情を波立たせるエモい言葉、代弁してもらえるキャッチーなセリフなどが広まるとき、それをbotが拾い上げ、目につきやすいタイムラインの上位に配置する。再拡散が繰り返され、その言葉はあたかも社会の気運を示しているように感じられてくる(単純接触効果やね)。
しかし、そのbotのアルゴリズムに思想的な方向性を持たせ、社会の関心全体を特定の方向に誘導しているのではないか、と感じることがある。正確には「あった」というべきだろう。7~8年くらい前だろうか、特定の考え方のtweetが数多く目につくようになり、違和感を覚えたことがある(2年くらい前から、そうしたtweetの氾濫は解消されている)。
中の人による誘導だと勘ぐっているが、中の人の立場からしても、どこまで誘導できているかコントロールできていないと思われる。
これを、もう少し踏み込むと、一つのストーリーが出来上がる。
フィクションなら「魔法使いの弟子」パターンの物語。世論をコントロールしようとしてbotのパラメーターに手を加えるのだけれど、当面は上手くいっているが、そのうち極端な方向に走り出し、制御不能になる。最終的には中の人がターゲットとなり弑されるというやつ。
ノンフィクションなら陰謀論になる。twitter Japan の人事異動を調べ上げ、当時のtweetの政治色と世論の動向とを比較しながら、関与していた可能性のある人を特定し、インタビューする。もちろんその人は否定するだろうし、そもそもこの試みそのものがナンセンスかもしれない。けれども、世論の動向にbotが与えた可能性を調査する方法は今後も役に立つだろうし、何よりも牽制になるかもしれぬ。
テレビや新聞など、マスコミは自身が信ずる政治色に、世間を(ゆるやかに?)誘導しようとして、事実の取捨選択や、その語り方の色味を変えてくる。マスコミの情報を受け取る我々は、そうした着色は折り込み済みで、ある種のうすらぼんやりとした色眼鏡を通して見る。
しかし、twitterなど、比較的新しい媒体では、そうした「着色」が行われているかが分からないため、色眼鏡によるフィルタリングは意識して行いにくい。その結果、より強い方向、より感情を刺激する方向に流されがちだと考える。
―――こんな感じで、対談の中から引っ掛かるテーマを元に、自分でも考え込んでしまう。通して読むのもいいけれど、パラパラめくって、気になるワードから自分で考えを広げていくのも楽しい。
自分と問題領域が重なっている人を探し、その人のアイデアを広げていく一冊。
| 固定リンク
コメント