スタニスワフ・レム『虚数』とテッド・チャン『あなたの人生の物語』に共通するもの
共通するテーマは、「人間の科学」だ。
「人間に関する科学」ではなく、「人間の科学」という言い方は、ちょっと奇異に聞こえるかもしれない。
なぜなら、科学とは人間が探求する知識体系であり、探求分野だから。「科学」の一語だけでこと足りる。わざわざ「人間の」と修飾語を付けているということは、人間じゃない存在、人間以上の存在が探求する領域を扱う科学だってあるかもしれない―――「人間の科学」は、そういう可能性を示唆している。
レム『虚数』に収録されている「GOLEM XIV」は、この可能性の先に存在する、非常に高い演算能力を持つAIだ。人間以上の知性を持つ存在が、「科学」を探求したらどうなるか? その結果を人間に対し、講義の形で伝えようとすると、何が語られるか―――を記した講義録が、「GOLEM XIV」になる。
人間が扱える処理能力や情報量は、人間のサイズに収まっている。コンピュータを使ってもいいし、それまで積み上げてきた様々な理論や方程式を用いてもいい。だが、最終的に理解できて扱える範囲は、人間以上にはなれない。
この観点から、ブライアン・グリーンなどのゴリゴリの還元主義者を眺めると、とてもナイーブに見える。彼は「宇宙のあらゆることは粒子の振る舞いで説明できる」なんて言い放つのだが、それを「人間に対して」説明できる「形式」にまで落とし込むのは、人間の科学ではない。
例えば、量子コンピュータを使っても100年かかる情報量と、アインシュタイン並みの天才を100人揃えないと理解できない複雑な科学理論があるとしよう。仮にそんな理論があったとしても、人間が気づくはずがないし、関心の俎上にも上らない。人間を拡張しない限り、現れてこない科学なのだ。
では、人間を拡張すると、どんな科学になるか?
チャン『あなたの人生の物語』に収録されている短編「理解」がまさにそれ。
事故で脳に損傷を負った男が主人公で、ある実験的な薬が投与される。この薬は脳細胞を再生するのみならず、驚異的な速度で知能を向上させる効果があった。男は短期間で並外れた知識と認知能力を得て、人間の知性を超えた存在へと変貌していく。
彼の目に映る「人間の科学」は、タペストリーになる。それも、パターンのあちこちに欠損がある穴だらけのタペストリーだ。男はより広い視野から眺め、見落とされてきた構成図のギャップを埋めることができる。
男にとって「人間の科学」はこう見える。
もっとも明確なパターンを持つのは自然科学。物理学は、基本的な力のレベルのみならず、その外延や含意において見事な統一性を許容する。”光学”だとか”熱力学”だとかの分類はたんなる拘束要因であり、無数の交差部分に物理学者が目を向けるのをさまたげるものだ。
人間のレベルに興味が持てなくなるところなんて、GOLEM XIVと似ている。そんな彼を待ち構える運命は、皮肉としか言い様がない。
もう一つ、『あなたの人生の物語』にある「人類科学の進化」も、同じテーマになる。人間以上の存在からすると、「人間の科学」がどのような位置づけになるかという思考実験だ。
こちらは特殊な遺伝子治療により、知能が発達した超人類(メタヒューマン)が普通に生まれる世界だ。
人間以上の存在を語るSFは多い。だが、この設定の語り方が非常に秀逸だ。わずか数ページの「記事」のように書かれている。
もともとこの短編は、科学雑誌『ネイチャー』用に執筆されたものだという。結果、科学記事風な体裁をとっている。そして、超人類にとって「人間の科学」を扱った学術誌は、おそまつで通俗的な代物になり下がっているというのだ。
一方、超人類の刊行物は膨大な数におよび、人間にとっての科学は、それを翻訳し、解釈する学問になっている。人間の科学者は、独創的な研究を追求するのではなく、文献学者のような存在になる。
さらに面白いことに、超人類たちは、超人類たち同士でのコミュニケーションを図ろうとする。デジタル神経伝達技術を用いるのだが、これは普通の人間には速度も情報量も追いつかない。そして、お察しの通り、超人類は「人間」への関心を失ってゆく。
こうした一連の短編を並べて見ると、科学とは、人間レベルの認知能力や処理能力にカスタマイズされたカッコつきの「科学」になる。そして、人間の肉体やら脳構造の制約をとっぱらったAIが自律的に取り組んでいくならば、それは、「AIの科学」とでも呼ぶものになるだろう。
「AIの科学」と「人間の科学」は、しばらくの間、並走していくだろうが、拡張可能で疲れを知らぬAIが圧倒するのは明白だろう。そのうち、ある部分については、形式的な裏付けがなくとも、AIの科学の結果だけを受け入れるようになるかもしれない(なぜなら、AIの科学が正確な予測を出せるようになったなったとしても、なぜそうなっているかの理解が【人間にとって】複雑すぎるから)。
この場合、人間にとって「AIの科学」は科学というよりも応用するべき技術―――誤解を恐れずに言うなら、A.C.クラークの「十分に発達した科学」になるのかもしれぬ。
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