徹夜したらもったいない長編小説『ザリガニの鳴くところ』
イッキ読みした。物語はゆったりと進むのに、先を知りたくてページをめくってしまう。
この作品のテーマはここに集約されている。
ここには善悪の判断など無用だということを、カイアは知っていた。そこに悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけなのだ。たとえ一部の者は犠牲になるとしても。生物学では、善と悪は基本的に同じであり、見る角度によって替わるものだと捉えられている。
生きること、ただ命をつないでいくことには善悪の区別などない。行為や結果について「善」や「悪」というレッテルを貼るのは人間の性であり、そこから自由であろうとすると、どういう人生になるかが物語られている。
「カイア」はこの物語の主人公だ。舞台は米国ノースカロライナ州の広大な湿地帯になる。親兄姉に見捨てられ、極貧の中、ただひとりで暮らす彼女は、貝を掘ったり魚を釣ったりして生き延びようとする。町の人々からはつまはじきにされる、貧困白人(ホワイトトラッシュ)なのだ。
一方、捨てる神あれば拾う神あり。わずかだが支えようとする人もいて、彼女が掘ってきた貝を買い取ったり、文字を教えようとする人もいる。そのおかげで暮らしが成り立ち、本を読む喜びを知り、生物学に興味を抱き、湿地の生態系をより深く知ろうとする。
「湿地の少女」と呼ばれるようになったカイアは、大人の女性へと美しく成長していくのだが、ある日、町の青年が死体で発見される―――湿地で。差別と偏見に満ちた目がカイアに注がれ、警察は証言と証拠を集めていくのだが……というのが大枠のストーリー。
古くはシンデレラの元ネタのロドピスで、ユゴー『レ・ミゼラブル』の少女コゼット、バーネット『秘密の花園』のメアリを思い出す。悲惨な状況にいる少女がさらに酷い目に遭いつつも、生まれ持つ何か縁として逃れ出で、幸せになろうとする―――その健気さに、分かってながらも絆されてしまう。
カイアの過去と事件が起きた現在を行ったり来たりしながら、次第に事実が明らかになっていくのだが、伏線と情報の出し方が上手い。
レイチェル・カーソンばりの自然描写の中、健気&したたかに生きる少女の成長譚としても面白いし、貧困と差別と不平等を描く社会派小説としても読める。恋の甘さと愛の苦味を知るラブロマンスとしてもいい。あるいは青年の死の謎を解き明かすミステリ&法廷モノにもなっている。
様々な物語要素を織り合わせながら、冒頭のテーマを問いかけてくる。善とか悪といった人間のレッテルから離れ、生き物たちが自然のままの姿で生きていける場所はあるのか、という問いだ。そこは、本書のタイトルでもある「ザリガニの鳴くところ」と呼ばれている。
ページを繰る手が止まらなくなる語りだが、その手をおさえつつ、味読してほしい(とってもおいしいから)。
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