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SFの世界を一冊で一望する『サイエンス・フィクション大全』

Sf

見てくれ! これがサイエンス・フィクションの家系図だ。

図の左上に、SFの祖先「Fear and Wonder(恐れと驚き)」がある。

アニミズムや神話・伝説・迷信の流れと、テクノロジーや実験・観察・啓蒙主義の流れが混交し、自然科学とユートピアとロマン主義を養分として、ゴシック小説の巨大な畑が出来上がっている。

ゴシック小説から、科学と技術と恐怖を組み合わせた最初のSF『フランケンシュタイン』が生み出され、ウェルズやハクスリー、ヴェルヌ、アシモフ、ブラッドベリ、ギヴソン、イーガンを始めとする大きな流れがある。これらを支えてきたのはダイムノヴェル(10セントで買える大衆小説)やペーパーバックによる文学と漫画のメディアだ。

映像メディアからは月世界旅行やメトロポリスを始めとして、トワイライトゾーン、スタートレック、スターウォーズ、エイリアン、マトリックス、E.T.を代表とした巨大な流れがある。映画に限らず、TVやゲーム、動画などの映像メディアは文学と共鳴しながら、サイバーパンクやハードSF、スペースオペラといったサブジャンルを生み出している。

さらにゴシックの源から、ホラーとSFが結びつき、ポーやラヴクラフトを経由して、アン・ライスやスティーブン・キングが待ち構えるモダンホラーに流入している。同様にファンタジーも、トールキンやルイスが世界を広げつつ、互いに共鳴しあい、一つのジャンルを作り上げている。

この一枚でSFの全てを語るのは無謀の極みだが、それでもこの挑戦は素晴らしい。見晴らしはかなり良くなるだろうから。

『サイエンス・フィクション大全』は、この画像のような試みだ。科学から刺激され、科学を刺激する Sense of Wonder が、文学や映像にどのように表現されてきたかをまとめている。

SFを道案内する5テーマ

このテの本を作ろうとすると、ぶ厚い無味乾燥なものになる。というのも編集者は、「あれがない」とか「これじゃない」といった批判を怖れるからだ。そして、網羅性やマニア受けを目指すと、とっつきにくい辞書になる。

だが本書は、そうした網羅性よりも、見て楽しく読んで深まるカタログのような事典を目指している。

鍵となるテーマは5つだ。

People and Machines(人間と機械)では、ロボットやフランケンシュタインを入口に、ヒトがどのように機械化していったか、さらにはSFが「現実の」サイボーグにどのような影響を与えていったかが解説される。SFと現実に引かれた境界線は錯覚でしかないことが分かってくる。

Travelling The Cosmos(宇宙の旅)では、スクリーン上のSF作品と、現実の映像を並べた紹介が面白い。スペースシャトル船内での軽装のエンジニアと、『エイリアン』の甲冑のような宇宙服の対比は、狙って並べているはずだ。一般相対性理論で導かれるワームホールの模式図の次に『カウボーイビバップ』を出してくるので、編者は”分かって”並べている(もちろんその次は『スタートレック』のエンタープライズ号なり)。

Communication and Language(コミュニケーションと言語)では、地球外生命との交流が、現実とSFでどう行われてきたかが対比されている。深宇宙探査機パイオニア号に搭載された銘板や、DNAの二重螺旋をM13星雲に送信したアレシポ・メッセージは現実の話だし、『未知との遭遇』の5つの音階や『2001年宇宙の旅』のモノリスは映画の話だ。

Aliens and Alienation(エイリアンと疎外感)は、ヨーロッパの帝国主義と地球を侵略するエイリアンを重ねた紹介が面白い。ウェルズ『宇宙戦争』を始め、『第9地区』『アバター』における征服・被征服の関係を、ポストコロニアリズムで読み解いている。フィクションの話なのに、現実に起きている人種差別の問題とシームレスにつながっている。

Anxieties and Hopes(不安と希望)では、核の時代におけるサイエンスフィクションの可能性を紹介する。広島に投下された原子爆弾で被爆した陶磁器の次に、『渚にて』『ゴジラ』『ザ・ロード』が紹介されている。本書で知ったのだが、原子爆弾が開発される30年以上も前に、核戦争の可能性がSF作品で描かれている(ウェルズの『解放された世界』)。

5つのテーマ、どれから始めてもいいし、もちろん通しで読んでもいい。

『宇宙戦争』から帝国主義を炙り出す

私が最も興味深かったのが、4章「エイリアンと疎外感」だ。

文学理論の一つであるポストコロニアリズムで読み解くと、SFの作品そのものだけでなく、それを読む人々の罪悪感も浮き彫りになってくるからだ。

例えば、ウェルズ『宇宙戦争』に出てくるトライポッドが脅威なのは、かつてヨーロッパ人が他の地域にやってきたことを、まさに当のヨーロッパ人に下せるからだという。交渉や外交の話し合いができる場なんて無くて、エイリアンにとって、人類はただ邪魔で無意味な存在になる。

エイリアンによる人類絶滅計画は、ヨーロッパ人による植民地計画に置き換えると、自分たちがしてきた悪事への報復物語として読み解ける。数多くの「エイリアンもの」が、侵略と抵抗の対立ものとして描かれるのは、それが物語として作りやすいだけでなく、裏返された歴史として馴染みがあるからかもしれぬ……と考えるのは穿ち過ぎだろうか。

地球外生命体の研究を帝国史の文脈に照らし合わせると、西側諸国の人々はひどく居心地悪く感じるだろう。これこそ、H.G.ウェルズが『宇宙戦争』で意図したことなのだ。

この辺りの、作品からイデオロギーをすくい上げる批判的な読み方が面白い。『ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド』を「ヨーロッパ人の男性冒険家と”非文明的な”魔物の間で植民地的な条件が交わされることに後味の悪さを感じる」なんて発想は、少なくとも私にはなかった。

SFが未来を「予言」しているという見方があるが、むしろ、SFが描いた沢山の未来の中から、私たちが「選択」しているように思えてくる。

SFの世界を一望のもとにするなんて、 B5版のデカいサイズだからこそできる。カタログのように図版をザッピングして眺望を愉しむのもよし、解説をじっくり読み込んで頷いたり反発したりするのもよし。つまみ食いから味読まで楽しめる。 

これは基本読書の冬木さんの紹介で知った。「見てるだけで楽しい、発想の宝庫となる一冊」という一文は、まさにその通り。素晴らしい本を紹介いただき、ありがとうございます!

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