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ある種のホラーがとてつもなく怖い理由『恐怖の美学』

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ホラーは2種類ある。

血みどろ臓物、怨念呪殺、ゴシック、ゾンビ、モンスター、SF、サイコなど、人を震え上がらせるホラー作品は様々だ。だが、あらゆるホラーは2つに分けることができる。

この2つを分けるのは、「枠」だ。枠の内側に留まっているものと、枠の外に出てくるもので、ホラーは2つに分けることができる。

「枠」とは、私が便宜上そう呼んでいるもので、例えば、恐ろしい絵が収まっている額縁になる。アマプラでホラーを観ているならPCのベゼル(モニター枠)になる。映画館ならスクリーンを縁取るカーテンだし、紙の本で読んでるなら、文字の周囲の余白を「枠」と置き換えてほしい。

「枠」を越境するもの

つまり「枠」とは、コンテンツと、コンテンツ外を分け隔てる境界のことだ。

私たちは、本を開くとき、ゲームをするとき、映画館の暗がりに身を潜めるとき、まさにそうした行為によって、現実ではないホラーが始まることを意識する。そして、本の余白に縁取られた物語や、ディスプレイの枠内のゲームプレイに没頭する。

だが、真に迫る描写や予想外の驚きのあまり、時として目を背けたり、思わずページを閉じたりする。さらに強烈である場合は、電源を切って寝入った後も悪夢として蘇ったり、手元に置くのもイヤになってブックオフに売ったりする。

どんなによくできていても、ほとんどは枠の内側で完結しており、「ああ面白かった」で終わる。だが、ごくわずかだが、物語が終わった後もじくじくと後を引き、枠からこっちに染み出し、悪夢に現れたり、現実の行動に影響を及ぼすものがある。

例えば、スティーブン・キング『シャイニング』はめちゃくちゃコワい。雪で隔絶された山荘の怪異もさながら、狂気に蝕まれてゆく様子が真に迫っている。だがそれは、枠の外からの感想だ。「真に迫っている」形容は現実ではないからそう言える。

一方、小野不由美『残穢』も怖い。物語の怖さもさることながら、そのお話を知ってしまったことで、こっちが呪われるような気分になる。「穢れ」といった感覚で、不浄なものに触れたかのような記憶が後を引く(読後、本に触るのも嫌で処分した)。これは枠から出た物語に感染した例だろう。

つまり、ホラー作品を、「作品」というカギカッコ内に留めて、あくまで愉しむものにしているのが、「枠」なのだ。

第4の壁

樋口ヒロユキ『恐怖の美学』で知ったのだが、この「枠」とは、演劇の世界では「第4の壁」というそうだ。

演劇は、舞台で繰り広げられる。そして舞台は、背景と左右によって仕切られている。この他に、舞台そのものと観客の前に、見えない壁が存在するというのだ。

通常、この壁は意識されない。俳優は壁の内側で、自らの役を演じる。王、殺し屋、道化師と、それぞれの存在を全うする。

西洋の舞台ではプロセアム・アーチという額縁のような縁取りが設けられていた。俳優はこのアーチを超えて客席にせりだすことはせず、観客は額縁の内側を、「動く絵画」として鑑賞していた。この額縁が、第4の壁の境界となっていたのだ。

ところが、壁の内側の俳優が、いきなり観客に向かって、問いかけてくることがある。観客のいる世界(現実)と舞台の上での物語(フィクション)は不可侵であるにもかかわらず、承知しているかのごとく語り掛けるのだ。

演劇の世界だけでなく、テレビドラマでもある。それまで役を演じていた俳優がカメラを直視して視聴者に問いかけるのもある。ゲームや映画などで、飛び散った血しぶきがカメラに付着して被写体がぼやけるとき、透明な壁が意識される。

ホラーとは何か

本書によると、ホラーとはこの第4の壁を突き破ろうとする芸術だという。

私たちは、死の危険を直接恐れるだけでなく、暗闇や廃墟、墓場など、死体や衰退にまつわる死の表象を怖れているという。そして、その恐れが第4の壁を超えて現実に迫るとき、メタレベルで生や死の問題を考えることができるというのだ。

確かに、ホラー作品を「作品」として愉しむだけでなく、物語が終わってもヒヤっとさせられるものがある。

例えば、VHSビデオで観た『リング』は怖いというより嫌だった。VHSビデオを観た人に呪いが感染していく話だ。だから、「その」VHSビデオが、まさに映画に出てくるもののように思えてくる。

VHSビデオがピンと来ない若者なら、「霊を呼び寄せるアプリ」とかなら嫌だろう。たった今思いついたアイデアだが、位置情報を元に霊を招く音を発する呪いのアプリが勝手にインストールされてしまう話だ。で、そのドラマを観ている人が持っているスマホも、そのドラマを通じて呪いが感染してゆく。

あるいは、曰く付きの怪談として、「絶対に人に話してはいけない話」がある(例の話とか件の話とか呼ばれる)。なぜなら、その話を聞いた人が呪われるから。でも、だとすると話を知っている人は皆呪われているのでは? と思うのだが、それはそれ、この話そのものに仕掛けがあるのだ(ここで書いてはいけないものなので、ご容赦を)。

『恐怖の美学』では、古今東西のホラー百冊を取り揃えて、恐怖のワンダーランドへ招待してくれる。『リング』よりも遥かに怖い作品として折り紙付きで紹介してくるこれは、私も同感だ。このタイトルを思い出すたびに恐怖が更新される。第4の壁を易々と突破して、今晩も悪夢に現れてくる。

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