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「あのときやっときゃ良かった」という後悔は、実際にはやれる可能性などなかったのだからソク忘れよう

これは友人の話なのだが、「やれたかも」という夜は確かにあるそうだ。

「飲み会で意気投合した女の子と帰りの電車がたまたま一緒で、飲みなおそうという流れからカラオケへ」とか、「夏合宿の雑魚寝が寝苦しくて抜け出したら、後輩の子がついてきた」とか。

だが、イイ感じなのはそこまでで、「朝まで歌っただけ」とか、「ちょっと雑談してから部屋に戻って寝た」とか、他愛のないものに収束する。

まんざらでもない態度や視線に、選択を間違えなければチャンスをモノにできるはず……だが悲しいかな、ヘタレ童貞は何をどうすれば良いかわからない。ギャルゲ―なら2つか3つの「選択肢」だけだが、リアルは無限だ。深夜、女の子と二人っきりというシチュに、胸の鼓動がドキドキ目先はクラクラ、何も思い浮かばない。

かくして何も無いままとなる。その後の進展もなく(むしろ素っ気なくなる)、「やれたかも」は、「かも」のまま、思い出となる……と、その友人は言っていた。

そんな思い出を抱える人たちを、『やれたかも委員会』は、こう励ます。

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吉田貴司『やれたかも委員会』第1話より

「あのときやれたかもしれない」―――そんな美しい思い出を、全力でブッ壊しにくるのが、本書である。

N/A

『「あのときやっときゃ良かった」という後悔は、実際にはやれる可能性などなかったのだからソク忘れよう』は、飲み屋街でクダ巻いているおっさんの名言集だ。アルコールが入っている分、下卑たものや差別的なヨタも交じっているものの、じんわり沁みるセリフや、刺さる至言もある。表立っては聞けない人生の経験則がこれだ。

やりたいことは、やれるうちに

このアドバイス、当たり前といえば当たり前のことなのだが、彼の話を聞くとまた変わってくる。

歳とってからやればいいと
思っていても、
いざ歳をとってしまうと
しんどくてやらない
(男・48才)

就職して最初のボーナスが出た時、両親に海外旅行をプレゼントしようとしたという。彼が23才で、両親が50前後の時の話だ。ところが両親は、旅行なんて歳とってからでも行けるから、いらないって断ってしまう。

そんなもんかと話は立ち消えになるのだが、月日が経ったいま、あのとき行っておけば良かったと両親の後悔を聞かされる。歳をとると、時間はあるけどしんどくて意欲が無くなってしまうのだと。

これ、わたしの自戒の言葉「あとで読むは、あとで読まない」に通じる。いずれ、そのうち、ヒマになったら読もうと積む本は、必ずといっていいほど、あとで読まない。そうこうするうち、気力が萎えて読めなくなり、積読山に囲まれて衰えていくだろう。問題なのは、積読山に囲まれて死ぬのではなく、死ぬまでの長い時間を、読む気の失せた積読山に囲まれて過ごすことだ。

俳優と政治家の共通点

なるほど!と思ったのはこれ。

俳優だけ二世が多いのは 誰でもできるから
(男・46才)

お笑いとか音楽の世界では、二世は最初だけ話題になって、すぐ消える。あれは、客が善し悪しを判断するからだという。どんな漫才師の息子だろうと、つまらないヤツはつまらないし、ミスチルの息子だからといって売れるわけじゃない。

でもなぜか、俳優だけは二世がはびこっている。

理由は客が上手い下手を判断できないから。客は演技の上手い下手なんて求めていないし、よっぽどの大根でない限り、誰でもできる。ダメな俳優にダメ出しをしない(できない)業界にも問題があるのかもしれない。

これは政治家も然り。善し悪しで判断されるのではなく、カバン(金)、カンバン(知名度)、ジバン(後援会)で誰でもできるから二世が蔓延るのかもしれぬ。

会う人を大切に

かなり刺さったのがこれ。

今生の別れは 気づかない
(男・59才)

「今生の別れ」とは、これを最後にして、生きている間はもう会うことがない別れのこと。ドラマや映画で、遠い異国に旅立つといった場面でお馴染みかもしれない。酒を酌み交わしたり、ホームで抱き合って泣いたりするあれだ。「今がその時」とはっきり分かっている形で演出される。

でも現実はそうじゃない。そんなドラマチックなものではなく、「あいつ死んだの?こないだ飲んだのに」という形で、突然に訪れる。人は死ぬ。これは絶対だ。だが、いざ死んでしまった時、「なぜ?」と問うてしまう。

だからこそ、人と会うときを大事にしたい。この気持ち、一期一会やね。

ロールモデルを意識する

せやな!と膝を打ったのはこれ。

親とちがって、先輩は選べる
(男・55才)

人生で誰に一番影響を受けるか―――親とか恩師とかいう人もいるけれど、ほとんどの人は少し上の先輩に影響されているのでは?という。

進路を決めるときや、仕事を決めるとき、身の回りの少し上の人に憧れて決めてきたという。そのとき目指す先輩は、それぞれ違う人だったかもしれないけれど、大なり小なり影響を受けてきたのではないかというのだ。

そして、親や上司は選べないけれど、先輩は選べるという。しょうもない先輩につかまるのではなく、敬えない先輩とは付き合う必要なしと説く。代わりに、「あの人だ!」と言える人を探せというのだ。

これは確かにそうかも。決定的な指針をもらうというよりも、「なんとなく良いかも」という「なんとなく」は、思い返すと先輩からもらってきたような気がする。新しい環境になったとき、無意識のうちにロールモデルを探していた。

これは読書猿『アイデア大全』で紹介されている「ルビッチならどうする?」につながる。人生の師匠・メンターを予め決めておき、行き詰まったときにその人に問うのだ。ポイントは、その人が先輩のような身近な人でなくてもいいこと。既に他界した人でも、フィクションに登場する人でもいい。孟子の「私淑」を実践してきたといえる。

中年初心者向けの名言

既に知ってたものもある。こんなの。

  • ほとんどの不調は、睡眠が解決する
  • 無理やり勃起させると、緊張は治まる
  • 口説くときは文字で、ケンカは会って
  • 田舎の人は圧力を受けながら生きている
  • 眠れない夜は横になって目を閉じているだけでもいい

けれど、こうしたセリフがなぜ出てきたのか、どうしてそう考えるようになったのかを語るおっさんたちの身の上を聞いていると、爆笑したりしんみりしてくる。

当たり前すぎるけれど、その言葉を吐くまでの半生の積み重ねが重い。「人生のネタバレだよ」なんて言って若者に薦めたいけど、おそらくピンとこないかもしれない。むしろ中年になったばかりの自覚のないおっさんに読んでもらうと、「そうかも」と思い当たるかもしれない。

人生は巻き戻しても同じ

タイトルにもなっているこれは、童貞時代の美しい思い出を殺しにかかってくる。

「あのときやっときゃ良かった」
という後悔は
実際にはやれる可能性など
なかったのだから
ソク忘れよう
(男・42才)

このおっさんの理屈はこうだ。

―――もっと色んな女の子と、あのときヤレたのにヤレなかったのがもったいない……なんて悔しい気持ちになることもあるかもしれぬ。

しかし、ヤル気になればヤレたのに、その子とヤレてないというのは、そのときの自分が最適だと思った行動の結果なんだ。どう転んでもその行動に向かっていった末に、やれなかったのだ。だから、最初からその子とヤルという選択肢など無かったことと同じ。

機会損失だと考えるから後悔するって発想になる。初めからそんなチャンスなんて無かったんだと考えたら、後悔することなんてない―――

その通りなんだけど、ミもフタも無いんだけど、涙が止まらないのはなぜだろう……

人生は巻き戻しても同じだ。

なぜなら、巻き戻される私も、同じように、未熟で童貞で女心を分かっていないあの頃に戻されるだけから。「ループもの」が物語として成立するのは、ループする存在が記憶なり経験を保ったまま、もう一度やり直せるから。

だけど、いま「やり直したい」と考える理由を、言葉にして伝えることができる。なぜ後悔しているのか、後悔しないためにどうすれば良かったのか、かつての自分にメッセージを託せるなら……本書は、そんなおっさんたちの魂の叫びを集めたものかもしれない。

わたしも含め、そんなおっさんたちに贈るのはこれやな。

今やり直せよ。未来を。
十年後か、二十年後か、五十年後から
もどってきたんだよ今

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本書は、はてなブックマークでmaketexlsrさんから教わった(ありがとうございます!)。前作の『他人が幸せに見えたら深夜の松屋で牛丼を食え』と一緒に、これも若い人……いや中年初心者にそっと渡したい。

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