予定調和は裏切られ、予想のナナメ上を裏切る『寝煙草の危険』
都合が悪いのは現実だけで沢山だ。
せめて物語のなかだけは、予定調和に進んでほしい。ご都合主義と言われてもいい、悪いものが潰えて、弱き人、良き人が救われる、そんなストーリーになってほしい。
なぜなら、現実がそれだけで酷い世界だから。頭の弱い女は利用され、貧乏老人は虐げられ、居所のない子どもたちは食いものにされる。ポリティカル・インコレクトネスな世間だからこそ、物語だけでも救われてほしい。
そんな現実逃避を踏みにじってくるのが、ホラー短編集『寝煙草の危険』だ。
頭のイカレた老人が、通りでいきなり排便する(しかも下痢気味)。通り一帯に悪臭がたちこめ、近所の人が袋叩きにするのだが、どちらも救われない。ホームレスの老人も、正義感に満ちたその人も、その通りに住む全ての人が、救われない。
一応、老人の呪いという体(てい)で話は進むのだが、それを目撃した人たちは次々と不幸に遭う。強盗に遭って破産する、飼い猫を殺して食べた後自殺する、解雇される、店をやっていけなくなる、大黒柱が事故で死ぬなど、酷い運命が待っている。
悪いことがおきるとき、それに釣り合うカウンターが用意されているのがセオリーだ。だが、何のバランスもない。そんなに非道なことをしていないのに、したこと、していないことに見合わない非道な目に遭う。
そして、物語なら、なぜそんなことになったのか、因果の説明がある。本当に「呪い」なら、呪う側の出自や呪われる側の過去が語られるはずだ。だが、無い。
悪いことが起きることに何の理由もない、これが最も恐ろしい。なぜなら、それは現実で嫌というほど味わっているから。
これが「ショッピングカート」。20ページに足らない短編で、ひどく嫌な気になる。そしてラストの救いようのないナナメ上の展開にゾッとするあまり、引き攣った笑い声が漏れる。
「ホラー作品」なのだから、一応、体裁上は、幽霊やゾンビ、呪いといった定番の超自然モチーフを用いる。にもかかわらず、そこに描かれるものは現実よりも容赦ない。人身売買や貧困老人、ストリートチルドレンといった現代の問題を、キングのホラー風味とマルケスのリアリズムで味つけるとこうなるのか。
狂った(でも生々しい)世界はボルヘスみがあって好きだ。リアルが狂っているのか、それを見ている「私(=主人公、読者も可)」が狂い始めているのか、どちらであっても楽しい。
藤ふくろうさんが、「(アルゼンチンの政情からくる)死と不安の距離が近いリアルを、ゴシック形式で語ったホラー」と推していたのを耳にして手にしたら正解だった。「死者が帰ってきて、生きている人たちを圧倒してくる」「死者がイキイキしている」が刺さった。
ふくろうさんの紹介は、文学ラジオ空飛び猫たち(番外編)の26:40ぐらいから聞ける。聞いたら読みたくなるし、読んだら不穏になる一冊なり。

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