『ナチスは「良いこと」もしたのか?』と『縞模様のパジャマの少年』
「ナチスがしたことは悪行だけではない。良いこともした」という言説を見かける。悪の代名詞とも言われるナチスだが、評価できる部分があるという主張だ。
例えば、公共事業を拡大して失業者を減らすことで経済復興を果たしたり、充実した家族政策により出生数を向上させた。もちろんそれでナチスの蛮行が減殺されることはありえないが、これらは「良いこと」と言えるのではないか、という意見だ。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、こうした見方に異議を唱える。ナチスがした「良いこと」とされる政策の一つ一つを取り上げ、その背景や目的を精査し、ナチスのオリジナルなものだったか、さらに成果を生んだものかを考察する。
結論を一言で述べると、著者のこのツイートになる。著者は歴史学者であり、ドイツ現代史を専門としているプロフェッショナルである。
30年くらいナチスを研究してるけどナチスの政策で肯定できるとこないっすよ。
— Daisuke Tano (@tanosensei) February 8, 2021
ナチスの経済政策
例えば、経済政策だ。
ヒトラーが政権に就いてわずか数年でドイツの雇用状況が劇的に改善され、失業問題がほぼ解決したのは事実だという。雇用の安定と共に経済も回復し、国民総生産も急増したという。
ドイツの経済の奇跡はどのように成し遂げられたのか。その理由として、アウトバーンの建設や、様々な雇用創出計画が挙げられる。ナチスは「良いこと」もしたという人は、こうした経済政策を指摘する。
これに対し、前政権のパー ペン・シュライヒャーの政策を引き継いだものに過ぎないという。ナチスが何か新機軸を打ち出したわけではなく、いわば手成りの政策を踏襲しただけである。そのため、ナチスの功績として称えるには当たらないという。
さらに、ナチ政権下での雇用回復の原因は、ヒトラーが政権を握る前に、ドイツ経済が景気の底を脱し、回復局面に入ったからだという。恐慌時に大量解雇やコスト削減を進めた企業努力や、前政権の対策が効果を上げ始めていたが、それら全ては「総統の功績」としてプロパガンダされた。
まだある。ヒトラーの「ドイツ経済は4年後に戦争可能になっていなければならない」という計画の下、なりふり構わず軍備拡張に注力した。ダミー会社が発行する擬似公債「メフォ手形」を導入することで、軍需取引を国内外の目から隠し、最終的には国家支出の61%に達したという。爆発的に増えた財政支出を軍備に振り向けた結果、1936年頃から軍需産業を中心に好景気に沸くことになる。
これに加え、占領地域に対する経費・分担金の要求や、ユダヤ人からの収奪、外国人労働者の強制労働など、ナチスがした「悪いこと」が挙げられている。こうした背景を考えると、「ナチス政権で経済は回復したのだから、『良いこと』もした」というのは一面的すぎるという。
なお、ナチス体制を経済から捉えなおした白眉といえばアダム・トゥーズ『ナチス 破壊の経済』がある。訳者・山形浩生氏によると、「ナチスが果たした経済回復」という通俗的な理解を、膨大なデータを実証的に用いて覆しているとのこと [ALL REVIEWS ナチス 破壊の経済]。
ナチスの家族政策
あるいは、ナチスがした家族政策だ。
例えば、結婚したばかりのカップルに100ライヒスマルク(現在の価値で70万円強)が貸与され、子どもを1人産むごとに返済が一部免除され、4人産めば全額もらえるという制度がある。あるいは、母親学校を開催し、乳児の下着やベッド、食料品などの現物支給があった。
だが、こうした支援策は、どんな政策とセットで行われたのかを考慮する必要があるという。支援対象となったのは、ナチスにとって政治的に信用ができ、人種的・遺伝的な問題もクリアされていることが前提となる。ナチスが「反社会的分子」とした人々はここから排除され、障碍者の場合は断種されていた。さらに、支援対象となっていても、子どもを産まない「繁殖拒否者」には罰金が科されていた。
こうした背景には、人種主義的な「民族共同体」を作るという目的があったことを指摘する。「人種的に価値の高い」ドイツ人を増やすための施策であり、結婚資金の貸付を行ったという部分だけを切り取って、「良いこと」とするのは短絡的だというのだ。
出生数の増加についても容赦がない。事実として、1000人あたりの出生数は、1933年には落ち込んでいた(14.7人)が、1939年に増加した(20.3人)。だがこれは、景気回復により結婚の絶対数が増えたためであり、出産奨励策の影響は限定的だという。
ナチスの独自性
他にも、労働者のための福利厚生や、環境保護政策、タバコ撲滅運動など、ナチスがした「良いこと」とされる政策について、背景や有効性を検証する。
一見「良いこと」に見えても、到底同意できない目的の下に実施されていたり、プロパガンダによってナチスの功績とされたことが次々と指摘される。
冒頭に引用したツイートに対し、賛同する声が上がる一方で、「ナチスはこんな『良いこと』もした」という反対意見が殺到し、炎上状態になった。本書は、そうした意見に対する、歴史学の知見からのアンサーとなっている。
この知見は、いま・ここでも適用できる。一見「良い」とされる施策でも、その目的が何であり、どのような政策とセットで行われるのかを吟味する必要がある。さらに、ある施策の一部分だけを切り取って「悪い」とみなす短慮も抑制すべきだろう。
一点、気になったのが「それはナチスのオリジナルではない」という論旨だ。経済政策や環境保護は、前政権の踏襲だったり、元々そうした時代背景の下に行われたものであるため、ナチス独自のものではない、という批判だ。
これは、参考文献にある『ナチスの発明』(武田知弘、彩図社、2011)へのカウンターとしての批判だろう。だが、ナチスのオリジナルかどうかは、「良い」「悪い」の判断とは別物のように見える。一時的にせよ奏功した施策について、ナチスの功績としてプロパガンダされているが、それは「ナチスの功績」ではない……という表現の方が妥当だろう。
ただし、この言い方だと「ナチスは良いこともした」という立場からの再反論を招くおそれがある。前政権の政策を踏襲したナチスの判断は正しかった、つまり「良いこと」ではないか、という主張が出てくる。
そのため、「ナチスのオリジナルかどうか」については、「良いこと」とは分けて考えたほうがよさそうだ。
健康帝国ナチス
本書で紹介されている、プロクター『健康帝国チス』には、国家ぐるみで健康施策を推し進めた経緯が紹介されている。
がん患者登録制度を導入し、組織的ながん研究を進めたことや、職業病とがんの関係を明らかにする実験を行ったこと、喫煙と肺がんの関係を世界で初めて確定させたという。
このテの話は警戒する必要がある。国民に「健康」を強要し、「役に立たない」と見なした人々を排除した歴史は、『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』で学んだ。
ナチスほど国民の「健康」に執着した組織はなかった。タバコとアルコールの追放運動を大々的に行い、X線検査、学校での歯科検診、身体検査を制度化した。全国的なキャンペーンが行われ、栄養のある食事、運動、休養が啓発された。「健康」を満たせない者は「役に立たず」として収容所へ送られた(アニメ『PSYCHO-PASS』や伊藤計劃『ハーモニー』を思い出す)。
「健康」は、一見、中立的な善に見える。だが、誰も反対しないからこそ、「健康」をレトリックとして、先入観を押し付けることができる。ナチスの場合、人種主義的な「民族共同体」を構築するための手段が「健康」だったといえる。こうした背景を考えると、禁煙運動をしたから「良いこと」もしたというのは短絡すぎるだろう。
ナチズムは、アーリア人種の優越の下、ハンディキャップのある人々を抹殺するというだけのものではなかった。領土を拡大し、ユダヤ人とジプシーを殺戮する、というだけでもない。ナチズムは、こうした概念を極端に推し進め、「ドイツ民族の生殖」を長期的に管理しようとする運動でもあったというのだ。
ナチズムが大衆の人気を集めたのは、ドイツ人におけるユダヤ人憎悪だけではないという。反ユダヤ主義はナチスのイデオロギーの中核だったが、大衆が惹かれたのはそこだけではなく、上述のような健康志向を始めとする「若さへの回復」を見たからだという。疲弊したドイツを浄化し、復活させる鍵としての「健康」が魅力的に映ったのかもしれない。
この指摘は覚えておく必要がある。
「健康」や「若さ」は、「良いこと」に見える。だが、これを免罪符にしてしまうと、あらゆる悪行が正当化されてしまう。一見、善に見える言葉であっても、無条件に飲み込むことのないようにしたい。
「良い」「悪い」といった言葉は、主観的で、個人の価値観や社会的な規範、そして時代や文化によっても定義が変わってしまう。「ナチスは『良いこと』もした」という人は、どこを切り取り、どういう価値観に則した上でそう言えるのかを明らかにしないと、水掛け論の沼にハマるだろう。
縞模様のパジャマの少年
ナチスがらみでもう一つ。
見ると確実に胸糞が悪くなる映画ワーストNo2である、『縞模様のパジャマの少年』を観た。このワースト順位は『後味が悪すぎる49本の映画』で付けられたものだ。
胸糞映画としてよく挙げられる『ミスト』(第10位)や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(第4位)をブチ抜いているから、さぞかし嫌な気分になるだろう―――とワクワクしながら観た。
結論から述べると、Amazonの紹介文の通りだった。
「忘れられない映画だ。力強く、言葉にできないほど感動的だ」(ピート・ハモンド)。純真無垢な8歳の少年ブルーノは、母親の言うことを聞かずに林へ冒険に出かける。すぐに一人の少年と出会い、奇妙な友情を育んでいく。舞台は第二次世界大戦下。人間の魂の力をテーマとするこの感動的で素晴らしいストーリーは、あなたの心をつかんで離さないだろう。
『後味が悪すぎる~』では「唯一無二の絶望感」と評するが、同じ絶望感は、ドラム式洗濯機にまつわる事故を知ったときに味わったことがある(検索しないように!)。
最初は、ナチスが流ちょうな英語をしゃべるのに違和感があるし、100回観た『大脱走』と比べると警備が甘いんちゃう?とツッコミを入れたくなるが、そこは仕方がない。
「縞模様のパジャマ」とは、収容所の囚人服だ。劣悪な環境でろくな食事も得られず、常に飢えている。そんな彼(シュムール)と出会い、鉄条網越しに友情をはぐくむ主人公ブルーノの物語だ。
これ、胸糞映画という警告抜きで、単純にポスター見ただけで映画館に入った人にとっては、酷すぎることになっただろう。少年の運命に唖然とし、その理不尽さに憤り、可哀そうに思って涙するだろう。
そして、その少年を不憫に思っている自分が、たまらなくイヤになるだろう。一緒になって収容されている他の人々は?背景のモブのように描かれているが、その一人一人が同じ運命に向かっていくのに、その少年を呼ぶ声だけに胸を裂かれている自分は?と思えてくる。
素晴らしく胸糞悪いラストは、絶対に忘れることが無いだろう。そして、嫌な気分になりたいときに、このポスターを眺めるだけで味わえる。
収容所で行われたことは悪魔の所業そのものだが、ラストは、運命が悪魔に抗っているとみなすこともできる。悪に抗っているという一点だけを切り取れば、「良いこと」といえるだろうか? いや、決してそうは言えない。どう切り取っても悪でしかなく、悪いことしか起きない映画として傑作だ。
最近のコメント