文学は精神に作用するテクノロジーだ『文學の実効』
「文学は役に立たない」という人がいる。
データに基づく科学とは異なり、文学は主観的な解釈をベースとしており、客観性・再現性は低い。小説を読んでも、実用的ではないという主張だ。
そんな人に真向勝負を挑んでいるのが、本書だ。
文学作品が人の心を動かすとき、脳内で起きている変化を神経科学の視点から解き明かす。感動は主観かもしれないが、客観的に計測でき、かつ再現可能なテクノロジーだと説く。
著者はアンガス・フレッチャー[Angus Fletcher]、神経科学と文学の両方の学位を持ち、スタンフォード大学で教鞭をとり、物語が及ぼす影響を研究するシンクタンクの一人である。
『オイディプス王』『ハムレット』『羅生門』『百年の孤独』など具体的な作品を挙げて、それらが脳のどの領域にどう作用し、それがどのような効果を及ぼしているかを説明する。
もちろん、受け継がれてきた作品は、それぞれの時代背景を反映している。そのため、当時の人が受けた影響が、そのまま現代の私たちに作用するとは限らない。
だが、時代を経て改良された技法は、新たな作品を作り出している。戯曲や詩歌、小説や映画、ゲームにおける「語り」によって、現代人の心に作用する。いわゆる古典だけに限らず、その名作の応用として、映画『ファニー・ゲーム』やゲーム『バイオショック』、ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』が紹介されている。
シェイクスピアの認知科学
例えば『ジュリアス・シーザー』。シェイクスピアの名作を、認知プロセスから説明しなおす。
視覚や聴覚をはじめ、人の脳に入ってくる情報は膨大で多様だ。一つ一つを吟味して真偽を判定するのは至難の業だ。まずは取り込んだ後、信念体系のふるいにかけて一部の情報を「偽」と判定している。
直感による判定は合理的で、捕食者から逃れるために短時間で素早く判断する上で役に立ってきた。その一方で、信念体系に反する情報は受け入れにくくなったり、第一印象に左右されやすいといった弊害もある(ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』を思い出す人もいるだろう)。
この弊害を乗り越えるために、どうすればよいか。
一つの方法は、『ジュリアス・シーザー』におけるアントニーの演説である。
信頼していた者に裏切られ、「ブルータス、お前もか!」というセリフを残し、シーザーが絶命した後の話である。暗殺に加担したブルータスは実権を握っており、言葉巧みに市民を丸め込んでいる。下手なことを言うと、こちらのクビが飛ぶ。
こんな状況の下、葬儀の場でアントニーは演説する。少し長いが、文学の「効果」を確かめるために引用する(光文社古典文庫『ジュリアス・シーザー』より)。
ここに私は、ブルータス、およびその同志一同の許しを得て―――ブルータスは、まこと公明正大の士であり、その同志の人々もまた、同じくみな公明正大の方々だが、その人々の許可の下に、私はシーザー追悼の言葉を述べる。彼は、私の友人だった。常に公正、誠実を尽くしてくれた。
だがブルータスはいう。彼は野望を抱いていたと。そして確かにブルータスは、公明正大の士である。
シーザーは、おびただしい捕虜をローマに連れ帰った。その身代金を、シーザーはいささかも私することなく、すべて国庫に納めて公の富となした。これが、野望を抱いた者のすることだったのだろうか?ローマの貧しい人々が飢えに泣いた時、シーザーは共に泣いた。野望を抱いた者の心に、そんなやさしさがあるものだろうか?
だがブルータスはいう、シーザーは野望に捉えられていたと。そしてブルータスは、確かに公明正大の士である。
諸君はみな目にしたはずだ。あのルパカリアの祭りの当日、私は彼に、王冠を三度捧げた。ところがシーザーは、三度これを拒んだではないか。これがはたして、野望に燃える者のすることか?
しかしブルータスはいう、シーザーは野望に燃えていたと。そしてブルータスは、確かに公明正大の士に違いあるまい。
まず、文中に繰り返される「ブルータスは公明正大の士である」が目につく。アントニーは、ブルータスを決して非難しない。それどころか、誠実であり、公正であると称える。
ブルータスへの称賛と交互に、シーザーの功績が淡々と語られる。ローマを愛し、私財を投げうって国庫を潤す一方、王冠を拒んだ等、様々なエピソードが展開される。
一方で、「ブルータスは公明正大の士である」というセリフが、呪文のように繰り返される。同じ文言を何度も聞くたびに、市民は「それは本当だろうか?」という疑いを抱き始める。「シーザーは野望を抱いたから殺した」というブルータスの言葉を吟味するようになる。
じっくり考えるようになった市民が、どう判断するかは戯曲を楽しんでもらうとして(Kindle Unlimited で読める)、結果は語るまでもないだろう。どのように心が動いたかは、いま、まさにあなたが体感した通りなのだから。
文学の歴史とは「心を動かす」イノベーションの歴史
最初の直感に囚われた人を説得するとき、「それは先入観だ」と指摘するのは逆効果だ。
もしアントニーが「ブルータスは公明正大ではない」と言い出したのであれば、市民はその言葉を拒絶し、反発しただろう。ローマを追われたのはアントニーだったかもしれない。
シェイクスピアの時代に『ファスト&スロー』は無かったが、人の認知の仕組みは昔も今も変わっていない。そして、先入観をリセットする方法も変わらない。
この技は、彼氏持ちの女の子を攻略するときの「彼の好きな所を10個教えて」を思い出す。
最初に出てくるのは、「優しいところ」だろう。次は「(私のことを)大事にしてくれるところ」かもしれない。その次は……と、色々考えるのだが、いずれネタが尽きてくる。「とにかく優しいところ!」と繰り返すことになる。
彼女はそのうち「こんなに彼のことが好きなのに『好きなところ』が出てこないなんて……」と感じ始めるかもしれない。自問させていくことで、信念(彼のことが大好き)と認知(彼の好きな点が少ない)が一致していないことを冷静に吟味させる。
もし「今の彼氏はたいしたことない」と言い出したのであれば、彼女はその言葉に反発し、逆効果だっただろう。昔はナンパ師、今はチャラ男の手管である。
本書にはチャラ男の技は紹介されていないものの、先入観をリセットする物語の例として、芥川『羅生門』、アチェベ『崩れゆく絆』、ヴォネガット『スローターハウス5』などが紹介されている。語りの反復や修正、語り直しの技法により認知不協和を促し、先入観を再考させる、文学のテクノロジーなのだという。
他にも、キャラや世界観、語りのパターンを拡大することで読者(もしくは観客)の注意を自分以外の外側に向けさせることで夢中・忘我の状態を作り出す「拡張」や、皮肉や風刺が読み手に作用し「神の視点」の感覚をもたらす「視点取得」など、様々なメカニズムが語られる。
文学が精神に作用する技法を、「勇気を奮い起こす」「苦悩を癒す」「頭をリセットする」といった25の目的別に分け、それぞれが精神に作用するメカニズムと、古典的な名作から最新のドラマまでを紐解いている。
世界文学+神経科学+人類史+進化心理学と欲張った一冊。
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