ユーモアは最強の武器である
普通なら面白く思わないし、アイデアを侵害されたと感じるだろう。だが、互いに権利を主張し、巨額の訴訟になりかねないとき、どう決着をつけるか?
1992年のサウスウエスト航空がまさにそうだった。「スマートに飛ぼう(Just Plane Smart)」という標語でキャンペーンを始めたのだが、この標語は既に別の会社で使われており、法的権利も主張されていた。どちらも譲らず、普通なら裁判沙汰になるところだった。
これを、普通でない方法で解消した。お互いのCEOが腕相撲で勝負して、勝ったほうが権利をモノにできるとしたのだ。試合に向けたトレーニング動画はバズり、本番のショータイムは大ウケしたという(今でもyoutubeで見ることができる ”Malice in Dallas” )。
このイベントのパブリシティ効果だけで、600万ドル以上の売上が向上し、収益が1億ドルに跳ね上がったという。さらに重要なのが、莫大な訴訟費用を回避できたということだ。
普通でない解決策を生み出したのは、CEOたちの遊び心である。困難な状況に直面したとき、創造的に楽しもうとするユーモア精神が、このアイデアを生み出したのだという。
ユーモアは人生を楽しむための秘密の武器
ユーモアはメンバーの恐怖心を取り除いて創造性を高め、チームとしての一体感を醸成し、起きたことを思い出深いものに変える。
「頭の良さは、どんなときに笑うかで分かる」という言葉の通り、ユーモアは知性の証であり、あてこすりや皮肉の一刺しのような攻撃にも用いられ、何を笑う/笑わないかによって、自分の意思を強く示すことができる。
神経科学で言うならば、「脳内カクテル」になるという。私たちをハッピーな気分にさせ(ドーパミン)、人への信頼を高め(オキシトシン)、ストレスを緩和し(コルチゾールの減少)、高揚感をアゲアゲにする(エンドルフィン)。
ただでさえ面倒で厄介ごとだらけの人生を、なるべく楽しく面白く過ごすための技術―――それがユーモアだという。あれだ、ルパン三世の次元大介がピンチになると、「さて面白くなってきやがったぜ」と呟く、あのノリである。
『ユーモアは最強の武器である』は、この技術の取扱説明書になる。
「ユーモアのセンスは才能だから、”技術”とは違うのでは?」とツッコミたくなるかもしれぬ。かく言う私がそうだ。ユーモアの欠片さえ持ち合わせていない自覚はあるので、著者が力強く「ユーモアは技術だから教えることができる」と言い切られると、疑いたくなる。
だが、本書を読むことで、ユーモアのセンスを学び、筋トレのように向上させることができると分かる。ユーモアとは筋肉のようなものだ。生まれつき筋肉質の人もいれば、そうでない人もいるが、トレーニングにより身に着けることができる。使わないと衰えるし、意識するほど磨かれてゆく。
ユーモアを筋トレする
では、どうすればその技術が身に付くのか?
エッセンスをかいつまむと、「事実」を見極め、そこから「驚き」と「ミスディレクション」を導き出せという。
ユーモアは何もない所から出てくるものではなく、必ず核心となる事実がある。その事実から不可解なことや不条理に気づき、それが予想外のやり方で解消されるとき、ユーモアが生まれてくる。
シンプルなジョークで説明する。
あなたは夕食会に参加している。最初の料理が出されてから30分も経ったころ、参加者がひとり会場に入ってきて、すごく申し訳なさそうに言う。
「遅れてすみません、来たくなかったもので」
すかさず「なら来んなや」とツッコミ入れたくなるが、思わずフフっとなるかもしれない。
このセリフがおかしいのは、率直な本音をぶちまけている点にある。普通なら、道が混んでたとか適当に言い訳するところだ。だが、「遅れてすみません」の次に出てくる言い訳として予想外のセリフが来たので、驚きとミスディレクションが生まれている。
社会科学から見ると、認知不協和でユーモアは説明できる。つまり、予想と実際に起きたことの不協和からユーモアが生まれるのだ。ダニエル・デネットは『ヒトはなぜ笑うのか』で同様のことを述べている。
ユーモアの情動が発動するとき、そこに何らかのエラーの発見があることに注目する。私たちは、ある知識や信念に不一致を見出したとき、可笑しみを感じる。私たちは、何かがおかしいと分かったとき、それを可笑しいと感じる。
(適応としての笑い『ヒトはなぜ笑うのか』)
ユーモアの核心には、共通した事実がある。だから、ユーモアを探すとき、「何か面白いものがないか?」ではなく「どんな事実が潜んでいるか?」と自問せよという。
ユーモアが失敗するとき
本書では、様々な手法が事例とともに紹介されている。
いかにも米国風なおふざけもあるし、かなり攻撃的なきわどいジョークもある(スタンダップという)。前に笑った内輪ネタをこする「コールバック」や、メールの追伸や会議終了の去り際を狙った「ピーク・エンド」など、今日から使えそうなものもある。
だが、スベったらどうする? ユーモアが不発しただけでなく、寒い空気になったら目も当てられない。
そんな人(私だ)のために、「ユーモアのグレーゾーンを切り抜ける」というタイトルで、丸々一章、割り当てられている。
何を面白いと思うか、どこまで適切だと感じるかは、万人共通というわけにはいかない。ユーモアのグレーゾーンを切り抜けるためには、「事実」「痛み」「距離」のバランスが重要だという。
ユーモアの核心となる事実が、辛いものだったりすると、無神経で不快なジョークとして受け取られることになる。また、恥ずかしいことや気まずいことが話題となる場合、その対象との距離感や、痛々しすぎないかを考える必要がある。
これはかなり難しい。そのトピックを共有するメンバーの空気を読む必要が出てくるからだ。「空気を読む」なんて日本人特有の仕草かと思いきや、本書で頻繁に出てくるので驚いた。政治的な正しさや、様々な思想的立場への「配慮」が求められるプレッシャーは、むしろ米国の方が強いのかもしれぬ。
他にも、「アイデンティティをネタにするな」「メール・対面・オンラインを使い分けろ」「出世したら自虐ネタだけにしろ」「やりすぎたら謝罪せよ、ごまかすな(重要)」など、べからず集が並んでいる。
そこに共通するメッセージは、「思いやりを持ち、TPOをわきまえて、可笑しみを共有せよ」になる。
難しいけれど、面白い挑戦になりそうだ。
なぜなら、著者の言う通り「ユーモアとは、人生を楽しくする習慣であり、誰かと一緒に笑い合う瞬間は、はかないながらも小さな愛の表現」なのだから。
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