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むりやり天国つくるなら、たいてい地獄ができあがる、完全無欠のユートピア『われら』

完全な社会秩序が実現された理想的な国家のことを、ユートピアと呼ぶ。

「ユートピア」は多義性がある。

まず、eutopia、つまり eu-(良い)場所という意味でなら、プラトンの『国家』やガリヴァーの 『フウイヌム国」、今なら『ハーモニー』の「生府」になる。富や格差は存在せず、「みんな」が平等で公平な社会であり、何よりも教育と健康が優先される。

一方、utopia、つまり u- (否定辞)になると、「どこにも無い場所」になる。本来はこちらが正しく、eutopia は誤用らしいが、二つを掛け合わせて、「どこにもない理想社会」と解釈する向きもある。

この解釈にはヒヤリとさせられる。なぜなら、造語したトマス・モアによると、utopia は格差がない代わりに人間の個性を否定した管理社会の色彩が強く、全体主義の文脈で語られるものだからだ。

「ユートピア」の極限=ディストピア

では、この「どこにもない理想社会」を極端まで推し進めたなら、どんな社会ができあがるか。科学技術こそ至上であり、「みんな」が一致団結し、多様な答えは求められない世界―――それが、『われら』である。

全ての個人は「ナンバー」で識別され、名前というものは存在しない。

食事、睡眠、運動といった活動は厳密にスケジューリングされ、「タブレット」が定めるタイミングで同一秒にスプーンを口に運び、同一秒にウォーキングに出かけ、同一秒に眠りに就く。健康は義務であり、身体に害を与える嗜好品は制限されている。不健康な生活は、処罰の対象となる。

各部屋はガラス張りで互いに丸見えの状態となっており、相互に監視しあうことによって、悪を未然に防ぐことができる。プライバシーというものは言葉すらない。

ただし唯一の例外は、性行為になる。性愛局の検査に基づきセックス日程表が作成され、配布されたピンククーポンにより相手を指名することができる。コトに及ぶときのみ、窓にブラインドが下ろされる仕組みだ。

そこには「私」という個人は存在しない。代わりに、「私」の一つ一つの細胞が集まった有機体のような社会だ。肉体に違和感を覚えるのは、目にゴミが入ったときや、虫歯になったときなど、異物を感じるときであり、健康な状態であれば「自分」を感じることはない、という理屈である。

そして、「自分」という個人を感じ、声をあげようとする者は、ナンバーを剥奪され、皆が見守るなか、数十万ボルトの電気によって「無」にされる。

びっくりするほどディストピアである。オーウェル『一九八四年』やハクスリー『すばらしい新世界』よりもディストピアかもしれぬ。両極端は一致する。行き過ぎた理想社会はディストピアの形をとるが、どの「理想社会」も近似してくるのが面白い。むりやり作った天国は、だいたい地獄と近似する。

現実に「ユートピア」を見つける

『われら』が書かれたのは第二次世界大戦より前の、1920年代だとされている。ソ連が成立し、スターリンが社会主義国家を邁進させていた時代だ。粛清や強制労働が表立っていなかった頃である。

主人公は Д‐503 というナンバーが振られた男性だ( Д はデー)。宇宙船の建造設計士であり、科学技術を至上とする思想に凝り固まっている。

本書は手記の形式を取っており、日々の思考の変化を追うことでストーリーが進む。「彼」という個体が社会にとっての「異物」になってゆく過程が面白い。

というのも、私自身が、 Д‐503 の世界から見ると「異物」だからだ。自分のことは自分で決め、個人の考えを尊重し、自由でいたいと思う。これを異端であり狂気の沙汰と考える彼がとまどい、うろたえ、何とか言語化しようとする(自分の身に起きていることを「病気」と見なそうとするのが滑稽だが、ある意味で正しいのかも)。

ただし、『われら』をディストピア小説の元祖だと単純に断ずることはできない。ユートピアの話を進めていくとディストピアの世界になるように、両者はつながっており、境界はグラデーションになっているのだから。

代わりに、物語と現実を比べて、違和感を抱く共通項を見つけたのなら、それは「異物」となりうる。物語と現実はゆるやかにつながっており、境界はグラデーションになっている。

現実社会に抱く違和感の感度は、ディストピアの物語に触れることで磨かれる。

例えば、「オルタナ・ファクト」(alternative facts)という言葉を耳にしたとき、『一九八四年』の「ダブル・シンク」を想起することで警告スイッチをONにできる。

『われら』に出てくる、「健康は義務である」「選挙は象徴である」というセリフと重なる現実を見出すとき、同様にアラートが上がる。あるいは、各人が常に持ち歩き、眺め、行動を律せられている「タブレット」を見るたびに、現実と「ユートピア」は地続きであることが分かる。



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