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『ホラー小説大全 完全版』から選んだホラーベスト10

N/A

スタージョンの法則というものがある。

SF作家のシオドア・スタージョンが「SFなんて9割クズだ」と貶されたとき「どんなものでも9割はクズだ」と返したという逸話に由来する。低俗で凡庸な作品の山に、傑作が埋もれている。

重要なのはその1割にどうやって巡り合うかなのだが、ホラー小説についてその1割を集大成したものが、『ホラー小説大全 完全版』(風間賢二、青土社)になる。

18世紀のゴシック小説から19世紀のゴースト・ストーリー、20世紀のモダンホラー、そして21世紀のポスト・ミレニアルホラーまで、欧米を中心としたホラー小説を渉猟し、「読者を怖がらせる」ことに優れた作品をもりもり紹介する(1割といえど大量にある)。

さらに、近代が生み出した三大モンスター(吸血鬼、フランケンシュタイン、狼男)と現代が生み出したゾンビにまつわる膨大な映画や小説を紹介しながら、「なぜ”それ”が怖いのか」を、時代の集合的無意識から解き明かす。

キングやクーンツでホラー沼にハマった人には朗報だ。第三部を丸ごと使って、キングが開拓したモダンホラーの精髄を説き、クーンツやマキャモン、バーカーなど、ガチ怖なのに頁をめくる手が止められない傑作を、これまた膨大にお薦めしてくる。

私が狂喜したのは第四部、サイコ・エログロ・スプラッタの強烈なやつを選び抜いて紹介してくれるところ。ジャック・ケッチャムやリチャード・レイモンでピンと来る方向けで、病んだアメリカの恥部を、血まみれ鬼畜系で容赦なく暴き出す作品群だ。

ラストに傑作ホラーベストを掲げているのもありがたい。要するに、怖くて面白い1割から、ジャンルごとに特別に選び抜かれた作品がある。単なるリストではなく、「なぜそれが傑作なのか」も念入りに説明してくれるところも嬉しい(ネタバレすれすれな勇み足はご愛敬)。

  • テーマ別モダンホラーベスト60(悪魔、SF、エロス、狂気、呪い等)
  • ベスト中短編ホラー40(アンソロジーからさらに選り抜き)
  • ゴシック・ロマンスベスト50
  • 少年少女のためのベスト60

面白すぎて止められないか、怖すぎて眠れないか分からないが、いずれか(あるいは両方)の効用をもたらす作品に、山のように出会えるだろう。

なぜ本書が信頼できるか

なぜ、これほど自信をもって断言できるのか?

それは、本書の著者である風間さんが紹介した本をさんざん読んできたから。「怖いぞ」と脅されて半信半疑で手に取って、しっかり恐怖(と徹夜)を味わったので、確信を持って言える。

例えば『ウォーキング・デッド』だ。ゾンビ・アポカリプスを描いたアメコミを翻訳し、日本に紹介したのが風間さんだ [レビュー]。驚異的な視聴率を叩き出した同名のドラマの方が有名かもしれぬ。脅威はゾンビではなく、あくまで人間であり、これまでの法や倫理が通用しなくなった世界で、人はどこまで人でいられるのかが、生々しく激しいドラマとして展開される。

N/A

ゴード・ロロの『ジグソーマン』もそうだ。風間さんの紹介でこの劇薬小説に出会えた。交通事故で妻子を失い、人生に絶望して死のうとした男に、ある提案がなされる―――「右腕を200万ドルで売ってくれないか」。そこから始まる先読み不能・問答不要のおぞましさと嫌悪感に、ゲラゲラ笑いだす。人は笑うことで正気を保とうとするのかもしれない [レビュー]。『ホラー小説大全』にも風間さんの解説が収録されている。

N/A

あるいはシャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』。読後いつまでも後を引き、怖いというより「嫌な」小説を書く作家だ。正気と狂気の境界を見失うような気分にさせてくれる。というより、正常と異常は線引きできるものでないことを思い知らさせてくれる [レビュー]。この傑作、いろいろな人にお薦めされたのだが、風間さんのコメントの「狂人の観点から語られる閉じた世界の恐怖。戦慄と優しさ、グロテスクと悲しみの入り混じった、静かな慄然の書」が決定打だった。

N/A

ブライアン・エヴンソンの手ほどきを受けたのも風間さん。なかでもパラノイア、統合失調症、解離性同一障害を下敷きにして、幻想と現実のあわい目に迷い込ませる短編集『遁走状態』は「読む悪夢」といっていい [レビュー]。不安定でグロテスクな状況を聞かされていくうちに、信頼できないのは話者でなく、物語そのものでもなく、実は私自身なのかもしれないと思わせる傑作なり。

N/A

恐ろしいやつ、おぞましいやつ、グロいやつ、様々な作品を教えてもらってきた。まさに、「わたしが知らないホラーは、風間賢二が読んでいる」である。お薦めを読んだらやっぱり怖かったという実績の積み重ねがあるため、『ホラー小説大全』は信頼できる。

ただし、本書はあくまで「欧米を中心とした」ホラー小説の啓蒙書であることに留意したい。

ラテンアメリカは触れる程度、日本のホラーは舐める程度しか無いのが残念なり。鈴木光司『リング』がアメリカでどのように受け止められたのかとか、キングの吸血譚を日本の田舎で再現した小野不由美『屍鬼』における日米のホラーの違いなど、「怖さ」の文化談義が聞きたかったなぁ……

『ホラー小説大全』から選んだホラーベスト10

とはいえ、本書のおかげで、キング、クーンツ、バーカーなど、モダンホラーの代表的な作品は読んできたことが分かった(それでも未読は大量にあるが)。

『ホラー小説大全』でベストとして挙げられた中から、さらに私が選んだベストを紹介する。キング偏重・有名どころばかりなのはご勘弁を。「なぜこれが入っていない!?」という抗議は当然なので、お薦めがあったらコメント欄にてご教示いただきたい。

ちなみに、並び順は物語の中で流れた血の量の順になっている。面白さ&恐ろしさはどれも甲乙つけがたいし、血の量と恐怖は比例しないことにご注意を。

『血の本』クライヴ・バーカー

N/A

血を抜かれ、毛をそられた全裸の死体が、地下鉄の吊革にぶら下がり、ずらりと並んで振動に揺れるシーンは、今でも夢に出てくる(2ちゃんねらは「猿夢」を想起するかもしれぬ)。ベジタリアン(女)を監禁して極上のステーキだけを与える実験は、悪意よりも稚気を感じさせる。強い握力で、喉の奥の胃の奥の腸を掴み出し、靴下をひっくり返すように内臓をひっくり返すと、どんな光景になるか、見たくも想像したくもない。「血も凍る」という形容詞はまさにこの本のためにある、極彩色のスプラッタを浴びる短編集。

『殺戮の〈野獣館〉』 リチャード・レイモン

N/A

読むスプラッタ。

強姦、獣姦、近親相姦。死姦、幼姦、阿鼻叫喚。嫐(女男女)も嬲(男女男)もある。まんぐり、八艘渡、緊縄、ロリペドなんでもござれ。こんなゴア+ポルノ(GORE + PORNOGRAPHY)を表すGORNOという造語がある。拷問ポルノ(TORTURE PORN)とも言うらしい。映画なら 『ムカデ人間』『ネクロマンティック』やね。怪物が棲むと噂される、凄惨な殺人があとを絶たない「野獣館」に逃げ込んだり乗り込んだりする人たちの話なのだが、ストーリーよりも登場人物を粉砕したり切断するのに忙しい。これに匹敵するのは友成純一『獣儀式』、ゴア好きには併せてお薦めしたい。

『IT』スティーヴン・キング

N/A

キングの最高傑作ともホラーの金字塔とも呼ばれるやつ。『ホラー小説大全』によると、キングが変容させたホラー小説のスタイルはこうなる。

  1. 大長編化
  2. 雰囲気より物語性・ヴィジュアル性
  3. フラッシュバックやカットイン、クローズアップといった映画的描写
  4. 複数キャラの視点切り替えやショートエピソードを組み合わせたマルチポイント・マルチビュー
  5. 頃合いを見計らって挿入されるクリフハンガー(絶体絶命)の状況
  6. SFやファンタジー、ミステリ、ポルノや歴史といったジャンルミックスの物語形式

これが全部入っているのが『IT』だ。怖いことがどういうことか、思い出させてくれる。

『ストレンジャーズ』 ディーン・R・クーンツ

N/A

昼食後に最初のページをめくり、読み終えて日が暮れていたことに気づいた。物語に完全に没入する稀有な経験をした。

キングが開発したモダンホラーの技法を実装したのがクーンツになる。様々な立場や職業の人たちの奇怪なエピソードが並べられ、一見、無関係に見えつつも、引き込まれるようにページを繰っていくと―――奇想天外な事実に行き当たる。ストーリーテリングの誉め言葉に、「ページ・ターナー」(頁を繰る手を止めさせないくらい抜群に面白い)があるが、まさにこれ。止められない止まらないイッキ読みを堪能してほしい。

『インスマスの影』H.P.ラヴクラフト

N/A

世の中には「知らなければよかった」ことがあるが、その最たるものがこれ。

存在の大きさというか、自分のちっぽけさを思い知らされる。宇宙というものは道徳も秩序もない混沌であり、そもそも人間に対しては無関心・無関係である。何かのはずみで、うっかりそれを覗いてしまった人は、究極的な恐怖を体験することになる。それこそ、死ぬよりも恐ろしい、死んだ方がまし、というやつ。「恐怖」というよりも畏怖のパラメーターMAXを振り切った状態になる。

ラヴクラフトは、「太古の地球から息づく巨大で禍々しい存在」「禁断の叡智が記された魔導書」「打ち捨てられた場所に彷徨いこんだ古代研究家」といったフォーマットを用意して、邪悪な神話を再構成させた。創元推理文庫の全集のボリュームに怯む前に、いいとこどりした新潮文庫のこれを推したい。

『シャイニング』スティーヴン・キング

N/A

キング最恐といえばこれ。

ホラーとは、読者を戦慄させることを目的とした「効果の小説」だという。いかに読み手の恐怖を刺激するか、その効果を最大限に発揮させる騙りのテクノロジーを開発したのが、スティーブン・キングになる。

いかに文章で怖がらせるかの工夫が凝らされており、その一端は読み手の既視感に現れる。読み進めていくうちに、「これは読んだ(見た)ことがある」と思い出せるように、イメージとメタファーを織り込んでいる。分かりやすいのは「レッドラム」だろう(映像化しやすいので映画にもなっている)。

冬には極寒の雪に閉ざされ、陸の孤島となるリゾートホテルを管理するために移り住んできた一家三人の運命を描いた悲劇は、映画を見た人にこそ読んで欲しい。

『ペット・セマタリー』スティーヴン・キング

N/A

あまりの恐ろしさに出版がためらわれた傑作。

さっきから「一番怖い」とか「最高傑作」という形容が飛び交い、誉め言葉がインフレしているが、ご勘弁を。これは、私の語彙力が足りないだけでなく、どれも最高に怖く、どれも一番面白く、どれもイチオシなのだ(読んだ方なら同意いただけるだろう)。

『ペット・セマタリー』は怖さよりも哀しみの方が優っている。人にとって最も怖いのは「自分の死」だろう。だが、それよりも恐ろしく悲しいのは、「愛する者の死」に違いない。取り返しのつかない運命を、それでも取り返そうとするとき、悲劇が訪れる。自分がその選択をするかどうかは、きっと考えるはずだ。だが、その選択は、読み終わった後も、傷痕のように生涯残る記憶となるだろう。

『隣の家の少女』ジャック・ケッチャム

N/A

読むレイプ。

読み進めることがこれほど辛いなんて、吐きながら思い知る。それでも読むのを止められない。読書が登場人物との体験を共有する行為なら、これは読む暴力といっていい。地下室のシーンでは読みながら嘔吐し、その一方で激しく勃起した。陰惨な光景を目の当たりにしながら、見ること以外何もできない"少年"と、まさにその描写を読みながらも、読むこと以外何もできない"私"がシンクロする。見る(読む)ことが暴力で、見る(読む)ことそのものがレイプだと実感できる。

あらすじは単純だ。主人公は思春期の少年。その隣に、美しい姉妹が引っ越してくる。少年は姉のほうに淡い恋心を抱きはじめるのだが、実は彼女、虐待を受けていた……という話。少年は目撃者となるのだが、「まだ」子どもが故に傍観者でいるしかない。一方で、「もう」大人として成熟したが故に彼女が受ける仕打ちに反応する。

読むことが心を蝕むことになる劇薬小説の傑作。イケるなら、[読んだことを後悔する劇薬小説まとめ]も推したい。

『クージョ』スティーヴン・キング

N/A

立ち読みで冒頭を開いたら、そのまま取り込まれて全読した。気づいたら3時間ぐらい経っており足がガクガクになっていた(その本は買って帰って、もう一度はじめから読んだ)。

狂犬病になったセントバーナード犬が母子を襲う話なのだが、ここまで物語に厚みがあり、ハラハラドキドキさせ、目の前で食われているかのような迫真感で夢中にさせるのは凄い。フィクションだと分かっているのに、触れるくらいの恐怖に身をすくませる。何をもって恐ろしいとするかは、『ペット・セマタリー』『シャイニング』にも通じる。強力にお薦め(ただし映画版、テメーはダメだ)。

『ウォッチャーズ』ディーン・R・クーンツ

N/A

孤独な男が森で出会ったラブラドール・レトリヴァーは、人懐っこい一方で「犬」らしくない知性を持っていた―――ここから始まるジェットコースターストーリー。

この犬を軸に、トラウマを持つ男女の快復と愛の物語と、生物兵器をめぐる陰謀と殺戮の報復譚と、邪悪で醜悪な知性との対決が絡み合う。謎が謎を呼ぶ伏線、逃亡と追跡のカットバック構成、得体の知れない「なにか」が迫ってくる恐怖と緊張あふれる描写、バラバラだったエピソードが一点に収束していく興奮と、たたみかけるように風呂敷が閉じられ絞られていく高揚感を、いっぺんに味わう。涙もろい犬好きのための傑作 [レビュー]

これから読む約束された傑作

『ホラー小説大全』のお薦めをまとめた自分用のメモ。

傑作が約束されているので安心してハマれる。二重かっこ『』は書名で、かっこ「」はアンソロジーに所収されている短編のタイトルになる。願わくばアンソロジーの全てを読みつくしたいが、人生は限られている。特にお薦めされた「」を読んでいくつもり。

  • 『紙葉の家』(マーク・Z・ダニエレブスキー、ソニーマガジンズ)
  • 『絢爛たる屍』(ポピー・Z・ブライト 、文春文庫)
  • 『サンドキングズ』(ジョージ・R・R・マーティン、ハヤカワ文庫)
  • 『フィーヴァードリーム』(ジョージ・R・R・マーティン、創元ノヴェルズ)
  • 『怪奇小説傑作集4(フランス編)』
  • 『幻想と怪奇2』(ロバート・ブロック、ハヤカワ文庫)「ルーシーがいるから」「十三階の女」
  • 『幻想と怪奇3』(フレドリック・ブラウン、ハヤカワ文庫)の「特殊才能」
  • 『ミステリーゾーン』(ロッド・サーリング、文春文庫)「だれもいなくなった町」「真夜中の太陽」
  • 『13のショック』(リチャード・マシスン、早川書房)「人生モンタージュ」
  • 『夜の旅その他の旅』(チャールズ・ボーモント、早川書房)「夢と偶然と」
  • 『10月はたそがれの国』(レイ・ブラッドベリ、東京創元)
  • 『一角獣・多角獣』(セオドア・スタージョン、早川書房)「ビアンカの手」
  • 『闇の世界』(フリッツ・ライバー、ソノラマ文庫)「鏡の世界午前0時」
  • 『嘲笑う男』(レイ・ラッセル、早川書房)「サルドニクス」
  • 『続・世界怪奇ミステリ傑作選』矢野浩三郎、早川書房)「目撃」
  • 『世界ショート・ショート傑作選』(各務三郎、講談社文庫)「深夜特急」
  • 『ポートベロー通り』(ミュリアル・スパーク、教養文庫)「ポートベロー通り」
  • 『扉のない家』(ピーター・ストラウブ、扶桑社)「ブルー・ローズ」
  • 『ストレンジ・ハイウェイズ」(ディーン・R・クーンツ、扶桑社)「黎明」
  • 『ブルー・ワールド』ロバート・マキャモン、文春文庫)「ミミズ小隊」
  • 『器官切除』(マイケル・ブラムライン、白水社)「器官切除と変異体再生─症例報告」
  • 『ナイト・ソウルズ』(N・ウィリアムスン、新潮文庫)「ソフト病」
  • 『レベッカ・ポールソンのお告げ―13の恐怖とエロスの物語』(ミシェル・スラング、文春文庫)「建築請負師」
  • 『ゴーサム・カフェで昼食を』(マーティン・H・グリーンバーグ、扶桑社ミステリー)「痛悔者」
  • 『罠』(エド・ゴーマン&マーティン・グリーストーカーンバーグ、扶桑社)「罠」「闘争」
  • 『クリスマス15の戦慄』(アイザック・アシモフ、新潮文庫)「終身刑」

あなたに取り憑き、あなたを夢中にさせ、恐怖と面白さで眠れなくさせるホラー小説は、この中にきっとある。

よいホラーで、よい人生を。

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「音読」のオフ会やります

お薦めの作品を持ち寄って、まったり熱く語り合うオフ会―――それがスゴ本オフ。

お薦めの作品は何でもOK。小説、ノンフィクション、マンガといった「本」に限らず、映画や動画、ゲーム、イベント、舞台など、なんでもあり。

「これは面白い」と熱量高く語れば語るほど、波及効果が素晴らしい。未読なら興味がワキワキしてくるし、既読なら「それイイよねー」と共感しまくり、あるいは「それがイイならコレなんてどう?」なんてさらなるお薦めが出てくる。

テーマ:音読

声を出して文章を読む「音読」がテーマ。

「ここは皆に聞いて欲しい」という描写や、「何度も声に出して読んできた」という箴言、あるいは「ここは皆で声を合わせて読み上げたい」というセリフなど、色々あるだろう。

優れた心理描写、気の利いた会話、決めゼリフ、刺さった寸鉄など、音読したい所をお薦めし合おう。

日時:10/14(土)13:00~17:00

受付 13:00~13:30
開始 13:30
終了 17:00

流れはこんな感じ。

 1. 受付を済ませたら、作品をテーブルに並べる
 2. ひとり5分くらいでお薦めプレゼンする
 3. 最後は、ブックシャッフルして解散

ブックシャッフルとは……誰かにあげてもいい作品を交換すること。ただし、誰に渡るかはジャンケンによる争奪戦となる。「お薦めとしてプレゼンはするけれど、誰かにあげるのはダメ」という作品は、2.の終わりで回収できるのでご心配なく。

場所:株式会社HENNGEの11階ラウンジ(渋谷駅徒歩10分)

参加費:1,000円(軽食、飲料込み)

参加方法:facebook スゴ本オフ「音読」 より申込み

参加される方は、事前アンケートをどうぞ(お薦め作品を記入してくださいませ)

わたし自身、このオフ会で教えてもらって出会えたスゴ本が沢山ある。まさに、「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」を実践する現場なんだ。

「これはイイぞ!」というあなたの熱い語り、待ってますぞ。

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知覚できないが実在するもの『天然知能』

お掃除ロボット「ルンバ」は、段差のないフローリングを自在に動き回り、人の代わりにキレイにしてくれる。小さな紙切れから、大事にしていた指輪まで、吸い込めるものは全て吸い込もうとする。

では、ゴミとは何なのか?

ルンバの発明者であり、MITの人工知能研究所の所長でもあるロドニー・ブルックスは、これ以上ない明確な回答をする。

「ルンバが吸い込んだものがゴミだ」

これは、人工知能の本質を見事にいい当てているという。ルンバにとって、自分では吸い込めない、大き目の紙コップや空缶は、ゴミとして認識されない。故にゴミではない。

もちろんルンバが改良され、カメラによって紙コップや空缶を認識し、正しく分別できる時代が来るかもしれない。だが、そのルンバが認識できない、粗大ゴミやネズミの死骸は、やはりゴミではない。さらに改良を重ねても同様で、自分が扱えないものはゴミとして認識できない……そういう思考様式だ。

一方で、天然知能は別の見方をする。自分が吸い込めるもの(=認知できるもの)が全てではないと考える。

自分の認知が及ばない外部があるのではないかという予感を抱こうとする。さらに、いったんは吸い込んだものも、ゴミであり、かつ、ゴミではないのかもしれないという猶予を抱く。いま吸い込んだのは大事なレシピをメモした紙きれかもしれないし、婚約指輪から転がり落ちた宝石かもしれない。

認識し得ないものも含め、常に「何かある」という余白を保ちながらゆるやかに繋がる―――天然知能という新しい概念を紹介したのが本書になる。現象学や量子論、決定論を援用しながら、奇妙かつユニークな説を展開する。

面白いのは、天然知能への理解が深まることで、自分が持っている人工知能の定義が書き変わるところ。いま私たちが人工知能と呼んでいるものは、天然知能を実装することによって、より人間に近い存在になる……そういう予感を抱かされる。

人工知能の限界

人工知能は、自分にとって意味のあるものだけを自らの世界に取り込み、自らの世界や身体を拡張し続けようとする。そこでも「外部」という世界が存在し、その世界とやり取りしているように見える。

だが、人工知能が「外部」と呼んでいるものは、自分にとって都合が良いものが集められた「世界」になる。自分が認識でき、自分の役に立ちそうなものだけが知覚されたものになる。自分にとって意味のないもの、邪魔なものはノイズとして処理され、目に入らない。

自分の世界に組み入れられるか否かが議論され、不要なものはそもそも存在しないことになる―――こうした見方は、物理学を始めとした自然科学的な態度に見える。世界とは、観測したり操作するものであり、観測や操作ができないものは、ガン無視するか、既知の現象に置き換えるか、新しい名前を付けて解決しようとする。

その結果、科学から逸脱した、どこまで想定してよいのか分からないような現象は、決して現れることはない。

この思考は、私が自然科学に抱いている考え方と近似している。ヒトが知覚できる範囲の数値として計測できるものや、最終的にヒトが理解可能な範囲内に留めて分析できるものだけが、「世界」となる。

例えば、2億年周期で発生する事象は、2億年前の観測データもないし、2億年後まで研究が引き継がれることも無いため、その事象がどれほど重大であっても認知され得ない。ヒトが開発した装置で観測できないほど巨大な、あるいは微細な事象は、それがどれほど重要であっても、無かったことにされる。

これらは単純な時空間のスケールでの例だが、全く異なる軸でしか観測できない存在だとしても同様だ。実は光には固有の強度があり、テラディア(teradia)の単位で表すことができるのだが、どれほど優れた計算機を用いても、ヒトが理解できるレベルの数式や理論で証明することができない(テラディアは私が作った架空の概念だ)。

どれほど科学が進歩しても、あくまでヒトに分かる範囲でしか世界を把握することができない。にもかかわらず、人工知能的な思考様式では、把握も認知もできない外側を「ないもの」として扱おうとする。人工知能の限界は、ここにある。

天然知能との接続

ヒトに理解できる数量に置き換え、計算することで意識や生命を理解する―――そのようなアプローチでは限界がある。その通りなのだが、そう言い切ってしまうと、現実の生命や意識はいつまでたっても逃げていってしまう。

だから、数量的な評価や計算主義に対抗する概念として、天然知能が定義されている。自然に根付いた知性を意味する「天然」というよりも、ピントのずれた感覚を揶揄する「てんねん」に近いニュアンスがある。

本書では、「太平洋を泳ぐイワシは実在するのか」「中国語を理解する中国語の部屋の作り方」といった思考実験を用いながら天然知能を紹介する。入口はお馴染みかもしれないけれど、間違いなく予想外のところまで連れて行ってくれる。

「太平洋をイワシの大群が泳いでいますか?」という質問に対し、人工知能であれば、蓄積されたイワシのデータを参照し、「太平洋」のデータから推定し、「イエス」と答えるに違いない。「イワシ」という記号をキーとして検索し、ヒットしたら検索を終了し、答えを生成する。

一方、天然知能にとってのイワシは、定義としてのイワシに限定されない。生きたイワシのイメージや、それ自体が一つの生物のように振舞う大群や、子どもの頃に見たフナの記憶や、激しい風に揺れる木の葉の映像が付いて回る。

押し寄せてくるイメージの総和がイワシの理解ではない。イメージは刻々と変化し、膨らみ続けることになるため、特定の「これがイワシ」という結果に留まらない。そのため、「何かあるぞ」という外部がつねに付きまとうことになる。

もちろんキリがない話だ。「質問-回答」が成立する範疇を、とっくに逸脱している。しかし、逸脱したイメージによって、イワシの実在を確信することができる。データにあるから「ある」という回答ではなく、自分とつながった存在として「はっきり分かる」⇒だから「いる」という回答なのだ。

「面白い」を生み出す天然知能

本書の範囲からはみ出るが、小説や映画を「面白い」と感じるのは天然知能の成せる技だと思う。

「面白い」を人工知能的に感じるのであれば、人類が面白いと感じる膨大なリストがあって、その検索上位にヒットしたら面白がるような仕組みになる。あるいは、「面白さ」を属性に分けておき、文脈に応じて最も近しい属性を数多く併せ持つものが、「面白い」ことになる。

一方、天然知能が感じる「面白い」は、自分の中にある匂いや触感、音や味も交えた体験を呼び覚まし、そのつながりの太さ・複雑さによって惹起される感情になる。想起されるイメージはとめどなく広がる一方で、「その」小説や「その」映画のそれぞれの具体的なストーリーにつながっており、新しいのに懐かしい感覚が押し寄せてくる。

進んでゆくストーリーと並走しながら、「まだ何かあるはずだ」という予感が絶えずつきまとい、プロットや登場人物から予想できない先を期待する。予想を上回る意外性を持ちつつ、かつ、その展開が自分の中の思いもよらない記憶や経験とつながるとき、人はそれを「面白い」と感じる。

天然知能は、認識の外から「やってくる」のを待ち受けるような存在になる。見ることも聞くこともできない、予想できないにも関わらず、その存在を感じ、現れたときに受け止めることができる。

たとえ紙コップや粗大ゴミを認識できなくても、太平洋を泳ぐイワシを見たことがなくても、認識の外側が「ある」ことが分かっている。吸い込んだ紙切れが、ゴミであり、かつゴミでないことの両方を受け入れることができる。押し寄せる過去のイメージから、イワシの存在を確信することができるのだ。



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むりやり天国つくるなら、たいてい地獄ができあがる、完全無欠のユートピア『われら』

完全な社会秩序が実現された理想的な国家のことを、ユートピアと呼ぶ。

「ユートピア」は多義性がある。

まず、eutopia、つまり eu-(良い)場所という意味でなら、プラトンの『国家』やガリヴァーの 『フウイヌム国」、今なら『ハーモニー』の「生府」になる。富や格差は存在せず、「みんな」が平等で公平な社会であり、何よりも教育と健康が優先される。

一方、utopia、つまり u- (否定辞)になると、「どこにも無い場所」になる。本来はこちらが正しく、eutopia は誤用らしいが、二つを掛け合わせて、「どこにもない理想社会」と解釈する向きもある。

この解釈にはヒヤリとさせられる。なぜなら、造語したトマス・モアによると、utopia は格差がない代わりに人間の個性を否定した管理社会の色彩が強く、全体主義の文脈で語られるものだからだ。

「ユートピア」の極限=ディストピア

では、この「どこにもない理想社会」を極端まで推し進めたなら、どんな社会ができあがるか。科学技術こそ至上であり、「みんな」が一致団結し、多様な答えは求められない世界―――それが、『われら』である。

全ての個人は「ナンバー」で識別され、名前というものは存在しない。

食事、睡眠、運動といった活動は厳密にスケジューリングされ、「タブレット」が定めるタイミングで同一秒にスプーンを口に運び、同一秒にウォーキングに出かけ、同一秒に眠りに就く。健康は義務であり、身体に害を与える嗜好品は制限されている。不健康な生活は、処罰の対象となる。

各部屋はガラス張りで互いに丸見えの状態となっており、相互に監視しあうことによって、悪を未然に防ぐことができる。プライバシーというものは言葉すらない。

ただし唯一の例外は、性行為になる。性愛局の検査に基づきセックス日程表が作成され、配布されたピンククーポンにより相手を指名することができる。コトに及ぶときのみ、窓にブラインドが下ろされる仕組みだ。

そこには「私」という個人は存在しない。代わりに、「私」の一つ一つの細胞が集まった有機体のような社会だ。肉体に違和感を覚えるのは、目にゴミが入ったときや、虫歯になったときなど、異物を感じるときであり、健康な状態であれば「自分」を感じることはない、という理屈である。

そして、「自分」という個人を感じ、声をあげようとする者は、ナンバーを剥奪され、皆が見守るなか、数十万ボルトの電気によって「無」にされる。

びっくりするほどディストピアである。オーウェル『一九八四年』やハクスリー『すばらしい新世界』よりもディストピアかもしれぬ。両極端は一致する。行き過ぎた理想社会はディストピアの形をとるが、どの「理想社会」も近似してくるのが面白い。むりやり作った天国は、だいたい地獄と近似する。

現実に「ユートピア」を見つける

『われら』が書かれたのは第二次世界大戦より前の、1920年代だとされている。ソ連が成立し、スターリンが社会主義国家を邁進させていた時代だ。粛清や強制労働が表立っていなかった頃である。

主人公は Д‐503 というナンバーが振られた男性だ( Д はデー)。宇宙船の建造設計士であり、科学技術を至上とする思想に凝り固まっている。

本書は手記の形式を取っており、日々の思考の変化を追うことでストーリーが進む。「彼」という個体が社会にとっての「異物」になってゆく過程が面白い。

というのも、私自身が、 Д‐503 の世界から見ると「異物」だからだ。自分のことは自分で決め、個人の考えを尊重し、自由でいたいと思う。これを異端であり狂気の沙汰と考える彼がとまどい、うろたえ、何とか言語化しようとする(自分の身に起きていることを「病気」と見なそうとするのが滑稽だが、ある意味で正しいのかも)。

ただし、『われら』をディストピア小説の元祖だと単純に断ずることはできない。ユートピアの話を進めていくとディストピアの世界になるように、両者はつながっており、境界はグラデーションになっているのだから。

代わりに、物語と現実を比べて、違和感を抱く共通項を見つけたのなら、それは「異物」となりうる。物語と現実はゆるやかにつながっており、境界はグラデーションになっている。

現実社会に抱く違和感の感度は、ディストピアの物語に触れることで磨かれる。

例えば、「オルタナ・ファクト」(alternative facts)という言葉を耳にしたとき、『一九八四年』の「ダブル・シンク」を想起することで警告スイッチをONにできる。

『われら』に出てくる、「健康は義務である」「選挙は象徴である」というセリフと重なる現実を見出すとき、同様にアラートが上がる。あるいは、各人が常に持ち歩き、眺め、行動を律せられている「タブレット」を見るたびに、現実と「ユートピア」は地続きであることが分かる。



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ファンタジーの最高峰『氷と炎の歌』からテイラー・スウィフトの泣けるラブソング「Death By A Thousand Cuts」まで、4年ぶりにオフ会したら、みんなのお薦めが積み上がった

推しの作品を持ち寄って、まったり熱く語り合うオフ会、それがスゴ本オフ。

本に限らず、映画や音楽、ゲームや動画、なんでもあり。なぜ好きか、どう好きか、その作品が自分をどんな風に変えたのか、気のすむまで語り尽くす。

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SF、愛、ホラー、お金、食など、その時その時のテーマがあって、そのテーマに沿ったお薦めならなんでもOKになる(テーマ一覧)。今回は4年ぶりの開催ということで、「久しぶりにお薦めしたい作品」、要するにノンテーマで集まった。

推しへの熱量にアテられて、思わずこっちも身を乗り出す。知らない作品を身近に感じ、思わず手に取って見たくなる。自分のアンテナがいかに狭いかを思い知る。読みたい本、観たい映画、聴きたい音楽、行きたい展覧会ばかりで、次のアクションへとつながってくる。

作品を知るというよりも、行動(範囲)を広げるオフ会なのだ。

渋谷にあるHENNGEさんのラウンジをお借りして、30人で4時間、たっぷり語り合ったので、その一部をここで紹介する。実況ツイートは[togetter]にまとめた。

徹夜しても絶対に終わらない作品

まず私から。

あまりの面白さに「寝食を忘れる」という言葉があるが、徹夜しても絶対に終わらない作品を2つ紹介した。

ひとつはジョージ・R・R・マーティン『氷と炎の歌』だ。ファンタジーの皮を被った冒険活劇であり青春&恋愛小説であり、歴史・紀行文学であり、陰謀と戦争が詰まった傑作になる。いろいろ読んできたが、ファンタジーの最高傑作と断言していい。

気を付けるべきは、作者は物語を面白くするなら何でもする。エログロなんでもあり、平気で読み手の心を折りに来るので、情緒がもみくちゃにされる読書になる。「ゲーム・オブ・スローンズ」というドラマの原作でもある。詳しくは [ここ] に書いたが、熱く語らせてもらう。ちなみに邦訳されている12巻を放流(プレゼント)した。

もうひとつはSwitchのゲーム『ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザキング』なり。

これも化け物レベルの面白さで、いつまでやっても、どこまでやっても終わることが無い傑作なり。魔物が蔓延る王国で、行方不明のゼルダ姫を探さなければならないのに、しない。代わりに、カブトムシを探したりトンボを捕ったり、宝石を掘り出したり料理をしたり、地底や天空を探索したり、困っている人を助けたりするのに忙しい。ゼルダ姫を放置してひたすらハイラルで遊ぶ、そういうゲームなり。

音読で実践する独学大全

ヨシオカさんが紹介する、『独学大全』の実践もスゴい。

学ぶことで人生を変える、いわば「独学の百科事典」ともいうべきスゴ本で、中でも第12章の「読む」にブッ飛んだという。60歳を過ぎて、本の読み方なんて変わるはずがないと思いきや、思いっきり変わった。

この「読む」という章に、13通りの読み方が紹介してあり、「刻読」や「指読」など、聞いたこともないものもあった。面白い、スゲーと思いながら、自分でできそうな「音読」を実践してみた。

ちょうどコロナが広まり始めたころ、Clubhouse(クラブハウス)という音声型のSNSが流行っていた。それに乗っかって、クラブハウスで読書会を開いてひと月かけて独学大全を全ページ音読した

学校で先生に指名されて音読したことはあるけれど、大人になって、自分の意思で音読するという経験は初めて。音読すると、黙読したときとは異なり、初めて読む感覚になる。文字を目で見て自分の声を聞いて頭の中で再構成してまた読む体験は新鮮で、音読して初めて、全然読めていないことに気づいた。

それ以降、重要なものは音読するようになった。大学のレポートで読む論文をはじめ、トルストイ『戦争と平和』やアリストテレスの『二コマコス倫理学』を声に出して読むことで、理解の深さが点や線ではなく、面積で広がった。

順徳天皇を憑依させる

藤原さんの『順徳院』もスゴい。

800年前の鎌倉時代、佐渡に流された順徳院を描いた自著を紹介する。歌を詠み、楽人を育て、恋を知る、誰も書かなかった24年間の物語になる。

自分自身が順徳院になりきって書くために、執筆時間は雑念のわかない午前中に限定した。集中していくと、「降りてくる」という感覚があり、筆が乗って滑るように書くことができた。さらに、隠岐に流された後鳥羽院が降りてきて、また書くことになった。

後鳥羽院が流されたとき、そのお世話をした村上家の末裔がまだ存在したため、本を送ったところお会いすることができた。話が盛り上がっていつまで経っても終わらず、また隠岐に行ってお話をすることになっている。

装丁は、スゴ本オフ常連のデザイナーである加藤京子さんの手によるもの。オフ会をきっかけに、本を書き上げて出版する熱量がスゴい。

マニアトラップを回避する

お次はウツミさんイチオシのゲーム『ストリートファイター6』。ウツミさん曰く、「朝から晩までどっぷりやっている」そうな。寝る前に目を閉じると情景がうかぶくらい。

格闘ゲームである「ストリートファイター」、シリーズの歴史は長く、30年以上になる。普通、バージョンを重ねていくと、様々な技や機能が追加され、複雑になっていく。そうすると初心者が入りにくくなる。ゲームシステムはシリーズをやり続けた熟練者にウケるものになってしまい、そのゲームのプレイヤーは必然的に先細る。

いわゆる「マニアトラップ」という問題だ。

ところが、『スト6』では、このトラップを回避するための工夫が随所に凝らされている。例えば、モードを分けたところ。複雑な動作で細かい操作ができる「クラシックモード」と、ボタン1つで状況に応じて適切な技が繰り出せる「モダンモード」がある。このおかげで、格闘ゲームを全くやったことがない初心者でも、それなりに遊べるようになっている。

eスポーツ大会を定期的に開催するなどプロモーションも充実しており、初動セールス200万本に達したという(ちなみに優勝者には1億円の賞金)。

「女の子という概念」の視覚化

ハルカさんが紹介した『江口寿史美人画集 彼女』が濃ゆい。

本当はお父さんが発表する予定だったのだが、ご都合により欠席、代わりにハルカさんがお父さんの原稿を元にプレゼンすることになった。

お父さんの原稿によると、こんな感じ。

……江口寿史の描く女性像にはもちろん、個別にモチーフがあるのだが、個別のパーソナリティを描いているにもかかわらず、「女の子」という種族の持っている、かわいらしさの概念そのものが視覚化されている。

「女の子」という概念の視覚化のため、どんな女の子のどんなストーリーでもそこに代入が可能となる。従って江口寿史の女性像は非常に「自分ごと化」のハードルが低くなっており、自分ごと化を促しているとさえ思える。

「自分ごと化」とは、その女の子の物語を自分自身の物語に寄り沿わせてゆくことであり、江口アートの特徴であるポップなファッションやガジェット、リアルな街の描写が、アナログARの役割を果たしている。その結果、江口アートが二次元から三次元へ越境してゆき、実際、展覧会の帰りの京王線では、周囲の女性たち皆が江口寿史の絵に見えてしまうという経験をした……

熱量ありすぎの原稿に、ハルカさん曰く「私にもよく分かりません」とのことwww(好きだという気持ちは伝わったなり)。

総合力で勝つアイドルグループ

あんどうさんの推しアイドルグループ「CROWN POP」もアツい。

歌もダンスも上手くて、ビジュアルもいいのに、ももクロの妹分で一番売れていないという。総合力ではどこにもひけを取らないのに、どういうわけか売れない。なぜか? ファン同士で交流して色々話して出た結論が、「尖ったところが無い」ところになる。

20年くらい前、インターネットに乗せたコンテンツがバッと広まった時期、こうした掴みどころのない「良さ」を共有できる世界がやってくると考えていた。そのはずなのに、現在はインスタントな強みを持ったものばかりが注目を集め、その生き残りが勝ち上がっていく世界になってしまった。

そういう分かりやすい尖った強みよりも、オールラウンドに良いものは良いと言い切りたい。

他にも、700ページ越えの上下2段組みのハードカバー『世界終末戦争』(マリオ・バルガス=リョサ)や、エロスと文学が混交する宇能鴻一郎傑作短編集『姫君を喰う話』、ミもフタもない橘玲『もっと言ってはいけない』、やすゆきさんイチオシのテイラー・スウィフトまで、気になるものが大量に見つかったなり。

スゴ本オフに参加するたびに、新しい世界が見つかる感覚に陥る(それだけ自分が井のなかにいたんだろうけれど)。

次回のスゴ本オフは「音読」をテーマにするぞ。この肝心の一行は、声に出して読みたい(読んで欲しい)作品や、このセリフの掛け合いは、配役を割り当てて聞くといった、音読して推したい作品を持ち寄ろう。

日程などはfacebookにUPするので、ふるってご参加あれ。

「お久しぶり」の回の推し作品

  • ジョージ・R・R・マーティン『氷と炎の歌』
  • Nintendo Switch『ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザキング』
  • 読書猿『独学大全』
  • 藤原真由美『順徳院』
  • ハーラン・コーベン『WIN』
  • CAPCOM『ストリートファイター6』
  • 神山 理子『女子大生オナホを売る』
  • J・K・ローリング『ハリー・ポッターと賢者の石』
  • 江口寿史『江口寿史美人画集 彼女』
  • ジェラルド・ダレル『虫とけものと家族たち』
  • マリオ・バルガス=リョサ『世界終末戦争』
  • 川口雅幸『幽霊屋敷のアイツ』
  • 荒川弘『百姓貴族』
  • 戸田真琴『そっちにいかないで』
  • 津村記久子『水車小屋のネネ』
  • 津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』
  • 盛口満『めんそーれ!化学――おばあと学んだ理科授業』
  • 竹内早希子『巨大おけを絶やすな! 日本の食文化を未来へつなぐ』
  • 劉慈欣『円』 劉慈欣短篇集
  • 宇能鴻一郎『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』
  • サトシ・カナザワ 『知能のパラドックス』
  • 橘玲『もっと言ってはいけない』
  • 前野ウルド 浩太郎 『バッタを倒しにアフリカへ』
  • エイブラハム・フレクスナー『「役に立たない」科学が役に立つ』
  • ショーン・タン『いぬ』
  • アイドルグループ「CROWN POP」(クラウンポップ)
  • (アニメ版)『北斗の拳』
  • Taylor Swift “Death By A Thousand Cuts”




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