脳と認知とテクノロジーの未来を8人と語る『現実とは?』
代替現実による記憶操作や、電脳皮質による認知の拡張、メタバースとリアルの逆転現象、死のデジタル化や、「見立て」による界面の重ね合わせなど、「現実とは何か」について、興味深いディスカッションが展開されている。
話し手は、拡張現実やメタバースといったテクノロジーの最前線にいる科学者から、新技術をアートに昇華する芸術家、3DCGゲームをプロデュースする能楽師など、バラエティーに富んでいる。
聴き手であり書き手なのが、藤井直敬さん。理化学研究所で社会的脳機能を研究し、VR体験を提供する株式会社ハコスコを創立した経歴の方だ。「現実は小説よりも奇なり」として、哲学・科学・技術を融合した現実科学を提唱している。
基本的に、藤井さんが話し手とサシで話し合うのだが、「現実とは?」の問いかけからスタートして、とんでもないところへ連れて行かれるのが楽しい。
超音波を聞く人工内耳、手にインプラントされたSuica
例えば、ソニーコンピュータサイエンス研究所の副所長である暦本純一さんの話。
いきなり「バーチャル・リアリティつまんない」と言い出す。視覚と聴覚をシミュレートしているだけで、「リアリティ」には程遠いそうな。
暦本さんはAugmented Reality(AR、拡張現実)の専門家なのだが、リアリティを変えるよりもむしろ、人間側を拡張し、その結果として現実の見方が変わるほうが「現実的」だという。
そこで挙げられたのが、人工内耳の研究だ。重度の難聴者にとって人工内耳は必須の医療機器だが、プログラムをダウンロードすることで、音声のみならず超音波も聴くことができるという。骨導超音波といい、実用化途中の段階だが、腕や体幹に取り付けた装置から「聞く」ことができる。
あるいは、スウェーデン版のSuicaの話。デジタル機器のインプラントが法律で認められているため、体内に埋め込まれたマイクロチップで電車に乗ることができる。手をかざすだけでゲートが開くなんて中二病を刺激するが、もうそこにある。
対談では、映画『マトリックス』で、ヘリコプターの操縦スキルをダウンロードするシーンが挙げられたが、わたしは『サイボーグ009』を思い出した(超視覚・聴覚能力を持つ女の子)。
人類にゾーニングが必要な理由
あるいは、VR技術を駆使したスタートアップ「cluster」を起業した加藤直人さんの話。
メタバースプラットフォームを展開し、Forbsジャパンの「世界を変える30人の日本人」に選出されている。その知見から、興味深い指摘をしてくれる。
思考実験として、全人類が使っているバーチャルプラットフォームみたいなのが存在すると考えたときに、絶対にゾーニングが必要だと思ったんですね。手を取り合えない宗教を分けるみたいなゾーニングは必要。さらにそれが発展していくときには、結構深いレイヤーにいろんなものを内包していって、プラットフォーム・オン・プラットフォーム・オン・プラットフォームくらいの構造が必要だと考えています。
単一のプラットフォームや、一つの事業者で運営する中に、全人類が内包されて恒常的に発展するというやり方は不可能だと言い切る。
何か一つの方向を目指すことによって、周辺や外側へのしわ寄せが生じて、多様性が失われるという。確かに、twitter ひとつ取っても、そうだと言える。「分かり合える箇所だけで分かり合う」ことがいかに難しいか、よく見える。
そこで紹介されているのが、ハイネケンのCMだ。
男女差別主義者やフェミニストなど、価値観が正反対の人たちが、そうとは知らされずに紹介され、一緒に軽作業をする。「お前いいやつだな」なんて言い合っているのだが、その後、互いの思想信条が分かる動画を見せる。席を立って部屋を出ていくか、座ってビールを飲むか、選んでもらうという短いドキュメンタリーだ。
結局、座ってビールを飲むことになるのだが、そのやり取りの中にある「自分の意見を他人に納得させたくても、座ってビールを飲むことが大事だ」というセリフが印象的だ。
この「座ってビールを飲む」ことが、プラットフォームに必要な役割だという。互いの思想が違っていても、その違いがトラブルにならないようシステム側が働きかけることで、うまくやっていくことが肝要だという。
具体的な例としては、藤井太洋『Gene Mapper』が挙げられていた。AR技術が発達した世界が舞台なのだが、「ビヘイビア」と呼ばれる技術が普及している。ビジネスの現場では、感情的な態度は禁物だ。だが、そうした態度を露わにしても、相手にはきっちりとした印象を与えられる技術だという。
この作品は未読なので勝手が分からないが、オンライン会議の背景をオフィスの画像にしたり、(顔はそのままに)上半身だけフォーマルな服にするような技術だろうか。「ゾーニング」という言葉は分断を許容する物言いだが、おそらく、場に相応しい形に置換したり除外する仕組み的なもの、と考えればいいかも。
その場に参加する人それぞれに応じた「現実」をプロデュースするのが、これからのプラットフォームの役割なのかもしれない。
他にも、様々な人たちとの「現実とは?」への応答が面白い。
- 現実とは『自己』である:稲見昌彦(東京大学教授/インタラクティブ技術)
- 現実とは『DIY可能な可塑的なもの』:市原えつこ(メディアアーティスト)
- 現実とは『あなたを動かすもの』:養老孟司(解剖学者)
- 現実とは『自分で定義できるもの』:暦本純一(東京大学教授/拡張現実)
- 現実とは『今自分が現実と思っていること』:今井むつみ(慶應義塾大学教授/言語心理学)
- 現実とは『現実をつくる』というプロセスを経ることによって到達する何か:加藤直人(クラスター株式会社CEO/メタバース)
- 現実とは『普段のルーティンな自己がちょっとずれた時に押し寄せてくる、すごい力』:安田登(能楽師)
- 現実とは『祈りがあるところ』:伊藤亜紗(東京工業大学教授/美学)
現実は人それぞれであることが、よく分かる一冊。
ちなみにこれ、ハヤカワ新書という新しいレーベルだ。ハヤカワといえばサイエンスフィクション&ノンフィクションだが、新書の切り口も面白い。これからが楽しみ。
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