Netflixオリジナル映画で最高に胸糞悪いと評判なので原作を読んだら最高すぎた『悪魔はいつもそこに』
Netflixオリジナル映画で最高に胸糞悪いと評判の『悪魔はいつもそこに』、その予告編が[これ]。
感想を聞くにつれ、めっちゃ観たい!
・後味は吐き気しかない
・面白いけど、思い出したくないストーリー
・救いようのないクズばかりで、いっそ清々しい
カミソリで神経を逆撫でするような、エグくてエロい奴を無性に摂取したくなるときがある。自分の感性の肝試しをしたくなる。死なない程度に毒を摂取して、安全に悶え苦しみたくなる。
ネトフリ入っていないので、原作小説に手を出してみる……すると大当たりだった。
登場人物のどいつもこいつも、邪悪か鬼畜か情欲まみれか、クズか不快か悪党ばかりである。唯一、主人公の男の子だけがまっとうで、自分の大切なものを純粋に守ろうとする……こういうの大好き
表面上は穏やかなアメリカの田舎町で、信仰を大切にする人々が暮らしているように見える。だが一皮剥けばこんなもの。タイトル The Devil All The Time (悪魔はいつもそこに)のまんま。皮一枚の向こうが見えていないだけなのね。
本作独自の仕掛けとして面白いのは、皮を被った悪人が「ニアミス」しているところ。
ちょっとしたイベントや、なんてこと無い日常のワンシーンで、互いに互いを知らないまま、すれ違っているのだ。ずっと後に気づいて戻って読み返すと、この惨劇は、あの日あの時あの場所で始まっていたんだと気づかされる。
容赦ない暴力と無益すぎる死に、「どうしてこうなった」と嘆きたくなるが、輻輳した伏線が絡み合い、解きほぐせないくらいになっており、運命の無情さにぐったりとなる(これ誉め言葉)。
この感覚は、ジム・トンプスン『ポップ1280』で味わった黒い笑いや、フラナリー・オコナー『善人はなかなかいない』で打ちのめされた絶望感とそっくりだ。「殺されるために、生まれてくるやつがいる」というセリフが、不快でも残酷でもなく、ごく自然に、現実の一部であるかのように見えてしまう作品だ。
心が耐えられるときにどうぞ。
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