苦しくて辛いとき寄り添ってくれる一冊『絶望名言』
普通、名言集といったら人を励ますものだ。
明けない夜は無いとか、出口のないトンネルは無いとか、あきらめずに頑張ればいつか夢はかなうとか。ポジティブにさせ、前を向かせてくれる言葉が並んでいる。エナドリのように気分をブーストさせるのに向いているが、ちょっと眩しすぎる。
本当に辛く苦しく落ち込んでいるときに、「ポジティブでいれば幸せしかない」なんて言われても、「せやな」としか返せない。後ろ向きのときに前向きの言葉は似合わない。失恋ソングなんてまさにそれで、悲しいときには悲しい曲を聴きたくなるものだ。
それと同様に、辛いとき、苦しいとき、自信を失って途方に暮れているときは、絶望的な言葉の方が心に沁みる。自分だけではなかったと慰められ、この気分に寄り添ってくれているように感じられる。
カフカ、ドストエフスキー、太宰治、芥川龍之介など、文豪たちが吐き出す絶望名言を紹介したのがこれである。
紹介する人は頭木弘樹さんと川野一宇さん。元はNHK「ラジオ深夜便」の人気番組だったものを書籍化したのだが、ただ名言を集めて並べるだけでなく、その言葉にまつわるエピソードや、独特の解釈も交えているのが面白い。
明けない夜もある(シェイクスピア)
例えば「明けない夜もある」だ。
落ち込んでいる人を慰める常套句として「明けない夜はない」という言葉がある。シェイクスピア『マクベス』の一節を訳したのだが、原文はこれだ。
The night is long that never finds the day.
逐語訳だと「夜明けが来ない夜は長い」になる。たとえ長くても夜明けは来るのだから、転じて「明けない夜はない」と訳するのが一般的だ。
だが、このセリフが語られたシーンから、別の解釈ができるという。
このセリフは、妻子を皆殺しにされた男に向けられた言葉だ。だが男は、それを聞かされたばかりで、ショックのあまり心臓が張り裂けそうなくらい動揺している状態だ。
妻子を殺したのはマクベスだ。マクベスが憎い、仇を討ちたい、でも悲しみで粉々になりそうだ―――そんな男に、「明けない夜はない」と励ますのに、違和感を覚えるという。
悲しいことを知って、たったいま嘆き始めた男に対し、「そのうち夜も明けるさ」なんて言葉は、早すぎやしないかと言うのだ。
そして、「朝が来ないと、夜は永遠に続くからな」という訳を紹介する。つまり、マクベスを倒さない限り、夜は永遠に続くぞと、けしかけているのだ。
時が経てば悲しみが消えると言われる。多くの場合そうかもしれないが、時が解決してくれないときもある。時間の経過だけでは、人は癒されるとは限らない。これを心に留めると、「明けない夜もある」と解釈することもできる。
重要なのは、「明けない夜はない」と「明けない夜もある」の両方の解釈を知っておくことだという。確かにそうだ。嘆きの底にいるときは「明けない夜もある」という言葉の方が、よりしっくりするだろう。
臆病な自尊心+尊大な羞恥心=セルフハンディキャップ
みんな大好き山月記からも紹介されている。
己は詩によって名を成そうと思いながら、
進んで師に就いたり、求めて詩友と交って
切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
かといって、
己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。
共に我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。
己の珠に非ざることを惧れるが故に、
敢て刻苦して磨こうともせず、
己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、
碌々として瓦に伍することもできなかった
何者かになりたかったのに、全力では努力しなかった。
なぜなら、自分に才能がないかもしれないから。もし才能が無かった場合、自尊心が傷ついてしまう。それが恐ろしくて、全力では努力しなかった。
一方で、才能があるかもしれないという思いもあったから、諦めることもできなかった。
この「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」は、わたしにもあった。何者かになりたいと思ったものの、その「何者」が何たるやを知らず、磨くことも探すことも中途のまま日常に埋もれ人生に疲れ、ふとした拍子に輝く人を見かけて「これだったのかもしれない」と呟く。
中島敦『山月記』を読むと、わたしの場合はもっと中途半端で、虎にも人にもなりきれないままだということを思い知らされる。
「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を胸に秘めている人はいると思う。この心理には「セルフ・ハンディキャップ」という名前が付いているという。傷つかずに済むように、自分で自分にハンデを付けることだ。
よくあるのが、大事な試験の直前に、大掃除をしたくなる心理だ。本腰を入れて勉強しなければならないのに、なぜか他のことをしたくなる。あるある、期末試験の前夜にシドニィ・シェルダンを徹夜で読んだり、明日が面接なのに大酒飲んだりしたものだ。
そして、試験や面接の結果が悪かったとしても、それは本や酒のせいなのだから、わたしの自尊心は守られる。
中島敦はカフカの影響を受けていたのではないか、という指摘が面白い。実はカフカはこのような言葉を残しており、山月記にも通じるところがあるからだ。
幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。
それは、
自己のなかにある確固たるものを信じ、
しかもそれを磨くための努力をしないことである。
カフカが世界的に有名になる前から、中島敦は高く評価しており、一部、翻訳もしていたという。みんな大好き山月記が、カフカの苦悩から出てきたと考えると、たいへん興味深い。
辛いときには辛いことを吐き出した言葉がしっくりくる。本書を手にするなら、紙版をお薦めする。本棚に物理的にモノとして存在し、「あそこにあの本がある」というだけで、結構な慰めになるだろうから(わたしがそうだ)。
そういう、お守りのようになってくれる一冊。
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