うんこを限界までガマンしたことがある人たちと、限界を突破した悲しみを知る全ての人たちに贈るアンソロジー『うんこ文学』
大人になってから、うんこを漏らしたことがあるだろうか?
私はある。
妻が「彼女」だった頃、同棲先の彼女のマンションで漏らした。西友で買い忘れたものがあるという彼女を残して、鍋の具材を運んでいたときだ。
お腹の調子が悪かったのは覚えている。体の中心に熱泥が吊り下がるような感覚があった。西友のトイレを使わせてもらえばよかったことも覚えている。
だが、間に合うだろうと考えていた。目算を誤らせたのは、食材の重さによる移動速度の低下と、彼女のマンションまでの道のりである。一緒に暮らし始めて間もないため、道を間違えたのだ。
真冬にも関わらず脂汗を流し、全身の筋肉を一点に集中させ、そのことだけは許されまいという思考だけが頭を支配し、奇妙にねじくれた足取りで、走るな、走れば破局だと言い聞かせながら急いだ。
ようやくマンションが見えてきたのだが、時はすでに遅かった。パニックに陥った群衆のように、熱泥は噴流と化し、我先に通り抜けていった。両手に西友の袋を持ったまま、かなり前かがみになって歩いた。
カイジの「ぐにゃあ」は本当だ。悔しさと絶望で顔が歪み、涙で視界が捻じれるとき、まさにあんな風に「ぐにゃあ」となる。
しかし、まだリカバリーは効く。
彼女はまだ帰ってきていない。
壊滅的な下着とズボンを、猛スピードで処分すればいい(不幸中の幸いで、靴にまで被害は及ばなかった)。汚染衣類はビニール袋に入れて口を縛り、点々と垂れた証拠は全て拭き取り、シャワーを下半身だけ浴び、窓を全開にして換気し、完全隠滅を図った。
帰ってきた彼女は気づいた様子もなく、なぜ服が変わったのかも質問せず、何事も無かったかのように鍋をした。もし「知らないフリ」をしてくれたのなら、私は、すばらしい女性を妻に迎えることができた果報者である。
「うんこを漏らす」アンソロジー
なぜこんな話をしたかというと、『うんこ文学』を読んだからである。「うんこを漏らす」という一点だけを追求し、純文学、エンタメ、エッセイ、自伝、評論、落語、漫画など、様々な分野を横断して集めたアンソロジーである。
編者は頭木弘樹さんで、それぞれの作品の解説を読むと、「こいつ、分かってくれる奴」と思える。耐える苦しみと、漏らす悲しみの両方について、分かり合い、手を握り合える人だ。
編集の妙が冴えているのは、シチュエーションごとにまとめている点にある。例えば……
- 帰り道で漏らす
- 家から最も遠い地点で漏らす
- 大勢の前で漏らす
- 漏らさせられる
- 女の子が大を漏らす
- トイレを使わせてもらえない
単純に「漏らす」という帰結を述べるだけではない。
どんな人物が、どんな事情で、忍耐と苦悩と絶望を味わったのか、さらには、人間の尊厳をどうやって守ろうとしたのか、一目で分かるように分類されている。漏らさないために限界まで耐えた人は、同じ苦悩をそこに見るだろう。そして、不幸にも臨界突破してしまった人には、一抹の悲しみと同情の余地をそこに見出すだろう。
スカトロ満載の筒井康隆『コレラ』にはめちゃくちゃ爆笑した後、まさに今のコロナじゃんと真顔になり、(おそらく実体験を告白した)尾辻克彦『出口』では、その切羽詰まり具合にこちらも熱くなった。ヤン・クィジャ『半地下生活者』では、トイレが無い賃貸があることを知った(トイレが共同という意味ではなく、本当にトイレがない住居)。
『うんこ文学』に入れたい作品
爆笑したり神妙になったり、切実な思いが伝わってくる作品ばかりだが、「それを入れるならこれも」と入れたい作品もある。
例えば、「女の子が大を漏らす」だ。本書では、『つる姫じゃ~っ!』(土田よしこ)のギャグマンガを挙げているが、私なら安達哲『お天気お姉さん』を推したい。
ニュース番組で明日の天気をお伝えする看板女子アナ「お天気お姉さん」の座をかけた仁義なき女同士の闘いを描いた傑作である。
先輩のイヤガラセに対して主人公が反撃するのだが、本番直前に「馬用の下剤」を飲ませることに成功する。急速に襲ってくる下り腹を精神力と腹筋で押さえつつ、生放送本番に挑む先輩の姿は、完全にえっちです。
また、お尻を拭く最高の素材を紹介するラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』が掲載されているのなら、「どのバナナの皮がお尻を拭くのに最高か」をレビューしている開高健の『オーパ』を外せない。
他にも、便意をガマンしながら「蟻に刺された芋虫」のように中学受験の試験を受ける下村湖人の教養小説『次郎物語』や、本屋に行くとトイレに行きたくなる青木まりこ現象を逆利用するエッセイ『本の虫の本』を入れたい。
野グソをするために茂みに入ったら、やはり用足し中の女性と出会う男の人生を描いた山本康人『鉄人ガンマ』なんて、「うんこで人生が変わった」最たるものだろう。
うんこをガマンすること、そこから解放されること、そして漏らしてしまうことは、切実な問題なり。にも関わらず日陰に追いやられているように見える。
耐える苦しみと漏らす悲しみを知る全ての大人たちに贈りたい。

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