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骨しゃぶりさんと本屋を巡ったらめちゃくちゃ楽しかった話

きっかけは、骨しゃぶりさんの「人付き合いって大事かなと思ったら読みたい3冊」

確かに人付き合いは大事やなと思い立ち、骨しゃぶりさんとサシオフ(差しでオフ会)してきたらめちゃくちゃ楽しかった。

重要なのは、「リアルで会って話する」こと。表情や相槌を見ながら言葉や事例を選ぶことができるし、こちらのレスポンスの影響も即座に分かる。「読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする」というけれど、読み書きが達者なブロガー同士が「話す」となると、面白い化学反応が起こる。

ChatGPTとスタニスワフ・レム

興味深い話になったのは、流行りの生成AI(Generative AI)ネタ。

文章で指定して画像を生成するのだが、私がやってもイマイチなやつしか出てこない(私の呪文がイケていない自覚はある)。

骨しゃぶりさんも、似たような悩みを抱えていたみたいだ。まず、別ソフトで3Dでポージングを作り、それを元にAIにバリエーションを生成するよう指示をして、出来上がった大量の結果を、一つ一つ「これは良い」「これはダメ」と選り分けていき、さらにそれらをフィードバックしているようだ。

この「良い」を選ぶのが大変だという点について、お互い問題意識が一致した。ランダム生成であれ、パターン生成であれ、出来上がったものから「良い」と評価するのが人である限り、この問題は免れ得ない。

もちろん、生成→評価→フィードバックのサイクルを再帰的に回すことはできる。指示するときに予め「出来たものの改善点を指摘してね」「その改善点を踏まえて再作成してね」と、AI自身に評価させた後、「そのサイクルを3回まわして」と再帰的にフィードバックさせればいい。

ただし、それでも「AI自身の評価」がどこまで妥当なのかは分からない。ChatGPT4.0との問答を紹介する記事を見ても、評価サイクルはせいぜい数回で、「そこそこ」のアウトプットでしかない。そして、人が介入するとなると、サイクルごとに何が「良い」のかを改めて指示する必要がある。

そこで思い至ったのが、スタニスワフ・レム『虚数』だ。存在しない本の序文集というメタ短編小説集になる[レビュー]。そこに収録されている「ビット文学の歴史」だ。骨しゃぶりさんにお薦めする。

ビット文学とは、AIにより生成されたあらゆる作品を意味する。AIが読み、批評し、新作を執筆する世界になる(その世界線における『ビット学全集』の序文が、「ビット文学の歴史」になるのでややこしい)。

ドストエフスキーが書くはずだった作品をAIが書き、それを別のAIが批評する。ゼロを用いない代数学を完成させ、自然数論に関するペアノの公理の誤りを証明する。シンギュラリティ後を描いたSFは数多いが、この作品は、批評家もAIであるところ。多数の審美眼に揉まれ、人の手を離れたところで作品がブラッシュアップされていく。

すばらしい傑作が猛スピードで生成されていくのだが、それらを読む「人間」は誰もいなくなることが示唆されている。

ChatGPTがレムの奇想にたどり着くには、あと一歩、「別のアカウントのChatGPTと会話する」なのかも……と考えると面白い。

生成AIの未来は過去に通った道?

AIによるレタッチはどこまで許容できるか、という話も面白かった。

一般的にレタッチとは、写真などの明るさや色合いを調節したり、映り込んでしまった不要なものを除去するといった画像編集を指す。

AIの登場により、有名な画家の作風を学習させ、あたかもその人が描いたかのような画像を生成する。例えばレンブランドの画風をAIに学ばせて、レンブランドの新作を出力するプロジェクトがあった(コンピュータは創造性を持てるか?『レンブラントの身震い』)。

Stable Diffusionの登場により、さらに手軽になった。有名なイラストレーターの特徴を真似させて、好きなキャラクターに望むポーズで出力させることが可能になった。

だけど、それは問題があるのではないか?そうした研鑽の積み重ねから画風だけを模倣するのは、一種の盗みではないか?そんな疑問も出てくる。

コピーされる側は、相応の時間と努力を積み重ねた上で、作品をものにしてきた。30秒で描いた絵に100万ドルは高すぎるという批判に、ピカソは「今まで30年間の研鑽を積んできたので、30秒と30年かかっています」と返答した小話もある[ネタ元:美術の物語]

一方で、骨しゃぶりさんの指摘も面白い。画家であれイラストレーターであれ、完全にゼロから独力で自分の画風を作り上げたわけではない。先人の作品を観察し、そこから学び、優れた点を取り入れてきた。だから、模倣すなわち悪とするのも一概に言えない。

確かにそうだなぁ……とも思うが、それでも、努力の積み重ねを、コピペ&クリックでお手軽にできてしまうのも違和感がある。

ああでもない、こうでもないと二人でうんうん言っていたら、骨しゃぶりさんが、「今の状況って、写真が一般に広まり始めた頃と似ているのでは?」と言いだす。

曰く、貴族や大商人などが専門画家を雇って描かせてきたが、写真技術の普及によって、一般市民にも肖像画が残せるようになった。あるいは、カメラが扱いやすくなり、ボタン一つで誰でも写真が撮れるようになった―――そういうとき、画家たちは何を言っていたか?自分たちの職が失われると抗議の声をあげたのか、あるいは、写真と絵画は別物と割り切ったのか?

なるほど!それで思い出したのが2つある。

一つは、『舞踏会へ向かう三人の農夫』だ。1914年の春に撮影された一枚の写真から緻密な思索を張り巡らせ、20世紀全体を描いたリチャード・パワーズのデビュー作にして傑作だ。

この小説には隠れたテーマが沢山あり、そのうちの一つが、「プリントとオリジナル」だ。かつて芸術作品とは、オリジナルがただ一つだけだった。だが、写真の普及とともに、芸術の一回性は失われることになった。この辺りの事情は、『三人の農夫』のネタ元でもあるヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』に詳しい。

もう一つは、エルンスト・ゴンブリッチ『美術の物語』だ。原始の洞窟壁画からモダンアートまで、西洋のみならず東洋も視野に入れ、美術の全体を紹介しており、美術関連で最も広く読まれている一冊といっていい(2100円のポケット版がお手軽なのだが、価格が高騰しているので要注意。書影はハードカバー版)。

写真の普及に伴う画家の発言や、美術の影響を読み取ると面白い。「写真のように描く」のが目的ではなかったゴッホやセザンヌにとって、写真は脅威ではなかっただろう。また、複数の写真をモザイクのように組み合わせた絵を作ったデイヴィット・ホックニーからすると、写真は手段の一つになる。

絵画の歴史を振り返ると、いかに3次元を2次元に写し取るかに工夫が凝らされてきた歴史になる。これは私の妄想だが、写真が一般的になる時期と、写実が主流から外れる時期は、重なっているように見える。19世紀後半から20世紀初頭を再読すると、新たな発見が得られるかも。

Stable Diffusionの未来は、ベンヤミンやゴンブリッチから振り返ると、面白いかもしれない。

若い女性の匂いについて

意見が真っ二つに分かれることもある。

ロート製薬が開発したボディソープ「デオコ」についてである。若い女性に特有の甘い匂いの元であるラクトンC10、C11が配合されており、普通に使うだけで、匂いだけ女の子になれる。

初めて使った時のときめきを2019年5月ごろ[レポート]に記載したのだが、これが骨しゃぶりさんの目に留まり、使ってみたそうだ。ただし普通に良い匂いという感想である。ボディソープとして優秀なので、以降ずっとリピートしているそうな。

それは布教者として大変ありがたいのだが、「普通に良い匂い」だけに留まらず、女の子の匂いでしょう!と詰め寄ってもピンと来ないみたいである。

骨しゃぶりさんに言わせると、匂いが経験と結びついて初めて情動を刺激する(プルースト効果)のであって、「女の子の匂いを嗅ぐ」という経験が無い人にそれを求めても無益だという。[骨しゃぶりさんのレポート]を見ると、[まなめ王子も同様]らしい。

どうやら、勘違いをされているみたいだ。「女の子の匂いを嗅ぐ」という行為は普通やらない。

そもそも、「匂いを嗅がせて」なんてお願いしたら変態である。そうではなく、同席したり、すれ違ったり、さっきまでいた部屋に入ったときにどうしても感じてしまう何かである。ファンデとかデオドラントとかはすぐに判別できる。そういう外付けではなく、温度や湿度のように伝わってくるやつなんだ。ゼロ距離になる必然性はなく、街を歩いてても、すれ違った瞬間に感じることがある。

ちょうど二人で街歩きをしている最中だったので、「いまの人はラクトンの香りしてたよ」と教えても、分からないみたいだ。骨しゃぶりさんの鍛錬不足なのか、あるいは、私の鼻が異常なのか……

なので、パトリック・ジュースキントの『香水』を買って差し上げた。匂いがいかに人を支配し、狂わせるかについて描いた、ある人殺しの物語である。これを読むことで、ほぼ無限とされる様々な匂いの中で、「若い女性の匂い」が最重要な理由と、究極の匂いをまとうと何が起きるかが、よく分かる。

他にも、「おっぱい vs お尻」「試験の過去問集めとマタイ効果」「再現性の危機とScience Fictions」「はてブ界隈盛衰史とアルゴリズムの変遷」「投資本の正答率を実績値から答え合わせする」など、面白いお話が沢山できた。お薦めいただいたオギ・オーガス 『性欲の科学』と Stuart Ritchie”Science Fictions”は読むぜ!

 

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