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旅は帰る場所があるから成立する『越境』(コーマック・マッカーシー)

なぜ自分が自分の形を留めていられるかというと、自分を知る誰かがいるから。

誰も自分を知らない場所へ旅するのもいい。そもそも誰一人いない場所を旅するのもいい。だが、いつかは放浪をやめてこの世界のどこかに落ち着かなければならない。さもないと人という存在と疎遠になり最後には自分自身にとってさえ他人になってしまう。

誰かを撮った写真は、近しい人間の心のなかでしか価値を持たないのと同じように、人の心も別の人間の心の中でしか価値を持たず、その人の思い出は、思い出したときにのみ存在するだけであって、思い出す人がいなくなれば、消え去るほかない。

人生は思い出だ、そして思い出が消えれば無になる。だから人は思い出を物語ろうとする―――コーマック・マッカーシーの『越境』を読んでいる間、そんな声が通底音のようにずっと響いていた。

マッカーシーの代表作ともいえる国境三部作(ボーダー・トリロジー)の第二作がこれだ。第一作である『すべての美しい馬』は最高オブ最高なので、うかつに手を出すとがっかりすると思い、敬して遠ざけてきた。だが、読めるうちに読まないと後悔することは分かっている。

なので読んだ。読み終えたら、もう一度読みたくなったので、読んだ。主人公がなぜそれをしたのか、なぜしなかったのか、何度も確かめたくてページを戻った。戻る度に剥き出しの暴力に怯み、崇高美と残虐な現実が同居していることに驚かされる(何度読んでもだ)。

おそらくこれも、『すべての美しい馬』と同様に、人生かけて繰り返す作品になるだろう。

主人公はビリー、16歳の少年だ。罠で捉えたオオカミを、メキシコの山へ返してやろうと国境を越える。彼を待つ過酷な運命はここに書くことができない。だが、主人公であるからには、生き延びて目撃する必要はある。それぞれの運命を全うした人たちが物語る言葉を聴き、証人として生き延びる必要がある。

ビリーは三度、国境を越える。最初は傷ついたオオカミを返すため。その次は、最初の旅により引き起こされた出来事の落とし前をつけるため。そして最後は、それまでの旅を終わらせるため。

コーマック・マッカーシー『越境』の旅路をマッピングしてみた

普通ならば、旅とは日常のしがらみから逃れ、冒険へ召喚され、境界を超越し、様々な危険を冒した後、賜物を携えて帰ってくるものだ。国境を越えることで、二度ともとには戻れない旅に出るのだが、帰郷するたびに大きなものを失っていることに気づく。ビルドゥングスロマンの体(てい)なのに、喪失の物語なのだ。

大切なものを失う一方で、出会う人々から様々な物語を聴かされる。純粋に暴力的な世界を淡々と描くマッカーシー節が光るのはここだ。最も印象に残ったのは、メキシコ革命を生き延びた盲目の老人の話だ。

彼は反乱軍の砲手として活躍していたが、あえなく捕虜となり、銃殺されそうになる。敵のドイツ人が「こんな間違ったしかも勝ち目のない大義のために死ぬのはよっぽど馬鹿げたことだ」と嘲ると、彼は唾を吐きかける。するとドイツ人は奇妙なことに、自分にかかった唾を綺麗に舐めとり、彼の顔を両手で挟み、まるでキスをするかのように顔を近づけてくる。

だがそれはキスではなかった。捕虜の顔を両手で抑えて背をかがめたところはフランスの軍隊でやるような両側の頬へのキスのようにも見えたが、そのドイツ人がしたのは頬をきゅっと窄めて相手の目玉をひとつずつ吸い出し吐き出すことだったのであり、こうして若い砲手の頬の上に濡れた二つの目玉が紐のような神経をだらりと伸ばしてぶら下がりゆらゆら揺れるという奇怪な事態が生じたのだった。

痛みもひどかったが、この解体してしまった世界がもう絶対に戻らないという苦悶のほうがずっと大きかった。みんなはスプーンで目玉を眼窩に戻してやろうとしたがうまくいかず、目玉は彼の頬の上で放置された葡萄のように乾いていき世界は次第に暗くなり色を失いやがて完全に消えてしまった。

彼は銃殺を免れ、追放されるのだが、そのまま彷徨い続けることになる。ドイツ人がなぜそんなことをしたのか、その行為に何の意味があるのか、一切、語られない。

ビリーはこの話を、茹でてもらった卵を食べながら聞くことになる。吸い出された目玉と茹でたての卵の取り合わせは、もちろん一言も示唆されないものの、読み手の心にグロテスクな心象を与えてくる。

目玉を失った老人の物語、間違って英雄にされて殺された男の話、二つの飛行機を山から降ろす話、後半のほとんどは、誰かがビリーに物語るエピソードに満ちている。代わりに、彼が主人公のように行動することは無くなってゆく。まるで、ビリーは物語によって生かされているかのように思えてくる。

ビリーが目指す場所は失われ、長い旅の終点はどこかと問われても、終点はどこなのか知らないしそこへ着いたとしても着いたと気づくかどうか分からないと言う。前作『すべての美しい馬』のラストで呟く、グレイディ・コールの声と重なる。

第三作目は『平原の町』だ。ビリーとグレイディ・コールの二人の行く末が描かれるという。読むのが楽しみだが、怖い。



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ITエンジニアの「心」を守る4冊と、心配事を減らすとっておきの方法

基本的に、ITエンジニアは心配性だと思う。

正常系より異常系、例外処理やエラーハンドリングを考えたり、バックアップやプロセスダウン対策を検討するのが常だから、心配するのが仕事だといっていい。

「もし~ならどうするのか」を心配するのは、エンジニアの性(さが)なのだ。

心配するのが仕事だから、メンタルが参ってしまうときがある。悩むあまり夜眠れなくなったり、プレッシャーに耐えられなくなるときがある。「心が折れる」はまさに本当で、一度そうなったら、戻すのは極めて難しい。

そうならないよう、予防のための本を4冊紹介した。本だけでなく、心配事を減らすとっておきの方法も解説した。私が長年実践しており、こうかはばつぐんだ。

今日から試してみるのもいいし、サプリメントのように読むのもあり、お守りのように大事にするのもよし、ご自由にご利用くださいませ。

ITエンジニアのメンタルを守る4冊

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1冊の単語帳を610日かけて全読したら語彙力が1万語になった

きっかけは、読書猿さんとの飲み会だった。

「海外の記事やSNSを読むのに英語力が足りない。しゃべれなくても書けなくてもいいけど、スラスラ読めるようになりたい」と愚痴ったところ、「まず2万語」と言われたのが最初だ。

語彙力こそパワー、ボキャブラリーを増やすぞとばかりに選んだのがこれだ。




N/A

理由は、英語を学んできた人たちの評価がダントツだったことが一つ。もう一つは、お試しで手にしてみたところ、「ちょっと難しいけれど、頑張れば読めないこともない」というレベルだった点だ。

本書を610日間かけて読み切った結果はこうなる。Preply のボキャブラリーテストによると、ほぼ一万語に到達できた。

 7870 words (2021年4月)

 9944 words (2023年4月)

ぶっちゃけ私一人では無理だった。初志は継続せず、どこかで挫折する理由を探し出していた。

だが、私を一人にしない技法を用いることで、完読できたといえる。

挫折を防ぐために周囲の環境を利用する「ラーニングログ」と「コミットメントレター」という技法だ。毎日読んで、読んだ分を記録する。記録した分をSNSで公開するのだが、具体的には[この記事]を参考にしてほしい。

一気に数ページ進む調子のいいときもあれば、難しくて集中力が続かず数行しか読めないときもあった。分からない単語はネットで調べ、文章が分からなければ DeepL に教えてもらい、とにかく「進める」ことだけを考えて、毎日たゆまず、あせらず、一行ずつ読み続けた。

語根でグルーピングして覚える

本書が素晴らしいのは、単語を一つ一つ学んでいくのではなく、「語根」を軸にグルーピングしたものをまとめて身につけるやり方だ。

語根とは、単語の意味の基本となる最小の部分となる。

例えば、PRE には「前に」という意味がある(before や in front of)。プレシーズンとかプレビューのプレだ。そこからこうつなげる。

 prediction = pre +  direct(方向)→ 予報、予言

 precede = pre + cede(行く)→ 先行する

 prejudice = pre + judge(判断)→ 先入観 

これらの単語は、一つ一つ個別に覚えてきた。

だが、改めて振り返ると、語根の組み合わせで出来ていることを理解すると、覚えるのが容易になる。感覚的には、漢字を覚えるときに部首から類推するようなものだ。りっしんべん(忄)があると「心」に関わると想像できたりするように、語根は単語の根幹を知る手がかりとなる。

さらに本書では、PREからさらに拡張して解説してくれる。たとえばこうだ。

 preclude = pre + claudere(閉じる;close)→妨げる、除外する

 predispose = pre + dispose(配置する)→仕向ける

 prerequisite = pre + require(必要とする)→前もって必要なもの、前提条件

この3つの単語は、本書で学んだ。もちろん私自身、claudere なんて単語を知らなかった。だが、この言葉はラテン語であり、「閉じる」を意味していることを何度も説明してくれる。他にも、ギリシャ語や古フランス語が、数多くの英語の素になっていることを具体的に知ることができる(というか、英語の大部分がこれらから構成されてていると言っていいかも)。

馴染みのある「プレ」に対し、ラテン語やギリシャ語由来の言葉と組み合わせることで、言葉が生成されているのが分かる。本書では250もの語根や語幹が紹介されており、英語で用いられるもののほぼ全てを網羅している。こうした意味の素となるストックを増やしておくことで、初見の単語でもなんとなく掴めるようになるのだ。

ChatGPTに語根を聞く

これは面白文章力倶楽部で、ふろむださんに教わったアイデアだ。流行りのオモチャ、ChatGPTを利用しない手はない。

こんな風に聞いてみる。

Preclude
そして、AIの回答を鵜呑みにせず、あらためて本書で検証してみる。もちろんChatGPTは言語や辞書のエキスパートと言えるかもしれない。だが、あえて自分が先生役で、彼女の理解度を確認するのだ。

preclude の例文を見ると、prevent と似ているので、指摘してみる。

Prevent

「防ぐ」「阻止する」という意味では同じだが、preclude の方が強い意味を持っており、完全に起こらないようにするニュアンスがあるようだ。ついでに prevent の語源を教えてもらうと、pre(先に)+venire(来る)だそうだ。先に来るなにかが、後から来るものを妨げるニュアンスになっている(もちろんこの解説も鵜吞みにせず、辞書で裏を取る)。

こんな風に本書とChatGPTを組み合わせることで、インタラクティブに語彙を拡張することができる。

読み物としての面白さ

また、無味乾燥になりがちな単語の説明が、非常に面白い記事となっている。

例えば TOXI の項目。トキシンという言葉から毒に関連しそうだとアタリを付けるのだが、この「毒」の説明がやたら詳しい。

toxin は植物やバクテリアなどの生物由来の毒になるし、venom は嚙まれたり刺されたりして入ってくる毒になる(ヘビやクモなど)。さらにヘビの毒もこう解説されている。

Snake venom is often neurotoxic (as in cobras and coral snakes, for example), though it may instead be hemotoxic (as in rattlesnakes and coppermouths), operating on the circulatory system. Artificial neurotoxins, called nerve agents, have been developed by scientists as means of chemical warfare; luckily, few have ever been used.

神経系に作用するコブラの毒は neurotoxic (神経毒)であり、循環系に作用し敗血症を引き起こすガラガラヘビの毒は hemotoxic (血液毒)になるという。

他にも、ボツリヌス菌は非常に強い毒性を持つが、シワ取りのボトックスの原料となっていることや、毒性を決める単位「LD50」の意味は、その生物を死に至らしめる可能性が50%であることを示す、「致死量」だ。ちなみに、ボツリヌス菌の致死量は、投与する生物の体重1キログラムあたり、0.000000015ミリグラムになる。

あるいは、MEDI の項目。ラテン語で medius 意味は middle だという。メディアはすぐに浮かんだが、統計学の median (中央値)は本書に気づかされた。そういえば「メジアン」と言ってたっけ。

目ウロコだったのが medieval の説明。middle から中間、そこから中世ヨーロッパの「中世」という意味を覚えていた。だが、そもそも中世とは、何と何の「中間」であるのかを、本書に教えてもらった。

With its roots medi-, meaning "middle", and ev-, meaning "age", medieval literally means "of the Middle Ages". In this case, middle means "between the Roman empire and the Renaissance"—that is, after the fall of the great Roman state and before the "rebirth" of culture that we call the Renaissance.

なるほど、そうだったんだ。ローマ帝国が終わった後で、ルネッサンスが始まる前の、中間の時代を、medieval と呼んでいたんだね。地球全体が寒冷化し、伝染病や飢饉が広がり、戦乱が多数起きた時代だ。本書では、暗黒時代であり、ゲームやマンガで取り沙汰される、「剣と魔法の時代」ではないと釘を刺している。

こんな感じで楽しく単語力を増強させることができる。おかげで、決してスラスラではないけれど、怯まずに向き合えるようになった。

ただし、マスターしたというには程遠い。章末の理解度テストはボロボロだし、読み返してもきちんと覚えていないものが多々ある。

なので2周目を始める。初回は「とにかく終わらせる」のが目標だった。今回は、スピード+忘れないよう繰り返すことを目指して取り組みたい。本書をマスターしたら、2万語を超える(はずだ)。

2周目のラーニングログは Merriam-Webster's Vocabulary Builder ラーニングログ に記録する。

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世界史の教科書を逆に読む

教養ビジネスに騙されずに、世界史をやり直したい。

ビジネス書コーナーに行くと、「教養のための世界史」とか「〇時間で分かる世界史」といった教養本が積んである。試しに手にすると、雑学を身につけるには最適だが、それを読むことで、手垢まみれの「教養」とやらが身につくかどうかは疑問だ。

むかし流行した、自己啓発本と同じである。

「自分の付加価値を高める」みたいな動機付けで誘引し、お財布から出しやすい2千円ぐらい、週末にサクっと読める程度に簡単で、即効で賢くなった気にさせる。知識をひけらかしてマウンティングするぐらいにはなれる。

ただし、すぐ効く本はすぐ効かなくなる。結果、似たような本を継続的に買い続けることになる。

そういう教養商人のカモにならず、世界史を学びなおす上で、「軸」となる本が読みたい。それも、研究者の監修を受けた信頼できるもので、かつ、包括的でバランスのとれた内容のものが読みたい。定期的に改訂があり、新しい情報でアップデートされている必要がある。

テレビや雑誌で有名な「知識人」が書いたものは、裏付けが取れているか分からない。また、歴史家が書いたといっても、ある時点での個人の知識になるため、限定的で古びてくる。特定のテーマで歴史を見るならばそれでも良いが、個別のテーマのハブとなる、確かな軸を手に入れておきたいのだ。

となると一択で、世界史の教科書になる。

帝国書院を勧める理由

高校世界史の教科書として、山川出版社、東京書籍、帝国書院と手を出してきたが、最適解は帝国書院の『新詳世界史B』だった。

理由はずばり構成だ。これを見てほしい。

B01

本文となる「歴史の記述」の周りに、史料や図説やキーワードが囲むように配置されている。それらは、歴史記述がなぜそう言えるのかを示すエビデンスだったり、理解を補う解説だったりする。

全体がこのような構成となっており、歴史記述とは単独で存在するのではなく、様々な史料や図説との関連性のなかで書かれるものだというメッセージが伝わってくる。また、この構成のおかげで、無味乾燥になりがちな本文が、図説と連動して読めるようになっている。

さらに、各見出しの直下にはリード文が記されている。画像では、薄いオレンジで着色された箇所だ。本文で述べているものを要約した文章になる。これは帝国書院の特色で、リード文を読むだけで概観できる。

もっと視点を上げて、世界全体を俯瞰する形でも読めるようになっている。ここだ。

B02

これは、縦軸が時間軸で、横軸が空間軸として描かれた、世界全体史の表だ。主な出来事や概念、資源、テクノロジーが、どのように地域を伝播して広がっていったかが俯瞰できるようになっている。

風土や環境ごとに地域としてまとまっていたのが、文化や社会という別のまとまりで再構成されていく有様が、手に取るように見える。

そもそも、なぜ世界史をやり直しているのかというと、今目の前に見えているまとまりや分断は、どのように生じていったかを把握するためだ。地政学的な要素もあるし、政治・経済的な影響もあるだろう。

しかも、そうした要素が時間的にも空間的にも一様に影響を及ぼしているのではなく、ある時代や地域の流行のようなものがあった。「革命」や「民主主義」がまさにそうで、そうしたうねりが、一時的に特定の地域を席巻したことがあった。それが一過性のものなのか、今でも形を変えて残っているのか、それはなぜかを伺い知ることができる。

B03

歴史において、気候や風土の要素を重視している点も素晴らしい。

ある国が強大な力を持ったとしても、巨大な山脈や、大きな気候の変化といった壁が存在したが故に、領土を拡張できなかったという事実がある。あるいは、季節風や海流のおかげで、より低コストで人や情報を伝播させることができたという事実がある。民衆の反乱や戦争、王家の栄枯盛衰の遠因として、地球寒冷化や大規模な環境の変化があったことも、きちんと語られている。

歴史にはそうした制約条件が存在する。言い換えるなら、そうした外部条件の下で、社会は発展していったといえる。気候や風土は、歴史の制約条件となる。

世界全体の自然環境を示すこのページは、教科書を開いた1頁目にある。さらに、各地域史のイントロダクションには、もっと詳細な地図が記されている。歴史を学ぶ上で、それだけ重要な要素なのだ。

歴史を逆さに読む

帝国書院の『新詳世界史B』を2回通読した。初回は普通に、2回目は逆順(現代→過去)に読んだ。

というのも、「どうしてこうなった」の理由を探す読み方にしたかったからだ。

一連の出来事を時系列に沿って、どのような因果になっているかを追いかけるのが順読みだ。これを反転させるのだ。いまある状態がなぜ起きているのかを、歴史記述から拾い上げるように読む。すると、手持ちの視点をさらに増やすことができる。

例えば、ロシア・ウクライナ危機について。

2022年のロシア軍の侵攻が「今」だとして、教科書を遡上していくと2014年のロシアによるクリミア編入が出てくる。ウクライナ政府はこれを認めず、クリミア半島は係争状態にあるという。

もっと遡っていくと、1991年のソ連解体に行き当たる。ロシア住民主導によりクリミア自治共和国が再建されたのだが、同じ場所に住むウクライナ人、クリミア=タタール人との軋轢が高まることになる(これがクリミア編入の原因)。

もっと遡っていくと、1917年のロシア革命の混乱に当たる。革命勢力の支配地域が後に「ソヴィエト社会主義共和国連邦」で塗りつぶされることになるのだが、その中で、ごくわずかに反革命勢力を展開していたのは、ウクライナのエリアになる。元々「ソ連」を牛耳っていた革命勢力と、ウクライナにいた勢力は対立していたのだ。

もっと遡ると、クリミア戦争、南下政策、クリム=ハン国、モンゴルによる支配へと繋がっていく。「クリミア」の元は、モンゴル大帝国のハーンの末裔からとったことに気づく。私は、「あの辺り」として一緒くたにソ連とくくっていたが、その見方は雑すぎていたことが分かる。

こんな感じで、「今」の問題意識を持ちながら、時の流れを遡るように読んでいく。チベット・中国の問題や、パレスチナ問題の根の深さが、よりクリアに見えてくる。

次に読むときに取り組みたいのは、財政軍事国家の視点だ。17世紀イギリスが嚆矢となった制度で、「戦争をするための軍事費をどのように調達するか」という課題に対し、国ぐるみで引き受けた国債で賄うシステムだ。

それまでは、国王の財布と国家の財政は明確な線引きがされておらず、国債を発行したとしても、十分な信頼を得ることができなかった。だが、イギリスの場合、徴税権を持つ議会が元利保証をしたため、国債の信用は高まり、多額の軍事費を集めることができた。

イギリスのやり方を踏襲して、各国はより多額の資金を集め、よりカネをかけた装備で、より多数の損害を与える軍事力を持てるようになったと言えるだろう。

戦争にはカネ(資源)がかかる。そのカネをどのように調達するかという視点で、世界史を読み直したい。そして、教科書を手がかりに、長年積んであるジョン=ブリュア『財政=軍事国家の衝撃』に挑戦するつもりだ。

いまの世界のまとまりが、どのようにできあがってきたのか、その正当性、妥当性も含めて俯瞰していきたい。そのための確かな軸となるものが、教科書になる。

新詳世界史Bは335ページと薄い。一気に読んでもいいが、気になるトピックを調べながら寄り道しながら読み進めるのが楽しい。私の場合、読んだページを記録することで、ラーニングログをとりながら読んだ。参考にしてほしい。

ラーニングログ⑪:新詳世界史B(逆順)

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千夜一夜物語レベルの面白さ『サラゴサ手稿』

 

 

この世でいちばん面白い物語は、『千夜一夜物語』だ。面白さのエッセンスを煮詰め、淫乱で低俗な世界に咲いた気高く美しい枠物語だ。

この世でいちばん面白いファンタジーは、『氷と炎の歌』だ。エロとグロと波乱と万丈と冒険と怪奇の群像劇だ。

この世でいちばん面白い小説は、『モンテ・クリスト伯』だ。究極のメロドラマであり、運命と復讐の逆転劇だ。

そして、『サラゴサ手稿』は、面白さのエッセンスを煮詰めた枠物語であり、エログロ波乱万丈の群像劇であり、究極のメロドラマである。惜しむらくは全三巻と短く、気のすむまで狂ったように読み続けることはできぬ(その点、千夜一夜は全11巻なので延々と没入できる)。

しおり無用の面白さだが、一気に読ませぬ迷宮が仕掛けてあるのでご注意を。ひとたび頁を開いたら最後、物語の物語の物語の中に入り込み、ストーリーのダンジョンを行ったり来たり、延々と彷徨うことになる。

説明する。

『サラゴサ手稿』は枠物語の構造を持っている。すなわち、大きなフレームに囲われた、小さな物語の集合で構成されている。無数のバリエーションを千一夜かけて物語るシャーラザットのようなものといっていい。

ただし、ここで物語るのは一人ではない。主要人物の全員が、それぞれの身の上話を語りだす。しかも、各人の物語が入れ子状になっている。例えばこうだ。

 ジプシーの族長アバドロが語る物語
  その中に出てくるロペ・ソアレスが語る物語
   その中に出てくるドン・ブスケロスが語る物語
    その中に出てくるフラスケタ・サレロが語る物語
              ……を聞いているアルフォンソ

こんな感じで、物語が再帰的に呼び出され、展開され、戻ってゆく。

だが実際のところ、こんな分かりやすいマトリョーシカになるのは珍しく、一つの物語から複数の物語が呼び出されたり、物語が閉じないまま別の物語に回収されたりする。まったく別の日に語られた、まったく無関係な人物の物語が、実は重なっていることなんてこともある。物語どうしのニアミスである。

それぞれの物語はめちゃくちゃに面白い。

森羅万象を百巻の書物にする天才学者の皮肉な運命を描いたかと思うと、母娘どんぶりのエロティック満載の身の上話になったり、科学的に正しく天地創造を語り尽くす話になる。何が出てくるか見当がつかないお化け屋敷をジェットコースターで突き進むような感覚である。

それだけでなく、物語から呼び出された人物の語りの中に出てくる人のおしゃべりにつきあっていくうち、誰が何の話をしているのか皆目見当がつかなくなる。「これ誰の話だっけ?」と何度も戻ったり、ぐるぐる迷わされることになる。

自己増殖していく物語に飲み込まれ、惑い、迷い、溺れていく。そこでは完全に自分自身を見失い、ただひたすら物語に身をゆだねる他ない。

しかし、不思議と嫌ではない。むしろ変な脳汁が出て、妙な高揚感が湧き上がってくる。走り続けていくうちに多幸感に包まれるランナーズ・ハイになるように、読み進めていくうちにストーリー・ハイになる感じ。

最初のうちは、物語の呼び出し関係をメモしながら読んでいたが、あまりに複雑で諦めた。

増殖する物語構造に酔いたい人は素手で挑んでみるのもいい。だが、ダンジョンマップが欲しい人には、下巻の「通覧図」をお勧めする。物語の枠構造と、語られた順番の時系列をマッピングした一覧である。ネタバレしない程度にぼかして書いており、訳者の心意気を感じる。

注意すべきは、200年前の近代小説なので、当時の常識や時代背景を踏まえる必要があることだ。

当時はヴォルテールの啓蒙時代だったり、少し前までイスラーム支配体制が続いていたとか、飛ぶ鳥を落とす勢いだったニュートンの評判とか。そうした世を憂い、皮肉り、あてこする展開が香ばしく、どの時代でも人間の本性は一緒だなと、改めて思い知る。

その辺りの時代背景は注釈と解説が充実しているので、注と本文を行き来しながら進めると、より読み解きやすくなるだろう。

読んで溺れろ、惑うべし、酔うべし。

 

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「死にたい」とつぶやく

ネットには「死にたい」「消えたい」「殺して」というつぶやきが流れている。

しかし、「死にたい」は一種の忌み語になっており、入力すると速やかに相談窓口へ誘導される。また、この言葉を掲げる記事は目立たないよう扱われる。切実な声は画一的に処理され、表立ってこない。

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こうした声にどう向き合うべきなのか。また、こうした声と共に居ることは、いかにして可能なのか―――「死にたい」をめぐるコミュニケーションのありかたを考えたのが本書になる。

社会学者である著者は、「死にたい」という言葉の使われ方に着目する。

この言葉を発する人は、社会的な属性や貧富の状態、学歴、就業状況は様々だ。心療内科に通っている人もいれば、行かない人もいる。診断名もまちまちだし、自傷する人もいればしない人もいる。深刻に吐露している人もいれば、「死にたい」は「生きづらさ」の言い換えだという人もいる。

だが、この言葉を介してつながりあう人をインタビューしていくうちに、著者は、「死にたい」が一種のメディアのような役割を果たしていることに気づく。「死にたい」人どうしが実際に会って話をするとき、ほぼ初対面あり、お互いのことをよく知らないにも関わらず、異様なほど会話が噛み合うのだ。

現代社会において、「死にたい」はコミュニケーションの強力な媒体として機能しうるのではないか?

座間9人殺害事件における「死にたい」

この問いを起点として、座間9人殺害事件について考察を行う。自殺願望のあった若い女性が主なターゲットとなり、3ヶ月の間に9人が殺害された事件である。

被害者を誘い出す巧妙な手口や、冷酷無慈悲な犯行の実態が報道されているが、本書では、そうした詳細には立ち入らない。その代わりに、事件の中で「死にたい」という言葉がどのように機能していたかに着目する。

犯人の男は twitter で「首吊り士」と名乗り、首吊りの知識を広めることで辛い人の力になりたいと自己紹介していた。また、「死ぬ前に連絡したい方はまだ未練がある証拠なので、死ぬべきではない」などと自殺願望のある人に寄り添うような発言が織り交ぜられていたという。

そして、「死にたい」とつぶやく人に近づき、メッセージをやり取りして関係性を築き、「一緒に死のう」という口実で、被害者を誘い出していた。しかし、実際に自分も自殺するつもりはなく、被害者に性的暴行を加えたうえで殺害し、金品を奪っていた。

遠く離れた場所にいる被害者と犯人を引き合わせ、強力な媒介としての役割を果たしたのは、この「死にたい」という言葉だという。そして、この言葉がどのように機能しているのかを考察する。

親密圏での「死にたい」とtwitterでの「死にたい」

家族や友人など、身近な人が「死にたい」とつぶやいたらどうだろう?

言われた方は戸惑い、「死んではいけない」と強く諫めるだろう。辛い状況にいる本人は弱音を吐いているだけで、本当は「生きたい」と思っているに違いないと考えるだろう。本人と親しい間柄である親密圏の内側に居る人は、その人の「生」を強くケアしようとするに違いない。

しかし、そのような「正攻法」では本人の気持ちはなかなか変わらない。支援の手を差し伸べたり、説得を試みても、本人の意思が変わらないことに嫌気がさし、ギクシャクするかもしれない。親密圏と「死にたい」という言葉は、折り合いの悪さを抱えているという。

一方で、twitter における「死にたい」は、ただ流れていくのみ。「死んではいけない」などと口出ししてくる人は稀だ。安心してこの言葉をつぶやくことができる。フォロワーも遠巻きにそっとコミュニケートしようとするかもしれない。だが、本人のつぶやきを尊重した上でのものになる。

この、「死にたい」が否定されない逃げ場としての twitter の重要性に着目する。

もちろん、冒頭で紹介した通り、この言葉は忌み語となりつつあり、つぶやく人は誘導されるようになっている。それでも、誘導先に行くかどうかは選ぶことができる。

「死にたい」が否定されない状態

著者は、この「死にたい」が否定されない状態が重要だという。

そのためには、「死にたい」と言い出した人に対し抱いている人物像の評価を、一時的に棚上げして保留にする。その言動の背後に、何らかの意図があるのか、いったんは追求しない。「なぜ死にたいのか」と問い詰めることは、説得者側の立場(=「生きる」を優先)を押し付けることになるからだ。

もちろん、「死にたい」原因を調べるのは重要だが、それは、この言葉をめぐる「私」と「あなた」のコミュニケーションが円滑に進んでからでも遅くないという。さらには、原因を調べるのは「私」と「あなた」ですらなく、精神科医や臨床医の仕事という場合だってあるというのだ。

「死にたい」という言葉を、文字通りに、「リテラル」に受け止める。

本書では、その可能性の一つとして、シェアハウスの事例を2つ紹介する。親密圏の外側にあり、苦しんでいる人にとって逃げ場となるような所で、他の住民と一緒に「いる」こと自体がケアになるような事例だ。近すぎず遠すぎず、「メンヘラにとって住みやすいシェアハウス」の事例はたいへん興味深い。

注意すべきなのは、著者は、「死にたい」に迎合しているわけではない点だ。

著者は、「死にたい」を治療することを否定しているわけではない。ただ、「死にたい」をいかに消すか、つまり希死念慮を消すという思考には、その時点ですでに「自殺はいけない」という前提が入り込んでいる。最初から「死にたい」を救い出すことを目指した議論にすることで、「死にたい」という言動を取る人が遠ざかってしまうことを懸念している。

その最初コミュニケーションに失敗してしまうと、結果的にその者を治療に向かわせることも困難になってしまうだろう。私たちは、座間九人殺害事件において、「死にたい」と言動する者たちが、自殺を手伝うかのような言動をとる犯人に誘引されてしまったことを決して忘れるべきではない。

『「死にたい」とつぶやく』中森弘樹、慶應義塾大学出版会、p.261

ChatGPTを始め、ネットでつぶやかれる「死にたい」への応答は、希死念慮を消す思考が前提にある。座間や練炭を経て、このような空気になっていることは理解できる。だが、一方で、「死にたい」を文字通りの意味でつぶやけなくなっていることも、改めて喚起しておくべきだろう。




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