アガサ・クリスティ自選の傑作『終りなき夜に生れつく』
「知らないけど、間違いなく面白い本」を読むには、どうすればいい?
世間で評判のベストセラーなら、少しは期待してもよいだろうが、「私が」面白いかどうかは別だ。プロ書評家が「これを読め」なんて誉めても、”Not For Me” (私には向いてなかった)なんてザラである。
そんなとき、どうするか?
面白い本を、「これ面白かった!」と叫べばいい。
すると、「それが良いならこれなんてどう?」なんてレスポンスがもらえるときがある。
ブログ記事に残されたメッセージだったり、twitter のリプライだったり、はてなブックマークでのコメントだったりする。そんな返事をくれる人は、鉦や太鼓で探すべきだし、オススメは果敢に手を出すべき。
なかでも、はてなブックマークのコメントは有難く、知らないけれど、面白い本に出会うきっかけを何度も貰った。どんなに感謝しても感謝しきれないくらいである。
今回は、d-ff さんのコメントをきっかけに、クリスティに手を出してみた。
d-ff : アーサー・ゴードン・ピムも悟浄歎異もそれぞれの最高傑作と思っていたのでうれしい。クリスティなら『終わりなき夜に生まれつく』、芥川なら長編の『河童』。
「(中島敦なら)悟浄歎異」に同意なので嗜好が合うのと、クリスティなら『春にして君を離れ』を推すので『終わりなき~』がどれほど傑作なのか期待半分で手にしてみた。
結論から言うと、読んでしまったことを後悔するような傑作だった。
物語はこう始まる。冒頭からして不穏な空気を漂わせている。
『わが終わりにわが始まりあり』この引用句を人が口にするのを聞いたことがある。なんとなく分かる―――でも、本当はどういう意味だろう?
ある特定の点をさして、「あの日、これこれの時間、これこれの場所で、これこれの出来事からすべてが始まった」なんて言えるものなのか?
ずっとこんな調子で、語り手(主人公)は、何か大きな後悔を抱えていることが分かる。
主人公は二十歳を過ぎたばかり。端正な顔立ちで、教育を受け、夢があり、前途洋々の若者だ。そんな彼が、「どうしてこんなことになってしまったのか?」と頭を抱え、自分が選んできた言動のどこが間違っているのか苦しんでいる。
そして、どこかで間違えたはずだ、という前提で、過去を振り返っていく。
しかし、そこで語られるのは、甘ったるいラブストーリーだ。若い男女が偶然出会い、最初はおずおずと、だんだん打ち解けて、そして惹かれ合い、恋に落ちる様子が語られる。
仲睦まじい二人は見ていて微笑ましく、それを語るモノローグの不穏感と奇妙なコントラストを成している。二人が幸せであればあるほど、逆に怖くなってくる。
全ページに渡り満ちている不穏な空気にあてられ、取り憑かれたように読みふける。次に何が起きるだろう、何が待っているのだろうと、心をザワつかせながら読んでいくうちに、本を持つ手がすっと冷たくなる瞬間がある。
人は人生の大切な瞬間に気づかないものだ――取り返しがつかなくなるまで
この一文が目に入ったとき、知らなければよかったという世界線に迷い込んでいたことに気づく。
そこからラストにかけて畳みかけるような恐怖に苛まれながら、これ全部伏線だったんだ……とあらためて、冒頭から読み始める。
そして、タイトル『終わりなき夜に生れつく』(Endless Night)の本当の意味が腑に落ちるとき、読んでしまったことを後悔しはじめている(d-ffさん、こんな気持ちに突き落とすような作品を教えていただき、ありがとうございます)。
アガサ・クリスティ自身も、これをベストに入れているとのこと。クリスティの傑作は『春にして君を離れ』と思っていたが、『終わりなき夜に生れつく』も殿堂入りとして並べたい。クリスティといえば、エルキュール・ポアロ、ミス・マープルといった名探偵が活躍するが、どちらの作品も、探偵の登場しないミステリである。
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