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世界は「におい」に満ちている『香原さんのふぇちのーと』

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「におい」は言葉より強い。どんな意志より説得力をもち、感情や記憶を直接ゆさぶる。

人は「におい」から逃れられない。目を閉じることはできる。耳をふさぐこともできる。だが、呼吸とともにある「におい」は、拒むことができない。「におい」はそのまま体内に取り込まれ、胸に問いかけ、即座に決まる。好悪、欲情、嫌悪、愛憎が、頭で考える前に決まっている。

「におい」は、主観で決まる。よい匂いなのか、ひどい臭いなのか分かるのは自分しかいない。たとえば、女子高生のわきから漂う「汗のニオイ」だと悪いイメージだが、「かぐわしいフェロモン」だと身を乗り出したくなる。

そういう微細なアロマを嗅ぎ分け、スパイシーなのか粉っぽいのか、べっとり鼻孔に付くのか抜け感があるのか、甘み・酸味・青味・深み、香ばしさを観測し、秘密のノートに記録する―――それが主人公・香原理々香である。どう見ても変態ですありがとうございます。

彼女は、女子高生という立場を利用して、クラスメイトのさまざまな匂いを嗅ぐ。

たとえば、汗っかきの陸上部の子がわきを拭いたタオルにしみ込んだ汗においや、ローファーで蒸されハイソックスに包まれた足のにおい、あるいは、スパッツを少しずらしたお尻の隙間から漂うひんやりしたにおいである。

でも、ちょっと待って、いくら女子高生だからといって、そんなに気軽に嗅げるものだろうか? 足とかお尻の匂いなんて、普通はお金を払うものじゃないの?

その通りである。陰キャで親しい友だちもいない彼女は、「におい嗅がせて」なんて言ったらドン引かれるに違いない。

だからこそ緻密な計画を立て、工夫を凝らし、時には策を計り、涙ぐましい努力を積み重ね、さらには時の運により、ふくいくたる香気に身をゆだねる(そのごほうびシーンが感動的ですらある)。どう見ても変態ですありがとうございます。

面白いのは、「におい」をマンガでどう表現するかにある。においは主観そのものであり、視覚表現であるマンガでは、普通に無理だろう。紙は紙のにおいしかしないし、スマホで見ている人には何のにおいもしない。

見てもらったほうが早い。

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『香原さんのふぇちのーと』2行目より

これは、香原さんが足裏のにおいを嗅いでいるシーンである。

もちろん香原さんの心象風景である。彼女の脳内では、メリーゴーランドに乗っているポニテの女の子がいて、その子のバスケットから飛び出したポップコーンシャワーを浴びている。

季節は梅雨、湿度の高い教室とローファーで蒸された綿とポリエステルの靴下の素材の香りをベースに、足の指のすきまに潜む温かい脂の甘み、(なめたら)塩気を感じる予感が、さながらポップコーンシャワーのように鼻孔をくすぐっていたにちがいない。

においの表現そのものではなく、それを感じ取った内面を比喩的な絵で表現する。極上のワインを飲んだ瞬間、森の奥に古城が見えたり、おいしさが全身を駆け巡るあまり全裸になったりする、『神の雫』や『食戟のソーマ』が思い浮かぶ。読者の視覚そのものに訴えることができる。

女子高生の蒸れた足裏の匂いを、「ポップコーン」として感じる香原さん。この人は信用できる

脱ぎたての足で踏んでもらうなんて、お金を払ってもそうそうできるものではない。どういういきさつでそうなるのかは、ご自身の目で確かめてほしい。ここでは、努力と根性と時の運とだけ申し添えておく。お試しは [香原さんのふぇちのーと] にある。

これから彼女は、「80デニールのパンスト越しのひかがみの匂い」とか「耳の裏の脂ギッシュな匂い」とか「にわか雨に降られたての頭頂から立ち昇るパウダー臭」、あるいは「鎖骨のくぼみに溜まる乳白色の香り」や「ありがとう水(スク水の股間から垂直にポタポタ落ちる水)のハイター風味」などに挑戦していくに違いない。

その探求に期待するとともに、香原さん自身から漂うラクトンの匂いに気づく日もあるかもしれないと思うと、感無量になる。ラクトンとは、若い女性に特有の甘い匂いで、バニラとバターに微量の生姜を足したような香りである [再現レシピ]

ちなみにドラッグストアで売ってるので、わたしのようなおっさんでも、匂いだけは女子高生になれる(実験レポート:[女の子の匂いを身につける])。以来ずっと手放せず、お風呂に入るたび、匂いだけ女の子に変態している。

一つ心配なのは、彼女の行く末だ。香原さん、匂いフェチがばれるのを極端に怖れているが、それよりも、悪用しないかが心配である。冒頭でも触れたように、人は「におい」から逃れられない。そのまま身体に入ってきて、感情に訴えかけ、記憶を揺さぶる(プルースト効果)。

言い方を変えるなら、においで人を支配することができる。声や文字は耳を塞ぎ目をそらせばよいが、人は呼吸を止めることができない。「におい」を操り、においで人を支配しようとした男の物語として、『香水 ある人殺しの物語』がある。18世紀フランスの、「匂い」の達人の物語なのだが、これもお薦め。

よい匂いで、よい人生を。



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