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今年イチの傑作SF短篇「無脊椎動物の想像力と創造性について」

「擬人化の罠」という言葉がある。

生物の行動に「ヒト」を探そうとする姿勢だ。その行動や生態を観察する際、ヒトに似た属性でフィルターをかけ、ヒトの基準で評価しようとする。

 ルイーズ・バレット『野性の知能』は、擬人化の罠に気をつけろと警告する。擬人化に偏って仮説を立てると、検証範囲が限定されてしまうからだ。

何かヒトに似た行動を取ったとしても、その行動を生んだ根源的なメカニズムまでがヒトと同じとは限らない。ヒトと異なる身体と神経系をもち、ヒトと異なる生息環境で生きているため、同じ行動原理であると考えるほうに無理がある。

例えば、コオロギの雌は、雄が奏でる誘引歌を聴き分けて、好みのパートナーを探し当てる。誘引歌の他にも、喧嘩歌や求愛歌などを使い分けて、状態を知らせている

雄の歌を「認知」して、脳が適切な行動を「判断」し、それに沿って身体を「制御」して雄に近づく―――擬人化のフィルターを通すと、コオロギは「賢い」行動を取っているように見える。

だが、あれほど沢山の雄がいる中で、適切なパートナーを判別できるくらい、コオロギの脳は「賢い」のだろうか? 

実は、コオロギの「賢い」行動は、もっとシンプルなルールに則っている。コオロギの聴覚器官は、①左右の前脚、②腹部の先端、③胸部の気門にある。ここで重要なのは①だ。左右の前脚で、特定の音波を拾うことができる。

雌のコオロギは、左右から同じだけ感じるように、体の向きを変えるだけで、目当てのパートナーに辿り着いている。身体に埋め込まれた器官や、生態系を成している音の世界に委ねることで、適切な行動をとっているのだ。

擬人化の罠から抜け出て、環境に埋め込まれた知性を突き詰めると、「無脊椎動物の想像力と創造性について」になる。坂永雄一の短篇SF小説だ。

舞台は近未来の京都で、大量発生した蜘蛛の巣に覆われている。

蜘蛛?

5ミリにも満たない弱い生物にすぎない。簡単に殺せるし、毒も持っていない。だが遺伝子操作で改変された蜘蛛は、半永久といっていいくらい機能する「糸」を吐けるようになり、永続的に環境を改変することが可能になった世界だ。

個としての蜘蛛はちっぽけだが、世代をまたいで環境を引き継ぎ、先代の構造物をさらに改変していくことが可能になったら? しかも、建物などの人工物を巧みに利用し、より大きな巣を作り上げるまで広まったなら?

蜘蛛が環境を変え、繁殖していくスピードが、それに対抗するヒトを上回った世界が、蜘蛛の巣に覆われた京都になる。ヒトが住めなくて放棄するだけでなく、拡散を抑えるために破壊して焼き払わなければならなくなった京都だ。

糸の強度が上がり、巣が一代限りでなくなるというだけで、これほど大きな変化になるのか? 真偽のほどは分からない。だが、条件がそろうことで、ティッピングポイントを越えた世界が見えるかもしれぬ。

蜘蛛と対峙するヒトは、糸で作られた構造物を見て、そこに想像力や創造性を見出し、蜘蛛を「賢い」とする。

だが、蜘蛛からすると、ヒトのような複雑なことをしていない。自身のデザインは太古から変えないまま、自分が紡ぎ出す「糸」を進化させ、受け継いだ構造物に適応させてきたにすぎない。

擬人化の罠から離れると、蜘蛛にとっての構造物は、環境に埋め込まれた蜘蛛の知性を表現したものになるのかもしれぬ。むしろ、「想像力」や「創造性」というヒトの言葉を当てはめるほうが、浅薄に思えてくる。

蜘蛛の巣に覆われた京都は雪景色を彷彿とさせ、廃墟を探索する研究者たちのディザスタもののように見える。一方で、蜘蛛をウイルスになぞらえて、封じ込めに失敗したパンデミック作品としても読むことができる。肌が粟立つラストの美しさは、いまでもありありと目に浮かぶ。

この短篇は、『新しい世界を生きるための14のSF』に収録されている。若手作家14人のSFアンソロジーの中で、これがぶっちぎりで面白かった。

実は、本書を読んだのは、冬木さんとdaenさん共同主催で取り上げられたから。

「日本SFの未来は明るいか?」というテーマで語り合い、参加者から10点満点の投票をする。14の短篇の中で、「無脊椎動物」は頭一つ抜けて第1位だった(平均9.1点、満点を付けたのが3人)。

この読書会が無かったら本書も読まなかっただろうし、この傑作に出会うこともなかっただろう(冬木さん、daenさん、ありがとうございます!日本SFの未来は明るいと思います)。

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コメント

先日、『動物の心がわかるほど人間は賢いのか』を読んで、同じ論調だなと感じました。動物を擬人化するのでなくて、そのままで知性を見出すみたいな。

投稿: 美崎薫 | 2022.11.13 17:50

>>美崎薫さん

ご紹介ありがとうございます。これ、気になっている本です。
これは私の偏見なのですが、動物を擬人化する考え方の背後に、「あらゆる生物の中でヒトが頂点にいる」という意識があると思っています。「下等な」動物でも、知性らしきものがある……という考え方です。
『動物の心が~』は、この観念から自由になっているような本なのかも……と、ちょっと期待しています。

投稿: Dain | 2022.11.13 23:53

おっしゃるとおり、あらゆる生物の中で人が頂点にいるというのは西洋キリスト教のドグマですが、『動物の心が~』はそこから自由になることをテーマにしています。

投稿: 美崎薫 | 2022.11.20 18:44

>>美崎薫さん

ありがとうございます!読んでみます。私も勘違いしていましたが、タイトルは「動物の心」じゃなくて「動物の賢さ」でしたね。
『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』(フランス・ドゥ・ヴァール、紀伊國屋書店)。

投稿: Dain | 2022.11.23 15:54

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