惚れる言葉に必ず出会える『エモい古語辞典』
エモいとは何か。
一つの答えは、広辞苑のコピーだろう。
せつない、うつくしい、はかない、なつかしい……感情が一気に押し寄せ、言葉にするのが間に合わない。そんなときにエモいというのだろう。昔の人が「あはれ」というのと同じかもしれぬ。
古語辞典で「あはれ」をひくと、かわいい、いとしい、なつかしい、尊い……など、「感動を覚えて自然に発する叫びから生まれた語」とある。推しが尊すぎてしんどくて言葉を失うほど心が揺さぶられるのを略して「語彙力……ッ」と叫ぶときもあるが、根っこは同じだろう。
そういう、エモい、あはれな言葉に出会える辞典がこれだ。
もともと、小説やマンガ、歌詞など創作のために古語を厳選したのだが、パラパラと見ているだけで、胸をうずかせ、心を揺らす言葉が見つかる。まるで宝石箱のような辞典なり。
たとえば、「可惜夜(あたらよ)」という言葉を知った。
「可惜」は、惜しいとかもったいないという意味はなんとなく知っていたが、「可惜夜」は、そんな夜のことだ。すなわち、明けてしまうのが惜しいくらいの、すばらしい夜だという意味である。
あたら夜の
月と花とを
同じくは
あはれ知れらむ
人に見せばや
後撰和歌集にある歌で、「明けるのがもったいないくらいの素晴らしい夜の月と花、どうせ見るならこの趣を分かってくれる人(=あなた)と一緒に見たい」という意味になる。
暑くも寒くもない、さわやかな季節の素晴らしい夜、思わず「月がきれいですね」とメッセージしたくなるような夜はたまにある。これからは、そんな夜を可惜夜と呼ぼう。
あるいは、「泥む(なずむ)」という言葉。
「馴染む(なじむ)」と語感が似ているが、もっと深い。元々の意味は、「足を取られて進行が滞る」意味だが、そこから、ひたむきに思い焦がれ、こだわり、好きになって抜け出せないことを指す言葉となった。役者に夢中になることを、役者泥み(やくしゃなずみ)という。
今なら、「沼る(ぬまる)」とか「ハマる」だし、英語だとobsessed (取り憑かれる)やね。でも「泥む(なず)」のほうがズブズブ感が出ていて一体化しているみたいで良き。日が暮れたあとも薄明かりが残る時間帯を「暮れなずむ」というけれど、これも「暮れ泥む」なのかも。昼と夜が一体になっている感じが出てる。
ちょっと笑ったのが、「不悪口(ふあっく)」だ。
仏教の言葉で、10の悪を否定形にして、戒律としたものの一つだ。みだりに生物を殺さない「不殺生」は知っていたが、10もあったとは……で、「不悪口」は、乱暴で汚い言葉を使ってはいけませんという意味になる。なるほど……でも発音は「ふあっく」なのかと思うと笑える。
同じ仏教用語の「我他彼此(がたひし)」も愉快だ。
自分と他人、彼(あちら)と此(こちら)と比較してしまうことを指している。自分と他人を無駄に対立させた結果、衝突して葛藤の絶えない様子を表す言葉になる。
最初は「がたひし」だったのが変化して、「がたぴし」と読むようになったという。建てつけの悪い戸がきしんだり、扱いが乱暴でうるさい様子を、「がたぴしと音がする」と言うよね。
これ、いまなら「出羽守(でわのかみ)」になる。海外を引き合いに出して日本を批判する人を指す俗語だ。「北欧では~」「米国では~」の「では」から採った言葉になる。「ヨソはヨソ、ウチはウチ」なのに、無駄に比較し、対立を煽り、ガタピシさせているのは出羽守なのかもしれぬ。
マンガやアニメでお馴染みの、「うたかた」「両面宿儺(りょうめんすくな)」「阿頼耶識(あらやしき)」「姑獲鳥(こかくちょう・うぶめ)」「兎波を走る」など、あはれでエモい言葉に出会える(うた∽かた、呪術廻戦、鉄血のオルフェンズ、百鬼夜行シリーズ、この世界の片隅に)。
両面宿儺は、『呪術廻戦』だと呪いの王であり災厄そのものみたいに描かれている。その一方で、荒ぶる龍を退治した英雄豪傑でもあることを知った。時の朝廷に逆らったので悪者みたいにプロパガンダされたのかもしれぬ(権力者による歴史改変パターン)。
知らない言葉に出会うだけでなく、知っているはずの言葉の意外な側面をも見ることができる。
めくるだけで楽しい、古い言葉に新しい意味を吹き込む一冊。
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