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物語の力を悪用する『ストーリーが世界を滅ぼす』

物語には力があるが、毒もある。

「よくできた小話」はSNSに乗ってバイアスを拡散し、政治家はフィクションを駆使して世論を分断する。広告屋は「これを買えば幸せになれる」ファンタジーをばらまき、ジャーナリズムは「よりクリック数を稼げる」ストーリーになるよう捻じ曲げる。物語はあなたを操作し、人類を狂わせ、世界を滅ぼしかねないと憂う警世の書。

「物語がどのように人を動かしているのか」に興味があるため、物語のダークサイドを告発する本書は参考になった。一方で、著者自身が物語の毒に汚染され自家中毒に陥っているのが心配になった。

物語は人を狂わせる

たとえば、2018年のピッツバーグで起きた、ユダヤ礼拝所襲撃事件だ。ライフルと拳銃で武装した男が、「ユダヤ人は皆殺しだ!」と叫びながら銃撃し、11人を殺害した事件になる。

本書の導入部で、この男の行動をストーリー仕立てで描いている。ごく普通46歳の白人男性が、ある土曜日の朝、邪悪な衝動に取りつかれ、礼拝所に集う人々に銃を向けるまでを、ドキュメンタリータッチで紹介する。

著者は、殺された人々の追悼会に参加する。弔問に訪れた数千人の中で、この棺の列と悲しみのすべては、物語のせいだと断定する。反ユダヤ主義という物語は、何度も何度もゾンビのように蘇り、人を狂わせるという。

悲劇を引き起こしたのは「人」なのだが、あたかも「物語」が感染し、人を狂気に駆り立てているかのように見える。おどろおどろしい表紙と相まって、センセーショナルな書きっぷりに、すこし鼻白む。

著者曰く、物語は、人に影響を与え、人を動かす「天然のテコ」だという。人を楽しませ、共同体への一体感を持たせるプラスの面もある。その一方で、心に入り込み、情に訴え、ものの感じかたを変え、カッコウの托卵のように世界観を送り込む。物語の力とは、人の心を「なびかせる」力だというのである。

物語は人を「なびかせる」

この「なびかせる」影響力を軸に、物語の暗黒面に踏み込む。

リアリティ番組やネトフリのドラマに夢中になり、ゲームデザイナーが作ったナラティブの世界で何時間も過ごし、ショートストーリーを歌うポップソングに身をゆだね、インスタでセレブの語りを追いかける。物語に毒されてない時間のほうが少ない。

そうした物語の毒を用いて、巧妙に人々の意志に影響を与え、印象操作が行われてきた。代表的な例はハリウッドが引き起こした、アメリカ全体の左傾化だという。

ハリウッドにおいて左派が支配的となり、ストーリーテラーたちが物語の力を用いて、アメリカ国民の考え方に影響を与えたという。

ハリウッドにおける左派支配がアメリカを多様性と平等という健全な理想の下に結集したのか、楽しませながら文化を侵食し洗脳状態にしているのかは、見る側の政治的見解によるだろう。
(p.54)

アメリカが作り出す物語は、エンタメやファッション、ライフスタイルを通じて全世界へ感染する。ポップアートの征服による帝国化を果たした世界で最初の国だというのだ。著者は、左派の浸透が世界レベルになることを懸念する。

そんな物語のダークサイドから逃れ、現実を生きるためには、科学を始めとする実証主義が重要だと説く。物語に対抗する力は、科学へのコミットメントだというのだ。

物語の自家中毒

アメリカの左傾化がどこまで現実か、私には分からない。

検索すると沸騰しているのは分かるし、左右どちらからも「エビデンス」や「データ」が提示されているのも知ってる。

ただし、どちらのサイドの「データ」も、アンケートやヒアリング調査に留まっているため、鵜呑みにできない。声高に騒いでいるからといってマジョリティという訳でもないし、タイムラインに現れない「民意」もある。

しかし、本書そのものが、ストーリーテリングの技術を駆使し、読み手の感情に訴え、さまざまな「データ」や権威を引用しながら、なびかせようとしていることは分かる。「善と悪」「現実と虚構」「物語と科学」といった対立構造を掲げ、自説の正しさを主張する。

本書そのものが、分かりやすい物語に仕立ててあるのだ。

”narrative”や”story”で検索した論文を片っ端から調べ上げたのだろう。プラトン『国家』やイエス・キリストを引き合いに出し、フィクションの力を数え立てる。勧善懲悪の物語が快楽をもたらす研究を紹介する。ノースロップ・フライやカート・ヴォネガットといった有名どころの物語論から、自説に合う箇所をピックアップしつつ、コラージュのように組み上げている。

著者は、こうした物語の毒を集めているうちに自家中毒を起こしているのではないかと考える。フィルタリングされたSNSを現実と見誤るように、物語の毒のエコーチェンバーに染まってしまっているのではないか。

気に入らない風潮について警告したい気持ちは理解できるが、著者が心配になってくる。

最も重要な物語の力

もう一つ、気になるところがある。

著者は、物語の最も重要な役割である「現実を受け止め、理解すること」から目を背けている点だ。現実はあまりにも沢山の事が起きているため、そのままの形では理解すら覚束ない。だから人は事実をピックアップして、そこに因果を見出し、物語として理解しようと試みる。

例えば、ストーリーとプロットを分け隔てる、E.M.フォスター『小説の諸相』の解説がある。

「王が死んだ。その後、王妃が死んだ」がストーリー
「王が死んだ。悲しみのあまり王妃が死んだ」がプロット

時間軸に依存するのがストーリーで、因果律に依存するのがプロットという説明だ。しかし、「悲しみのあまり」という因果を示す言葉がなかったとしても、「王が死に、王妃が死んだ」だけであっても、王妃が死んだ理由を王の死に探してしまう。

この、出来事に因果をつける本性は、千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』で指摘されている。

嘘でもいいから説明がほしい

因果関係が明示されると、なぜ物語として滑らかな感じがするのでしょうか? それは、できごとは「わかる」気がするからです。

どうやら僕たちは、できごとの因果関係を「わかりたい」らしいのです。
(千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』p.53)

人は、因果を見つけることで現実を理解しようとする動物なのかもしれぬ。

とても辛い現実に苛まれ、逃れようのないとき、「前世の行いが悪かったから」とか「死んだらきっと楽になる」といった因果のバランスを取ろうとするのも、物語の役割である。

因果を見出し、現実を理解する物語の役割は、人に対してではなく、自分が自分に対して行使されるものでもある。

しかし、人を「なびかせる」ことに焦点を当てた本書は、この役割をほぼ無視している。言及はされるものの、その強力な効果から目を背けている。そのため、物語論を語るものとしては不十分な印象を抱く。

これにより、ラストで矛盾に陥る。物語の力への対抗手段として「科学」を掲げているものの、この科学こそが、因果関係を説明する物語であるからだ。

科学とは、現実の中で測定・検証できるものから因果律を見出し、理解しようとする営みだ。これは、物語そのものだといっていい。

物語といえばフィクションを想起するため、物語と科学を等価とすると、奇妙に思えるかもしれぬ。だが、科学の営みとは、現実をいかに上手く説明し、そこから実利を得るかによる。その語り手の中で、説得力のあるストーリーの栄枯盛衰が科学の歴史になるのだから。

言い換えるなら、位置づけとしては、「世界を理解する」という大きな物語の営みの中で、反証や再現できるとか、プラグマティックであるといった性質を受け持つのが科学になる。科学は物語に包含されるものであり、対抗する存在ではないのだ。

もし著者が、「現実を理解する」という物語の役割を理解しているのであれば、物語と科学を対抗させるような話には持っていかないだろう。

自分の語りたいように現実を歪め演出するのは、ストーリーテラーの芸だ。その意味で本書は、ストーリーテラーの真骨頂だとも言える。物語毒に感染するとどうなるか、それが本書になる。

 

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コメント

いつも楽しく拝読させて頂いております

リンク切れのご報告です

サイドバー「寄稿記事」にある次のリンクが 404 Not Found でした

5冊の本が、わたしを自己正当化から自由にしてくれた
https://ten-navi.com/dybe/3749/

なんだろ~ちょっと読みたかったな~『自分を小さな箱から脱出する方法』とかかなぁ~

当記事と無関係なのでこのコメントはご返信無用です
さくっと削除してください

投稿: | 2022.10.20 22:56

>>名無しさん@2022.10.20 22:56

ご指摘ありがとうございます。一時的なものなのかもしれませんが、リンクが切れていますね。

紹介している本は以下の通りです。予想いただいた通り、「箱」もあります。

①『怒らないこと』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書)
②『自分の小さな「箱」から脱出する方法』アービンジャー インスティチュート (大和書房)
③『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』ふろむだ(ダイヤモンド社)
④『問題解決大全』読書猿(フォレスト出版)
⑤『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー(ハヤカワ文庫)

投稿: Dain | 2022.10.21 10:49

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