« 一生ものの痛みとなる読後感『帰りたい/Home Fire』 | トップページ | 新訳で劇的に面白くなった名著『新版 歴史とは何か』(E.H.カー) »

再読すれば再読するほど夢中になるリチャード・パワーズ『黄金虫変奏曲』

毎夜、取り憑かれたかのようにのめり込む。

800ページ超の鈍器本なので、持ち歩くには向いてない。アメリカ文学の鬼才リチャード・パワーズの長編小説なので、面白さは折り紙付き。

2組のラブストーリーを軸に、進化生物学、音楽、文学、歴史、芸術論、情報科学が丹念に織り込まれており、知的好奇心と物語の引力に惹かれながら、読んでも読んでも終わらない幸せが何夜も続いた。

充実した十八夜を過ごし、惜しみ惜しみ最後のページに至った時、「これ、最初のページに繋がっている!」ことに気づく。ダ・カーポ(始めに戻る)やね。そして、もう一度はじめから読み返す。

(この物語の構造上、中身に触れずに紹介するのは難しい。ある程度ストーリーに踏み込んでゆくので、ご容赦願いたい)

2人の主人公

主人公はオデイ、ニューヨーク公共図書館に勤めている。利用者が寄せる様々な種類の質問に答える司書だ。

  • 地球上にはまだ測定されていない場所はありますか
  • 豊かな国に移住したいです。どこに行けばいいですか?政府はどんなタイプでもいいです。どのみち投票にはいかないので
  • 我々が他の星の生物と対話を交わす日がやってくる可能性はどのくらいあるのでしょうか

質問カードに書かれた文意を読み解き、どんな意図のもとに疑問を抱いているのかを推察し、場合によって複数の文献を参照しながら答える。1980年代のお話なので、コンピュータの助けを借りることもある。リファレンスと呼ばれるこの仕事は、一種の解読作業といっていい。そんな彼女に、いっぷう変わった「調べもの」を依頼する青年が現れる―――

もう一人の主人公はレスラー、新進気鋭の生物学者だ。時代は少しさかのぼり、1950年代、ちょうどワトソン&クリックの核酸の分子構造モデルが発表された頃のお話だ。

DNAが二重螺旋構造をしていることまでは明らかになった。また、核酸の4つの塩基構造が、生命のコピーや発現に関係することも分かった。だが、4つの塩基が、どうやってタンパク質の合成に関わっているのかは分からない。暗号解読の競争が熾烈を極めた時代でもある。

斬新な論文が認められ、やり手の教授に招かれ、研究チームに放り込まれる。細胞学、プログラミング、タンパク質学、生化学のプロフェッショナルが集まるチームで、ある女性と出会うことになる―――

1980年代の恋と、1950年代の恋。季節は夏から始まり、秋、冬、そして次の夏へと移ろうにつれ、2つのエピソードが交互に進んでゆく。オデイの恋と、レスラーの恋が、場所も時代も違うのに、並行して絡み合うように描かれてゆく。

思わせぶりな章構成と、タイトルそのもののダブルミーニングの予感は、読み進めるに従い、次第に明らかになってゆく。

『黄金虫変奏曲(The Gold Bug Variations、以後GBV)』は、バッハの変奏曲(Goldberg Variations)を想起させる。実際、レスラーの生涯をかけて聴き込むことになるレコードはこれだ。冒頭のARIA(アリア、歌曲)を様々な形に変奏した、計32曲で構成されている。

一方、『黄金虫変奏曲(GBV)』から想起される『黄金虫(The Gold Bug)』は、ポーが書いた小説になる。宝物を隠した海賊の暗号を解き明かす、ミステリ仕立ての短編だ。暗号は初歩的な換字式暗号(記号を別の文字に置き換える)だが、GBVの中でも度々登場する。

ゴルトベルク変奏曲との重ね合わせ

せっかくなので、ゴルトベルク変奏曲をyoutubeで検索する。

カナダの名ピアニスト、グレン・グールドのデビュー曲がヒットしたので、リピートしながら読んでゆく。グレン・グールドをBGM代わりにするなんて、贅沢な読書だなと思っていると、あることに気づく。

とあるメロディラインが、くり返し現れてくる曲がある。もちろん、変奏曲なのだから同じフレーズが幾度も登場するのは当然だ。だが、同じ曲の中でメロディが追いかけるように流れ出ている。

これをカノン(Kanon)と呼ぶ。同じ旋律をずらした時点で始めて、あたかも追いかけっこをするように奏でる手法だ(「かえるの合唱」が有名やね)。GBVにも「同度のカノン」や「二度のカノン」といったタイトルの節が登場する。

では、「同度のカノン」「二度のカノン」の違いは何だろう?と調べてみる。「度」は音楽用語で、音の離れぐあいを示す。例えば、ドとドを一度(同度)、ドとレを二度と呼ぶ。

バッハが凄いのは、度を一つずつ上げながらカノンを作り上げたこと。最初は「同度のカノン」の曲、次は「二度のカノン」、さらに三度、四度と曲ごとに度を上げている。単に度をずらすと、メロディーが成り立たない。だが、ゴルトベルク変奏曲では、度を上げても曲として成立させている。超絶技巧といっていい。

そこでハタと気づく。まてよ、GBVを読み進めると、「三度のカノン」「四度のカノン」というタイトルの節が登場する。ひょっとすると、GBVはゴルトベルク変奏曲と同期しているのでは……!?

冒頭の章に戻ると、確かに「ARIA」と書かれている。そして、ゴルトベルク変奏曲もARIAで始まる。さらにゴルトベルク変奏曲は32曲で構成されており、GBVも全部で32章になる。なるほど、タイトルだけでなく、構造もゴルトベルク変奏曲に合わせているわけだ。

それだけではない。

ゴルトベルク変奏曲でカノンが登場する曲は、3の倍数になる。例えば、3曲目、6曲目、9曲目に、それぞれ「同度のカノン」「二度のカノン」「三度のカノン」になる。それぞれの曲で、一度ずつ上がったカノンが奏でられる。

一方、GBVでは、3章、6章、9章のそれぞれに、「同度のカノン」「二度のカノン」「三度のカノン」の節が登場する。そして、3の倍数の章では、オデイの恋とレスラーの恋は、それぞれ進展する。出会い、初デート、愛を交わす恋の進行は、オデイの方が少し先行し、その後を追いかけるようにレスラーの恋が実ってゆく。

これはカノンそのものだ。互いに絡まり合うような物語構成は、螺旋構造を成している。随所に出てくる楽譜では、左手で演奏される和音(コード)が根幹とされ、主旋律がどんなにアレンジされていても、和音は変わらず引き継がれる。この物語そのものが、生命のコピーを生み出すDNAを模しているのかもしれない。

まだある。ゴルトベルク変奏曲の第25曲は、不協和音に満ちている。実際に聴いてみるとすぐ気が付くが、不安を掻き立てる耳障りな曲になっている。これに対応するGBVの第25章では、物語の中で大きな不幸が生じる。登場人物たちを苦悩させ、袋小路に追いやることが起こる。

わたしが見出せたのはこれくらいだが、他にも数多く隠されているに違いない。バッハの超絶技巧を、パワーズが小説で踏襲している。聴くことと読むことが同期して、わたしの中で重ね合わされてゆく読書になる。

黄金虫との重ね合わせ

GBVのストーリー自体にも、黄金虫やバッハが練り込まれている。たとえば、若き日のレスラーが取り組んでいるDNAの暗号解読だ。

DNAの情報は、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類の塩基配列で綴られている。一方、タンパク質を構成する情報は、20種類のアミノ酸配列になる。塩基は3つで1組なので、その組み合わせは4×4×4=64になる。つまり、64通りの組み合わせから、20種類のアミノ酸へ置き換える仕組みが必要になる。

レスラーの上司の方針では、DNAに並んでいる文字を元に、どんなメッセージが書かれているかを総当たりで試行錯誤で探すやり方だ。世界最初のコンピュータILLIACを用いて、力任せに解読するやり方だが、あまりに労力が大きい。レスラーは、この総当たり方式に疑問を覚える。

あるきっかけで『黄金虫』を読んだレスラーは、換字式暗号をそのままDNAの解読に当てはめようとしても、上手くいかないことに気づく。

『黄金虫』では、一番多く出てくる記号を、最もたくさん使われているアルファベット(e)と見なし、あとは出現頻度の順番に、置換していった(a,o,i,d…)。この方法が有効なのは、置換先のコードが何か分かっている場合だ。A、G、C、Tの出現頻度が多いものが何を示しているかが分からなければ、置き換えようがない。だが、彼の上司は、黄金虫病に取り憑かれているのだ。

暗号を解くのではなく、暗号を成立させている文法に習熟する。一本のDNAが何を言っているかではなく、「それをどのように言っているか」というアプローチがある―――レスラーはそこを強調する。

手中に収めなくてはならないのは、自らの公理を発語できる言語であり、それはそれ自身がたやすく型取るイディオムによって、4つの文字から成るLIFEという言葉の際限なく拡張可能な同義語を生成できる方法なのだ。
(p.99)

この着眼点は、情報自身に暗号を作らせるというアイデアに結びつく。

具体的には、細胞や組織を粉々に破壊して均一化した液体を用意して、そこへDNAの情報を伝達するRNAを解き放ち、タンパク質の生成をシミュレートする。試験管内の無細胞システムと呼ばれるこの手法は、実際のところ、マーシャル・ニーレンバーグによって確立されている。なお、ニーレンバーグはこの成果により、1968年にノーベル生理学賞を受賞している。

実在する人物の業績とレスラーを重ねると、この小説は一種のヒストリカルフィクション(Historical fiction 実際に過去に起きた出来事を元に構成したフィクション)と読むこともできる。

アナロジー(類推)で読み解く

レスラーにとってのゴルトベルク変奏曲との出会いは、恋人から贈られたレコードになる。

「カナダのピアニストが演奏したレコード」とあるので、1955年のグレン・グールドのデビュー演奏のことだろう(作中では名指しされないが、どう見てもグールド)。

なんと!いま私がyoutubeで流している曲が、レスラーが聴き込んでいるまさに同じ曲なのだ。奇妙なシンクロニシティに戸惑いながら、バッハの妙技がレスラーの思考に及ぼす影響を追いかける。

何度も聴いているうちに、音の奔流の中で起こっている聴覚的事象と、その事象を示す譜面の記号が嚙み合い始めて、両者がどんな仕組みで対応しているか分かるようになる。現象(音楽)とコード(譜面)が重なり合って聞こえ/見えるようになる。

次の引用は、1980年代のレスラーの言葉だ。1950年代の自分を振り返り、もう一人の主人公・オデイにこう述べる。3の倍数のカノンの楽章の説明だ。

何度も集中して聴いてきたおかげで、自分を密かに魅了していた何かが初めてかすかに聞こえ始めた。DNAのフィラメントが解けるみたいに旋律が分離して―――メロディラインの一部でありながら、同時にそこから離れて聞こえた。それが親旋律の一音違わぬ転写版だというのは、実に途方もない発見だったよ。そのささやかな断片は、それ自身が一瞬前に示した楽想の写しにぶつかるように奏でられていた。
(p.253)

音楽とは情緒豊かな瞬間の連続であり、言葉は邪魔者でしかないと考えていたオデイにとって、「音楽を形式として考える」レスラーの示唆は斬新だった。

そこからの数秘術には、オデイと一緒になって私も引き込まれる。

最初の曲、アリアの各小節の音は、32音になる。これは、主題(ベース)と呼ばれる(p.255)。左手で弾くほうだ。この主題は、次の変奏曲にも引き継がれ、変化していく。アリアのベースだけを表すと、これになる。

Goldbug

アリアを2つに区切ると、それぞれ16小節になる(図の上段、下段)。最初の16小節の終わりにダ・カーポ(くり返し)記号があるので、最初の16小節は2回奏でられる。次の16小節(下段)にもダ・カーポがあるので、これも2回、合計すると64小節になる。

凄いのは、このベースが全ての変奏に登場すること。レスラーほどに聴き込んでいない私は、スコアを目で追いながら確認するしかない。

だが、確かにその通りだ。集中して聴くと、分かってくる。アリアの冒頭で、伴奏のように聞こえる左手のフレーズ「ソ、ファ、ミ、レ」は、あらゆる変奏の中で響いていることが感じられる。楽譜と演奏が同期したこちらの動画だと、見えやすい。

噛んで含めるような説明で、レスラーがこの変奏をどのように聴いているのかが、明らかになる。変奏は一つ一つ順番に演奏されるのではなく、同時的に積み重なり、すべて一斉に響く多声コーラスになる。

アリアで奏でられ、それに続く64小節のバリエーションは、DNAの塩基構造の組み合わせのバリエーション(4×4×4=64)重なってくる(偶然だろうがそう見えてしまうのが、リチャード・パワーズのマジックと言える)。

バッハは自身の作曲の中に、神秘的な数字を埋め込むのを好んだという。レスラーは数秘術を解くつもりで、バッハの秘密を探り当てる。同時に、自分が探していたものが、バッハのアナロジーで読み解く可能性にも思い当たる。レスラーは、オデイにこう告白する。

「こう思ったんだな。『このバッハというやつ、なるほど偉い作曲家らしいぞ。ワトソンとクリックを二百年も先取りするなんて』とね。馬鹿だろう!最後まで聴き終わる頃には、私はすっかりいかれていた。その音楽の中にありとあらゆる途方もない類似を発見するのに、それほど時間はかからなかったよ」
(p.254)

和声は響いた後に消えてゆく。

だが、消えてしまう前に、そのコピーを作り出し、それをベースにして旋律が奏でられる。しかも、コピーといっても先ほどのとは似て微妙に異なる。「ソ、ファ、ミ、レ」のベースは同じでも、アレンジメントが入っている。

だからこそ聴き手は、新しい曲の中に懐かしさを覚え、改めて繰り返される和音の中に変化と成長を認める。何度聴いても新しく感じられるのは、そんな秘密が隠されているからなのかもしれぬ。

『黄金虫変奏曲』をもう一度読む

GBVのストーリーラインは、3つある。これだ。

  • 私(オデイ)が回想録を綴るパート(1985)
  • 私とトッド、そしてレスラーの3人の友情が描かれるパート(1983)
  • 若かりしレスラーの研究生活と、コスとの関係のパート(1957)

トッドはオデイの恋人、コスはレスラーの恋人になる、4人の物語だ。1983年のパートは、オデイの手記の形になっており、1957年のレスラーの記録は、誰が書いたのかは分からない(レスラーではない)。

どのストーリーラインも、夏から始まり、秋、冬、そして春に至る。並行する2つのラブストーリーを、巡る季節を永遠に封じ込めたといっていい。

4つの塩基の組み合わせと、4つの音の組み合わせ、暗号を解読するコードと、プログラミング言語のコード、音楽のコード(和音)、タンパク質の一次構造に対応する領域のコード、そして、ラテン語codexを語源とする、「法典」を意味するコード。全てのヒントは、冒頭の第1章のアリアに書かれている。なるほど!残りの30章は、アリアで書かれた4行詩の、様々なバリエーションなのだ。

そして、読みふける長い長い間、ずっと疑問に感じていた「1957年のレスラーのパートを書いたのは誰か?」という謎も解ける。レスラー自身ではなく、いわゆる神の目線でもない。

レスラーの記録と、オデイの手記が出会う時、一つの大きな物語が出来上がる。それが、いま私が読んでいる、『黄金虫変奏曲』になる。つまり、GBVを読み解くという行為そのものが、4つの季節、4つの音、4行の詩、4人の恋物語を解き明かすことになる。

物語の結末に至っても、隠されたものはまだある。いや、読み終えて分かったからこそ、次に読むべき箇所が見えてくる。バッハの調べや、ポーの暗号なんてまさにそうだ。実際、バッハとグールドをネットで調べ、『黄金虫』を読み直した後、本書をもう一度手に取った。

もう何度読んだことだろう。読むたびに新しい発見があり、別の謎が深まる。傑作は再読に耐えうるというが、これは再読でしか読めない稀有な小説だ。

リチャード・パワーズの小説はいくつか読んできた。『舞踏会へ向かう三人の農夫』で度肝を抜かれ、『囚人のジレンマ』で心震えまくり、『オーバーストーリー』で世界の見え方が一変したが、『黄金虫変奏曲』ではこれら全てを味わい、かつ凌駕ている。間違いなくベストワンなり。

この記事でどこまでその魅力が伝えられたか分からない。だが、これだけは自信を持って言える。噛むほどに面白く、スルメのように味わえる小説だ。

おまけ

8月にふくろうさん(@0wl_man)主催で、本作品の読書会に参加した。沢山の意見を聞いて、自分がいかに読めていなかったことに気づいた。ふくろうさん、参加された皆さん、ありがとうございました!

読書会で「年表を作りながら読む」アイデアを知ったので、やってみた。以下に公開する(完全にネタバレなのでご注意を)。

リチャード・パワーズ『黄金虫変奏曲』年表

エピグラフの暗号(?)みたいなメッセージについて。いろいろ試してみたけれど、ダメだった。これは献辞のイニシャルであり、最後の2つはバッハを指しているという説がある(Jay Labingerの”Connecting Literature and Science”のp.91で、パワーズがそう明かしたと述べている[Google Books]。また、J. T. Thomasも"Deciphering the code in Richard Powers's The Gold Bug Variations"で同様のことを述べている[Freelibrary.com])

JSB:Johann Sebastian Bach

SDG:Soli Deo gloria(Soli Deo gloria ; ラテン語、ただ神にのみ栄光)

これが正しいとするなら、EAP(Edgar Allan Poe ; エドガー・アラン・ポー)や、GHG(Glenn Herbert Gould ; グレン・ハルバート・グールド)などが無いことの説明がつかない。また、メッセージ全体に渡って、「A」が一つも存在しない。これだけの名前のイニシャルなのに、よく使われる「A」が無いのは、明らかにおかしい。なお、本文中で示唆されている、換字式暗号(黄金虫の出現頻度による置換と、塩基類とのAGCTのパターン)を試したがダメだった。

RLS CMW DJP RFP J?O CEP JJN PRG

ZTS MCJ JEH BLM CRR PLC JCM MEP

JNH JDM RBS J?H BJP PJP SCB TLC

KES REP RCP DTH I?H CRB JSB SDG

 

このエントリーをはてなブックマークに追加

|

« 一生ものの痛みとなる読後感『帰りたい/Home Fire』 | トップページ | 新訳で劇的に面白くなった名著『新版 歴史とは何か』(E.H.カー) »

コメント

文明と経済の衝突 村山節 浅井隆

投稿: | 2022.09.21 16:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 一生ものの痛みとなる読後感『帰りたい/Home Fire』 | トップページ | 新訳で劇的に面白くなった名著『新版 歴史とは何か』(E.H.カー) »