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新訳で劇的に面白くなった名著『新版 歴史とは何か』(E.H.カー)

・歴史とは現在と過去との終わりのない対話である
・世界史とは各国史をすべて束ねたものとは別物だ
・すべての歴史は「現代史」である

名言だらけのE.H.カーの名著。

昔は「教養を身につけるため」と有難がっていた。今でも教養課程の必読書とされているかもしれない。文系理系関係なく読むべき名著といえば、『理科系の作文技術』とこれだろう。

ところが、新訳を読むと、がらりとイメージが変わった。「教養を身につける」という体裁よりも、むしろ、ユーモア満載、毒舌たっぷり、ハラを抱えて大笑いできる一流の講義になる。

論敵をあてこすり、酷評し、嘲笑する。死者を皮肉り、(歴史学も含めた)人文学を軒並み張ッ倒し、強敵は名指しで祭り上げ、しかる後にメッタ斬り。

母親の膝のうえで学んだ子どもっぽいナイーヴな学説だとか、成績が「可」ばかりの学生みたいな史観だとか、めずらしく階級的感覚の低い発言だとか、嫌味と毒舌のオンパレード。ページをめくるたび、黒い笑いの発作にまみれる。

なぜ新訳が面白いのか

60年前の岩波新書と比べると、新訳では5割くらい毒が増してる。なぜか?

それは、[笑] が追加されたから。

[笑] とは、「ここ笑いどころだよ」と明らかに笑いを誘うところを示す目印だ。文末に追加されている。テキストメディアだと草生える「w」だね。

「w」だと品が無いから [笑] になったんだろうけど、これが毎ページ毎ページ出てくる。何でもない一文なんだけれど、 [笑] が追加されることで、裏の意味を考えるようになり、皮肉が見えてくる。

イギリス流の嫌味で分かりやすいやつだとこれかな。カッコ()内は裏の意味。

  • Happy as a pig in muck/泥の中の豚みたいだね(幸せそうで何より)
  • Were you born in a barn?/お前、納屋で生まれたの?(寒いからドアを閉めろ)

京の茶漬けとか時計誉めみたいなものだろうが、一見さんでは分からない。

新版を訳したのは近藤和彦氏、イギリス史が専門だ。東大→ケンブリッジで学び、オックスフォードとケンブリッジを歴任した、ゴリゴリの歴史学者である。イギリス流の嫌味もたくさん浴びてきただろうから、カーの毒も見えるのだろう。

そんなことに気づかず、「教養を身につける」と有難がっていた私自身が可笑しい。まさに教養が足りていなかったが故に、皮肉を皮肉と気づかずスルーしてしまっていたのだ。ウケるwww

ここは、顔真っ赤にして怒る(嗤う?)ところなのかもしれない。

歴史とは何「でない」か

タイトルの「歴史とは何か」という問いに対し、計6回の講義でそれに応える。

ああでもない、こうでもないと議論を重ねながら、バッサバッサと論敵をなぎ倒してゆく。寄り道、脱線、例え話が長引くにつれ、「歴史とは何か」というよりも「歴史とは何でないか」を語られているような気がしてくる。

歴史とは何かについて答えようとすると、二つの極が現れる。

一つの極は、過去の出来事を取捨選択し、そこから一般化できるものを抽出する。未来も含め、どの時代にも適用できる、普遍的・客観的な法則のようなものを打ち立てる方針だ。「歴史法則」という言葉が如実に示している。

もう一つの極は、この反対だ。どの出来事を取捨選択し、何に焦点を当てて判断するかは、時代背景や歴史家の立場によって異なる。従って歴史とは、相対的な解釈を並べたものになる。あらゆる価値判断は相対的であるという立場やね。

カーが面白いのは、そのどちらにも与しないところ。与しないどころか、両方ともこっぴどく批判する。

まず、歴史の普遍性・客観性を抽出する立場を攻撃する。歴史家は人間であるが故に、自身が生きる時代や価値判断から離れ、自由になることはありえない。従って、自然科学のような、観察者と対象を分けて分析し、「歴史法則」を見出すような手法は不可能だと説く。

次に、もう一方の相対主義も却下する。さまざまな解釈を認め、客観的なものなど無いとする立場は、「見る角度を変えると山の形が変わるから、山なんて存在しない」と主張するのと同じで、危ういと説く。

歴史における客観性と相対性、どちらも重要だと思うのだが、どちらもボコボコにされる。[笑] の毒気に当てられて、爆笑しながら読んでいるうちに、ちょっと心配になってくる。

調子に乗って攻撃するあまり、カー自身の立場を掘り崩しているのではないか、と思えてくる。

なぜなら、カーの答えの否定にもなりかねないからである。

歴史とはモデルを作ること

カーの答えを端的に言うと、「歴史とはモデルを作ること」になる。

歴史家の世界とは、科学者の世界と似ていて、現実世界の写真コピーではなく、むしろ現実世界を理解し制御(マスター)するのが多少とも効果的になるようにした作業用の模型(モデル)なのです。
(p.172)

過去の出来事を選び取り、つなぎ合わせ、合理的な解釈を導くことができるモデルを作り上げる。モデルからは行動の指針として役立ちそうな結論を引き出す―――これが歴史家の仕事だという。

モデルとは、仮説とも言える。過去の出来事を一般化し、理解を深めるための思考のツールなのだ。仮説の有効性はずばり「解釈に有効か否か」による。

例えば、中世や近世といった時代区分があるが、そんな事実は無く、便宜上の仮説に過ぎない。だが、時代を解釈する上で有用であれば、時代区分というモデルを使うべきだろう。「ヨーロッパ史」という地域史の概念は、有用なときもあれば有害な場合もあるという。

要するに、解釈によりモデルは変わるわけだ。

カーは自説を補強するため、ポアンカレ『科学と仮説』を援用する。珍しいことにカーに攻撃されなかった論文だ。

ポアンカレの主張の要は、科学者が表明する一般的命題とは、考えを具体化したり整えたりするための仮説なのであって、検証、修正、反駁される定めであるというものでした。これはすべて、今では常識となっています。
(p.193)

現実世界を観察し、出来事を一般化し、パターンを抽出する。パターンをモデル化することで、より合理的な解釈を導くという。そして、自然科学における仮説と検証は、歴史学における一般化と事実とよく似ていると胸を張る。

「客観的な歴史」は存在するか?

なるほど……と思うのだが、ツッコミを入れたくなる。

たった今述べた「歴史とはモデルを作ること」は、先ほど攻撃した、歴史の客観性を追求する立場ではなかろうか。歴史家は、自身の価値判断から離れた「客観的な」立場にはなりえないため、作られるモデルとやらもバイアスが入っているのではかろうか。

……なんて意地悪なことを考えたくなる。

「客観的な歴史」は、カー自身も悩みどころとなっている。第5講「進歩としての歴史」の中で、歴史の客観性について述べようと試みるが、たいへん苦しそうだ。

歴史家は自分のバイアスを認識せよとか、時を経るごとに歴史学は進歩して客観的になってゆくとか言っているけれど、それって「歴史とは相対的なもの」だからでしょうに。

「過去を合理的に解釈するためのモデル」は、一つではない。

国や文化、宗教、言語、社会など、さまざまな切り口で、解釈のモデルは変わってゆく。論敵の数だけ仮説があることは、カー自身が痛感していただろう。

それにもかかわらず、「より客観的になる」ことはあり得るのだろうか。ジェンダー・セクシュアリティの歴史や、ポストコロニアルの歴史など、新しいモデルが増えていくのではないだろうか。

まだある。本書では一切触れられていない、「歴史を扱う人」の観点だ。『歴史とは何か』では、歴史は歴史家のみが扱うもので、その歴史に生きる人々―――要するに私たち―――の視点がゴッソリと抜けている。

歴史家が作り上げたモデルの整合性や、解釈の妥当性を検証したり、もっと他に「客観的な」仮説があるかを話し合うといった歴史実践が、全く書かれていない。あたかも、歴史とは歴史家が書いたものが全てであり、素人は恭しく受け取っていればよろしいと言われているみたいだ。

異なる国や社会の人たちや、一般市民を巻き込んで歴史を語ろうとするならば、膨大な数の「過去を合理的に解釈するためのモデル」が出てくるだろう。結果、歴史家のモデルは埋もれてしまうだろう。カーが怖れた「見る角度を変えると山形が変わるから、山なんて存在しない」になるかもしれない。

『歴史とは何か 第2版』の草稿

同じ問題意識は、カーも抱いていたようだ。

というのも、このテーマは幻の「第2版」で深掘りされているからだ。

『歴史とは何か』の反響は良い方にも悪い方にも大きく、論敵の反撃がすさまじかったらしい。カーは、さらなる応酬をするべく準備を進めていたものの、序文だけを記し、世を去っている。

残されたのが、相当数の書籍メモ、原稿の下書き、引用になる。イギリスの歴史家R.W.ディヴィスが、これら膨大な資料を元に「第2版のための草稿」としてまとめている。これは感涙モノ。草稿にはタイトルがつけられていて、いくつかピックアップしてみるとこうなる。

  • 因果連関、決定論、進歩
  • 文学と芸術
  • 革命と暴力の理論
  • 歴史の混乱状態
  • 統計学の攻撃
  • 心理学の攻撃

これ、絶対に面白いやつ!特にカー自身のメモによると「最終章は『ユートピア 歴史の意味』」だそうだ。旧版に親しんだ方なら、「第2版のための草稿」を最初に読むことで、カーの思考の変遷を辿るのも楽しいかも。



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