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料理観を揺さぶり、変化させる『料理の意味とその手立て』

自炊歴も30年になると、料理も適当になってくる。

テキトーという意味ではなく、あり合わせのものでなんかするイメージ。レシピ通りに作らないし、調味料も目分量になる。代わりに、食費と洗い物の最小化を目指したり、極限までサボったり、変わった料理に挑戦したりする。

自分の中で、「料理とはこんなもの」という料理観みたいなものが出来上がっている。そのため、普通のレシピは、レパートリーを増やすためにチラ見する程度になる。

一方で、私の料理観を揺さぶり、変化させるような本もある。何気なくやってた一手間が、実は深い意味を持っていたり、伝統&科学に裏打ちされた本質が見えてきたりする。

ウー・ウェン著『料理の意味とその手立て』が、まさにそんな一冊だ。

中国家庭料理を紹介しているのだが、いわゆるレシピ集というよりも、料理についての考え方をまとめたエッセイと言ったほうがしっくりくる。料理する人には見慣れたことかもしれないが、これらは、本質的なことだと思う。

  • 大事なのは、塩の味を表に出さないで、素材の味を表に引き出すこと
  • 炒めものとは、加熱したボウルで素材を和えること
  • どう食べたいのか考えながら切る
  • 混ぜない。まんべんなく味つける必要はない

料理の本質=塩する

塩についてはかなりの分量を割いている。

これは、かなり信頼できる。世界各国の料理を食べ歩き、料理の本質を追求した『料理の四面体』に、「料理の原則=素材に塩したもの」とあった。

世の中の大半のレシピには、「最後に味をととのえる」ために塩を入れろとある。それはそれで大切なのだが、むしろ準備段階での、「素材の味を引き出すための塩」が大事だと説く。

味噌を使えば味噌味、醤油を使えば醬油味になる。けれども、「塩味」と感じさせない程度の塩しか使わない。そのため、ウー・ウェンさんのレシピでは、塩が極端に少ない。ほんの少量を上手に使って、肉や野菜の味そのものをはっきりさせる。

料理を始める前に塩しておく。肉や野菜が「汗をかいている」と表現されるのがこれだ。下味としての塩ですらない。この加減は目分量では無理なので、分量と時間をきちんと量って(計って)上手くなりたい。

切り方ひとつで「おいしさ」が変わる

「どういう風に食べたいか考えながら切る」という指摘が鋭い。

切り方ひとつで味がガラリと変わるのは、『おいしく食べる 食材の手帖』にあった。肉であれ野菜であれ、繊維に沿って切るか、繊維を断つように切るかの違いだ。

繊維を断つということは、素材が保持している水分が出やすく、少ない調味料でしっかり味付けできる。さらに、火が通りやすくなり、柔らかくなる。逆に、繊維に沿うように切れば、無駄な水分が出ないため、歯ごたえが出てくる。

これ、チンジャオロースを作るときに気をつけている。ピーマンやパプリカは、繊維に沿って切り、牛肉は繊維を断つようにしている。野菜モノはさっと火を通して歯ごたえを楽しむ一方、肉に下味をしっかりつけて、口当たりよくするには、繊維を断つ方が良いから。

いつも同じ切り方しかしてこなかったが、今後は、その食材をどういう風に食べたいかによって、切り方を意識するようにしよう。

混ぜない、いじらない

本書で心がけるようになったのは、「火入れのとき、触るのは最低限」だ。

焼いたり炒めるとき、菜箸を使って混ぜたり、フライパンをあおりたくなる。これをガマンしろという。味がまんべんなく行き渡る必要はないというのだ。

一つの料理で、味が濃かったり薄かったり、リズムがあるほうが美味しい。もちろん、生焼けの肉があるのはダメだが、火が通っていれば、多少ムラがあったりコゲ目が強かろうと、かまわない。「均一」を目指さなくてもいい。

嗅覚同様、味覚もすぐに慣れる(鈍感になる)。だから味が均一になるほど、飽きやすくなる。それなら、少しムラがあるほうが味に変化が出るという発想だ。

パスタソースの乳化は例外として、この考え方を取り入れている。基本、放り込んだら放置気味にして、最後にぐるりと回すくらいにしている。

味をつける必要があるものは、フライパンに入れる前に下味を付けている。だから、火を入れる時には味のことを心配しなくてもいい。

料理の意味=身体を養うこと

料理の意味は「身体を養う」ことだという。

身体によいものを食べることで健康を目指す医食同源の考え方だ。一回の食事でパーフェクトに栄養を取らなくてもいいし、一日や数日のサイクルで、だいたいバランスが取れていればいい。

その考えは、陰陽五行に裏打ちされている。

古代中国の五行思想で、万物は5種の元素から成立し、互いに影響を与え合い、循環するという思想だ。日曜と月曜を除いた五つの曜日(火水木金土)や、五臓六腑の五臓など、日本でも馴染みのある考え方だ。

これをレシピに適用し、五味を目指せという。すなわち、苦、鹹(塩辛い)、酸、辛、甘の五つだ。献立を考える時、どの料理がどの味を中心にするのかを考え、その味が重ならないようにすれば、自ずとバランスが取れ、食卓が茶色にならない(←これ重要)という。

我が家の場合、「酸」が足りない。もう少し黒酢を取り入れてみよう。本書の酢鶏のレシピが参考になりそうだ。

■材料

  鶏もも肉 1枚

■下味

  こしょう 少々
  酒 大さじ1
  しょうゆ 大さじ1
  片栗粉 大さじ1

■合わせ調味料 (ミツカンのカンタン黒酢で代用できそう)

  黒酢 大さじ1
  しょうゆ 大さじ1
  はちみつ 大さじ1
  しょうがすりおろし 大さじ
  こしょう 少々

■その他

 揚げ油 カップ1
 パセリ 適量

~作り方~

 1 鶏肉を一口大に切り、下味をつけて20分程度おく
 2 肉に片栗粉をまぶし、180度の油で揚げて、油をきる
 3 炒め鍋に合わせ調味料を入れて煮立たせ、2を入れて絡める
 4 刻んだパセリをたっぷりかける

 

人生で食べる数は決まっている。
より料理で、よい人生を。

 

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