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悪用厳禁:論理戦に勝つ技術『レトリックと詭弁』

巧妙な詭弁は、それが詭弁だと分からないことが多い。

例えば夏目漱石『坊ちゃん』のここ。教頭の赤シャツが、坊ちゃんをやり込めるところだ。さらりと読むと、詭弁だと分からない。

赤シャツ「じゃ、下宿の婆さんがそう云ったのですね」

坊ちゃん「まあそうです」

赤シャツ「それは失礼ながら少し違うでしょう。あなたのおっしゃる通りだと、下宿屋の婆さんの云う事は信ずるが、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、そういう意味に解釈して差支えないでしょうか

赤シャツから「給料を上げてやる」と言われたものの、坊ちゃんが断りに行くシーンだ。

ふつうに考えたら、給料が上がるのは嬉しいことなのだが、坊ちゃんは納得しない。というのも、赤シャツの提案にはウラがあることを、下宿屋の婆さんに聞かされたからである。

赤シャツは教頭なので人事権がある。人の恋路に横恋慕して、邪魔者を転勤させた結果、巡り巡って坊ちゃんの給料が上がるというウラ事情である。

聞かされた坊ちゃんはカッとなって直談判に行くのだが、良いように手玉に取られる。このやり取りにおいて、赤シャツの質問が巧妙である。

赤シャツの欺術

まず赤シャツは、その話を誰から聞いたのか尋ねるのだが、その尋ね方が上手い。答える側が、Yes/Noでしか答えられないように誘導している。そして、坊ちゃんの言質(下宿屋の婆さんがそう言ってた)を取ってから、太字のトドメを刺しに来る。

 ①下宿屋の婆さんの言うこと→信じる

 ②教頭の言うこと→信じない

噂好きの婆さんと、社会的立場のある教頭先生とを比較するなら、後者に軍配を上げる他ない。坊ちゃんは「ぐぬぬ」となってしまう。

だが、冷静になって考えてみると②が変だ。「信じる」「信じない」で対になっているので気づきにくいが、「下宿屋の婆さん」と「教頭」とを比較しているのはおかしい。

焦点となっているのは、赤シャツの横恋慕である。赤シャツは教頭かもしれないが、ウラ事情の当事者そのものである。利害関係のある当事者が主張することと、第三者の言うことを比較するなら、どちらを信じるのかは問うまでもないだろう。むしろ、教頭という立場を利用する卑劣漢といっていい。

まだある。赤シャツが巧妙なのは、この太字部分を、質問形式、しかもYes/Noで答えるように仕向けている点だ。

あなたのおっしゃる通りだと、下宿屋の婆さんの云う事は信ずるが、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、どうだろう?

もし、上記のようにYes/Noで答えないオープンな質問の形にしていたならば、まだ坊ちゃんも何か言えるだろう。下宿屋の婆さんを信じる理由を考えるだろうし、ひょっとすると、「教頭は関係ない、オマエ(赤シャツ)の話だ」と気づくかもしれない。

だが、Yes/No形式のクローズドな質問のため、どちらに答えても窮することになる。

Yesと答えると、教頭という立場ある人より、噂好きの婆さんを信じることになる。一方Noと答えると、前言を撤回することを認めることになる。額面通りに受け止めると負けだ。坊ちゃんは苦し紛れに「あなたの云う事は本当かも知れないですが――とにかく増給はご免蒙ります」と逃げる。

もし、誠実に話を進めるつもりであれば、「増給を断る」という主張に対し、賛成か反対かを述べ、その理由を説明する。だが赤シャツは、よく知らないフリをして、坊ちゃんに質問を投げかけ、話の焦点を誘導していき、がんじがらめにしてしまう。

いけ好かないが、上手いと言うほかはない。質問を用いて焦点を誘導し、人を欺く技術は、「質問の欺術」と言えるだろう。

悪用厳禁『レトリックと詭弁』

このような欺術は、いたるところにある。

誠実ではないし、正当ですらない。うっかりすると、騙されたことにも気づかずに、納得して引き下がってしまう。あるいは、「私が悪いのかも」と自分を責めてしまう。積み重なると、心が折れる。

香西秀信『レトリックと詭弁』は、こうした欺術の手口を紹介している。

表向きは質問の形式だが、論点すり替え、二者択一、沈黙を強いる問いだったりしたことはないだろうか。こちらに非がないにも関わらず、罠にハマって答えられなかったりしたことはないだろうか。

古今東西の様々な文献から、そうしたテクニックを紹介する。赤シャツの欺術、村上春樹の啖呵、兼好法師の嘘、ナポレオンの恫喝など、読んで面白く、騙すのに使える詭弁術である。

もちろん悪用は厳禁だ。上手に使えば議論を誘導し、思った所に着地させることができる。誠実でも正当でもないが、できてしまう。

だが、できるからといって、やっていいことにはならない。

本書は、いわゆる詐欺の技術のようなものだ。どんな風にカモを引っ掛け、どのようにカネを騙し取るかのノウハウである。もちろん詐欺はしないけれど、あらかじめ詐欺師の手口を知っておけば、カモになるのを避けることができる。

同様に、あらかじめ質問の欺術を知っておくことで、騙されるのを予防できる。たとえ罠にハマっても、「私が悪いのかも」とマイナスループに陥らず、心を守ることができる(著者は「護心術」と呼んでいる)。

質問の欺術の破り方

「質問をする」というのは非常に強力だ。なぜなら、質問をするとは、答えを求めることだからだ。

「なにを当たり前な……」と思った方は、ちょっと胸に手を当ててみて欲しい。次々と投げかけられる質問に答えているうちに、答えに窮したり、自分が責められていると感じたことはないだろうか。

思い出したくもないだろうが、それはYes/Noで答えを迫るクローズドな質問か、あるいは二者択一のような形式だったのではないだろうか。例えば、ミスをしたあなたに対し、上司が𠮟責する常套句がこれ。

  • おまえは会社に損害を与えたいのか!?
  • 自分で弁償するか、辞めるかだ、どっちだ?

前者の質問には、当然「与えたくないです」と答えるだろう。すると上司は、「じゃぁなんだってこんなミスをしたんだ?」と詰め寄る。後者の二択には、答えようがないだろう。

欺術を操る連中は、何かを知りたくて「質問」なんてしない。答えなんて分かりきっている。

しかし、「質問をする」ということは、「相手に答えさせる」という位置に立つことになる。自分が進めたい方向に焦点を絞り、自分に不利なことから目を背けさせることができる。あるいは、自分の主張を選択肢に紛れ込ませることができる。

つまり、「質問をする」ことは、表面上は何かを知りたい体裁を保ちつつ、話の主導権を握ることができるのだ。

いったん握られた主導権を、どうやって取り返すか?

本書では、「答える」(answer)ではなく「言い返す」(retort)方法を薦めている。Yes/Noで答えを迫る質問に対し、その問いそのものの妥当性を問題としたり、「Yes/Noを問う行為そのもの」の是非に焦点を当てるやり方だ。

  • 「損害を与えたい」なんて動機は一切ありません。今は動機ではなく、私の責任のお話をされたいのではないでしょうか?
  • 弁償かクビかの二つだけでなく、私の職務に応じて、責任の取り方はあると思いますが、間違っているでしょうか?

火に油かもしれないが、ミスを責めて激詰めしたい上司の思うツボには入らない。あくまで、ミスの影響と、それに伴う自分の責任について焦点を当てるように返すのだ。

冒頭の、赤シャツ v.s. 坊ちゃんであれば、こう返せば retort になっていただろう。

坊ちゃん「『あなたのおっしゃる通りだと』と言ってましたが、私はそんなことを言っていません。マドンナに横恋慕したあなた自身が、教頭という立場を利用しようとしているのに、僕が巻き込まれるのがイヤなんです」

ここでは質問の前提に疑いを投げかけ、Yes/Noの妥当性を解消させる言い返しとなっている(坊ちゃんらしくないけれどね)。

「多間の虚偽」のかわし方

Yes/Noで答えようとすると、どう答えても罠にハマるのが、「多問の虚偽」である。小難しい名前だが、例を挙げるほうが分かりやすい。

「君は、もう奥さんを殴ってはいないのか?」

この質問はYes/Noでの答えを求めている形式となっている。だが、どちらで答えても罠にハマることになる。Yesで答えると、「もう殴っていない」=「昔は殴っていた」ということになるし、Noと答えると、「今でも殴っている」ことを認めることになる。

これは分かりやすく示した古典的な例なので、かわし方も簡単だ。「失礼な!昔も今も殴ってなんかいない」「そんなことは一切していないのだが、そもそもなぜそんな質問をするのかね」。

だが、実際の現場では、もっと巧妙に紛れ込んでいる。

「あの嘘吐き政治家の言ってることを、本当に信じるの?」

信じるかどうかを問うているこの質問には、2つの誘導が紛れ込んでいる。

一つ目の誘導は、Yesと答えても、Noと答えても、「嘘吐き政治家」である前提があることを認めることになる。つまり、「嘘吐き政治家なんだけど、信じる」か、または「嘘吐き政治家だから、信じない」の回答になる。どちらに転んでも、その政治家が嘘吐きであることを認めてしまうことになる。

いや、そうではない。その政治家は嘘吐きなんかじゃない。だから信じる、という回答ができるじゃないか!そう思う方もいるかもしれない。だが、それは術中にハマりかけている。これが二つ目の誘導だ。

二つ目の誘導は、「その政治家は嘘吐きじゃないから、信じる」という回答に対し、質問者は、こう返すだろう「なんでそんなことが言えるの?」。

するとあなたは、その政治家が嘘吐きじゃない理由を述べることになる。それぞれの理由に対し、反論する材料はあるだろうし、いつどんなタイミングで反論するかは質問者の自由だ。

ケチをつけ、揚げ足を取るのも自由である。あなたがよっぽど強固な理論武装をしていない限り、分が悪いだろう。

立証責任を買い取らせる

ではどうすれば良いのか?

ここまで読んできたあなたなら、「質問してきたのは、答えを求めているからだ」と無邪気に考えないだろう。質問の中に、話の焦点となる前提(嘘吐き政治家)を紛れ込ませたいからだ、と考えよう。

すると、簡単にYes/Noで答えてはいけない、と思いつくに違いない。そして、問いそのものの妥当性を吟味すると、こう返せるはずだ。

「信じる・信じないの前に、『嘘吐きの政治家』って言ったけれど、どうしてそう言えるの?」

すると質問者は、その政治家が嘘吐きである理由を述べることになる。それぞれの理由に対し、反論する材料はあるだろうし、いつどんなタイミングで反論するかは、あなたの自由だ。

さっきの流れと真逆になる。

その政治家を嘘吐きだと評価し、それを問いの前提にしたのは相手だ。だから、相手にこそ、説明する義務(立証責任)がある。従って正しい retort は、立証責任を相手に求めることになる。

何かを主張した場合、その主張した側に、その主張の根拠を論証する責任が課せられる。一方、その主張が間違っていることをこちらが論証する義務はない。あたりまえっちゃあたりまえなのだが、これに引っ掛る人が多い。

これは、あまりに簡単に反論できるため、勢い込んで、相手に負わせるべき立証責任を買って出てしまうからだという。

 ・〇〇党を支持するなんてアタマ大丈夫?

 ・まだ東京で消耗してるの?

これらは典型的で、質問形式の煽りでもあるため、反射的に反応してしまいがちだ。だが、前提に紛れ込んでいる「〇〇党を支持しない理由」「東京で消耗する理由」について、質問者自身に論証してもらう必要がある。

質問に紛れ込んでいる立証責任は、相手に買い取らせよう。

質問の形にして責任転嫁する欺術

これは悪用もできる。質問の欺術として紹介するが、悪用しないように。

上田秋成『雨月物語』に登場する、西行 v.s. 崇徳上皇(亡霊)が激しい。保元の乱を引き起こし、死してなお恨み骨髄の崇徳上皇(亡霊)に対し、西行はこう問いかける。

「そも、保元の謀反は天の神の教えたまふ理に違はじとておぼし立たせ給ふか。また、自らの人欲により計策り給ふか。詳に告らせ給へ」

西行は「保元の乱を起こしたのは、天の神の道理に適っていると言えるのか。あるいは、私欲私怨のためにやったのか」と質問する。この二択の中には、立証責任と西行の意志が隠されている。

もし亡霊が「天の道理に適っている」と答えるならば、その理由を説明する必要が出てくる。そして、私欲私怨で戦乱を引き起こすなどと答えるわけはない。だが亡霊は、西行の意思を見抜いて激昂することになる。

乱の原因は、崇徳上皇の私欲私怨だ―――そう西行は考えていたが、「オマエの私欲私怨のせいだ」とは直接言わず、選択肢の一つとして提示した。

だが、選択肢の一つとして挙げるということは、可能性として考えられることを示唆している。相手の建前を示す一つの主張(天の道理)と、本音を暴露するような選択肢(私欲私怨)を並べて、両者の開きがあまりに大きかったため、質問されたほうは侮辱を感じる。怒るのも当然だろう。

もし西行が、「オマエの私欲私怨のせいだ」と主張したなら、その理由を説明しなければならなくなる(立証責任やね)。

相手の思惑を勘ぐり、選択肢に紛れ込ませることで暴露するテクニックは、非常に有効だ。問いの形で説明責任を転嫁することができるからだ。

それで仮に相手が怒ったならば、「私は質問しただけであって、そうだとは言っていない」と逃げ切れるし、「あなたがそんなに怒るのは、自分本心を暴露されたからじゃないですか」と反撃もできる。

極論を並べておき、食ってかかってくる人に、「そんなに怒るのは、心当たりがあるからじゃないですか」と涼しい顔で刺しに来る―――よく見かけるバトルだが、本書によると、アリストテレス『弁論術』まで遡ることができる。

『レトリックと詭弁』には、非常に巧妙な「ああ言えばこう言う」欺術が紹介されている。

くれぐれも、悪用しないように。

くれぐれも、悪用しないように。




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