プロが教える「伝わる動画」の技法『動画の文法』
問題:以下の3つのカットを並べ替えて、次の文章を動画にしなさい。
「太郎くんは、花子さんを、愛している」
解答:最初が太郎くん、次がハート、最後が花子さん。
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最初に出てくるカットに映っている存在が、動作の主(主語)になる。そして、その次のカットが動作そのものになる。そして、その動作の対象(目的語)になる。
止め絵なので脳内で再生してみてほしい。
すると、確かに太郎くんが目に入って、次にハートがドキドキしていたら、太郎くんの心象だと感じるだろう。そして、次に映ったものが、ドキドキの対象だと想像がつくはずだ。
問題2:上のカットを並べ替えて、次の文章を動画にしなさい。
「太郎くんと、花子は、愛し合っている」
解答はこの記事の末尾に載せておくが、テレビを見て育ち、日常的に動画を見ている皆さんにとっては楽勝だろう。それくらい、動画を見ることは、ごく当たり前のことになっている。
動画には文法がある
動画は、言葉と同じコミュニケーションツールなのだから、言葉と同じようにルールがある。
動いている絵をバラバラにならべても、伝わらない(※)。視聴者に伝えたい意図があり、それを限られた時間内で、正確&効果的に伝達する。そのための「文法」のようなルールが、動画にもあるというのだ。
言葉を例にするなら、問題文の「太郎は花子を、愛している」、これは入れ替えが可能だ。主語や目的語を、助詞(てにをは)で示せるから。一方で英語の場合、順番は入れ替えができない。単語を入れ替えると、意味が変わってしまう。
・太郎は花子を、愛している
・花子を、太郎は愛している
・太郎は愛している、花子のことを
・Taro Loves Hanako.
動画は英語に似ており、順番が決まっている。ここではSVOで示されているが、他にも、「最初にアップで出てくるのは主役である」とか、「俯瞰で始まって、俯瞰で終わる」という、視聴者と作成者との間に、暗黙のお約束というのがある。
『動画の文法』は、そうしたお約束を言語化したものだ。
NHKのディレクターで長年培ってきた経験を、動画の普遍的なルールとしてまとめている。
基本的な動画の原理から、コラージュ編集、モンタージュ編集、ストーリーを成立させるための条件、カット順序の必然性、イマジナリーラインのルール、ジャンプカット、同ポジ、省略法、倒置法、音声編集、カラーグレーディング等……500ページ超の大ボリュームに、これでもかと詰め込んでいる。
もちろん、ルールを破ることもある。原則があるということは、例外もあるから。TVコマーシャルや映画の予告、番宣などで、約束事を守らない映像を見たことがあるだろう。
だが、それは「破ってもいい条件」を満たしたときだけに成立するテクニックになる。それを無視すると、「通じない動画」になる。文字通り、何を言いたいのか、さっぱり分からない動画だ。
もちろん、本書では、どういう動画が面白くないかについても、徹底的に教えてくれる。
動画が「おもしろい」とはどういうことか
「面白くない動画」は、何を伝えたいのか分かりにくく、余計なものが入っていてゴチャゴチャしている。見ててイライラしてくるので、スキップしたり倍速にして、「結論」を探そうとする。
しかし、たいていは最後まで見たとしても、何が言いたいのか分からない場合が多い。「いかがでしたか? ご視聴ありがとうございました」で締められてイライラMAXとなる。
一方で、「おもしろい」動画もある。いわゆる拡散される面白動画のことではない。あるテーマに沿って解説したり実況してみせる動画だ。伝えたいことが分かりやすく入ってくるし、ストレスなく見ることができる。
もちろん、ネタが優れているとか、解説の仕方が上手いという理由で、「おもしろい動画」になっているのもある。だが、同じ素材であったとしても、面白いのもあるし、つまらないのもある。
その違いは何か?
決定的な要素として、「編集による表現(モンタージュの効果)」だという。個々のカットを巧みに組み合わせることで、特定の感情を伝えたり、名演技をしたかのように視聴者に思い込ませることができる(クレショフ効果と呼ばれる)。
例えば、飯テロの「空腹感」や、目まぐるしく切り替わる「スピード感」といった直接的な感覚から、「嫉妬」や「慈しみ」といったストーリーをもつ感情がある。そうした感覚や感情を、カットの組み合わせによって、視聴者が無意識に関連付けて解釈してもらう。
このとき、視聴者の心は動かされている。動画が面白いというのは、この心の動きのことになる。
イマジナリーラインの本質
動画を見るほう(私だ)にとっても、得るものが大きかった。今まで、漠然と「テンポが悪い」「展開が面白くない」等と思っていたことが、なぜそうなのか、どうすれば良くなるのか、具体的に言語化されているからだ。
なかでも最も腑に落ちたのが、「イマジナリーライン」だ。丸1章費やして、イマジナリーラインの本質を解説してくれたおかげで、いくつかのドラマがなぜ面白くないか分かった。
イマジナリーラインは想定線とも呼ばれている。「2人の対話の間を結ぶ仮想の線」と定義され、この線を越えたカメラの移動や編集をしてはいけない、とされている。
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最初に出てくるカットに映っている存在が、動作の主(主語)になる。そして、その次のカットが動作そのものになる。
被写体が、1人だろうが複数だろうが、人だろうがモノだろうが、被写体同士を結ぶのではなく、被写体が「方向性をもつ動作」をしているとき、イマジナリーラインはその動作の方向に設定される、と考えます。
そして、動作の方向だから「ライン」と読んでいるものの、ルールとしては、これは、「線」というより「面」と考えるほうが理解しやすいというのだ。カメラは、イマジナリーラインの「面」のこちら側では自由に動けるけれど、面をすり抜けるのは、原則的に禁止されている。
なぜか。
私たちが動画を見る時、(あたりまえだが)被写体を撮影したカメラの方からしか、撮影された世界を見ることができない。そのため、被写体がどんな位置・方向にいるかは、カメラが切り取った位置関係から把握している。
動画は複数のショット・アングルを切り替えて進めるけれど、そのとき、イマジナリーラインの面を突き抜けてしまうと、対象がいるべき方向が(脳内と)合わなくなってしまう。
心地よく世界を眺めていたのに、辻褄が合わなくなった対象を再構築する必要が出てくる。これは非常にストレスフルだし、何よりも、動画の世界から現実に戻されてしまう。だから、イマジナリーラインの面をすり抜けるのは、原則的に禁止されている。
では、イマジナリーラインの破り方はあるのか?
本書でいくつか紹介されているが、代表的なのは、ヒキ(話者から引いた)画を入れることだという。ヒキ画とは、シーンの状況説明をするための俯瞰画像のことだ。これにより、イマジナリーラインは再設定することができる。
だが、ヒキ画を入れることでストーリーの進行も滞るし、見ている方も冷めてしまうというデメリットもある。イマジナリーラインを破るなら、それなりの理由が必要だと釘を刺すが、ごもっともなり。
私自身、あまり自覚してこなかったが、この説明でピンときた。世間で評判とされて、とりあえず第一話だけ見るのだが、その一話で切ってしまうドラマが多々ある。漠然と「展開がダルい」と思っていたが、これ、イマジナリーラインの破り方が下手なだけだったのかもしれぬ。
動画を作る人にとって、本書は教科書みたいな存在になるだろう。守るべきルールと、破っていい条件の両方が詳述されており、実践するだけで、良質の動画が編集できる一冊。
問題2の解答:最初が太郎くん、次が花子さん、そして最後をハートにすると、「太郎くんと、花子さんは、愛し合っている」になる。
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これは、日常的に動画を見ている人には当然すぎて、「なぜこれが問題として成立するの?」と、逆に疑問に思えてくるかもしれない。
しかし、動画を見慣れていない人や、自分で動画を編集しようとする人には、途端に難しくなってくるだろう。
「やりたいこと」が先にあって、それをどうやって編集すれば視聴者に伝わるかという逆引き辞典のようなデザインパターン集があれば、人気を博するかもしれない。

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