『ゾンビ(’78完全版)』を観ると人生が豊かになる理由と、荒木飛呂彦が選ぶホラーBest20
まだ小学生だった息子を連れて、サッカー観戦したことがある。
試合が始まるのは少し先で、選手たちはシュート練習をしていた。プロを生で観るのは初めてなので、息子はえらくはしゃいでいたことを覚えている。
ボールにインパクトが加わると、すこし遅れて「キィン」という金属音が響いたり、ゴールを外したボールが飛んでくる「シューッ」という音が印象的だった。
その音で、ある映画のシーンを思い出した。トラックに積んだガラスが横滑りして、そこにいた男の首が切断されてしまう場面だ。
ほとんど意識せず、息子の顔の前に、私の右手を差し出した。同時に強い痛みが走り、「キィン」という音が届いた。
シュートを外した選手、練習を観ていた人、そして私自身が一番驚いていた。ボールが当たっていたら、子どもの頭は吹き飛んでいたと言えば大袈裟だが、ただでは済まなかったはずだ(後ろはコンクリの階段だった)。
最悪を予感して人生を楽しむ
たまたま不幸を免れたものの、突然の不運は起こり得る。
見通しの悪い交差点からは自転車が飛び出してくるものだし、老人はブレーキとアクセルを踏み間違えるものだ。工事中のビルから落ちてくるのは鉄骨で、急ブレーキを踏んだトラックから滑り出るのは強化ガラスである。
そこに居合わせたとき、不運は不幸になる。
これを、ありえない、と切って捨てることも可能だ。
旅先の田舎でチェーンソーを持った男に襲われたり、偶然に乗り合わせた客船が沈没したり、致死力の高い疫病に感染する、なんてあり得ない。そう考える人もいる。
だけど、どこまでの「ありえなさ」だろうか? 最悪のことはいつだって起こり得る。そう考えて生きている。
世の中は危険で醜くて、不運はそこここで起きているけど、たまたま不幸になっていないだけ。巧妙に隠されているだけで、死は、いつだってそこにある。だから、最悪を予感しつつ人生を楽しむようにしている。
この「最悪を予感して人生を楽しむ」上で、最も役に立つのが、ホラー映画だ。
人を怖がらせることを目的として作られたホラーは、「ありえなさ」に振り切って描かれている。人の命は現実世界ほどの価値をもたず、残酷さ、非道さ、おぞましさをありありと見て取ることができる。
誰でもウンコはするし、身体には大量の血が詰まっている。それが見えにくいだけで、確かにそれは存在する。ホラーは、ナイフや牙やチェーンソーを使って、明るいところに出してくれる。社会や人間の厭な面や、キレイでないほうの真実を暴き立ててくれるのだ。
安全圏から暗黒面を見る
『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』で同じような熱い主張に出会った。
ホラー映画の良いところは、「世界の醜く汚い部分をあらかじめ誇張された形で、しかも自分は安全な席に身を置いて見ることができる」点にあるという。人生のキレイでない部分に向き合う予行演習としては、ホラーは最高の教材となる。
倫理学の問題で「5人の命を救うために1人を見殺しにできるか?」という問いがある。何が正義なのかは選択肢があるが、そこからさらに「その1人が君の愛する人ならどうするか?」という形で、主人公が追い込まれていく。ホラーの醍醐味はそこにあるという。
極限状態が描かれているので目を覆いたくなるかもしれませんが、自然災害や犯罪に遭遇したらそういう選択を迫られることもあり得るという現実の可能性を、フィクションの形でエンタメとして見せてくれるのがホラー映画なのです。
だから皆さんには、せめて映画の中だけでも、きちんとそういうものに向き合ってほしい。「見るべき」映画という以上に、「見なければならない」のがホラー映画とまで言っていいかもしれません。
そして、ロメロ監督の『ゾンビ』の魅力を滔滔と語る。
ノロノロとした動き、人を襲って食べる様子は、それまでのホラー映画のモンスター(狼男、吸血鬼)と大きく異なり、徹底的に無個性な存在になる。それは、サラリーマン集団や街を歩く人々を遠くから眺めたときの無個性性に通じるものがあるという。
無個性な、人っぽく見えない存在だから、ためらいなく頭を打ち抜くことができる。むしろ、撃たないとこちらが殺られるルールになっている。人なのに人ではないという矛盾、元は人間なのにゾンビは殺してもいいパラドックスが、ゾンビ映画の世界観になる。
荒木飛呂彦が選ぶホラー映画Best20
実は、「ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ」といっても複数ある。どのゾンビを見るべきなのか。
- Night of the Living Dead
- Dawn Of The Dead
- Dawn Of The Dead (The Directors Cut)
1と2は視聴済みだが、氏曰く、3こそ必見だという。いわゆる『ゾンビ(完全版)』らしい。これは観る。『ゾンビ』から始まって、『サンゲリア』『バタリアン』『ブレインデッド』『死霊のはらわた』『28日後…』とゾンビの傑作を語りつくす。
さらに、「田舎に行ったら襲われた」系のホラー(テキサスチェーンソーとか)、13金などの猟奇殺人、SFホラー(エイリアン)や構築系ホラー(CUBE)など、縦横無尽に語っている。「荒木飛呂彦が選ぶホラー映画Best20」を挙げるので、このリストでピンと来る人はぜひどうぞ。
- ゾンビ完全版(’78)
- ジョーズ
- ミザリー
- アイ・アム・レジェンド
- ナインスゲート
- エイリアン
- リング(TV版)
- ミスト
- ファイナル・デスティネーション
- 悪魔のいけにえ(’74)
- 脱出
- ブロブ/宇宙からの不明物体
- 28日後…
- バスケットケース
- 愛がこわれるとき
- ノーカントリー
- エクソシスト
- ファニー・ゲーム U.S.A.
- ホステル
- クライモリ
本書で知った、私が見るべきホラーを挙げておく。
『プレシャス』
「ホラー」というジャンルではない。ニューヨークのハーレムという過酷な環境で、16歳の黒人少女がありとあらゆる不幸の中で生きている。ジャンクフードで育ったことをうかがわせる肥満した体、母親からの虐待、もう十分悲惨なのに、それだけでは終わらない。これは殺人鬼も怪物も出てこないけれど、まぎれもなくホラー映画。
『REC/レック2』
ドキュメンタリータッチで描かれた作品。テレビ局のレポーターが取材中のアパートで事件に巻き込まれ、そこで起きる惨劇と脱出劇が、手持ちカメラで撮影した体で映し出される。最初の『REC/レック』を観たとき、たいへん怖い思いをしたのだが、氏曰く、2は1のラストシーンから始まっており、よりパワーアップしているので、通しで観ろとのこと。観る。
『ホステル』
「痛み」の映画。想像力が及ぶ限界に近いくらい「痛い」映画。東欧を旅する若者があるホステルを訪れて、そこで悲惨な目に遭う。プロット、ストーリー含めて語り口が非常にうまく、不気味さ100点満点。製作総指揮がクエンティン・タランティーノだから作れた映画で、普通の投資家なら、企画段階で、「これを作っちゃまずいだろう」と思うはずの内容とのこと。観る。
よいホラーを観た後は、「生きてるッ」って実感がする。生き延びたというか、死を免れた嬉しさがジワる。残酷な結末に「私はこうはならないぞ」と思いつつも、「運が悪けりゃしょうがないか」と諦めもつく。生きているなら、必ず起こり得るのは死だ(今の私がゾンビでないかぎり)。
よいホラーで、よい人生を。

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