水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』
水の中には、すごい遺物が眠っている。
考えてみてくれ、地球の大部分は水に覆われている。しかも、風雨にさらされ、人が歩き回る地表と比べ、水の底は安定している。そう考えると、人の手が届きにくく、探し当てられなかっただけで、水中には数多くの遺物・遺跡があるはずだ。
それが、最新技術のおかげで、そうした遺跡が続々と見つかっている。『世界の水中遺跡』では貴重な画像とともに紹介している。
- 縄文時代の貝塚(当時の有機物が残存している状態)
- ヒエログリフが刻まれた紀元前300年の石碑
- 古代ギリシャの暦の計算装置(アンティキセラ装置)
- 元寇のモンゴル兵が用いた火薬兵器
- 中世のヴァイキング船が丸ごと
縄文時代の有機物が大量に残っているのは、琵琶湖の粟津湖底遺跡だ。何千年も前なのに、なぜそんなに保存状態が良いのか? 遺跡の上には粒子の細かな粘土やシルトが積み重なっており、空気と遮断されていたためだという。
砂や泥が数十センチも堆積すると、バクテリアが生息できず、ほぼ完全に真空パックされた状態(不活性)になる。水中では温度も安定しているため、保存には最適な状態となる。いわば、水の中のタイムカプセルなのだ。
長崎県の鷹島海底遺跡には、元寇の新兵器も丸ごと残されていた。「てつはう」と呼ばれる火薬兵器で、鉄片が詰まった手りゅう弾のようなものだ。丸ごと残っていた発掘品をX線CTスキャンで解析し、3Dプリンタで復元したものまである。
Wikipedia:元寇『蒙古襲来絵詞』より。爆発している黒い欠片が「てつはう」
youtube【海底遺跡】海に沈んだタイムカプセル 水中考古学の世界 | ガリレオX 第28回
こうした遺物は、もし地表に残されていたとしても、風雨にさらされ朽ち果てるか、人の手によって持ち去られていただろう。だが、水中に没したからこそ、700年の時を経て再びまみえることができたのだ。
ビザンツ帝国の沈没船が大量にある黒海も有名だ。
かつて黒海は淡水湖だったが、気温上昇に伴う海水の流入で塩分濃度が急激に上がり、無酸素状態の海になった。生物にとっては過酷だが、60隻の沈没船を保存するには理想的な状態だという。歴史の教科書で学んだコグ船が、ほぼ完全な状態で見つかっている。
近年、こうした水中遺跡が続々と見つかっているのは、最新の科学技術による。
離れたところから対象物を分析するリモートセンシング技術や、水中ドローン(Underwater Drone)が多方向から撮影・実測したデータを再構成する技術(フォトグラメトリ)のおかげで、ダイバーが現地を「発掘」する前に、かなりの情報を手に入れることができる。
以前、人工衛星やドローン、航空機から遺跡を調査する技術のことを書いた(人工衛星から遺跡を探す『宇宙考古学の冒険』)。それと同じ技術革新が、水の中でも起きているのだ。宇宙から遺跡を探すのは、宇宙考古学と呼ばれているが、水中遺跡を探すのは、深海考古学とも、水中考古学とも呼ばれている(Deep Sea/Water Archaeology)。
歴史の手がかりとして残されているものは、文字情報が主なものだ。
石や竹に刻まれたり、皮や紙に残された文字が書き継がれて、今に至る。あるいは、宝飾品や美術品など、貴重なものとして保存されたものに限る。それ以外のものは、捨てられたり、朽ち果てることに任されてきた―――地上では。
また、水中の場合、盗掘されにくいという点も大きい。巨大な墳墓に隠された宝は、何百年、何千年もの間、人の手を免れるのは極めて困難だ。だが水の中なら、盗人も追ってはこない(ただし、潜水技術やソナーの普及により、海に沈んだ宝物を漁る輩がいることも事実だ)。
本来ならば決して見ることも叶わなかったものが、水の中から、続々と発掘されている。十字軍が交易したオリーブオイルの壺や、アラビア文字が墨書きされた唐代の茶碗、ドイツの潜水艇Uボート、沖縄戦で米艦隊に特攻した零戦など、歴史を語る「モノ」が現れている。
地球最後のフロンティアで、活躍が著しいのは水中考古学だ。そう確信させられる一冊。
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