« 説明を「押し付ける」技術と「押し返す」技術 | トップページ | 水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』 »

なぜ空からの大量虐殺が許されるのか『空爆の歴史』

無抵抗な人に向けて、殺傷力の高い武器で、一方的に攻撃する。される側は、男女・子ども関係なく、住んでいる場所を焼かれ、家族を殺され、命が奪われる。

空爆がそれだ。無防備の市民を、空から皆殺しにする。これほど残虐で、非人道的な行為はないだろう。

しかし、なぜか、空爆は「普通に」まかり通って来たように見える。市街地一帯、ひいては都市全体を火の海にするために実行されてきた。

非難や反対の声は挙がるものの、それにより空爆が制限されたり抑止されるかというと、そうはならない。

なぜ、空爆による大量虐殺が正当化されるのか?

この疑問に応えたのが、『空爆の歴史』だ。

空からの植民地支配を振り出しに、ゲルニカ、重慶、ドレスデン、東京、広島、ラオス、コソヴォと続く空爆の歴史を辿りながら、空爆する側のロジックと、黙殺された抗議の両方を知ることができる。

空爆は戦争犯罪

もちろん、空爆による大量虐殺は、戦争犯罪だ。

加害側の圧倒的な優位性を背景に、一般市民を一方的に殺戮する。いくら戦争という非常時とはいえ、そんなことは許されるわけがない。

だから、空爆は何度も禁止されてきた。ハーグ平和会議(1899年)、空戦に関する規則(1923年)、ジュネーヴ諸条約(1949年)と、くり返し宣言されてきた。人口稠密な都市に対し、空から無差別に攻撃することは、明確に国際法に違反するものとみなされていた。

特に、1923年の空戦規則は、当時のルーズベルト米大統領、イギリス政府、日本政府、ドイツのヒトラーでさえ、守るべき規則だと宣言していた(ヒトラーは議会演説および米大統領宛の回答書で約束している)。

ただし、この規則には抜け穴がある。

第22条 普通人民を威嚇し、軍事的性質を有しない私有財産を破壊もしくは毀損し、または非戦闘員を損傷することを目的とする空中爆撃は禁止する。

軍事用でない施設や、一般の市民に対しては攻撃を禁止する、とある。ということは、軍事設備や戦闘員に対してはOK、という理屈だ。

そして、どれが軍事用で、どれが軍事用でないか、あるいは、誰が市民で誰が兵士かを判別してターゲットとするのは、攻撃する側が決める

そして、空爆側のロジックにより、無差別な爆撃は繰り返された。

空爆側のロジック

本書には、空爆する側の「理屈」が紹介されている。

まず、植民地主義における「文明」から「未開」への攻撃になる。帝国主義の時代には、重化学工業の発展に伴い、ヨーロッパが圧倒的な軍事力を持った。同時にヨーロッパ中心的な世界観が普及し、「文明vs未開」の構造のもと、飛行機が軍事利用される。

「未開」側の対空戦力がゼロであり、「文明」側の人命コストを考えると、空爆が高く評価されるのは当然の成り行きとなる。スペインやイタリアが植民地に対して行った空爆が、その嚆矢となる。従来の地上兵力と異なり、機動力に優れ、低コストで攻撃できるという理屈だ。

さらに、「未開」に対して恐怖を与えることができるという。戦線から遠く離れて暮らす人たちを恐怖に落とし、心理的なダメージを与えることができる。空爆には、敵の戦意をくじくテロ効果があるというのだ。

このロジックは、日本軍における重慶爆撃(1938)、イギリスによるドイツ諸都市爆撃(1945)および米軍における日本の諸都市爆撃(1945)、そして広島と長崎への原子爆弾投下(1945)に引き継がれる。

地上部隊の場合の膨大なコスト(戦費および人命)に比べると、より安上がりに、敵国の人命を(兵士・民間人限らず)殺傷することができるからだ。161のドイツの都市から60万人の人間を殺害したイギリス、日本の67都市から60万人を殺したアメリカ合衆国の被害は、(殺された人々の数と比較すると)軽微なものだった。

空爆側のロジックの現実

では、空爆する側の「理屈」は正しかったのだろうか。

本書によると、真逆の結果を招いているように見える。より安く、より大量の市民を効率的に殺害できる、という点においては正しい。しかし、敵国の戦意をくじくことで、戦争を早期に終わらせるという点においては、間違っている。

日本軍の空爆後の、中国・台湾の人々の調査結果や、ドイツ爆撃後のイギリスの爆撃調査班の報告によると、真逆になる。同じ場所を攻撃されたことで、団結心を得て、ナショナリズムを高揚させる効果があった。

これは、アフガニスタンにおける対露感情、ベトナムにおける対米感情も然り。空爆をする側は、週・月単位でのプロジェクトになる。

しかし、空襲を被る側は、何十年に渡って敵愾心を燃やし続けることになる。ここで強調する必要すらないだろうが、2001年9月11日にニューヨークとペンタゴンで起きたことは、その証左だろう。

非人道的なだけでなく、効果の面から見たとしても、空爆する側のロジックは正しくないのだ。

空爆のダブルスタンダード

ロジックの矛盾は、日本やドイツの戦争犯罪を裁く場においても噴出する。

戦後の東京裁判やニュルンベルク裁判において、「人道に対する罪」で日本やドイツが裁かれた。だが、その中に空爆における罪は含まれていなかったというのである。都市を爆撃し、一般市民を殺害したことは、正当化できない。

「人道に対する罪」は、従来の戦争犯罪では捉えきれないナチスの犯罪を裁くために導入された概念だ。罪刑法定主義という法の常識を超えて、事後的に作り出された、新しい「罪」の概念となる。

国家による大量殺人が人道に対する罪であるならば、その第一等に当たるのが、空爆だろう。日本は中国各地で、ドイツはイギリスやフランスに対し、大量の爆弾を落としてきた。それが、なぜ裁かれなかったのか。

答えは、「同じ罪を連合国側でも問われることになるから」だろう。だから、俎上にすら乗らなかったのだ。

ニュルンベルク裁判で訴追主席であったテルフォード・テイラーは、裁判から25年後にこうコメントしている。

都市破壊のゲームは、連合軍のほうがはるかに成功をおさめたので、ドイツや日本を訴追する根拠がなく、事実そのような訴追は持ち出されなかった。連合国側も枢軸国側も空爆をきわめて広範かつ残酷におこなったので、ニュルンベルクでも東京でも、この問題は戦犯裁判の一部にもならなかった。

空爆は、低コストで一方的に殺戮を行うことができる。戦闘で死亡する兵士としての「戦死者」の数を、極小にすることができる。これは、軍部にとっては何者にも得難いメリットだろう。

そして、「軍事施設のみを目標にする」という名目でありながら、何をターゲットにするかは攻撃側に委ねられている。さらに「早期に戦争を終わらせることで互いの被害を最小化できる」という理屈は、未来の火種を無視し続ける限り、有効になる。

空爆のダブルスタンダードを暴き出す一冊。

このエントリーをはてなブックマークに追加

|

« 説明を「押し付ける」技術と「押し返す」技術 | トップページ | 水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』 »

コメント

無差別空爆について紹介していただきありがとうございました!
私は新訂版しか読んでませんが
戦略爆撃の思想 : ゲルニカ-重慶-広島への軌跡 / 前田 哲男 (1938-)東京 : 朝日新聞社 , 1988.8
が私のスゴ本です。今回ご紹介頂いたスゴ本も読ませていただきます。ありがとうございました。

投稿: 関西人 | 2022.05.26 21:28

>>関西人さん

ご紹介ありがとうございます。『空爆の歴史』でも紹介されていたので気になっていました。これを機に手にしてみます。「空爆する側の論理」について紐解いていくと、植民地主義や欧米中心主義が見えてくる仮説を立てて、読むつもりです。

投稿: Dain | 2022.05.27 09:10

いつも素敵な記事をありがとうございます。

ここ2週間ぐらいなんですが、私の使っているRSSリーダー(Inoreader)にてスゴ本さんのブログのフィードが更新されなくなってしまったのですが、何かブログのほうで設定を変えたりしましたか?

投稿: | 2022.05.28 09:23

>>名無しさん@2022.05.28 09:23

読んでいただきありがとうございます。ここ2週間ですか……特に設定は変えていないですが、去年ぐらいにこのブログをhttpからhttpsにしたのが大きな変更ですね。いったんリーダーから解除して再登録すると、良いかもしれません。

投稿: Dain | 2022.05.28 14:08

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 説明を「押し付ける」技術と「押し返す」技術 | トップページ | 水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』 »